新章 75
子供の頃、人をどこまで操れるのか、そのためにどの程度の情報が必要なのか試していた。
最初は暇つぶしだった。
メイドのユリースをいじめていた者たちを互いに争わせ、殺し合わせ、自殺に追い込んだ。簡単で驚いた。
その後、どこまで遠くを操れるか試した。
新聞の広告欄に暗号を載せた。
行政府の動きや投資品目、軍事行動の予定。
難しい暗号文を読み解ける賢い犯罪者たちは重宝した。何人かは今もこの方法で操っている。
一方、より近しい人間を意のままに操るにはどうするか。
それは一朝一夕ではできなかった。
近しい分、疑われるリスクが大きい。それを避けるには心理的作用に加えて工夫が必要だった。
私はガーゴイルの装甲に含まれる逆流信号を人体に作用させる洗脳技術を編み出した。
精神を退行させ、感情的になりやすく、依存する相手に従順になる。
対象はギルバートだ。
ただ、この方法も万能ではない。
ギルバートは合流後におれを殴った。
甘んじて受け入れた。
計画では今頃、マクベスと特化機体、グリム君の設計が手に入っていたはずだった。
結果はギルバート軍の権威に傷をつけただけだ。
「軍事介入すれば、ルージュの戦力を奪えると言っただろうが!」
「兄上がまさか、ああも簡単にやられるとは思いませんでした。しかも次世代機を使って、マーヴェリック少尉と二人がかりで負けるなんて」
「うおぁぁあ!!」
ギルバートが発狂した。
精神汚染が進むと感情の抑制が利かなくなる。
そうなれば、戦力としても使い物にならない。
そこで、こまめに精神状態を制御してやる必要がある。手間がかかりあまり効率的なやり方とは言えないのでお勧めしない。
おれは闇魔法で動きを止め、気狂いの兄を抱きしめる。
「兄上、勝負の汚名を雪ぐには勝たねば」
そう囁きながら、汚染された精神を安定させる対抗装置を背後から起動する。
ギルバート自身の固有信号を増強することでガーゴイルの魔力逆流に起きた乱れを改善する効果がある。
「勝つために、兄弟で力を合わせましょう。これまでだってそうだったでしょう?」
「……あ、ああ。そうだ。そうだったな。すまん、フェル……おれは最近どうかしている。お前を殴るなんてっ……くそ!」
「私は前線の指揮に復帰します。この機に反乱でも起きたらマズいですから」
失敗で気付きを得た。
リスクと結果のバランス。
私はこれまで、観察し駒を動かすプレーヤーで良かった。
しかし、このゲームでは自らも駒として動く方が良い。
対戦相手はグリム君ではない。
ルージュでもない。
見えない対戦相手に敗北した。
手を打つ必要がある。
安定したギルバートを基地に置いて、属州へと向かった。
◇
北部属州の一つ、ウィヴィラ。
過酷な寒冷地。
山岳がギアの行動半径を狭め、『北限域』と呼ばれる。
ガーゴイルが蔓延り、地方行政府と軍は統治のための限定的措置として不正を黙認され、ギャングは公共事業の大半に関わり街を治め、労働者たちは酷使されながら恐怖で従い、ただ搾取されるために生きている。
この世の歪みが小さな器に注がれ、ギリギリ溢れずにいる。そんな状態だ。
北部軍はこの地で主にガーゴイル討伐とギアもどきを使うゲリラとの戦闘で訪れる。
私は時折それとは別の理由で来ていた。
難民支援団体。
土地を追われ、住む場所を失った者たちに家と仕事を与える仕事だ。
ギルバートの不在にもかかわらず不気味なほど静かだ。
私はいつもの活動に従事した。何しろ資金ならいくらでもある。
難民を移動させる際はゲリラの襲撃を受けることもある。だが、属州といってもここには強力な輸送管理会社が存在し、安全な道が確保されている。ギャングでさえ、この会社には手を出さない。彼らもそのインフラ無しに帝国と対抗できないとわかっているからだ。金さえ払えば、護衛も就く。安全だ。
「あなた様は光の騎士様です」
送り届けた寺院で、老婆が上等な織物を差し出す。古びたそれは彼女にとって唯一の財産なのだろう。
「やめなさい。私は自分の仕事をしているだけです」
「そうおっしゃって、いつも助けて下さるの、あなた様は」
強引に押し付けられた。
彼らは身を伏せ私に礼を払う。
織物には天と地と青紫の眼の聖人が描かれている。
「私はただの人だ」
引き上げようとしたとき、状況が一変した。
首都から黒煙が上がっていたのが見えた。
幾筋もの黒煙と大気を伝う轟音。
「フェルナンド皇子、我々と来てください」
物々しい雰囲気に、何が起きているのか即座に理解した。
「財団職員は非武装の民間人です。彼らの身の安全を保障してくれるなら、従いましょう」
「お約束します」
皮肉なことに、私はどうやらクーデターに巻き込まれたようだ。
◇
古い寺院の奥に、彼らの根城があった。
「なるほど、私がノコノコとここまで来るのを待っていたのか」
人質としては効果的だ。
「少し違いますよ、殿下」
崩れかけた壁際に複数のウィヴィラ人たちが居る。
年齢はあどけない少年から杖をついた老人までまちまちだ。
彼らは青い髪に紫の眼をした、古代ウィヴィラ人の末裔と推察される。その名残は主に、祭儀を司る神祇官たちに多い。
リーダーと思しき青年は正に、その祭儀服を纏っている。
「あなたには我が同胞が世話になった。ゆえに、無事に御身を帝国に引き渡すべく、無礼は承知でこのような形を取らせていただいた」
「フフ、おもしろい」
いけない。笑っては……
「何か?」
「失礼した。心遣いはうれしいがいいのかな。私を人質に山間部でのゲリラ戦に持ち込まねば、敗北は必至だろう」
「そう言えば、軍参謀でしたね、あなたは」
「私の支援がこのような形で無駄に消費されるとは、やや失望しているよ」
「無駄ではありません。この地を我らの手に取り戻す、大義のためです」
不意打ちは成功するだろうが、最初だけだ。
都市部ではギアが運用可能となる。
ギアが出てきた時点で、彼らに勝ち目はない。
もちろん、彼らに対抗手段があれば話は別だが。
「落ち着いて居りますね、殿下」
天を祀ろう本殿から女の声が響いた。
「魔法を使い逃げることもできるのでは? なぜしないのです?」
北の白んだ大気の中に映える鮮やかな蒼い髪と、怪しく燃えるような煌々とした紫の瞳。
死者の気配を漂わせる白いローブを纏い、彼女は私の前に現れた。
煙のような香のにおいがする。
近づいた彼女の瞳の中に煌めきが走るのを感じた。
私を見て、何か気が付いたことがわかった。
それはきっと、私がここにいる理由だ。
「偶然を運命と捉えることは無い。君が今考えた筋書きは、私が一度考えたもののはずだ。たとえ、回りくどく、気の長い話であったとしても」
「種をまき、水をやり、花が咲くのを待っておられたのですね」
賢い娘のようだ。
「やっと見つけました。光の騎士様。いえ、我らが導き手となる天の使者様」
「私はただの人だよ。花が咲いたか気になって見に来たただの人間だ」
「私はソラリスと申します。天の導きに従う、巫女でございます」