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短編まとめ

勇者は褒賞を望まない

作者: みのみさ

「はっ、冗談じゃない。一体、何の罰ゲームだ?」

 低く吐き捨てられた言葉に大広間はしんと静まり返った。


 アリスターは蒼の瞳にこれ以上ないくらい剣呑な光を浮かべて目の前の貴人を睨みつけた。宣言した口を大きく開けたままで、国王は固まっているし、一歩後方に控えて笑みを浮かべている美姫もまた同様だ。

 たった今、魔王を討伐した勇者の褒賞が告げられたところである。

 ブフォと吹きだして、勇者のお仲間のクライドがふるふると震えていた。どうあっても隠せそうにない笑い声が漏れだす。


「さ、さいこお〜! ・・・ああ、もう、さすが、氷の剣士アリスターだ。褒美が罰ゲームとかあ」

「正直すぎるのも考えもの。建前くらい、繕うべき」

 クライドの双子の妹シェリルが真顔でアリスターにジト目を向けている。

 そう、アリスターは褒賞に国王の溺愛する王女との婚姻を許可されたのだが、冒頭のセリフを嫌悪感たっぷりの声音で吐きだしたのである。


「き、き、貴様、何という無礼を! たかが、平民出の剣士ごときが弁えろ‼︎」

 真っ赤な顔をしたジャイルズが怒鳴りつけてきた。この国の伯爵家出身のジャイルズはアリスターたちに同行した神殿騎士だ。

 数十年単位で魔王と呼ばれる大災害級の魔獣が現れては神殿からのご神託で勇者が選ばれる。ジャイルズは勇者に付き添って魔王討伐を見届ける役目だった。共に旅をした仲だが、アリスターらの仲間ではない。飽くまでただの同行人だ。


 ジャイルズは今にも射殺しそうな目でアリスターを睨みつけた。

「貴様ごときが麗しの王女殿下ディアナ様にお目にかかるだけでも頭が高いというのに、なんたる言い草だ。平伏して謝罪しろっ!」

「えー、でもさあ、アリスターには幼い頃からの許婚がいるんだぜ? 

 しかも、挙式前日に魔王討伐の勇者に選ばれて、すんげい迷惑したのにさあ。許婚捨てて、そこのお姫様と結婚しろとか横暴すぎだろお?」

「お断りすれば済む。もう少し、オブラートに包め」

 シェリルが兄の頭を杖でべしっと叩いた。


 二人ともアリスターとは同郷の幼馴染だ。アリスターが選ばれた後に討伐の旅に同行を申し出ていた。二人とも魔導師で、兄は攻撃系、妹は防御系の魔法が得意技である。

 彼らにも褒賞がでたが、予め現金でと申し出ていたから、大金貨の大袋と大粒の宝石を一袋もらっていた。

 アリスターだけは祝賀会で褒美を取らせると言われていた。彼はそんなのはどうでもよいから、さっさと帰らせてくれと言ったのだが、さすがに一番の立役者を表彰しないわけにはいかないとゴリ押しで参加させられた。


「アリ、早く帰りたいのはわかるが、お偉いさんを怒らせると面倒くさい。ゴマすって早く終わらせたほうがいい」

 シェリルが淡々と告げた。兄よりも酷いことを言っているのだが、これでも仲間内で一番の常識人のつもりである。ジャイルズが激昂して剣を抜いた。

「貴様、愚弄するのもいい加減にし」

「やかましい」

 シェリルが杖を向けた途端に、ジャイルズは金縛りにあった。身動き一つできずに、憤怒の顔になる。 


 無詠唱で術をかけたシェリルが兄と幼馴染に視線をやった。

「世の中は建前で取り繕われている。少しは体裁を調えろ、面倒くさいことはごめんだぞ」

「断っても断っても断っても、しつこく言い寄ってくる節操なしに取り繕う必要はない。

 帰還してからずっと茶会に呼ばれて強制参加の上、将来の話を一方的に捲したてられてみろ。うんざりどころじゃないぞ、拒否反応で吐き気や眩暈さえする」

「へえ〜、そこまで? でもさあ、お姫様の()()()()()は極上じゃん。美術品の鑑賞だと思えば、耐えられるだろう?」

「だったら、代わってやる。お前が娶ってやればいいだろ。私はさっさと帰りたいのだ」

「お待ちくだされ」

 アリスターたちの口論に慌てて口出ししてきたのはこの国の宰相だ。


「勇者様、王女殿下の配偶者となるなど、この上ない誉れですぞ? それを断ると言うのか?」

「魔獣ごときに恐れをなし、普段は見下している平民に退治させておいて褒美が統治者の椅子などとふざけた国の王冠なんぞ、いらん」

「王様業なんて、七面倒くさいじゃん、どこが誉れ? むしろ、嫌がらせでしょ」

「勇者の役目は終わった。これ以上の過重労働は不当だ。そもそも、勇者の名声を利用したいなら、最初から勇者には手駒を使うべき」

 シェリルはちらっとジャイルズを見やった。まだ、術にかかっているので、表情以外は彫刻のように固まったままだ。

 はあっと大きなため息付きでシェリルは頭を横に振った。


「ああ、あり得なかったな。無能しかいないから、アリに声がかかったのだったか。失言だ、失礼した」

「ぐふぉ、しぇ、しぇりぃ」

 クライドは笑いの発作に見舞われて息も絶え絶えだ。ジャイルズの顔色が赤からどす黒く変化するが、封じられているから口を開けない。


「無礼者め! 口を慎め!」

 居並ぶ貴族の中から一人の青年が一歩前に出てきた。他の者たちは勇者たちの問題発言に唖然とするばかりだ。

 青年はメガネをくいっと押しあげてシェリルを睨みつけた。

「いくら、勇者様の友人といえど、口が過ぎる。

 ジャイルズ殿は騎士団長のご子息で、バンクス伯爵家の跡取りだ。しかも、栄えある神殿騎士でもあられる。

 貴様ごとき平民の魔導師風情が対等に口をきけるお方ではない。は、魔導師の格好をしてはいるが、本当に魔王討伐に貢献したのか、わかったものではないだろう。貴様のような遊び女ぐはあ」

