本章 105.死者の残像
グリム君の存在を強く感じた。
北部国境線での戦い。
スカーレットの操る『アリアドネ』の性能は見事だった。
感嘆した。
戦術もさることながら、あれを整備できる人間は限られる。
グリム君は生きて、北にいる。
ソラリスには本当に申し訳ないことをしたが、彼女の犠牲には価値はあった。
グリム君の生存は喜ばしい。
だが、クラウ姉さんまで生きていてもらっては不都合だ。
死人の居場所は、墓の下だと理解してもらわねば。
「スカーレット皇女殿下の機体をメンテナンスしていたのは専属の技師たちですねぇ」
帝都の皇宮にある私の執務室。
対面に座る男が身の置き所を探り探りしゃべり始めた。
「技師たち……か。だろうね」
自分で手を出すほど彼は馬鹿ではない。
「では、頼んでおいたイゴール一等機士の整備担当者の写真を見せてくれるかな?」
「隠し撮りなんて趣味じゃないんですけどね~」
グリム君はギアをいじらずにはいられない。
誰かの機体は直接担当しているはず。
そして、担当された機士は目覚ましい躍進を遂げる。
イゴール一等機士。
体格とスキルに恵まれながら出自を理由に北に左遷させられた不遇の二等機士。
ウィヴィラの神の攻撃をまともに食らいながら、反撃した。
結果はごまかせない。
忠誠心の欠片も無かった彼に、芽生えたスカーレットへの献身。
妹の力だけではない。彼を変えたのは変われるという確信を与えた誰かだ。
「どうぞ」
机の上に乱雑に置かれた複数の写真。
写真には南部系ガイナ人の女性が写っていた。
「知らない顔だね」
「ネフィー・リドリム嬢。センチュリオンの技師ですよ。これがまたエキゾチックビューティーないい女でしてね」
「ああ、あの『ウルティマ』を造ったという……バイザーモニターを活用した新メディア戦略も彼女の発案だと聞いたよ」
確かに、興味深く手元に欲しい人材だ。
南部にあれだけの技術者がいたと気がつけなかったとは、どうやら私もうっかりしていたようだ。
けれど、目的の人物ではない。
はずれだ……
「では、ダーク二等機士と、キルソン機士長の担当者を」
「全員、彼女ですよ」
「……ほう」
クラウ姉さんか。
対策を打ち、彼に自由をさせず指図だけに留めさせたのだろうか。
まさか『アリアドネ』も彼女が?
ならグリム君は……本当にもういない可能性が……
いや……
リドリム女史の手元に違和感を覚えた。
塗料とオイルと細かい裂傷跡、火傷跡に塗れた手だ。
貴族令嬢とは思えない。
傷を隠しもしていない。
整備士の多くは手袋で指先まで覆っている。
それをしない者は微細な指先の感覚でパーツを扱う熟練工に多く、設計を担う貴族出身者には見ない特徴だ。
これだけの傷がつくには10年以上、絶えず機械に触れていなければならない。
それに、傷跡も一定ではない。
現在は塗料汚れ、オイル汚れのみでオイルかぶれはなく、傷も古い跡ばかり。
熟達し傷はつかなくなったが、習い始めた頃から手袋をせず作業していた。そして、傷跡を消す適切な治療を受けていなかった。
10歳前後の子供用で、ギアの作業に耐え得る頑丈な作業手袋は既製品ではなく、オーダーメイドになる。しかも消耗品だ。
まさか、買えなかった?
治療を受けられなかった?
