90.覚悟の装い
投稿時より後半の内容を1000文字ほど加筆しました。
皇帝は自ら決着をつけるつもりのようだ。
そのために、おれたちで練習をしたのはいただけないが、彼も座して死を待つ男ではない。息子の不始末を自ら裁くというのなら止める理由もない。
だからと言っておれのやることは変わらない。
技師としてやるべきことは決まっている。
「グリム」
「はい」
「陛下はああ言っておられたけれど、傍観するわけにはいかないわ」
マリアさんは、皇帝の死を回避することを重要視している。
今の今で、彼女の中で選択肢が増えた。
健勝の皇帝がこのまま在位を伸ばし、来たるガーゴイルとの戦いで采配を振るう。確かにそれが理想的。
だが、皇帝のやろうとしていることは暗殺という名の強襲に対する待ち伏せだ。
「理想的な待ち伏せはもはや情報戦です」
マリアさんの表情が曇る。
「……そうね。敵がそれを想定に入れていないことが肝要。動きは少ないに越したことはない。陛下にはあの機体もある……けれど」
マリアさんはおれの意図に気付いている。
「グリム……あなたは動かないことをその後の戦いに利用する気?」
元々皇帝は助けるはずだった。
原作で、ルージュ殿下が助けている。
おれも今の会話で、選択肢が増えた。
取り決め通り、ここは静観が最良の判断。
おれは機体性能で圧倒する戦いをする。
罠を張って待ち伏せることはしない。
そういう無意識のバイアスをフェルナンドに植え付ける。
「一人か百人か、救うのならぼくは百人を選びます」
そして、油断している奴を一気に狩り獲る。
そう、やるべきことは本質的に何も変わらない。
皇帝が復活しようと、同じだ。
「犠牲なくして勝利なし。分かっているわ。残酷なのは戦いそのものであって、あなたではない」
マリアさんは聡明だ。
ただ、今は感情的に話している気がする。
「けれど、そういう割り切り方は止めなさい。あなたらしくないわ」
「……そうかもですね」
これはフェルナンドの考え方だ。無感情に割り切り過ぎている。
奴を意識していくうちに、同じ思考に陥っているのだろうか。
「それを言ったら、マリアさんこそ。こうして逃げ回るなんてらしくないですよ」
「仕方ないわ。私が生きていることは皇帝の快復への手がかりになりかねない」
「いえ、スカーレット姫は喋りませんよ」
「だとしても。死人が生者に語り掛けることは、理に反するのよ。それにね、グリム」
「はい」
「私は忙しいのよ」
そう言ってマリアさんはどこかに連絡をしながら行ってしまった。
◇
マリアさんは夜会に顔を出さなかった。
スカーレット姫にはこのまま会わずにやり過ごす気だろう。
そんな夜会の雰囲気は良くない。
「浮かない顔だな、グリム。お前の大好きな私のドレス姿でも見て元気を出せ」
「わぁ」
推しが着飾っているのはうれしいのだが、素直に喜べない。
ルージュ殿下の狙いは、スカーレットへの煽り。
憂さ晴らしに煽られるスカーレットは、不満の矛先を当然おれに向けてくる。
「ちょっと、常套句の一つでも言ったらどうなのよ?」
「えぇ、えぇ、誠にきれいでございます」
「ほう、どっちがだ?」
「え?」
この循環構造では新たな軋轢を生む。
主役二人を独占しやがって、このウェール人の成り上がり者め。
そういう怨嗟の視線を一点に集めた。
「ねぇ、グリム君、どうですかー! おめかしした私の本領にときめきませんか!?」
ちゃんとドレスを着たグウェンを初めて見た。
「ちゃんと着れて偉い!」
「保護者目線!!!?」
隣で引いてるレイナさんはさすが、パルジャーノン家ご令嬢。ドレスの着こなしはもちろん、ふるまい方がエレガントだ。
それだよ、グウェン。横にお手本がいるだろ。
食べ物で元を取ろうとするな。
「あれ~そういえばマリアさんは来てないんですね」
「私も探したのですが、どこにもいらっしゃらず」
グウェンとレイナさんの言葉が軍人たちのため息を誘う。
「ねぇ、マリアって誰よ?」
「支部の顧問官さんですよ、レイナさんと同じ」
まさか、あなたの姉だとは言えまい。
「マリアさんはお仕事とってもできる方で、基地の人気者ですよー。とっても美人さんなのでみんなドレス姿見たかったですよね。ね、グリム君? ねぇ?」
グウェン、こいつどこまでわかってやってる?
