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短編予定だったものが想定外に長くなってしまったので、3話に分けました。それでも駆け足な展開になってる感は否めませんが悪しからず。

はぁ、と大きな溜め息がまた一つ。今日何度目になるかわからないその溜め息に、カタリナも何度目になるかわからない同じ言葉をかける。


「…アレスティーナ様、どうかなさったんですか?」


それに対する返答を、カタリナは知っている。


「なんでもないわ」

「左様ですか…」


異性でなくても見惚れてしまいそうな物憂げな顔をして、アレスティーナは何度も何度も同じやり取りを繰り返す。

最初は今日もお美しくて眼福だなぁなんて暢気に思っていたカタリナも、いい加減鬱陶しく思っていた。


あの日から数年、表立った二人の関係は何も変わっていないが、何度も密会を重ねるうちに、二人の間には不思議な信頼関係が育まれていた。

その関係性は友達以上家族未満、と言ったところだろうか。


「ねぇ、貴女は今のままの人生で満足?」


突然のアレスティーナからの問いに、カタリナは一瞬その真意を測りかねて口籠る。

アレスティーナの視線は物憂げに窓の外に向けられたままだ。


「私、最近思うのよ。何もかもお父様の思い通りだなんてなんだか癪だわ」


アレスティーナもカタリナも立場は違えど当主であるコルター侯爵に逆らうことはできない。

カタリナがこの家に迎えられたのも彼の手駒としての価値が認められたからに他ならないし、彼が思い描く理想の未来のために、子どもたちも、夫人も利用されるだけなのだ。


「それについては意見しにくいですが…まぁ概ね同じ気持ちではあります」


ニセモノであるカタリナだけでなく、ホンモノの家族であるアレスティーナたちにでさえ、家族の愛情を与えていないように見えるコルター侯爵。

彼は貴族として、侯爵家の当主としては申し分ない人物なのだろうと思うが、人としてどうかと問われると正直及第点には及ばない。


天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず、とは最近カタリナが読んだ書物で感銘を受けた言葉だ。

そもそも貴族の生き方は、これに反しているなと感想を抱いていた矢先の問いであったため、少し驚いた。


「いつか、一度でいいからお父様をギャフンと言わせてやりたいわ」

「ギャフンと、ですか…」


それは難しそうな気がする、とカタリナは思った。


「小さなことでもいいから、呆気にとられるようなことができたら、とっても、とーってもすっきりするんじゃないかと思うのよね」


いつも表情を崩すことのないコルター侯爵。

確かにそんな顔は見てみたいかもしれない。


「最近読んだ本に書いてあったのですが…」


そう切り出したカタリナに、アレスティーナは眉を顰めて嫌そうな顔をする。


「小難しい話は嫌よ」

「そんなに難しい話ではないと思うのですが…。トドラ神の夢、というのをご存知ですか?」

「トドラ神は建国神話の希望の神でしょう?その夢って何のこと?」

「そうです、トドラ神は人が生きることに常に希望を見い出せるように、絶望と希望の均衡を保っています。そんなトドラ神は、どのようにして人それぞれの希望を采配するのかと言うと、夢を覗き見て本心からの願望が実現するようにしてくださるのだそうですよ。夢と言うのは人間の意識の範疇を超えた、無意識での本当の願望が表れるのだそうです」


心からの願望が、現実になる。努力していれば、必ず報われるのだと希望を持てるように、その願望が叶うタイミングを制御しているのがトドラ神。

絶望の後には希望が見い出せるように、そうまるで馬が眼前に人参をぶら下げられるように、希望を吊るすのだ。


「ふーん?それで?」


どこか胡散臭そうな顔をしながらも、アレスティーナは続きを促す。


「なので、寝る間際、眠りに落ちる夢見心地なタイミングで、叶えたい願望を想像するんです。よりリアルに、鮮明に。ですからこの場合ですと…コルター侯爵の呆気に取られた顔を想像するんです。そうするとトドラ神がその願望を見て、その光景を叶えてくれるんだそうです」


