108.5 宰相ヘラー
ついに雨が降り、稲光が曇天を駆ける。
そんな不穏な空気の中、有識者会議はネフィー・リドリムの順番となった。
「センチュリオン兵器製造会社より、民間顧問としてヴェルフルト要塞攻防作戦における整備、兵装製造を担ったリドリム家のネフィーをここに」
議長である私がネフィー・リドリムを呼び込むと真っ先にギルバート殿下が迎え入れた。
「ネフィー・リドリム!! 時の人ではありませんか!」
いの一番に席を立ち、拍手を促し称えた。
その意図は見え透いている。
この異才を、ルージュ殿下が手にすることを拒んでいるのだ。
「どうした、ヘラー宰相。顔色が悪いが?」
「いえ、お構いなく、ルージュ殿下」
嫌な汗が止まらない。
皆も呼吸を抑え、伏し目がちに渦中の人物を確認していた。
「ネフィー・リドリムです」
この場において、堂々たるものだった。
聞いていた話より落ち着きのある麗しい南部美人という印象だ。
ネフィー・リドリムについて、誰もがつい最近までその名すら知らなかった。
よって彼女を調べる時間が必要だった。
ところが、どれだけ調べてもリドリム家からアズラマスダ家の闇に突き当たる。
今、かの家に手を出せるものは皇室にすらいないだろう。
『ウルティマ』の開発、土地開発ラッシュ、セントラル産業の事業乗っ取り。
七大家でも飛びぬけた力も持ち始めた。
それがこうして軍・皇室に逆らわず、ネフィー殿本人を差し出している以上、文句も言えない。
「ネフィー殿にまずは聞きたい!! 機士の評価を変えるほどこの国は追い詰められているのでしょうか!?」
ギルバート殿下は機士評価改革には賛成でも反対でもないのだろうが、ルージュ殿下の評価を下げるため進行を邪魔している感がある。
「今の機士がギアのポテンシャルを引き出しきれていない。それは事実です」
ギルバート殿下に二の句を継がせない強い言い方だ。
思っていた以上にはっきりとした、危うげな物言いをする。
議題は機士評価システムの改革。
機乗力換算の多様性を戦術に組み込むプランをルージュ殿下が持ち込んだ。
有意義な話し合いは到底行われない。
ギルバート殿下の対抗意識で場は乱れ、それをフェルナンド殿下が制することなく、皇室の争いに首を突っ込もうとする者もいなかった。
専門家たちは口を噤み、保身に徹していた。
これまでは。
「戦功に免じて煽てておけば……機士の怠慢だとでも?」
「精査されていない能力がまだあると申し上げているのです。殿下もそうではありませんか。あの『白銀』を倒した氷の遠隔魔法。高い遠隔機乗力を証明しているかと」
「ほ、ほう……」
上手い……
落としたと思いきや、上げて黙らせる。
まるでクラウディア皇女殿下のようだ。
「現場の人間からすれば、兵装の選択一つで悩みます。本人にそれが得意という自覚すらない場合が多い。なぜなら、その能力を推しはかる詳細な指標が無いからです。近接機乗力、遠距離機乗力だけでは古いのです」
機士の評価が変わることを恐れるものや、歓迎するもの、人それぞれだ。
なによりこの議題は次期皇帝の器を測る、前哨戦の様相を呈した。
「この改革案を支持するのは、国境線での戦いを技術者の目線から見てのことでしょう」
フェルナンド殿下が話し始めた。ギルバート殿下の立場が危うくなってから。
「はい」
「ならば、勝敗を分けた本質は技術力なのでは? あなたはいくつもの革新的な働きをしてみせた。『白銀』に勝てたのはあなたがいたからです。その理解力があれば、あれを量産することも可能なのでは?」
「何っ? あれを量産だと!?」
フェルナンド殿下は技術的な堀下げを試みる。
それは誰もが感心のある話題だ。
「あれは特例です。量産はできません。また、あれの技術も不明な点が多い」
「不明な点……ですが、あなたはあの機体の操作マニュアルを作成し、外部端末を使った補助まで考案している。あの資料は役に立ちましたよ。十分、あの機体を理解しているように見受けられますが?」
ネフィー・リドリムが返答に詰まった。
この令嬢もやはりただ呼ばれて話しているわけではないようだ。
「ああ、そうそう。『白銀』が駄目なら『ウルティマ』について聞かせてください。私なりに解釈をして信号を遮断する原理を再現してみたのです」
殿下はそう言うと、議場の中央に歩み出て二つの通信機を離して置いた。
その間に別の機械を置いた。ちょうど彼女の立つ檀上の目の前に。