「そうなの? 見たかったの、グリム君?」
姫のジェラを感じる。
いや、そういう関係ではないですが、説明できないな。
「え、まぁ、あー」
「ここに来てすぐ、メアリー・クライトン宅に向かったそうだけど、本当に大好きなメアリー先生だけに会ったの?」
赤色二灯の眼力が会場の空気まで重くしている気がする。
「私もぜひ、そのマリアという顧問官に会いたかったですな」
会話の糸口を探るように、役人が割り込んできた。
「失礼、基地の会計監査を担っているものとしては彼女の名はとても興味深いもので。何せ、彼女が現れてから支部の予算の桁が上がる一方。その上、受注しているFG鋼材の量も額面よりいささか多い気がしている。いや、どうやりくりしているのか興味深いですな」
属州の役人には大きく二種類しかいない。
やる気のない能無しか、ハングリーなやり手。
後者には帝国国内に返り咲くという大望がある。
だから、大きな手柄を上げられそうなら何でもやる。
「しかし、一向にお会いできない。このような晴れやかな場に顔を出せない理由でもあるのですかな?」
こういう時、上手く解決するのがマリアさんなのだが、当人が居ない。
「国防に係わる技術を要する支部の運営が不透明では困ります。我々中央管理局にも報告すべきことがあるのでは?」
便乗するその他の役人。
彼らの背後には貴族派の力が働いている。
フリードマンが活躍し始めたころからこの手の輩は絶えず現れる。
「宴の場で無粋だぞ、貴様ら」
ルージュの威圧感によろめく役人たち。
だが、彼らはハングリーな方だった。
「殿下、遠征途中、列車を襲ったガーゴイルに敗北したそうですね」
「何?」
「本国に報告をしておられないようですが?」
弱みを握っている。
随分弱いカードだが、ゲームにはなる。
今、こちらは騒ぎを大きくするわけにはいかない。
「聞き捨てならないわ! お姉さまは―――」
「姫、駄目ですよ」
新型の情報を探られるのは厄介だ。
『アルビオン』のことを知られるのはもっとだ。
無難にはぐらかし、追及をそらすルージュ殿下。
だが、機体を見たやら、列車の状況がどうだのと引き下がれない彼らは引かない。
追及は続いた。
そこに、彼女が白いドレスで現れた。隣にはきょどるメアリー先生。
フロアに漏れる感嘆の声。
「その件はかん口令が敷かれています。帝国内に、ガーゴイルが侵入できる経路があるなど、混乱の元ですから」
皆その声に反応する。知っている声だ。
「いわば、貴族の自治管理意識の欠如が招いた失態。この尻拭いを皇族にさせた罪を、どう償うのか。また、貴族の顔を立て、事を穏便に済まそうというルージュ殿下のご配慮を邪推し、あまつさえその勝利を貶めようとは。どのような弁明があるのか、お聞かせ願いたい」
彼女の言葉に役人たちがたじろぐ。
「そ、それは、本件とは関係のない話で」
「我々に弁明をする理由など―――」
「それと、その連絡には出て下さい」
直後、彼らの信号通信装置に連絡が入った。
「え? いや、どういうことですか!? いえ、不服では……もちろん」
「配属してそんなすぐに? はい、異論ありませんが、なぜ急に」
動揺する役人たち。
彼女は無表情のまま。
「おめでとうございます。本国に復帰できて良かったですね」
「我々の人事に介入したのか?」
「お前は何者だ……?」
プラチナブロンドの長髪を三つ編みにし、銀縁の丸メガネ。
彼女は細めた眼でにらむ。
「申し遅れました。私、皇室法務局付き情報部、ウェールランド情報局上級情報官……テスタロッサと申します」
彼女はテスタロッサと名乗った。
テスタロッサの名はそれなりの地位にいる官僚なら知らぬところはない。
役人たちは逃げるように退散した。
無論、ここにテスタロッサがいるはずがない。
彼女はつい先ほどまで皇帝と一緒だった。
この異様な気品と覇気を併せ持つテスタロッサ。
言うまでも無く、変装したマリアさんだ。
「テスタロッサという名前を記号にするとは。大胆ですね」
褒められた行為ではない。
マリアさんはこの変装にメアリー先生まで巻き込んだ。
確かに、正体を隠しながら行動力を回復し、影響力を行使する方策としては最善かもしれないが、リスクはある。
「どうせ彼女の顔を知っている者は限られるし、元々変装しているようなもの。おまけに不平不満は本人が処理してくれる」
「ご本人は承知の上ですか?」
「快く、同意したわ」
今回の件で足元を見られたなテスタロッサさん。その借りはおれが有効利用しようと思っていたのに。
「グリム、どういうこと?」
姫はおれに答えを求める。おれの服を掴んで力なく揺らす。
「ど、どうしてぼくに聞くんですか?」
「とぼけないで。横にあなたの大好きなメアリー先生がいるでしょう?」
し、しまった。
この状況が、すべてを物語っている。宰相であり第一皇女だったクラウディアが死を偽装して、他人に成りすましている。
この意味を察せないほど彼女は子供ではない。
そして、さっきまで会っていたことも? いや、それは今のおれのリアクションでバレたのか。
謀られた。
おれは姫に聞かれたら嘘は付けないし、彼女の父親を見殺しにするなんて言えるわけがない。
「グリム、言ったわよね。私に嘘はつかないでって」
「はいぃ……」
何がおれの考えはフェルナンドの考えに似ているだ。
姫に全てを隠し通すことより、皇帝の命を救うことを優先する。
そういう割り切り方はさすが、姉弟じゃないか。
姫が戦いに巻き込まれようとも、おれは自発的に彼女を護らざるを得ない。
いや、むしろフェルナンドはマリアさんが今使った手を使えるんだ。
何も知らない彼女を利用されたら、計画どころではない。
だから、皇帝の死も回避するという大義名分で、おれから全てを明かす以外にない。
それも計算ずくか。
つまり、実際のところマリアさんが正体を明かして追い込まれるのはおれ。
「つまり、ぼくは……皇帝に贈り物をすることになりそうです」
そうだ。
結局、変わらない。
おれは技術者として、モノを作る以上にやるべきことなんてないんだ。
「グリム、詳しい話を聞かせてもらおうかしら」
「はいぃ」
「何を他人事みたいに構えているのですか、お姉さま方もです!!!」
フフ、さすが姫。
存在感を消して傍観を決め込んでいたルージュ殿下と、おれを嵌めて勝ち誇っていたマリアさんも連行された。