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魔法使いの旅  作者: 斎藤充
第1章
5/26

5

 ゴルドルフに命じられ大急ぎで遅い夕食を拵えたらしい屋敷の料理長は、生憎とこんなものしか、皿の並べられた食卓の横に控えて恐縮して見せる。だがこちらは、味よりも量を優先した大衆食堂の安っぽさに慣れ切った、貧乏舌揃いである。上等な冷肉にふかふかとしたパンだけでも御馳走であるというのに、ちゃんと具が掬える温かいスープまで付いている。

 無邪気に皿を空にしてゆくギーベルの、美味い美味いと一口ごとに素直に零す賛辞に、食卓に同席したゴルドルフは果実酒の入ったグラスを傾けながら微笑ましそうに目を細めていた。

 食事が終われば三人は客間に案内された。屋敷の一階の北西に位置した部屋である。みっつ並べて置かれたベッドの真ん中に飛び込むように寝転がったギーベルは、こんなふかふかなのはじめてだ、満面の笑みで歓声を上げ、案内して来たメイドの頬を緩ませた。

「どうぞごゆっくりお寛ぎ下さい」

 深々と頭を下げ退がったメイドの気配が消えると、先程の食事の席から、元から不機嫌な顔を一層に不機嫌にさせていたヴォルフラムが部屋を横切り、窓に引かれたカーテンを開ける。夜に沈んだ向こう側の景色は黒一色で、窓辺に立つヴォルフラムを鏡のように写し出す。

 ぐるりと首を巡らせ、ベッドをはじめとした調度品の数々の値段を概算したクラウスは、やれやれといった感で肩を竦めた。

「魔法使いに頼りたいって向こうの事情は明かされたけど、こっちはそれっぽい格好をしているだけで、魔法使いだっていう確たる証拠は出していないっていうのに。素性が知れない上に突然の来客相手にこの歓待ぶり、裏を疑うには値するよね、流石に」

 入り口側のベッドに腰を下ろしたクラウスへ、まだ窓の外を窺いながらヴォルフラムがふん、と鼻を鳴らす。裏があるのはお前のほうだろうが。唾棄するように吐かれた言葉に、クラウスはへらりとした笑みで応える。

「裏って、なんのことだよ? クラウスはマルグリットを治せないし、ゴルドルフはそれでも構わないからここに好きなだけ泊まってけって、そういう話だったじゃなかったのか?」

「裏、かどうかはともかく、あの娘の目を治せないってのは噓だろ。いや、違うな。治せはしないが代替手段で見えるようにしてやれることは可能だってのが、真実なんだろ」

「御明察。流石のヴォルフラムでも、その程度のことは見抜けるようになったんだね。立派、立派」

「茶化すな。で、本当のところはどうなんだよ、魔法使い様?」

「彼女の両目が生まれつき死んでいる、という僕の見立ては真実だよ。他者に対して物理的に無に有を与える魔法は、今まで誰にも到達出来ていない領域の話だから、生まれつき無かった彼女の目を、有る状態に変えられないのも、本当のことさ」

 でも、と言葉を切り、クラウスはふたりに向き直る。

「外部情報を受信する眼球が機能して居ない、つまり死んでいるというだけで、それ以外の構造――そうだな、受信した外部情報を受け取る器官も、それを頭に伝える線も、ちゃんと機能している。それなら、眼球代わりの受信器官を拵えて正常に機能しているところに繋げてやれば、マルグリットは目が見えている状態になる筈だ。理屈の上ではね」

「それってつまり、どういうこと?」

「マルグリットの両眼を摘出して、ものを映すもの――魔法を付与させるなら、宝石が適当かな――、そういうものを埋め込んで適切に処置してやれば解決できるかも、ってことだね」

「かも、程度の話じゃねぇだろ。お前の手に掛かれば」

「無理です出来ません、他の手段はあるにはあるけど黙っています、で充分なんだよ。ひと晩世話になるだけの相手に対してなんだから」

「じゃあマルグリットはこの先もずっと、目が見えないまま、なのか?」

「一宿一飯の礼に自分の正体を明かしてしまうような、酔狂な魔法使いが現れない限りね」

 しょげたように肩を落とすギーベルと、ひとを食ったような笑みを浮かべるクラウスとを見て、全くとんだ道化が居たもんだ、苦々しく窓外に目を向けたヴォルフラムが、俄かに身を固くする。組んだ腕を半ば解いて、灰銀色の眼を長い前髪の下、鋭く細める様には尋常ならざるものがある。

 どうしたのんだよ。獲物を前にして身構える野生の獣さながらのヴォルフラムの気配に、ギーベルが声をかける。だがヴォルフラムは無言で、黙っていろ、と身振りで示すばかりだ。

 客人をもてなすことに心を砕いた居心地のいい客間にはあまりにも似つかわしくないヴォルフラムの放つ気配に、覚えず固唾を飲んだのは、数瞬かそれ以上か。どちらにしろクラウスも遅れて感じ取った異様な空気に、ヴォルフラムは勢いよく開けた窓の窓枠に足を掛ける。

「どうやら、お貴族様特有の寛大さってばかりじゃなかったみたいだな」

 皮肉めいた冷笑を浮かべるが早いか、ヴォルフラムはひらりと窓枠を越え、夜の闇に消えて行く。異変を感じ取ったのはギーベルも同様で、ここに留まるべきか、ヴォルフラムの後を追うべきか、開かれた窓の外とクラウスとを交互に見やる。両肩を出した服で剥き出しの左の二の腕に巻かれた包帯に、無意識なのだろう、ギーベルは爪を立てていた。

 こつこつと客間の扉が叩かれ、現れたのはクラウス達を出迎えた老僕だった。表面上は落ち着いているが、老いて枯れた顔は蒼白に近い。魔法使い殿、我が主が呼んでおられます。そのひと言に、クラウスとギーベルは同時に腰を上げた。

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