93.別れ
スカーレット姫が列車で帝都に帰還する。
「スカーレット、無理をするなよ」
「はい、ルージュお姉さま」
ルージュが彼女をきつく抱きしめた。
解放されると、マリアさんに抱き着いた。
「殿下……人が見ていますよ」
「ええ、いいんです」
一時の別れを惜しむ姉妹。周囲はその関係を知らない。
「さぁ、姫。そろそろ行きますよ。大丈夫です。今生の別れというわけではないんだから」
「わかってるわよ……ん?」
姫が列車に乗っているおれを見て、首を傾げる。
「なんで乗ってるのよ」
追い出された。
「お前はまだ仕事があるだろう」
「あきらめなさい」
ルージュ殿下とマリアさんに羽交い絞めにされた。
「グリム」
姫に抱き寄せられた。
「姫……この先は何が起きても―――」
「分かってるわ。でも、信じなさい」
「信じています。姫は立派に機士として―――」
「違うわ。自分の力を信じなさい」
おれの役目はもう終わっている。それは分かっている。
この期に及んで、恐怖で腰が引けているだけだ。
一緒に行くよりもっと大切なことがある。
それは彼女の勇気を称え、応援することだ。
「どうか、計略を楽しむ奴の鼻っ柱に一撃を」
「任されたわ」
フェルナンドが北部の属州を攻略し、南下してくる。だがそれは前哨戦であり、こちらの出方を見るための布石。そのために、奴は身近な人間を操り危機感を煽るだろう。
軍部、皇族、そしておれの……危機感を。
標的にされる人間、その最有力候補はスカーレット。まさか、情報を引き出すために実の妹の生死を利用するなんて誰も思いもよらない。
だが、奴はやる。
それも今の彼女と『アリアドネ』ならば、逆に出し抜けるはずだ。その最初の一撃が、最終的な勝敗を分けるだろう。
とはいえ、危険な計画だ。
この判断を、正しいと割り切れないでいる。
きっと、この冬を乗り越えるまでずっと。
「……ねぇ、それだけ? 気の利いた別れの言葉は私から言うべきかしら?」
「ちょっと待ってください。今考えてます」
「……」
「……長くない?」
「……」
離れ際に、一発蹴りをお見舞いされた。
「痛い!」
「いつまで抱きしめてるのよ」
「抱き寄せたのは姫の方なのに……」
何を言ってもフラグっぽくなるとアワアワしているうちに姫は颯爽と列車に乗り込んだ。
「グリム、私が武功を上げても、諦めないでよね」
「あ、ああ―――」
自然と追いかける身体。
「だから行くな」
今度は首を絞められた。
姫が窓から手を振っている。
おれは振り絞って声を出した。
「姫、ではまた!!」
「えぇ、また!!」
◇
「グリム君、何なんですか! ずっと姫と抱き合っちゃって!! お姉さん聞いてないですよ!!」
誰がお姉さんだ。
「グリム君~君も隅に置けないなぁ。相談なら乗るよ? 初恋のお姉さんが」
誰が初恋だ。
グウェンとソリアがウザがらみしてきた。
「仕事があるんで」
おれは仕事に没頭した。
やることは多い。
問い合わせもひっきりなしだ。
高感応プロテクトスーツとスーパーバイザーの特注に、ダイダロス基幹の組み立てと発送。
さらには、メンテナンスの名目で個人の機体を見て欲しいという貴族からの依頼まで。
そうしていると今度はルージュ殿下がご機嫌斜めで、周囲ににらみを利かせる。
「グリム、お前は私の専属技師だということを忘れるなよ」
「あ、はい」
ルージュ殿下には新型を想定して、『クラスター』を調整してある。
色々と混ぜたおかげで見た目は悪いが、いい機体に仕上がった。
「もう慣れた。フリードマンの技も写した。さっさと新型に取り掛かれ」
取り掛かってはいる。
ただ、あれはまるっきり新型だから今までみたいにパパっとは無理だ。
「殿下、あちらを」
「ん?」
剣を先に造った。
「殿下、第二段階です」
「フン、おもしろい……私に扱えぬ剣などない」
そうして仕事に没頭していた。
その方が楽だからだ。
「見てくださいレイナさん。できましたよ、ホチキス」
ぱちんと小気味良い音がして、煩雑な書類が整然とまとまった。
「ぼくはね、レイナさん。この書類仕事に革命を起こしますよ」
「現実逃避してないで働いてください。あら、本当ですね。とても便利です」
現実逃避ではない。
リフレッシュだ。
「貴官がグリム・フィリオン主任技官であるか?」
「はぁ……?」
「グリム支部長」
レイナさんに耳打ちされる。
ああ、マクマード中将の側近さん。
あら、深刻そうだ。
彼が図面を開いた。
「実は実戦配備を控えた『クラスター』30機がロールアウト後、駆動しない問題が起きた」
「ええっ!……大変ですね」
「同初期生産分である、こちらの配備分はなぜ問題なく動いている?」
「……あ」
んー。
調整したとき、複雑すぎるパーツを「いらね」って捨てちゃったけど、あれかな?
いやー、わからないな~。
「原因の特定に参られよ」
ああ、これは仕方ないな。
直接見ないとね。
「では、荷造りしますんで」
「……うむ、話が早いな」
「グリムさん、駄目ですよ」
「な、なにが、ですか、レイナさん?」
「帝都に行きたいだけ、ですよね?」
レイナさんはパーツを持ってきた。
「こちらが、支部長が改廃したパーツです。代わりに新造した別パーツを導入しています。製図はこちらに」
ああ、なんて手際だ!! さすがですね、レイナさん!!