 青年はいきなり頭上から一抱えもある氷塊が落ちてきて見事にクリーンヒットだ。白目を剥いてばったりと倒れてしまった。


「るっせえよ。オレさまの妹に絡もうなんざ、100年はえーわ。首洗って、出直しやがれ」

 爆笑を嘲笑に変えたクライドが無造作に手を振り払った。ぐるりと周囲を見渡して異論のあるヤツは出てこいとばかりに顎をしゃくる。

 無詠唱どころか、魔術媒介の杖さえもなしの攻撃だった。

 勇者に直接の反論は無理でもその仲間になら、と侮った愚か者どもの顔から一斉に血の気がひく。魔王討伐の実力を改めて思い知らされて、勇者一行の傍若無人さに誰も打つ手がなかった。


「申し訳ありません、クライド様、シェリル様。皆様にはご不快な思いをさせてしまい、誠に面目ない」

 頭をさげて申しでてきたのは、神官のハリソンだ。彼もまた魔王討伐の旅の同行者だが、小姑のように口やかましいだけのジャイルズとは違い、一目置かれている。

 何しろ、道中のさまざまな雑事を一手に引き受けてくれた縁の下の力持ちだ。神殿から費用の管理を任されていたハリソンは不平不満のジャイルズなど歯牙にもかけず、ひたすら勇者一行のために尽くしてくれた。

 今回の魔王は飛行能力のあるグリフォンだった。追いついたと思ったら飛んで逃げられと、討伐に二年もかかってしまった。さっさと退治して延期になった婚礼を挙げるつもりだったアリスターには完全に予想外だった。グリフォンを追いつめるために結構無茶をした自覚はある。

 それもこれも幼馴染ゆえの付き合いでクライドとシェリルは協力してくれたが、ジャイルズはグチグチとうるさいだけのお荷物だった。

 ハリソンはやかましいジャイルズを宥めてくれたり、野営で野郎どもは地面に雑魚寝でも、体力の劣るシェリルにはテントを用意してくれるなど気遣ってくれた。女性のシェリルが快適な旅路を過ごせたのはハリソンのおかげだ。彼女の辛口も彼にだけは向けられたことはなかった。


「ハリソンは悪くない」

「そうだ、ハリソンが口先だけ馬鹿の尻拭いする必要はないぞ」

「男爵家だからと何かと見下してくる阿呆のために頭を下げるな。もったいない」

「確かに、ハリソンが減っちゃうな〜」

 アリスターの真顔のセリフにクライドがヘラヘラと笑った。シェリルもこくこくと頷いている。ハリソンは困ったように眦をさげた。


「その、私など大したことはできず、勇者様たちのご活躍があってこその今の平和です。

 皆様に感謝こそすれ、罵詈雑言などもってのほか。同胞の無礼を止められなかった非がありますので、お詫びするのは当たり前のことです」

「うっわ〜、ハリソンってば、ホント真面目だねえ。だから、オレらに付き合わされて貧乏くじなんかひかされるんだよ?」

「そんな。貧乏くじなどとは思っておりません」

「卑下するな。ハリソンのおかげで私たちは助かったのだから、魔王討伐の一番の立役者はハリソンだろう。褒美というなら、ハリソンが王配となってこの国を治めればいい。君なら、私たちの村にも心配りしてくれるだろう?」

「あ、それ、いいな〜。そうしよう、それで全て丸く収まる」

「賛成」

 アリスターの提案にクライドとシェリルがパチパチと拍手した。ハリソンは目玉が飛び出るほど大きく目を見開いた。


「お、お待ちください! 私は神の僕としての役目を果たしただけで、そのような評価をいただける者ではありません。過大評価すぎます」

「まったまた〜。謙遜もしすぎは却って卑屈だよお? ハリソンなら下々のことも気遣ってくれる、いい王様になれるって」

「同感共感」

「お待ちくださいませ」

 誰も勇者たちの会話に口を挟めない空気の中、勇敢にも声をかけたのは未だ固まっている父王を押し退けて前に出た王女だ。  


 今年、成人した王女は国王の最愛の王妃によく似た容姿で溺愛されていた。国王は10年ほど前に病死した王妃を偲んで再婚はしていない。子供も王女だけだった。

 王女ディアナは薄紅色の緩やかなウェーブの髪に新緑の瞳の美女だ。母の身分が低く後ろ盾が弱いので未だ婚約者はいない。彼女の配偶者が国王になると言われているが、誰も立候補しなかったのは両親のロマンスのせいだ。

 

 ディアナの父、現国王は学生時代に男爵令嬢の母と恋に落ちた。


 男爵令嬢は治癒能力が高く、神殿から聖女と認定されるほどであったが、魔力量は少なかった。少人数の治療しかできないため、正式な聖女にはなれなかった。それでも、貴重な治癒術を扱えるとして婚姻を望む家は多かった。

 男爵令嬢は学生の間にいい婚姻相手を探すよう父親に言いつけられてあちこちに声をかけていたが、見事に大物を釣りあげた。

 男爵令嬢に釣りあげられた王子は婚約者を断罪した。婚約者が嫉妬から恋人に暴漢を差し向けたとして婚約破棄で身分剥奪の上、国外追放を命じたのである。


 婚約者は否定したのに信じてもらえず、泣く泣く国外追放を受け入れた。親兄弟も冤罪だ、言いがかりだと抗議したが、証拠不十分なのに不敬罪で罰せられそうになって、王子と王国を見限った。一族郎党までも引き連れて出国してしまい、国政に関わっていた有力者の家系だっただけに人的損害は甚大なものだった。その穴埋めに奔走した当時の国王は倒れてしまったという曰くつきだ。

 父王が身罷って即位した現国王は妻子を溺愛しており、何かほんの少しだけでも粗相があればすぐに首が飛ぶ。そんな王女の婿に収まろうなどと物好きが現れるわけなかった。

 どの令息の家でも婚約候補の打診を受けると、すぐに相手を決めて婚約済みだとお断りしたり、健康上の理由で婚姻は無理だと医師の診断書(偽造で数年後には誤診だと撤回されて他の相手と婚約した)を提出してきたりした。