枝分かれした金属の木のようだ。
「魔力の信号はこうして魔力抵抗値の高い金属に遮られる。これだけでも二点間の通信はジャミングされているでしょう?」
どうも怪しくなってきた。
ネフィー・リドリムが何も答えなくなった。
「間違っていますか?」
「……いいえ」
「このシグナルを阻む金属組成と中空に散布するための構造、効果範囲はいかほどですか?」
「あれは実証実験的な効果を満たし、原理的な追及はこれからです」
「おやおや、先ほどまでの確固たる話とは違い、実にあいまいですね。……あなたの戦功は、他にもいろいろある。魔法の威力拡大の手法、記録晶石の製造と運用法……」
ネフィー・リドリムは口をつぐんだ。
「これらも言えませんか? 管理局にはすでにご報告いただいた内容ですが?」
これでは意見を参考に議論は進められない。
彼女が偽物である可能性。
または誰かの手柄を盗んだ可能性。
ネフィー・リドリムという存在が何者かの生み出した虚像である可能性。
疑念は尽きない。
「私も疑っているわけではないので。あなたの優れた技術力を前提にこの議論を進めるためには、証明をする機会が必要でしょう」
フェルナンド殿下が2つのねじを取り出した。
「ここに2つのねじがあります。どちらが優れているか、当てて下さい」
単純明快、皆が身を乗り出し注目した。
「手に取っても?」
「そうでなければわからないはずだよ」
彼女は長手袋を外した。
その瞬間議場は驚きに満ちた。
小さく華奢な手が、大きく強く見えるほどに異質な存在感を放った。
その手はまさしく年季の入った技術者の手だ。
オイルがにじみ、細かい傷が無数にある。
幼いころから下働きを続けなければああはならないだろう。
手に取ってすぐ、彼女は迷いなく答えた。
「全く同質。アロン鋼と鉄の合金。切削処理を職人が行った一級品。ただし、こちらはキンバリー工場のもの。こちらはバスタのものです」
どちらがどの目的、どの部位を想定したうえで造られたのか。
ねじ一本から長々と解説を始めた。
フェルナンド殿下は拍手した。
「即答とは恐れ入りました」
議場が感嘆の声に満ちる。
私は見逃さなかった。
ネフィーの回答中、ルージュ殿下はフェルナンド殿下のお顔を見つめていた。
その眉一つ動かさない御変わりのない笑みを。
「貸せ、おれにも見せろ!!」
ギルバート殿下が椅子を引き倒し、フェルナンド殿下の置いた信号機を机ごとなぎ倒して進んだ。
そのときの様子もルージュ殿下はずっとフェルナンド殿下を見ておられた。
「っ!」
私もつられて殿下の顔を見ていたが、一瞬、笑みが消えたような……
ギルバート殿下がねじをネフィーからひったくり、そのときジャミング装置もなぎ倒した。
「分からん!! こんな茶番いらんだろう!! おれの機体を整備しろ!! それではっきりする!!」
「まぁまぁ、兄さん……」
「どういうことだ? この技術者が要るのではなかったのか? なぜおれの立場が悪くなっている? おれは敵を倒した決定打を生み出したのだぞ? 英雄だ!! 次期皇帝はおれだぞ!!」
皇族はバラバラだ。
これではまともな議論も……
「この国ではこうして、優秀な技術者が抑圧され、権力の渦中に置かれて自由な研究ができず、立ち回りの上手いものが評価されます」
ネフィーの鋭さが戻った。
これは明らかに、皇室のパワーバランスがルージュ殿下に傾いている。
「な、生意気な……」
「なるほど、手厳しいですね」
明らかに、ネフィー・リドリムはフェルナンド殿下と対立する道を選んでいる。
そして、このタイミング。
ルージュ殿下の議題を裏付けする働きをするということは、彼女はすでにルージュ殿下の派閥に組み込まれているということか。
「ネフィーの発言は技術者として正直な不安であると思います。ですが、その不安を煽ったのはだれか。グリム・フィリオンという飛びぬけた才能が有りました。彼の技術は常に技術管理局の眼の届かないところに隠されてきた。おかげで今も不明な点が多い。彼の技術の独占を図り、彼を守ることもできず、未だにその功績を共有しようとしない人がいます。そして今、ネフィー・リドリムが発案するべき議題をわが物の如く政治に利用する人がいる。これが帝国の実力主義なのでしょうか?」
フェルナンド殿下の指摘で形勢が分からなくなった。
ルージュ殿下の責任を問うおつもりだ。
賛同する者は多い。特に文官の支持を集めている。
