97.ネフィー・リドリムという女
北部での劇的な勝利の前。
時は半月ほど遡る。
ウェールランドでのマリアさん暗殺未遂から数日後、おれたち3人は死を偽装し、ウェールランドを出て皇帝勢力と合流していたーー
「よく来たね、グリムちゃん、マクベスちゃん。クラウディア様もご健勝なお姿を見られ安心しましたよ」
「その名はもう使っていないわ」
「ヘル卿、厄介になります」
軍の観測所の廃墟の地下に、古びた遺跡のような構造物。そこに真新しい設備を搬入して居住空間にしているらしい。
秘密基地みたいでワクワクするな。
皇帝勢力といっても、ヘル卿の弟子数人と世話係しか残っていない。
皇帝はすでに皇宮に戻っていた。『アルビオン』も見ておきたかったが、確保すべきは帝国を移動するルートだ。
「さかのぼるも50年以上前。ガウスが皇宮の地下神殿に眠る『アルビオン』を発見したとき、この道も一緒に見つけたのよね~」
「古代都市の水路や地下神殿をつなぐ、地下道ですか。壮観ですね」
「こんなものが帝国の下にあっただなんて……」
これが帝国中に張り巡らされていることに気が付き、鉄道を敷いて利用する計画を秘密裏に進めていたらしい。
皇族が鉄道の経営権を独占せず、軍と貴族、その傘下の民間企業による自由競争を許したのは、この長距離移動の列車技術で競合させ、本命の地下鉄への敷設技術を発展させるためだった、のかもしれない。
「ま、結局浸水やら地盤沈下やらあって、資金的にも全土はムリってことで計画自体はとん挫しちゃったんだけどね~。帝都から東、ここまで1200キロってところかな? あとは、南北に3000キロぐらいだね、通れるの」
十分だ。大幅に移動時間を短縮できる。
「これ、献上品です。どうぞ」
特殊対装甲剣の特別加工品だ。
「皇帝ちゃんに? これ刃に穴開いてるね」
「『アルビオン』用の、空圧制御機構搭載です。まぁ、魔力のラインを形成して、空気の通り道に制御弁をつけただけですけど」
「これ、どうなるの~?」
「剣が加速します」
「それだけじゃないでしょう? 怖いことを考えるよね、天才ちゃんはさ」
「これは皇帝陛下へのお土産なので、頑張りました」
地下鉄の通行券代わりといってもいい。
「それにしても、すごいものだね~。剣もだけど、君もね。まるで別人だよね」
「そうでしょう? いや、苦労しましたよ」
カラコンで眼の色を青にして、ウェール人から南部系ガイナ人に化けた。
無論コンタクトなどこの世界にはないので、特殊ポリマーを極薄で成型する成型機から製作し、グウェンにおれの眼をモデルにして曲線比率を計算してもらい、成型と切削と状態検知と失敗を繰り返して丸一日かかった。
「マリアさんが、念には念をというので」
「あなたができるというからよ。眼の色を偽装できるなんて、誰も想像してこなかったものよ」
「確かに。テスタロッサちゃんが泣いて欲しがるだろうねぇ」
「ぼくは帝都から『先生』を呼んで顔を変えてもらったほうがいいと思ったんだけど」
「怖いってば」
眼の色を変えたところで顔が同じならバレてしまう。
そう言ったら、こうなった。
「私が止めたのよ。もっと効率的な方法があるからと」
カツラで黒髪を金髪にして、服装も変え、化粧をし、スカートとヒールを履いた。いや履かされた。
「女装が効率的ですかね?」
「あなたは背が低いし」
「普通ですぅ!! みんなが高いだけぇ!!」
おれより背が低い人、エカテリーナさんとメアリー先生ぐらいじゃないか?