 まだ、ディアナが母ゆずりの治癒能力を顕現していれば、話は違ったのかもしれないが、ディアナが継いだのは母の美貌だけだった。国内の有力貴族にはディアナの価値は王女の身分だけ、それも女王として立つ統治者は無理だと見做されている。


 ディアナは両手を組んで祈るようにアリスターを見上げた。

「勇者様にはわたくしと共にこの国を支えて欲しいのです。魔王を討伐しても、準魔王級の魔獣はまだおります。

 我が国の安寧に尽力してくだされば、貴方様の故郷や許嫁の方も安心して暮らせるはずですわ。どうか、この国をお救いくださいませ」

「絶対に断る。私には最愛の大切な人がいる」

「アリが国王にならなくても、別にうちの村は困らないよ。準魔王級ぐらいなら倒せる猛者がごろごろいるし」

「国の安寧に尽くせと言うなら、まずは貴族が先。できないならば、何のための特権階級なのだか。無駄に税を搾取してのさばるだけしか能がない連中など、ただの害虫だろう」

「ぐふぉ!」

 心底呆れ返った妹のセリフにまたクライドがツボにハマって盛大に吹きだす。無礼な物言いに周囲がざわめき、ハリソンが真っ青になった。


「シェリル様。いくら何でも、今のお言葉は不敬が過ぎます。悪気はなくても、言い過ぎです。どうか、お取り消しを」

「事実だろう。魔王討伐ですでに勇者の責任は十二分に果たしている。これ以上はシェリルの言う通り、過重労働だ。

 大体、我が故郷はこの国に属してはいない。国の安寧に貢献しろと強制されるのは不愉快だ。

 しかも、既婚者に言い寄るなど、世間一般の常識では十分破廉恥行為だろう。王女だから何をしても許されるとは、思い上がりも甚だしい」

 アリスターが唾棄すべきと言うように吐き捨てた。


 ハリソンは焦っていた。いくら、勇者でも言い過ぎだった。

 ここは公の場だ。嘘も方便でやり過ごさなければ、彼らの故郷にどんな仕打ちをされるかわかったものではないのに。


 勇者たちの故郷は中央山脈の人里離れた山奥の村だ。

 中央山脈は魔獣の棲家でどの国にも属さない空白地帯だった。彼らの村はその空白地帯にあり、神殿からのお告げがなければわからなかった場所だ。

 人類未開の地だけあって、珍しい貴重な植物や他では見られない凶暴な魔獣の生息地だったが、勇者たちの村はそれらの採取や狩猟で生計をたてていた。中央山脈でしか取れない希少な物ばかりで高値で取引されており、村といってもかなり裕福な暮らしをしていた。村人は魔獣を狩れて一人前と見做されるとかで、男女問わず皆腕に覚えのある猛者ばかりだった。


 その中でも村一番の剣士で冒険者の間で氷の剣士と呼ばれていたアリスターに白羽の矢が立った。


 ハリソンは神官の末席として勇者招聘に関わったのだが、かなり危険な道中で命の危機を覚えるほどだ。ようやく、村に辿り着いたのはよいが、上役たちが皆魔王討伐の旅を辞退して無理やり押し付けられてしまった。それでも、クサることなく真面目に案内役兼お世話役を勤めてくれたのだから、アリスターたちにとってはラッキーな人事だった。


「まあ、勇者様はわたくしよりも許嫁の方をお選びになるの? でも、勇者様が旅立ってすでに二年も経ちますわ。もう、許嫁の方は待ってはおられないのでは?」

 王女が案じるように悲しげにアリスターを見やった。

 アリスターは銀髪に蒼の瞳の精悍な青年だ。ちょっと、怖そうな鋭い目つきをしているが、十分世間一般の認識ではイケメンと言われる範囲内である。所作も平民にしては優雅で、実はどこかの貴族のご落胤なのでは? と思うものがあった。

 ディアナは密かに王家の諜報員に探らせたが、山奥の村出身の平民には違いないとのことで落胆したものだが。身分は勇者の看板でなんとでもなると思い直した。少々野生味があるが、美形の剣士で所作も整っているとなれば王配には十分だ。

 ディアナが両手を組んで上目遣いでアリスターを見上げた。


「二年も婚姻を延期されたのでは女性には婚期を逃すかどうかの重大問題です。他の方に心移りされてしまっても仕方ありませんわ。どうか、勇者様もお相手の幸せのために、現実を直視なさったほうがよろしいですわ」

「はっ? 私の最愛が浮気者だとでも言うのか?」

 アリスターがすっと殺気を纏って王女を睨みつけた。びくりと怯えたディアナが思わず数歩後退る。

「そ、そのようなわけでは・・・」

「エリアルはアリと相思相愛だ。心移りなんてあり得ない」

「そうだよ〜、アリスターに()られるってわかってて手出しする間抜けもいないし。って言うか、もう夫婦になってるしねえ。さすがに人の()()に言いよる恥知らずはうちの村にはいないよ」

 クライドの皮肉をまぶした発言にディアナは美しい眉根を寄せた。


「夫婦? 挙式前に旅立っておられるのに?」

「ご神託とやらのせいで予定通りにはいかなかったが、私はエリアルを娶った。すでに妻帯者だ。傍迷惑な褒美なんぞいらん」

「そ、そんなわけありませんでしょう!」

 ディアナは苛立たしげに叫んだ。


 勇者一行は旅立ってから一度も郷里には戻っていない。魔王討伐後はすぐに王宮に招いて現在に至る。すぐにわかる嘘までついて、王女との婚姻を拒むなんて不敬すぎる。ディアナには王女としても女性としても大いに屈辱だった。