貴族の令嬢が? 公の場で手袋が外せなくなる。それは灼熱の南部人にとっては辛いだろう。
そして、私はネフィー・リドリムを知らなかった。
魔力阻害を主とする情報戦略機『ウルティマ』や新たな記録メディアを製造した彼女を。
優秀で、職人の手を持つ若い技師のことを。
彼女の骨格は南部系ガイナ人のものか? わからない。
手元は隠していないにもかかわらず、随分と化粧は念入りじゃないか。
「彼女の背格好は?」
「さぁ、160cm後半程度ですかね?」
「どんな声をしていた?」
「高くもなく低くも無く」
「南部人訛りは?」
「訛ってる南部美人とは遊んだことがないもんで……」
「足のサイズは?」
「いやいや、そこまでは知りませんて。変態じゃないんで、おれ」
「……では、眼の色は?」
彼は沈黙した。
「青色。綺麗な、殿下と同じ青です」
マーヴェリック少尉に緊張した様子はない。
彼の報告を聞いている。
私はスキルなんて便利なものが無い分、よく観察するようにしている。
嘘なら分かる。
マーヴェリック少尉の眼は泳いでいない。
体勢も自然で、硬直は見られない。
「わかった。ありがとう少尉」
残念、外れか。
さすがに眼の色はごまかせないからね。
「どうかしましたか?」
「いや、いいんだ」
おかしな想像をしてしまった。
ひと月以上、女装していて誰も気が付かないわけがない。
第一、グリム君にも恥という感情はあるだろう。
ただ、彼はリドリム女史の近くにいる。
彼女の整備にはグリム君の思想を感じる。
なら、クラウ姉さんもいると考える方が自然だ。
彼女、論功行賞で帝都に呼び出そうか……
確かめる方が早い。
「殿下、フェルナンド皇子殿下……おれも質問してもよろしいですか?」
「もちろん」
少尉は作り笑顔を私に向けた。
「おれは北であの『白銀』を見たという報告をあなたにした。そして、ウィヴィラに優位な吹雪の連続。ギルバート殿下の敗北。軍の敗走……なら要塞もああなるってことは予想付いていたんじゃないですかね~? なぜ、妹君を送り込んだんです?」
もっともな感情だ。
けど、おもしろい。
それらしく、感情的になっている風を装っているようにも見える。
私を探っているようだね。
「残念ながら私は完璧ではないということだよ。現行ギア以上のスペックを属州が造るだなんて、想像できなかった。私の想像力の無さを許してほしい」
「……いやぁ、ではおれのスタンドプレーとおあいこってことで、ここは一つ」
少尉が笑顔でグータッチを誘う。
ユニークなのはいいが、場と立場を弁えないのは問題だ。
「兄さんともやるのかい、それ?」
彼は拳を引っ込めた。
「すまないね。君とは、仕事で話しているだけだから」
マーヴェリック少尉の機体に搭載された腕部換装機構。
あれは私がグリム君の真似をして生み出したクロウハンドの発展型だ。
リドリム女史に即席であのレベルの特殊兵装を一から造れる能力があったとしても、あの兵装には確実に機能美とは異なる設計思想が混じっている。
たぶん、『ロマン』とやらだ。
「ところで、あの特殊兵装『プレデター』と言ったかな? 造ったのは誰だい?」
発想元、そこにグリム君がいる。
なら、この勘のいい少尉がその存在に気が付かないのは不自然だ。
なぜ報告しないのか。
どんな言い訳をする?
「殿下、知らないことが多い方が、世の中楽しいですよ」
あっけらかんとした回答に、思わず感心してしまった。
「フ、ハハハ……そうだね。その通りだね」
彼が部屋から出ていった。
入れ替わりで、女が音も無くソファーに座った。
「……どうだった?」
忍ばせていたスキル持ちだ。
「すごい男だわ。彼の心臓の音は力強く響いて揺るがず一定。まるで調律された楽器の旋律よ。それが逆に疑わしい」
「機士の心肺機能は常人とは違う」
「それを差し引いても、殿下の前であれほどリラックスしている人間がいるかしら? 卓越した精神力か、感情が無いのかしらね……」
仲間意識だ。
彼はふざけているようで、生粋の軍人気質。
『白銀』への意趣返しができたことで、グリム君に、あるいはリドリム女史に、仲間意識が芽生えても不思議ではない。
「殺しておきます?」