一時の間の後、アレスティーナはくすくすと愉快そうに片手で口元を覆って笑った。


「ふーん?それで、貴女はそれを試してみたの?」

「いいえ、まだでしたので、せっかくだから今夜から試してみようかと」

「お父様の呆気に取られた顔を想像して?」

「はい」


カタリナの潔い返事に、アレスティーナはまたくすくすと笑う。

そんな彼女の笑みを見ると、自然とカタリナの顔にも笑みが浮かんだ。


「いいわね、私も今夜からやってみるわ。そうしたら、より叶いやすくなるかもしれないものね?」


何もカタリナだって本心で信じているわけではない。でもこんな(まじな)いの話で盛り上がる、年相応と言えるようなやり取りが嬉しかった。

それはきっと、アレスティーナだって同じ。


「楽しみね」


それがまさか、あんな形で叶うことになるとは、二人は露ほども思っていなかったが。







いつものように書庫の扉を少し開けたままにして、カタリナは昨夜持ち帰った本を元の場所に戻していた。

そうして次の本を探し始めた頃に、本邸では聞くことのないような荒々しくて忙しない足音が近づいて来たことに驚いて振り向く。

そこにはその美しい空のような瞳いっぱいに涙を浮かべたアレスティーナが立っていた。


「あ、アレスティーナ様、どうされたんですか?」

「ねぇ、神様は本当にいるのかしら?だとしたらどうしてこうも残酷なの?」


ぽろりと大粒の涙を頬に流しながら、アレスティーナは震える唇で言葉を紡ぐ。


「私…私…恋をしてしまったわ」


アレスティーナはそう言って、その場にへたり込むようにして腰を落とした。

カタリナは思わず駆け寄って傍にしゃがみ込むと、震える背にそっと手を添える。


「もう、来月にも婚約が決まると言うのに…こんな直前になって、本当の恋を知ってしまうだなんて…!」


アレスティーナは幼い頃から婚約者候補だった大公家の嫡男、ミハイルとの婚約がもう間も無くまとまることになっている。

その知らせを聞いた際にチクリと胸が痛んだことに、カタリナは気づかない振りをしていた。


「こんな気持ち、知りたくなんてなかったわ…!知らなければ、ただ淡々と役割として受け入れることができたのに!」


カタリナは何も言うことができず、ただ優しくその背をさすり続けるしかなかった。

ぽろぽろと大粒の涙を流すその姿は、こんな時でさえ美しすぎて、より一層彼女を苦しめるものが残酷に思えてならない。


しばらくして落ち着いたアレスティーナは、ぽつりぽつりとカタリナに経緯を語ってくれた。

定期的に開催されている、王宮での貴族子女の交流会の道中で偶然その人物と出会ったのだということ。

その人物はどこの家門の者かもわからない、騎士のような人物であったこと。

今日再びその方と再会し、手を握られて名を問われたこと。

そしてアレスティーナという名だけを告げ、逃げるように帰ってきたのだということ。


「あの方のお顔を拝見するだけで、胸が高鳴って苦しくなるの。もっとお話ししたい、側にいたいと、はしたない気持ちが溢れてしまうの」


きっとその人物に握られたのであろう右手を、左手でぎゅっと包むように握る。

切なげな表情は、同性であっても心奪われる程に美しい。


「貴女なら、わかるでしょう?」


カタリナはその言葉に瞠目し、返す言葉を失う。

それは即ち、認めたも同然だった。


「いいの、貴女を責めるつもりなんてないわ。私が偶然見かけただけで、他は誰も気付いていないから安心して」


そんなやましい事はしていないと、胸を張って言えるが、まさかアレスティーナに知られていたとは思わず戸惑いを隠せない。


「この気持ちを止めることなんてできないものね…今ならわかるわ」


胸に手を当てて悲しげな笑みを浮かべるアレスティーナの口から続く言葉に、嫌な予感がして息を詰める。


「貴女と代わってあげられたら良いのに…」


嗚呼、なんて残酷な言葉だろう。


アレスティーナの叶うはずもない思いは、カタリナの胸を痛いほどに締め付けた。


そうカタリナはアレスティーナの婚約者となるミハイルに思いを寄せている。

その始まりは3年程前に遡るが、カタリナが書庫から本を持ち帰り本邸の廊下を歩んでいる時だった。

前方から見慣れぬ男性が歩いてきたため、カタリナは咄嗟に端に身を寄せて頭を下げた。

どう見ても使用人ではない上等な身なりの青年は間違いなく侯爵家の客人だろうと思ったからだ。


「こんにちは。その本、読んだのかい?」


あろうことかその人物はカタリナの前で歩みを止め、声をかけてきた。

驚きに一瞬言葉に詰まるが、顔を上げて問いに応える。


「…ご機嫌よう。いえ、これから読むところです」