 さすがに周囲にもざわめきが広がった。彫刻と化したジャイルズを見て怖気付いていたが、皆近くの相手とヒソヒソ話だ。


「どういうこと? お達しでは勇者様を次の国王様に迎えるって・・・」

「いや、さすがに既婚者では・・・」

「相手はたかが平民だろう。王命を出せば、大人しく身を引くのでは?」

「でも、勇者様とは相思相愛の仲なのでしょう。勇者様は反対なさるのでは・・・」

「それでは、誰が我らを魔獣から守ってくれると言うのだ? まだ、準魔王級は退治されてないぞ」

 耳聡く聞き取ったクライドが呆れてため息をつく。

「うっわ〜、見事に自己保身ばっかだな。この国の騎士団は儀礼用のお飾りかよ?」

「しかたない、無能ばかりだから」

 妹が兄に追従して余計な一言を放つ。

 ひくりと顔を引き攣らせる貴族が続出中だが、未だに身動きできないジャイルズを視界に収めると、抗議も口にはできなかった。

 ゴホンゴホンと咳払いがして、ようやく復活した国王が勇者に話しかけた。


「勇者よ、すでに婚姻済みと言うならば、特別に妾として認めてつかわす。其方は我が至宝、王女ディアナとこ」

「ハゲたいのか?」

 アリスターが腰の儀礼剣を鞘に納めた。目にも止まらぬ早技で剣を振るったのだ。

 何事かと目を見張る人々の前で、国王の頭頂部から髪の毛が消えた。ただでさえ少なかった頭髪がはらりはらりと地に落ちた。刃を潰した儀礼剣で切れるはずないのに、切れ味抜群だった。

「な、な、なななな・・・」

「戯言もいい加減にしろ。そんなに命が惜しくないなら、捕らえた魔獣を王都に放ってやる」

 王都破壊宣言が出て、誰もが声にならない悲鳴をあげた。


 魔王を倒した勇者の言葉だ。やると言ったら、必ず絶対何が何でもやる、と誰もが嫌な確信を持った。


「お、おおお、お待ちくださいありすたあサマ無辜の民が犠牲になりますぜひともお考え直しくださひぃ」

 ハリソンが壊れたように一息で言い切った。それにシェリルがにこりと笑顔を向ける。

「大丈夫、心配ない。王城だけに結界を張ってそこに放てばよい。使用人は登城禁止にすれば、一般市民は犠牲にならない」

 つまり、王族並びに宮廷貴族をターゲットにすると宣言されたも同じだ。王国貴族の顔が一斉に青くなった。


「結界・・・? まさか、シェリル様は結界術を扱えるのですか?」

 え、気にするのはそこ? と、つっこみたくなるセリフを口にしたのは神託を受けた大司教だ。高齢で少々耳が遠くなっていたのだが、そばに付き添った従者から筆記を見せられてようやく事態を把握した。

「結界術は隣国のオルグレン家の血統魔術だったはず。すでに絶えたと聞いておりますが・・・」

「勝手に絶滅させんなや。我が家は健在だぜ?」

 クライドがしかめ面で肩をすくめた。


 血統魔術は通常の魔術とは異なり、その名の通り血筋に宿る能力だ。特殊魔法とも呼ばれる。

 血縁者でも血が薄まると使えなくなるので、時おり親戚内で婚姻が行われて連綿と受け継がれてきた。しかし、オルグレン家は数十年前に本家が途絶えてしまった。本家に成り代わった分家では結界術を発動できなくて没落したはずだ。


「まさか、オルグレンのご落胤なのか?」

 シェリルとクライドを見つめる視線に畏敬が宿る。誰もが、ただの平民の魔導師だと侮っていた。

「ああ、なんか、めんどーなことになるから、外では家名は伏せろって、ばあ様に言われてたっけ」

 今更なように、クライドがポンと手を打った。シェリルも同意して頷いた。

「そうだったな、アリもだろう」

「ああ、じい様にビーモントを名乗るな、と言われていたな」

「びーもんと・・・、まさか、念話術のビーモント家か⁉︎」

「あのビーモントだと? 同盟国の侯爵家だった? 血縁者を血眼になって探しても見つからなかったと聞いているぞ。念話術も絶えて久しいはずだが」

 貴族の中でも高位の者がざわざわと騒ぎだした。アリスターが冷ややかに彼らを見つめた。


「阿呆な王族が曽祖父に冤罪かけて処刑しようとしたから、一族郎党で国外脱出しただけだ。珍獣扱いはやめてもらおうか」

「そうだよ〜。我が家もばあ様が浮気男に冤罪かけられて国外追放とか言われたから、お望み通りにしてあげただけ〜」

「まあ、ビーモント家の方ならば、わたくしの婚姻相手に相応しいですわ。勇者様の気品溢れる佇まいから、絶対に貴族の血をひいておられると思っておりましたのよ!」

 空気を読まない発言は薔薇色に頬を染めたディアナだ。うっとりと熱のこもる眼差しでアリスターを見上げてきた。

 アリスターが嫌そうに思いきり顔を歪める。


「話を聞いていなかったのか? 私には妻がいる。子供だって、できたところだ。貴様の伴侶なんぞ、御免被る」

「そのような嘘はおやめくださいませ。勇者様は旅立ってから一度も故郷には戻られていないではないですか。そうでしょう、ベイリー神官?」

「は、はい。その通りです」

 ハリソンが申し訳なさそうな顔で首肯する。アリスターに不利な発言をしたくはなかったが、神官が嘘をつくわけにはいかない。

 ディアナは勝ち誇ったように艶やかに微笑んだ。


「勇者様が戻られていないのに孕ったなどと、他の男性と関係を持ったに違いありませんわ。お優しい勇者様が心砕かれる必要はないでしょう」

「え、破滅願望あるの? エリアルが浮気するわけないじゃん」

 兄がドン引きする隣で、妹が幼馴染を制止していた。

「落ち着け、アリ。エリアルの転移術でアリが毎晩帰宅していたのを知っているのはわたしたちだけなのだから」

「止めるな、シェリル。完全に息の根を止めてやらねば気がすまん」

「一撃で仕留めるなど、優しすぎる。侮辱には相応の報いを受けてもらわねば、わたしだって不服だぞ?」

 エリアルと親友のシェリルがえげつない報復を口にしようとしたら、大きなざわめきが起こった。シェリルが周囲を見渡すと、皆信じられないと顔に書いてあるように驚愕していた。


