77.5 ユリア・シュミット
息子のジョエルは今年、17歳に。
レビン魔法大学で魔法力学を学んでいる。身びいきではなく、本当に優秀な子で、貴族学院を飛び級して入学した。
そんな息子のジョエルは昔、私と同じ機士になるという夢を持っていた。
『ギアなんて戦争の道具じゃないか』
残念ながら、彼に機士の才能はなく。
ひねくれてしまったのか、年頃だからなのか、いつしか溝のようなものができてしまった。
いえ、これでいい。
私が少し、寂しいだけのこと。
ただ息子は魔法力学で思うような成果を上げられず、私は仕事の話をするわけにもいかない。
会話に気を遣い、まるで他人のように挨拶だけを交わす日々。
そんな折、息子と同い年の少年と旅路を共にすることになった。
私はカール公王陛下の護衛であり、部隊の隊長。
接点はありませんが、気にせずにはいられない。
下手な愛想笑いをするウェール人。
彼はジョエルより大きく先に進んでいる。一体その原動力は何か?
ジョエルに何か伝えられたら……
そんな気持ちはすぐに消えた。
真夜中に、一人ぶつぶつと呪文のような独り言を呟きながら整備をするグリム氏。
「大丈夫、まだ大丈夫。『挑戦・存在意義』、『北部攻略』、『帝国最強、串刺し皇女』、『犠牲の上の勝利』。大丈夫、世界はまだ平和だ。『挑戦・存在意義』、『北部攻略』―――」
朝には、また無邪気で年相応な少年になっている。愛想笑いをして、何事もなかったかのように。
「なんと酷い生き方か。暗黒と対峙する宿命」
南部シュラールの地で露店の占い師がグリム氏を見て、悲鳴を上げ、涙ながらに膝を着いた。
グリム氏の顔は張り詰めていました。
幼さが残る普段の顔とは別人のように。
カロール軍、ギルバート皇子との激突。
彼は非常事態でも、動じず。
それが、自分の宿命に比べれば些事とでもいうように。
哀れな少年は、機士の命よりほかに何を背負うというのか。
◇
レビン公国へと進路を取る列車。
深夜、私はいつものように整備室へと向かう。
扉を開ける前に異変を感じる。
グリム氏以外のにおいがする。
いつもの独り言が聞こえない。
そっと、扉を開いた。
中央の技術管理局員が、グリム氏を見下ろしている。
手に何か持っている。
このにおい、薬品ね。
瞬時に判断した私は、背後から拘束した。
相手は身体強化スキルで抵抗してくる。
文官の動きではない。
「後ろから抱き着かれたご感想は?」
「保護本能というのは恐ろしいですな」
手から落としたのは瓶。
このにおい。
「麻酔……」
グリム氏の手には何かが握られている。
紙の束。設計報告書?
「そこまでして功績が欲しいのですか?」
「勘違いなさらないでください、シュミット卿。あれは軍部に報告するべき先端技術だ。秘匿する意味をお考え下さい」
グリム氏を危険視する軍閥の手先のようね。
「先の管理局襲撃、情報の流出―――グリム氏はそれを危惧しているのでは?」
「意図など知らん。あの文書を回収する。邪魔をせんで頂こう。公国の人間が首を突っ込むと面倒なことになりますよ」
ホールドしていた腕からすり抜けられた。
「では、その面倒ごとが起きるか、試してみましょう」
正面から組み合う。
文官に成りすますだけあって小柄だ。私より20センチは低い。
リーチは私の方が長い。
けれど、内側に入られると回転しながら肘が上下左右から飛んでくる。
ただの軍人ではない。潜入工作をする特殊部隊か。
打ち込みの衝撃が身体に浸透する。
守りを固める。
肘や膝でガードしているのに、まるで鋼で殴られているかのよう。
整備車両は広いが、ギアがあって逃げ場はない。
反撃の蹴りにもビクともしない。
目突きが掠める。思わず仰け反る。
「子持ちの中年とは思えないな!」
「このっ!!」
挑発に乗りかけたとき、男の身体が吹き飛んだ。
そのまま壁に激突した。
「……あら」
「で、合ってます? ユリアさん」
マクベス氏。一撃って……
「うぐっ、スタキア人め……うぐっ!!」
今ので背中を痛めたようね。
「はぁ、はぁ……後悔することになるぞ。そいつが帝国に奉仕する理由などない! ウェール人の決起のとき、お前はその責任が取れるのか!?」
「腑抜けた弱者の論理を振りかざす者が、上に立つものではありません。そう、上司に報告なさい」
男はその場を離れた。
「ユリアさん、助かりました」
「いいえ。私の方こそ」
「ちょっと、あの男見張ってます」
あれだけの訓練を受けた特殊部隊員を動かせるのは将官クラスのはず。
でも、なぜ今、列車の中でなの……?
「グリム君は」
「じき起きるでしょう。看ていますのであちらは頼みます。私は公国の人間なので」
彼は文書を大事そうに抱えている。
機士一人の命。
それを背負うだけなら、整備を完璧にすればいい。
奇抜な設計などする必要はない。
彼の場合、挑戦的。いえ、もっと言えばリスキーだ。
その矛盾の答えはおそらく、彼が未来の機士の命にまで、自らに責任を課しているから。
それを狂人の自惚れとは思えない。
「才能の呪い、ですか」
悪夢にうなされるグリム氏の肩を揺さぶり起こした。
彼をジョエルに会わせたい。
命と向き合う、この圧倒的「本物」に。