「彼が生きていたら、そもそも北部方面軍が苦戦を強いられたでしょうか?」
軍の心象も揺らいできたようだ。
まさかあそこからイーブンに持ち込むとは。
これでまだわからない。
「そうだ! ルージュ、貴様がグリムを独占したことで北部方面軍の力を十全に発揮できなかったのだ!! 責任を取れ!!! グリムの代わりにネフィーはおれが頂く!!!」
確かに、グリム・フィリオンを失ったことは帝国の技術力にとって大きな痛手だ。
豪雨が窓を打ち付けている。
ルージュ殿下は沈黙している。
会議の雰囲気も、フェルナンド殿下に寄っている。
やはり場数が違う。
武人に、フェルナンド殿下の相手は無理があったのだろう。
「フェルナンド」
「なんだい、姉さん」
「グリムがいないからどうだというのだ?」
「え?」
フェルナンド殿下の笑みは変わらない。
だが二人の間で、眼に見えない圧力がせめぎ合っているのを感じた。
「たかが属州民1人が居なくなったからといって戦局が左右されるわけがないだろう? いつから帝国はそこまで弱くなったのだ? 奴がいなければ別の者がいる。それがこの国の強さだ。その証拠が目の前にいるではないか」
そうして正面にいるネフィーを指さす。
ルージュ殿下の御言葉は大多数の帝国人が抱いていた気持ちだ。それを代弁することで、状況はさらに変化し、ルージュ殿下に傾いた。
「本気で言っているのかい? 『ダイダロス基幹』はギアの根幹を変え、機士の在り方を変えた。それが帝国に勝利をもたらしたことは明白だ」
「グリムがいなければ、誰かが造っていた。それこそお前がやらねばならなかったのではないのか、フェルナンド?」
「その恩恵を受けておりながら守れなかった姉さんに、グリム君を否定する権利などない」
「私はやつがいない頃から最強だった。最強の私がさらに帝国を強くするための案を持ってきた。何が不満だ? ガーゴイルとの戦闘は続く。変化は止まらない。我らが強くなり続ける。個人的な恨みで邪魔をするな」
痛烈。
フェルナンド殿下のグリム贔屓は確かに皆が感じていた。この世情、属州民に寄った意見は全く力がない。
やはりルージュ殿下も侮れないお方だ。
明らかに意識が変わられた。
今の殿下ならば、文武兼ね備えた次代の皇帝に相応しい。
逆にフェルナンド殿下はグリム・フィリオンへの固執が浮き上がった。
「……評価基準の見直し。そこまで言うなら私も賛成しましょう」
一転してフェルナンド殿下が賛成を表明した。
「何、どういうことだ!」
「グリム君が生み出した革新的な兵器の数々は、軍で最大限運用されていないのは事実さ。ネフィーで同じ轍を踏むのは愚かだと私も思う。優れた兵器運用には適切な機士の能力判別方式を確立するべきだ」
つまりは、人と技術、両輪の足並みをそろえることが肝要。
会議はようやく上手くまとまった。
「己の才覚を発揮できん奴など役に立たんだろう!!」
「ギルバート」
最後にはやはり、ルージュ殿下だった。
「貴様の能力ですら、全て発揮されているのかどうか疑わしいぞ」
「なんだと!!」
「私は単機で貴様に負ける気は全くないが、軍を率いる能力にかけては貴様に分があると考えている」
着席していた軍人たちが耳を傾け、大きくうなずくものも。
「機士としての素養、魔法による遠距離での立ち回り、軍の統率力。そして遠隔での支援もできるとあらば、総合的な能力は私と同等かもしれない」
「何を言っている。そんなわけが……」
「スカーレットは己にしかできない戦い方をした。ネフィーはそれを支援した。その結果があの戦いの結果だ。この成功から学ぶことは多いだろう。私も、兄上も……」
冷徹なのか、お優しいのか。
案外とこのお方は奥の深い人物なのかもしれない。
ルージュ殿下は結局一度も席を立つことなく、悠然と会議を回し続け、その器の違いを見せつけた。
波乱の会議は、終着へたどり着いた。
「ルージュ、お前が演技上手だとは意外だった。機士よりその面と演技力を活かして女優になるべきだったな」
「知らなかったの? 私は何でもできるんだ」
ギルバート殿下はそのまま議会を後にした。
フェルナンド殿下はネフィーの手を取り、その甲にキスをした。
「君が、生きていてくれて本当に良かった」
最大限の敬意を示して、退席した。
嵐は去った。
しかし、何か不穏な未来を暗示するかのように、雷雨は激しさを増していた。