「て、転移術って・・・」

「え、メリガン家の?」

「いや、あの家は没落したぞ」

「それは陛下が・・・。もしかしたら、イレイン様の・・・」

「ええい、誰か、緊急連絡だ! 騎士団長に至急連絡を入れろ、撤退命令をだせ!」

 一際大きな怒鳴り声がして、国王が命令を下していた。宰相も泡を食って、配下を呼びだしている。皆、何事かと注目する中で、ディアナが父親のそばに寄った。


「お父様、一体どうなさったの? まさか、魔獣が現れたの?」

 騎士団長に撤退命令と聞いて、まず思い浮かぶのは魔獣の襲来か討伐だ。しかし、国王は大きく頭を振った。

「騎士団長に勇者の村を焼き払えと命じたのだ。お前の憂いにならんようにと、先手を打ったつもりが下手を打ったわ!

 まさか、イレインの一族が山奥の村になぞ引きこもっていたとは思いもせなんだ。はよう、止めんと手遅れになる」

「ゆ、勇者様の故郷を焼き討ちに? へ、陛下、一体何を仰っておられるのですか?」

 ハリソンが震え声で狼狽していた。遅れて、筆記を読んだ大司教が国王に詰め寄った。


「王よ、何を考えているのだ! 騎士団を動員して民草を害すなど、正気の沙汰とは思えん。乱心したのか⁉︎」

「我が国のためだ! 大司教だって勇者を次期国王に据えるのに賛成しただろう。

 勇者が故郷に未練があって頷かなかったせいだ。故郷さえなくなれば、と思ったのだが、まさかイレインがいた村だとは・・・」

「私の義母上を気安く呼び捨てにしないでもらおうか」

 いつの間にか、アリスターが国王の喉元に短剣を突きつけていた。儀礼剣とは違い、密かに護身用に懐に忍ばせていた実剣だ。肌に当てているだけでもうっすらと薄皮に傷がついて切れ味は確かである。

 衛兵が青ざめて駆け寄ろうとするが、シェリルの杖の一振りでジャイルズ同様に固まってしまう。クライドが交通整理のように国王の周囲の人々を浮遊させて遠ざけた。


「はいはい、邪魔しないでね〜。オレら、あんま気長じゃないからね〜」

「お父様! 勇者様、何をなさいますの!」

「ええ〜、オレらの村を焼き討ちしようとした罪人を捕縛しているだけだけど? なんか、文句あるの? ああ、あんたも共犯か」

 クライドがどこから取り出したのか、荒縄を手にしていて、ディアナはびくりと怯えた。周囲を見渡すが、皆遠巻きにしている。衛兵は役に立たないし、そばにいるのは荒事には向かない神官のハリソンと大司教だけだ。


「やめろ、娘に手出ししたら、後悔させてやる。貴様らの村など跡形もなく消し去ってやるぞ」

 国王の脅しにクライドはヘラヘラと笑った。

「状況把握ができてないねえ。準魔王さえ防ぐ我が村の結界をこの国のお飾り騎士団が突破できるわけないだろ。今頃、村に一歩も入れずに魔獣の餌食になってんじゃねえの?」

「確かにその通りだが、後始末が面倒だな。さっさとご帰還してもらおうか」

 目を細めたアリスターの宣言と共に、ふっと黄金の光が輝いたかと思うと、国王の周囲の何もなかった場所に十人ほどの縛られた男たちが転がっていた。それらを足蹴にしている少年が顔をあげる。

 黒髪に紫の瞳の少女と見間違えるほど華奢な美少年だ。少年は周囲を見渡して苛立たしげに舌打ちした。


「アリ、何やってんのさ。身重な姉さん放ったらかして遊んでないでよ。今、姉さんは大事な身体なんだから、転移術使わせるわけにいかないんだよ?」

「ああ、すまん。ブレントには世話をかける。後始末をつけたら、村に転移してくれ」

「い、いれいん・・・」

 震え声をあげたのは、喉元に短剣を突きつけられた国王だ。ブレントは嫌そうに顔を歪めた。

「きっしょ。母さんの名前で呼ばないでよ」

「国王の元婚約者、イレイン・メリガン嬢のご子息か・・・」

 少年の顔を見て呟いたのは大司教だ。

 ディアナの母は愛らしく庇護欲をそそる美女だったが、国王の婚約者のイレインはクールな知的美女だった。目の前の少年はイレインそっくりの怜悧な美貌だ。

 ブレントはちらっと大司教を見やった。


「ねえ、大司教様。お告げ通り、魔王を倒してあげたんだから、もういいでしょ。二度とうちの村に関わらないでくれる?

 うちの村って、周辺諸国のお偉方なんか、顔も見たくないって人が9割、残りの1割は黒虫がごとく嫌っていて絶滅させたいって思ってる人ばかりだから。

 出国が叶わなかった元領民を気にしてる元領主がいるから、魔王討伐だけは引き受けるかって温情かけただけなんだけど?

 なんか、勇者をいいように利用できると勘違いしたおバカがこんなゴミ寄越して、ほんっとうにいい迷惑。

 魔獣に綺麗さっぱり食われちまえば後片付けしなくてすむのに、無駄に抵抗して周囲の地形をメチャクチャにしやがってさあ。

 後始末が大変なんだけど? 迷惑料は払ってよね」

 ふんと鼻を鳴らして、少年はふんぞり返っている。

 実は彼らの村は周辺諸国からの国外追放者や逃亡者が興した村だ。どこの国でもこの国のメリガン家のように冤罪かけられた上の婚約破棄で、被害を被った者たちがいるのだ。


「き、騎士団長、無事か?」

 宰相が転がっている男たちの中から一人の煤けた人間を助け起こした。髪もちれぢれで真っ黒に焼けこげているのに、よくわかったものだと勇者たちは感心していた。

「さ、さい、しょうど、の。あ、あやつらは、人間、では、アリマセン。あ、悪魔だ・・・」

「はあっ⁉︎ 平和で人畜無害な村を襲った人間のいうセリフじゃないよね? 