「そうなのかい。僕も読んだことのある本だけれど、あまり女性が読む分野ではないと思ったからつい気になってね。急に声をかけて驚かせたね」

「い、いえ、恐れ入ります。この筆者の別の本を読んで面白かったもので…」

「へぇ?じゃあそれがもし面白かったなら、次は是非蒼のシリーズをお勧めするよ」


そう言って微笑んで立ち去って行ったのが、大公家の嫡男ミハイルであることに気付いたのは、その日の夕食でその訪問が話題に登ったからであった。


それから何の偶然かわからないが、何度か廊下で遭遇することがあり、その度に本について少し立ち話をするようになった。

アレスティーナの婚約者候補であるミハイルと自分がこんな親し気に話していて問題はないのか、正直不安も大きかった。

本気で避けようと思えば、ミハイルの訪問の日に出歩かなければいいだけ。

でもそれをしなかったのは、いやできなかったのは、カタリナがミハイルに心惹かれていたからに他ならない。


「次にあの方に会うことがあったら…私、どうなってしまうのかしら」


アレスティーナの途方に暮れたような呟きに、カタリナは何も返すことができなかった。







「…カタリナ、お前も招待されているからそのつもりでいるように」


あの衝撃の日から数日後のある朝食の場で、突然名を呼ばれたカタリナは一瞬反応に遅れた。

何しろカタリナのことが話題に上るなど、年に片手で数える程しかない。

その上今回の話は来週開催される王宮での晩餐会の件だったので、完全に自分は蚊帳の外だと油断していた。


「は、はい。畏まりました」


若干上擦った声で恐る恐る侯爵を見て応える。

いつもは極力見ないようにしている方向に顔を向けると、やはりと言うか夫人の冷ややかな視線が刺さって痛い。

アレスティーナから向けられる視線も一見すれば冷ややかなように見えるが、彼女との長年の交流によってすっかり敵意を感じなくなっていた。


カタリナが王宮での催しに出席するのは今回で三度目。初めては社交界デビューの日であったが、美の女神の権化と名高いアレスティーナはその年の注目の的だった。そんなアレスティーナと比べられては堪らないと、カタリナは極力アレスティーナと距離を置いて壁際で息を潜めていたのは記憶に新しい。

その次は建国300年を祝う式典で、建国当初からこの国を支えてきた貴族の中でも名門と呼ばれる家からは、余程の理由がない限り一族総出での出席が義務付けられていた場だった。

この時程カタリナは肩身が狭い思いをしたことはない。華やかなコルター侯爵家の一員として肩を並べるなど、仮病でも使って逃れたい程嫌だった。

この時もカタリナは極力コルター家の面々からは付かず離れずの距離を保って、他人の目を避けるように気配を消すことに必死だった。


さて今回の晩餐会はどのような趣旨のものだったか。

カタリナが出席しなければいけないとは余程の場だろう。

話を聞いていなかったことが悔やまれるが、後でアレスティーナに質問できる機会があることを願った。


そうしてその日のうちに採寸されたカタリナに用意されたのは、アレスティーナのお下がりをサイズ直ししてアレンジした一着だった。

お下がりとは言っても一度着用しただけの新品も同然の品。カタリナにとっては十分すぎる一着だ。

元はアレスティーナの物であっただけあって、品質も一級品。これは一度の着用で終わらせてしまうには勿体なさすぎる、と相も変わらず庶民感覚のカタリナはその素晴らしいドレスに感嘆した。


侯爵家の五名が悠々と乗ることのできる贅を尽くした馬車に揺られながら、カタリナはちらりと横を盗み見る。

そこにはツンと澄ました表情で背筋をピンと伸ばして座るアレスティーナの横顔が見えた。

今日のアレスティーナはまたより一層美しい。

同性であっても気を抜けばぼうっと腑抜けたように見惚れてしまいそうになる。

そんな彼女の姿に自分も気を引き締めなければと、もぞもぞと腰を動かして座り直し、しゃんと前を向いた。向かいの席にはレジナルドを挟んで侯爵夫妻が腰掛けている。

侯爵は脚を組んで窓の外を眺め、夫人もアレスティーナと同様に美しい姿勢で腰掛けながら視線を下に落としている。皆一言も発することなく、それぞれの考えに耽っているようだった。


カタリナはついに訪れてしまったこの日に、またもや逃げ出したくて堪らない衝動に駆られながらも、その顔に平静を取り繕うことに必死だった。


そうして馬車は王宮の車寄せの前で静かに停まり、カタリナは覚悟を決めて大きく息を吐く。

平穏無事にこの会が終わる事を祈って。


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