おれだって160cm後半強はあるんだぞ。ほぼ170cmだぞ。ウェール人の中では高い方なんだぞ。
「それに、体格は細めで顔も声も中性的だから、南部の化粧をしてウェール人的な顔立ちをカバーすれば、南部系ガイナ人令嬢の出来上がりよ」
なんで南部人かといえば、同じ褐色で、南部系のメイクが濃いめだからだそうだ。
最初見た時鏡の前で「これが、ワタシ?」とお決まりの文句が出てしまった。
まさか、おれにこんなポテンシャルがあったとは。
それからマリアさんにご令嬢のふるまいを叩き込まれた。背筋を伸ばし続けるのはつらい。
ちなみにマリアさんには男装してもらった。
「私が、男装する意味の方が分からないけれど」
「それぐらいしないと絶対だめでしょ!!」
「それはそうですね」
「そうだよね~」
「えぇ? そうかしら……」
テスタロッサに化けた時みたいでいいとでも思っているのだろう。
この人、自分の顔面が華やかな自覚ないんだよな。
機士用のインナースーツを改良し、男性らしい体格に。あとは厚底靴でイケメン執事爆誕だ。
名前はクロード。
おれに付き従うイケメン執事という設定だ。
「あのさ、なんでおれだけ不審者なの?」
彼の名はさすらいのエースパイロット『スカーフェイス』。その全貌と経歴は謎に包まれている。
「お約束さ。謎のエースパイロットは傷を隠して仮面を被る。だが、実はイケメンがその顔を隠していただけなのであった」
「グリム語やめよう。真面目に聞いてるから。あの、マリアさんも変だと思いますよね?」
「ごめんなさい。スタキア系の顔を隠すにしても、あなたが化粧をしたところで女性には見えないと思うのよ」
「フフ、高身長と逞しい身体、男らしい顔が仇になったね」
スタキア人の銀眼はウェール人の金眼と同じ目立つ特徴だ。でも彼の分までカラコンを作る時間はなかった。
「別に女装したいわけではないです。こう、帽子とか」
「マクベス君。君が一番楽なんだぞ。わがまま言わないの!」
「そうよ。これからリザに会うからって、いい格好しようとするなんて、わがままよね」
「まぁ、うん……なんか二人共、ちょっと腹いせ入ってないかな。自分は苦労してるのにって……」
「ああ、胸が苦しい。脚が痛いわ」
「ああ、コルセットつらい。ヒール痛い」
「……わかったよ。我慢するよ」
こうして変装状態で移動することに。
「じゃあがんばってね」
「はい」
観測所から地下鉄を進みまず向かったのは南だ。
身分、その他もろもろを準備するためだ。
変装しただけでは、ただの侵入となってしまう。
南部シュラール地方には5日かかるところをたった2日半で着いた。
郊外にある古い屋敷の庭にある尖塔跡から地上に出て、馬車を捕まえ駅舎まで行き、普通列車に乗り換え、アズラマスダ邸を訪問した。
「ば、馬鹿な……クラウディア皇女殿下!! なぜ!!? いや……あのレイナ・パルジャーノンの手紙の主はやはりあなたが……これは一体どういうことなのですか!!」
七大家アズラマスダ家当主は、幽霊を見たかのように怯えていた。
「知らなくていい。リドリム家の名を借りるわよ」
アズラマスダ卿は宰相クラウディアには逆らえないようで、言いなりだった。
「リドリム家、なぜ、よりにもよってあれをまた……」
「あなたが治安維持のため残した、実態のないリドリムという悪名に、活動実績をつくってあげようというのよ。あなたにもメリットが無いと取引にならないでしょう? それとも、脅した方が良かったかしら?」
「いや!……お、お戯れを……すぐに手配いたします」
マリアさんの交渉でアズラマスダ家が保有する兵器製造会社『センチュリオン』での役職や経歴をでっち上げ、リドリム家の名を手に入れた。
ネフィー・リドリムの完成だ。
「殿下、その者は一体……なぜ好き好んでリドリムの悪名を?」
「知らなくていい。それより北部、ヴェルフルト要塞への出向を軍に打診させなさい」
「なぜ北部のあんな辺境に? いえ、すぐにやります」
このときはまだ、戦線は固まっていなかった。
だが、フェルナンドのたくらみは予想できた。
おれたちは先回りして要塞入りし、準備する必要があった。
必要物資を取り揃えさせている間、おれは『センチュリオン』で興味深いものを発見した。
ギアだ。
未塗装の剥き出しの装甲は琥珀色に輝いている。感応板に使われる金属だ。
開発責任者はウィシュラだ。
「どうも」
「あら、誰かしらー」
彼女とは共同で『ヘカトンケイル』を造った仲だがおれには気が付いていないようだ。
リドリムと名乗ると、応対してくれた。
「おもしろそうなことしてますね」
「ああ、それねー。もう無駄だねー。おかげで私はクビかもねー」
「どうして?」
部分的につくられたパーツと、まだパーツに至らない設計図の束がそこにはあった。
「その機体は私ひとりじゃ完成しないんだよぉ。とある天才の技術力があって初めて実用化できる見込みだったのに……彼、死んじゃったんだって……」
「へー。それはお気の毒に」
開発用識別コードは『ウルティマ』。
なるほど。
彼女は『ダイダロス基幹』を凌駕する信号制御装置、その複合的アイデアをギアとして形にしようとしたわけか。
情報戦略兵器だ。
アズラマスダ卿は『ダイダロス基幹』の台頭がお気に召さなかったらしい。
「素晴らしい着眼点ですね。対ダイダロスというのが少し気に入りませんが、ほぼできているじゃありませんか」
『スカーフェイス』が駆る専用機はおれがつくるとバレるからな。
ちょうどギアが足りなかったところだ。
もらっちゃおう。
「あなた、それわかるの?」
「ざっと見た感じ、あとはまとめるだけでしょう? これ借りていいですか?」
「あはは、まとめられるものならねー。どうぞご勝手にー」
列車に『ウルティマ』を搬入した。
ウィシュラが泣きすがってかわいそうだったから、ちゃんと実験してデータを取り返却するという口約束をして拝借。
そのまま、地下鉄で北部へ。
通常4日はかかる道のりを、1日半で到着。そこからさらに要塞へ1日、地上の経路で。
こうして別人になりきり、おれたちは要塞に潜入することに成功した。