油断も隙も無い!!
「何という、斬新な発想……パーツ数が格段に少ない。洗練されている……なぜ報告しない?」
「いえ……あの、別に普通かなと」
「普通……とはなんだ?」
普通に忘れていた。
◇
姫が帝都に戻ってから2週間が過ぎた。
なぜか、機士からの相談件数が増えた。
「『クラスター』初期ロットの欠陥を見抜き、再設計したと聞いた」
「どうやって、あの『クラスター』を調整しているんだ?」
なぜだろう。
仕事をしたら仕事が増えた気がする。
時代が動いたせいでもあるのか。
小競り合いと言われていた北部の反乱は、収拾がつかないほどに激化しており、体面を護るためにそれを隠ぺいしていた州長官とギルバート軍も限界を迎え、北部の一部では軍が敗走したというニュースも流れている。
この革命の兆しは遠く離れたウェールランドも例外ではない。
この緊張した情勢下、恐ろしいのも当然だ。
「なぁ、坊主……ルージュ殿下っておれのこと好きなんじゃないかと思うんだがどうだろうか?」
「なんで恋愛相談!? 知らないよ!!」
一人能天気な人がいた。
あんたには緊張感ってものがないのか?
「だが、おれが気になってるのはマリアさんなんだ。脈ありだろう?」
「虚しい考察ですね」
「なんでだよ、おれはこのウェールランドの守護神! カルカドの英雄なんだぞ!!」
「ま、そうですね」
ルージュ殿下がフリードマンを意識しているのは、おれが焚きつけたからだ。
巨大物理兵装を扱う彼のテクニックを、彼女には習得してもらいたかった。
マリアさん……?
知らぬが華。
「ほら、よくおれたちの訓練中にお前の隣にいるだろ?」
「ああ、はい」
「ああやって、おれの気を惹こうとしてるんじゃないか? おれに嫉妬させたいんだ、あの人は!!」
怖いって。
「好きならそう言えばいいんじゃないですか?」
「ああ、そうだな。今度の遠征から戻ったら言うか」
なんか、フラグ立てたぞこの人。
「いや、行くまでに言ってさっぱりした方が……」
「なんでフラれる前提なんだよ!」
だって、マリアさんは皇族なわけだし。
ありえな―――グサッ!!
なんか刺された! あ、自分か。
「そんな簡単に言えたら、お前に相談してねぇよ」
「相談するならソリアとかにしてくださいよ」
「いや、お前に聞いておいてもらいたかったんだ」
「え?」
「なんでだろうな。いま、言っておこうと思ってな」
「大佐……」
「ま、ここもずっと平和とは限らねぇしな!」
確かにそうだ。
安全と平和。それは次の悲劇までの猶予期間でしかないのだ。
「縁起でもない……」
嫌な予感がした。
この地は安全域が保たれつつある。
その立役者は間違いなくこの男、フリードマン大佐。
つまり、彼に何かあったら……何か……とてつもない窮地に追い込まれでもしたら―――
嫌な予感は的中した。
ガーゴイル討伐遠征、帯同したルージュ機の視覚装置に映ったそれは、『紐付き』。
尾を持つ『テール』タイプ、その上位個体。
ガーゴイルは一定程度金属を吸収し肥大化すると、その後は縮小していく。
まるで、無駄を省いて効率化を図るかのように。
その『テール』タイプは二足歩行で、全高3メートルほど。
ほぼ、尾のついたギア。
この世界で観測された事例はまだ2回目。
第四進化形態だ。
ルージュ殿下の突きをものともせず、打ち払い、重装甲の『クラスター』を削りに削った。
(―――さっさと新型に取り掛かれ)
脳裏に無数の後悔がよぎった。
新型さえあれば。
なぜ無理にでも形にしなかった?
ホチキスなんて作ってる場合か。
せめて『ハイグロウ』を残していたら……
フリードマンの『三式グロウ』が飛び出した。
ルージュ機をかばうように高機動でまっすぐ突っ込む。
(―――お前に聞いておいてもらいたかったんだ)
「大佐っ!!」
視覚装置からの映像で、四散する手足、バラバラに飛び散るパーツが見えた。
一方的な蹂躙。
さながら粉砕機に放り込まれたかのように『紐付き』はボロボロにされていた。
《ふぅ~、なんか小さい割に手ごわかったな。あ、グリム、呼んだか?》
あれ? 第四進化形態って第三世代機で倒せたんだっけ?
フリードマンはそれを倒して普通に戻ってきた。
「ああ、グリム、直してくれよぉ~!! 降格させられる!!」
「増幅装置は消耗品じゃないんですけど!!」
「フリードマン」
「はっ、殿下……なにか!?」
その結果、ルージュ殿下のフリードマンへの執着が露わになった。
「グリムは、私の専属技師だ。これ以上強くなる必要はないだろう、な?」
「はっ! あぇ……はい」
その態度にはようやく彼も気づいたようだった。
良かったね、ライバル認定されて。
ちなみにマリアさんは男の傍にいると大佐がやる気を出すから、妹の訓練に役立つとか考えていたらしい。おれを当て馬にしないでよ。
そのせいか、大佐は訓練でルージュ殿下を吹っ飛ばし、部下と親衛隊に攻められ乱闘に。
「おれがウェールランド最強だ!! ハハハ!!」
身構えていたことが馬鹿々々しいくらいに、ウェールランドは平和だった。