 こっちは魔獣けしかけて全滅させてもいいところを助けてあげたのに、恩知らずにも程がある。さすがに、母さんに言いがかりふっかけて国外追放したヤツの腰巾着だけあるな。

 今から、魔獣の巣に放り込んでやろうか?」

 美少年が腕組みして睨みつけると、縛られた男たちが震えあがった。いい年した大人たちが一人の少年に圧倒されている光景に、周囲の者は呆然とするばかりだ。


「ま、待て! 其方はイレインの息子か。あれは息災か?」

「答える必要はないでしょ。あんたとは無関係なんだから」

 国王の問いかけにブレントは冷たく言い捨てた。

 ブレントの家は村長を務めている。ブレントは村長代理として発言していた。

 クライドがそう説明してヘラリと笑った。


「ブレント、村長代理さまあ。そうツンケンしないで、教えてあげなよ。お前の母上、村長の奥方はとおっても元気だって。

 何しろ、村長に溺愛されてて、すっげ〜大切にされてお幸せだ。村じゃあ、奥方は幸せの象徴として拝まれるくらい神々しく輝いておられる。エリアルを筆頭に五人の子持ちとは思えないほど、若々しく未だにお綺麗だ。たまに行商人の護衛とか外の人間が口説こうとしてくるけど、鉄壁な村長の守りで返り討ちにされてる状態だって。

 別れた後も自分の女とか勘違いしているおバカにははっきりと言ってやらないとわからないよ? 元婚約者の執着なんて『気持ち悪いだけ』だってさ」

「言ってわかるような人間なら、端から言葉を惜しまないよ」

 ブレントは器用なことに腕組みしたまま、肩をすくめた。


 ハリソンは目を白黒させていた。

 勇者招聘で訪れた山奥の村はやたらと美形率が高かった。もしかしたら、森の民と呼ばれるエルフの血を引いているのかもしれないと思っていた。元々貴族出身者が興した村だというなら、所作や立ち居振る舞いが優雅な者が多かったのも納得だ。

 今の会話だけでも結界術のオルグレン家、念話術のビーモント家、転移術のメリガン家が判明している。いずれも、周辺諸国から絶えたと噂される高位貴族の血筋だ。特殊魔法で王家よりも力を持ちすぎたから、冤罪で国外追放や極刑を申しつけられて没落したと密かに囁かれていた。


「迷惑料なら、この衣装や装飾品を売り捌けばよい値がつきそうだが」

「そだなあ、あんま長居したくないし。このまま、帰るか」

 アリスターの提案にクライドが同意した。シェリルは自身の格好を上から下まで眺めて頭の中で計算してから頷く。彼らは魔王討伐祝賀会の主役らしく、王宮から豪華な衣装や儀礼用の高価な装飾品や装備を貸し出されていた。

「ブレント、悪いが送ってくれ」

「うん、いいよ。ゴミの始末も済んだし、姉さんが待ってるしね」

 アリスターがぽいっと国王を投げ捨てて、ぎょっとした大司教と宰相が慌てて駆け寄った。国王は床に派手に倒れ込んで、呻き声をあげている。

 ブレントの周りに勇者たちが集まると、ディアナが大声をあげた。


「お待ちくださいませ、勇者様! わたくしとのこんい」

「お断りだ」

「無用だってさあ〜」

「無駄な足掻き」

「頭悪いの、こいつ?」

 四者四様の返答で勇者一行は金の光に包まれてその場から姿を消した。


『私のエリアル、ただいま。すぐに会いに行くから』

 エリアルは突然頭の中に響いた声に縫い物の手を止めた。

「お帰りなさい、アリ。わたしも会いたかったわ」

 声にだすのと同時に強く心の中でも思うと、彼から喜色が伝わってくる。

 アリスターの力はとても強く、念話相手と脳内で会話できるだけでなく、相手が強く思うことや心中に秘めた感情さえも読み取れてしまう。一方、アリスターからの感情が伝わるのは彼が気を許している相手だけだから、エリアルの顔には微笑が浮かぶ。


 魔王討伐の旅でもアリスターは距離など関係なく念話を送ってくれた。いつでも、彼とは連絡を取り合えていたし、転移術で会いに行き自宅へ連れて帰ったりと自由に行き来もできていた。それが、エリアルの懐妊がわかると転移術使用は禁止されたから、直接会えなくなった。討伐後に王城へ招かれても念話で会話だけはできていたが、ようやく久しぶりに顔を見られると思うと、心が弾む。

 エリアルが裁縫道具を片付けていると、ぱたぱたと軽い足音がしてぱたんとドアが開いた。


「姉さん、ただいま! ちゃんとゴミの片付けしてきたよ」

 弟のブレントが抱きついてきた。14歳になるブレントはもうエリアルと同じ背丈に成長していたが、まだまだ甘えん坊だ。ブレントが幼い頃に母が体調を崩したので、長子のエリアルが面倒を見ていた時期があった。そのせいか、弟は少々シスコンなところがある。

「姉さん、聞いてよ! アリってば、浮気してたんだよ? 頭の悪い女に言い寄られててさあ」

「こら、事実無根な曲解を言いふらすな」

 ブレントの後にやってきたアリスターが軽々と少年の首根っこを掴んで妻から引き離した。恭しく跪くと、エリアルの手を取って慈しみ溢れる笑みを向けてくる。儀礼用の衣装のままなので、まるで物語の王子様のようだ。


「ただいま、エリアル。ようやく、愛おしい君と我が子のところに戻れたよ」

 先ほどまで王城にいた人々が見たら、確実に顎を外しそうなほど、まるっきりの別人だ。甘さ全開の表情で妻を見つめてくる。

「まあ、アリってば、気が早いのね」

 エリアルはまだ目立たない腹部の膨らみに手をやって、ころころと笑った。


 エリアルは父親似で、母親そっくりのブレントとはあまり似ていない。平凡な顔立ちで、茶髪に緑目とごくありふれた色合いだ。美男子のアリスターと並ぶと不釣り合いと陰口を叩かれることもあったが、それらは全てアリスターとブレントによってきっちりとシメられている。