「いやいや、君が殺したいだけだろう? 私は君と違って殺人鬼ではないんだよ」
「嫌だわ。私はノイズが嫌いなだけ。大抵は我慢しているのよ。でも配下の中には私みたいに自制心がある人ばかりではないの。最近入った新入りさんとかね。落ち着かせるために、エサが必要ってだけ」
都合のいい殺人鬼が美しい声で囁く。
思わず、聴き入ってしまうほどに。
「ねぇ、気付いてます? 彼『これ以上聞くな』とあなたに面と向かって言ったのよ? 不敬じゃなくて?」
」←不要
すごいじゃないか。
ああいう正直さは嫌いじゃない。
それより、私を誘惑し操ろうとする殺人鬼の方が不敬だ。
「君は大抵の殺人鬼を捕まえることができ、社会に貢献しているから生かしている。それだけだ。他の連中と違うと自惚れないことだ」
「殿下の心臓の音も美しいわ。その殺人鬼を前にして……あなたはどっちなのかしら? 軍の人間だから? それとも、私と同類だから?」
世間は私のつくった凶悪犯罪者更生プログラムを評価してくれているようだが、過大評価だったようだ。
「彼は私が操り難い数少ない人物の一人だ。それは希少だし、喜ばしいことでもある。あの串刺し皇女と互角の機士は失えない。だから、彼は、殺さない」
「そう。残念……つまらないわね」
ギルバート兄さんより、彼の方が実は人材として大事だ。
だから、少尉と友人の兄さんには彼の弱みになってもらった。操りやすさと、精神汚染の実験台という意味もあったけれど。
そして少尉は気が付いていない。
自分の機士としての活躍が、ギルバートを精神的に追い込む材料になっていることに。
兄さんはそろそろ限界だ。
熟れて割けた実から、ドロリと中身が漏れ出している。
気位の高さ、努力に裏打ちされた能力。
それに見合わない世間的評価、機士として上がいるという劣等感、今回の敗北による屈辱。
長子であるにもかかわらず、次期皇帝として誰にも期待されていないという現実。
過度な力は、精神を歪ませる。
力を手に入れれば、自ずと野心に身を任せることになるだろう。
力づくで皇帝の座を求める。
問題は、ルージュ姉さんだ。
帝位簒奪を静観してはくれないだろう。
クラウ姉さんが生きているなら、それも危惧しているだろうしね。
姉さんを止めてもらうのに、マーヴェリック少尉は適任だ。
二人がぶつかれば、双方無事ではすまない。
「兄さんは、どうしてる?」
「例の機体がまだ手に入らず、憤慨して裏から手を回しているみたいね」
「スカーレットが公然と兄さんに逆らうとは思わなかっただろうね」
表向きは違法素材の調査。
上手い口実だ。クラウ姉さんだろうな。
確かにあの機体はガーゴイルとの共通点が多い。
オイル交換を必要とせず、静音駆動し、装甲は魔法的に高硬度状態を保つ。
長時間の使用ができず、精神汚染のリスクが想定される。
このままでは永遠に帝国内に搬入できない。
それでは今回の戦いを仕掛けた意味がない。
「ギルバート殿下は民間企業を使って圧力をかけたみたいだけど、失敗したそうなのよ」
兄さんはセントラル産業を使ったのか。
甘いな。
「兄さんは策謀が本当に下手だから。手を貸して差し上げないと」
「あら、優しいのね。それとも策謀が好きなだけ?」
セントラル産業はまがい物共の巣窟だ。
クラウ姉さんが裏で糸を引いていたら太刀打ちできまい。
「ノボルチェフ家、北の七大家が介入すればスカーレットの力ではどうすることもできないだろう」
気性が荒く、独善的で有名なノボルチェフ伯をけしかけるのは容易い。
たとえクラウ姉さんがいても、七大家と揉めては他の誰かに仲裁を頼む以外ない。北なら、ギルバート。次点で私だ。
それにこれからスカーレットはウィヴィラ問題を並行して解決してかなくてはならない。
治安維持、ガーゴイル防衛策、賠償問題。そのいずれも、私の協力がなければ、先には進まない。
「妹が助けを求めるなら、当然兄として妹の立場を護ろう。見返りとして、機体を手放してくれるだけでいい」
「追い詰めて、助ける。なんて素敵なお兄さんだこと」
ついでに、セントラル産業の数々の不正をこの機会に明らかにしよう。
スカーレットも嫌とは言えまい。
活動報告にて、ご報告がありますのでよろしければお読みいただけたら幸いです!!