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第一章
ジリリリリリリリッ!
大音量で部屋中に目覚まし時計のベルが響き渡った。
だというのに。
毛布にくるまれた人型の塊はピクリとも動かなかった。
ジリリリリリリリッ!
止める者がいないので、当然目覚まし時計は鳴り続ける。
ちなみに今鳴っている目覚まし時計は、ベルが大音量であるのが売りで、誰でも間違いなくこれで起きるという非常に優秀で評判のいい製品だったのだが、部屋の主人は、そんなことお構いなしに眠りこんでいた。
ジリリリリリリリッ!
五分ほどベルが鳴り続けて、
「う、う……ん?」 ようやく部屋の主人が目を覚ました。
ジリリ――バンッ!
叩き壊すんじゃないかというくらい強く目覚まし時計を叩いて黙らせ、彼は起き上がった。
寝ていたのは少年だった。鳥の巣のような髪の毛は茶色に染められ、はだけたパジャマの襟元からは、分厚くはないが、鍛えられた胸板が見え隠れしていた。
顔立ちは、どちらかと言えば中性的である。
少年の名は片桐刻也、十七歳。れっきとした高校生だ。
「あ――あ、よく寝た」
刻也はベッドの上で伸びをすると、台に置いてあったケースから赤色の眼鏡を取り出した。彼のトレードマークでもあるそれをかけ、刻也はベッドから降り立った。
カーテンを開け、部屋の中に朝の陽光を取り入れると、
「うーん……」
もう一度大きく伸びをした。
その際、刻也の右拳が天井にぶつかり、 「あいて」
刻也は軽く顔をしかめた。
刻也の身長は百七十五センチほど。手を目一杯上へ伸ばすと、ニメートルをゆうに超える。
それに対して、部屋の床から天井までの高さはニメートル十五センチ。かなり窮屈であると言えよう。
たが、それも仕方のない事ではある。
『天井の高さはニメートル二十センチ以下とする』
と、二年前に施行された『新住居建築規制法』に定められているからである。
家をあまり高く造りすぎて箱舟のバランスを崩してもいけないし、重く造りすぎて箱舟の積載量を越えてしまってもいけないというのが理由だ。
また、一家族が持てるAFM(Automatically Floating Motorbike――全自動浮遊バイク)の台数も二台までと決められている。
もちろん自転車ならば、一家族の人数分までは所有できる。
随分厳しいように思われるだろうが、これらはすべて、国を維持していく為にやらなければならない事なのだ。
自分達の欲望ばかり通してやっとの思いで作り上げた仮の陸地を沈めては元も子もない。
皆、一度陸地をなくした辛い経験を持っていたからこそ、特に大きな問題も起こらずに、人類は今日まで生きてこられたのだから。
刻也も、それを分かっているから、文句は言わない。
学校へ行く準備を終え、もう一度部屋中を見回すと、
「よっし! んじゃ、今日も一日頑張りますか!」
そう自分に喝を入れて、刻也は部屋を飛び出した。
「おっす。やっと出てきたな、トキヤ。遅いぞ」
刻也が駐車場に出ると、一人の少女が片手を上げ、彼を出迎えた。
脱色した髪をショートカットにし、活発そうな雰囲気をまとった少女である。
少女は、彼の幼なじみで、名を西澤麻奈という。本名はアサナだが、親しい友人にはマナと呼ばれている。 「うん、そうか? 遅れたか? ごめんごめん」
「いや、そう気にすんなって。んじゃ、乗せてってくれ」
「あいよ」
刻也はAFMにまたがると、キーを差し込んだ。
『全システムオールグリーンです』
アナウンスがそう告げ、車体が浮き上がる。AFMにタイヤはない。形状としてはどちらかといえば、バイクというよりもモーターボートに近い。
「乗っていいぞ」
「ん。よろしく頼む」
麻奈は座席下に作られているトランクから、フルフェイスのヘルメットを取り出すと、その代わりに鞄をそこに入れた。
「準備OK」
「んじゃ、行くぞ」
刻也はAFMを発車させた。
ちなみに、AFM免許をとれるのは十五歳以上と決まっている。刻也はもちろんのこと、麻奈も免許は持っている。
ただ、何で麻奈が自分で運転しないのかという理由は彼女の両親にある。
彼女の両親は共働きのため、休みの日以外はAFMに乗って仕事に出かける。
一家族に二台しかないAFMを二台とも両親が使っているため麻奈が使えることは滅多にない。
なので、高校も、クラスも、果てには部活まで同じ刻也が学校まで送り迎えをしているという訳である。AFMは三人乗りが一般的なので、二人乗りをして警察に捕まることはない。
「今日って確か海洋探査だったよね」
「ん、そうだったはず」
刻也は頷く。
海洋探査とは、海底に沈んだかつての陸地からまだ使えそうな物資を探し、引き上げる作業の事をいう。
海洋探査は二人乗りの小型潜水艦で行われる。小型とは言っても全長十メートルはある物で、コクピット以外は水圧に耐えるために二重壁にされた倉庫があるだけである。
ちなみに、コクピットはあまり広くなく――むしろ狭い。
学生や技術者から不満の声が上がり、技術省が新型の開発に取り組んではいるが、その成果はあまり芳しくない。
――そんな話をしている内に、二人の乗ったAFMは学校へ到着した。
刻也と同じようにAFMで学校に来ている生徒もちらほら見受けられる。
二人の通う如月学園高等部はこの辺りでは唯一AFMでの通学を許可している私立の中高一貫校だ。中高合わせた総生徒数は日本にある学校の中で最も多いといわれるマンモス校だ。
まあ、とはいっても、中一から高三まで合わせて十二クラス。以前に比べれば圧倒的に少ないが、絶対数が少ないので致し方ない。
その中で、二人のクラスは五年二組(高等部二年二組)技術者志望の生徒が多いクラスである。
「マナ! おはよう」
「トッキー、おっはー」
二人がクラスに入ると、それに気づいた生徒達が笑いながら手を上げる。
「美沙! おはよう」
「おう、おはよう」
二人もそれに手を上げ返して、自分の席に鞄を置いた。
刻也が席につくと、早速隣に座っていた男子生徒が刻也に声をかけてきた。
「刻也、お前予備のグローブ持ってないか?」
刻也は鞄の中を確認してから答えた。
「持ってるけど。久隆、まさかお前、忘れたのか?」
すると、その男子生徒――大野久隆は苦笑した。
「そうなんだよ。ま、正確に言うとさ、一昨日の海探で破れちゃってさ、今新しいのを注文中なんだよ」
海洋探査に使われるグローブは潜水艦の中から物資を出す時に使うもので、丈夫な特殊繊維で自分の手に合うようにオーダーメイドされている。
そのため、一度破れてしまうと新しいのを用意するのに時間がかかるのだ。通常は予備を用意しておくものだが、
「予備は用意してなかったのか?」
「できるわけないだろうが、お前んとこと違ってウチには金がないんだから!」
一組作るにもかなりの金額がかかるので予備を持っている生徒は少ない。
自慢ではないが、刻也と麻奈の父親は技術省に勤める技術者だ。普通のサラリーマンの二倍から三倍近くの給料を貰っているため、彼等の家はかなり裕福である。
そのため、二人ともグローブは予備までちゃんと用意してある。
ふと、麻奈の方を見ると、同じように女子生徒に何かを頼まれている所だった。
それを見て苦笑しながら、
「分かった。いいよ。そういうことなら貸すよ」
刻也はそう答えた。