 アリスターにはエリアルの色合いは芽吹きを感じさせる春の女神だと恋慕されていた。


 一つ年下のアリスターは幼少期は引きこもりだった。生まれた時から力が強く、すぐに泣き喚く気難しい赤子で、成長してきてもなかなか言葉を発せずに両親をヤキモキさせていた。力が強すぎた弊害で、周りの心の声が聞こえすぎてすっかり心を閉ざしていたのだ。

 エリアルはお隣さんだったし、物心ついた時には村長の長子として子供たちのまとめ役だったからアリスターをずっと気にかけていた。よく遊びに誘ったが、いつも断られていた。それが、ある日アリスターが熱をだしてうつるといけないからとしばらく会えない時があった。

 エリアルは会えなくても、気になってこっそりと様子を見に行った。窓からそおっと覗くと、赤い顔をして苦しげな様子のアリスターにひどく驚いたものだ。

 アリスターは無口に加えて無表情な子供だった。綺麗な顔立ちだけに生気のない目をしていると、まるでお人形のようでエリアルには心配だった。いつか本当にお人形になってしまうんじゃないかと怖かった。ちょうど、悪い魔女に子供がお人形にされた絵本を読んだ直後に出会ったから、余計に強く感じていたのかもしれない。

 エリアルは初めて表情を崩したアリスターを心配して、毎日窓辺に摘んだ花を置いた。お見舞いのつもりで、小声で子守唄を歌った。熱をだすと母が歌ってくれるから、苦しくても安眠できた。アリスターになら、窓辺からでもきっと届くはずと面会禁止が解かれるまでずっとだ。


 そうして、全快したら、なぜだかアリスターに懐かれた。


 エリアルのそばにずっとくっついて忠犬のように離れなくなった。エリアルの三つ下の妹に嫉妬して追い払う真似さえするので、妹が泣きだしてしまったくらいだ。

 困ったエリアルが『皆と仲良くしましょう』と諭してもアリスターは聞いてくれず、エリアルを独占したがった。

 それを見たクライドが『そんなにスキなら、ケッコンすれば〜?』などとませたことを言い出したせいで婚約成立してしまった。

 エリアルには最初は恋情がなかったが、対外的にも思慕を伝えるために言葉を発し始めたアリスターは遠慮がなかった。ぐいぐいと迫ってくるから絆された、とも言える。エリアルと気持ちが通じ合うと余裕ができたのか、アリスターの独占欲は落ち着いてきたが、エリアルにちょっかいかけようとするお調子者は半殺しの目に遭わされるから、『触らぬアリスターに祟りなし』などと言われるようになってしまった。


 姉から引き剥がされたブレントがむすぅと膨れて唇を尖らせた。

「大仕事終えた義弟を労わる気はないの、アリ。そもそも、アリがさっさと帰ってくれば、僕がわざわざ出張ることなかったんだけど?」

「それについてはすまん。褒賞で何か土産になる物を買えると思ったのだが・・・。まさか、あんな罰ゲームに付き合わされるとは思わなかった」

「罰ゲームなんだ?」

「罰ゲームなのね・・・」

 姉弟は顔を見合わせて苦笑する。国王の座を迷惑げに言い切るとか、実にアリスターらしい。


 アリスターの一族、ビーモント家が総動員で魔獣に襲われている慮外者を取り押さえて村長に突き出したところでアリスターからの念話が届いた。事情を把握したビーモント家当主からの要請でブレントが王城までゴミの後始末に出向いたのは嫌がらせである。

 転移術を惜しむ国王がメリガン一族を密かに探している情報は以前から耳に入っていたので、機会があれば国王に思い知らせてやろうと村人一致で決めていた。国王が捨てた元婚約者、イレインの一族は絶対に国王の手の届かない場所で幸せに暮らしているのだと。

 村の結界は害意を持つ相手を弾く仕様だから、国王の手の者が村に入り込むことはない。そもそも、この村にたどり着くのも軟弱な王国騎士では命懸けだ。


 国王はどんなに焦がれても手に入れられないジレンマに苦しむとよい、とメリガン家当主であるイレインが実によい笑顔で宣言していた。


 転移術は見知らぬ場所には転移できないのだが、アリスターからの念話の繋がりで転移先を特定できた。それでも、十人もの成人男性を王城まで飛ばし、アリスターたちを回収できるほど強い力を持つのはメリガン家の直系だけだ。イレイン本人が出向くのは父が反対したので、ブレントが一番適任だった。

 イレインによく似たブレントが転移術で目の前に現れれば、否が応でも国王は捨ててしまった縁を惜しまないではいられないはずだ。

 ブレントは母に未練タラタラな国王を目の前にして、当主の読みは当たっていたなと感心したものである。


「エリアル、すぐに式を挙げよう。安定期に入ったのだろう?」

 アリスターがとろけそうな満面の笑みを浮かべている。

 挙式前日にアリスターが勇者だと告げられて、翌日には旅立ってしまったから式は延期になった。婚姻証明書にサインだけして、式は無事に戻ってから挙げる予定だった。エリアルの転移術で夫婦生活は順調だったから、子供ができたのは当然の流れだ。

 エリアルは腹部を撫でて首を傾げた。


「体調は落ち着いているのだけど、ドレスのサイズが合わないの。すぐには無理だわ、手直ししないと」

 せっかくのウエディングドレスだ。手直しに時間がかかると言うと、アリスターがきゅうんとしょぼくれた。まるで叱られた仔犬のように耳が垂れている幻影が見える。

 エリアルは銀髪の頭をそっと撫でた。

「リンジーが三カ月後に挙式予定なの。村は今その準備で大忙しよ。リンジーは一緒に式をあげようと言ってくれているわ。

 三カ月もあれば、ドレスの手直しもできるし。ねえ、アリは合同挙式はイヤかしら?」

「まさか、合同でも君との式をイヤがるわけない」

 アリスターが即答して挙式問題は解決だ。ブレントは姉が上手くアリスターを宥めてくれて、ほっとした。


 リンジーは次姉で婚約者は村外の商人だ。

 この村は特殊魔法ゆえの追放者たちが起源だが、使用人や領民たちもついてきてくれて一緒に開拓した。世代を交代するに連れて周囲の魔獣を狩れない弱者も増えたが、そういう者は行商人となって各地を巡ったり、大きな街で店舗を構えたりしている。もちろん、扱う品は村で取れる貴重な物ばかりだ。独占契約の形なので、裕福な商人として成功していた。

 リンジーは今年成人して、村外の若者と婚姻予定だ。この村と直接転移の魔法陣を設置して行き来ができるようになっている大店の若旦那に嫁ぐ。

 村長の娘の嫁入りとあって村では婚礼準備に余念がない。アリスターとエリアルの時もそうだったのに、急な勇者指名で延期になってしまったから、その分の無念さもあって豪勢な式にしようと村民一丸となっている。そこに個別でエリアルたちの挙式をねじ込むのは無理だ。それよりも、合同挙式のほうが角が立たないし、準備も万端で無理なくできる。


 アリスターはご機嫌になって、目に見えない尻尾をぶんぶんと振り回すがごとく、妻にひっついていた。今から、挙式についてドレス以外のあれこれについて熱心に語りだした。

 ブレントは大好きな姉の隣を取られて内心では面白くなかったが、直接会うのは久しぶりなのだ。姉夫婦のお邪魔は後にしてやろうと大人しくその場を離れた。


 後日、ハリソンから手紙が届いて、ジャイルズらにかけた術を解除して欲しいと懇願された。どうやら、シェリルが解き忘れて帰ってしまったせいで、術にかけられた者は彫刻のように固まった状態のままだった。神殿の回復魔術でなんとか延命しているが、このまま解けなければ衰弱死の可能性もあると泣きが入っていた。

 面倒だったが、さすがに衰弱死されるのは寝覚めが悪いので、解術に向かったシェリルが国王配下の魔術師団に囚われそうになって返り討ちにし、さらに被害者がでた。

 解術に法外な料金をふっかけた上にクライドまで出向いてバカやらかした面々にじっくりと個別指導したとか、アリスターを諦められない王女が禁忌の魅了術に手をだしてヤバい代物を呼び寄せたとか。色々と騒動が起こったが、アリスターは予定通り、エリアルの妹のリンジーたちと一緒に合同挙式を行った。

 式に友人として招かれたハリソンが王配として王女の監視役にされそうになったが、彼には幼馴染の思い人がいた。ただ、身分違いで一緒になれないと嘆いていたから、村への移住を勧誘したら思い人と婚姻して移り住んだ。

 王女ディアナは禁術に手をだした咎で廃嫡後、避暑地である王領のど田舎で静養中に亡くなったという。王国は王の従兄弟の公爵が継いだらしい。


 中央山脈の周辺諸国は国や家の利益よりも個人の感情を優先した婚約破棄のせいで弱体化していた。

 数十年後の魔王の出現では立ち向かえる者はおらず、もうこの世の終わりかと思われたが、中央山脈を拠点とする共和国が討伐に名乗りをあげた。

 共和国出身の猛者たちは特殊魔法の使い手だった。それも一人で複数の魔法を扱える賢者クラスが勢揃いだ。

 どうやら、中央山脈産の動植物から芳醇で濃厚な魔力が摂取できて、長年それらを口にしていた共和国人は新人類に進化していたらしい。

 共和国人と周辺諸国の交流が進み、混血が増えると、特殊魔法を扱える人間が増えていった。そうして数世代経る頃には、ご神託に頼らずとも魔王級の魔獣を倒せるようになっていった。




「勇者は仲間と力を合わせて魔王を倒しました。平和になった世界で、王様は勇者様にお姫様と結婚してお城で暮らすように言いました。でも、勇者様はお断りします。故郷には幼馴染の女の子が待っていたのです。

 勇者様は故郷に帰って幼馴染と結婚して、二人はいつまでも仲良く暮らしましたとさ。おしまい」

 ぱたんと絵本を閉じた母親に女の子は不思議そうに尋ねた。

「どうして、勇者様はお姫様と結婚しなかったの? 勇者様は偉い人になったんじゃないの?」

 女の子は偉くなった勇者はお姫様と結婚すると思っていたから不満そうだ。母親はふふふと微笑んだ。

「そうねえ、勇者様にはお城のお姫様よりも幼馴染のほうがよかったのよ。幼馴染の女の子は勇者様だけのお姫様だったのよ、きっと。大きくなれば、あなたにもわかるわ」

 女の子は子供扱いされて、むうと膨れたが、母親に優しく頭を撫でられてすぐに機嫌をなおした。次の絵本を読んで、とおねだりする。母親は新たな物語を手にとった。


 現代では魔王も勇者も伝説となり、お伽話の中でだけ語り継がれる存在だった。

最後までお読みいただきありがとうございます。

面白かったら評価していただけると嬉しいです。


12日の10時より連載で『時は戻らない』(異世界恋愛)を投稿します。

【あらすじ紹介】

山の王国の第一王子アルフレードは悪夢にうなされていた。二年前に古代種・一角竜の討伐で元婚約者ジルベルタを失ったのだ。討伐メンバーは罪悪感に皆悩んでいたが、それぞれ立ち直っていった。アルフレードも懇意の神官長フランカの手助けにより前向きになる。そんな中で一角竜の犠牲者を弔う鎮魂祭が行われ、隣国の王弟ルフィーノが参加する。ルフィーノは海の王国を救った英雄たちを連れてきていた。


という感じで、少々シリアス風味。

興味がありましたら、ご覧いただけると光栄です。よろしくお願いします。


【追記】

評価やブクマ、いいねなどありがとうございます。励みになります。誤字報告も助かります。

見直しでミスがあったので訂正しました。


エリアルの妹の年を『二つ下』 → 『三つ下』にしました。


アリスターが成人前で挙式になってしまうところでした。彼ならそれでも構わなそうですが、全年齢なので直しました。


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