4
案内に立った子供は、宿屋だか居酒屋だかに雇われている雑用係の少年だった。12、3歳ぐらいか、人並みに背丈は伸びているが肉が追い付いていない痩せっぽちの後ろ背は、少しばかり頼りない。
町の中央を貫く大通りを進み、町外れから緩やかな上り坂になっている道の途中で、小ぢんまりとした聖堂を横手に見る。仄かに零れ出る光を後ろに辿り着いた屋敷は、屋敷と呼ぶより城塞と呼んだほうが相応しい、堅牢な造りをしていた。
重々しい両開きの扉の前には、上等な衣服を着込んだ老年の男がひとり、クラウス達の到着を待っていた。案内役の子供は老人とクラウス達に何度もぺこぺこと頭を下げると、そそくさと去って行った。そういえば道すがら何度かあの子に話しかけたけど、ひと言も口を利いてくれなかったなとギーベルは思う。
「ようこそお出で下さいました、魔法使い殿。我が主人がお待ちです。どうぞこちらへ」
恭しく自分たちに頭を下げ、無防備に中へと招き入れようとする老僕に、クラウスは不信感を募らせる。だが、この老人の様子を見るに、ここであれこれ問い質してもはかばかしい答えは得られないだろう。無駄に年を重ねて来てはいない老獪さは、信じるに足るものか、否か。ちらと肩越しに見やったヴォルフラムの、胡散臭い、と全身で訴える姿にはおどけた笑みを返す。道化が。小さく吐き捨てられた言葉は、聞かなかったことにしておいた。
老僕が屋敷の扉を叩くと、重厚なそれは音もなく内から外へと開かれた、扉の上部にはいくつか灯りが点されていた上に、老僕も煌々としたカンテラを提げていた。それでも、内側から溢れ出した光にクラウスもギーベルもヴォルフラムも、思わず瞼の上に手をかざさずにはいられなかった。
「ようこそ我が屋敷へ、魔法使い殿」
乾草のような、枯れてはいるが青々としていたかつての気配を残す、朗々とした声がクラウス達を出迎えた。眩しさに一瞬眩んだ目が慣れれば、いやらしくない程度に飾り立てられた玄関ホールの左右に使用人を並ばせ、大きく腕を広げ歓迎の意を示す男の、穏やかな笑みに迎えられる。
「宿屋からの使いの者から、話は聞いております。ですが――、失礼ながら、その、思っていたよりもお若いような」
「よく言われます。見ての通りの若輩者ですが、魔法使いとして路銀を稼ぎ細々と旅をしている身ですので、それなりの魔法は修めているつもりです」
なんならここでひとつ、魔法をお見せしましょうか。挑発的に相手を窺うクラウスに、男は、その言葉だけで充分です、慇懃に答える。
青年と呼ぶには年を重ね過ぎているが老年にはまだ遠い、40を超えるか超えないか、という男だ。外見だけを見ればそれよりも若そうではあるが、落ち着いた声には老境の気配を感じないでもない。間を取って40半ばくらいと見ておくべきかと、クラウスは素早く判断する。
男の左右に控える使用人らしい人間は、男女合わせて二十人ほどか。一様に客人に向かって深々と頭を下げたまま微動だにしない姿には、こんな寂れた町には似つかわしくない洗練されたものを感じさせられる。上は出迎えた老僕と同じ年頃の老人から、下はヴォルフラムと同じ年頃の者まで。服装から見ればそれぞれの役割も察せられる。屋敷の規模に対して少しの不足を覚えないでもなかったが、確か、と女主人から聞いた話を思い出せば、妥当な人数とも言える。
「私は先祖代々当地を治めております、ゴルドルフと申します」
「これはご丁寧に。僕はクラウスです。後ろの背の高いほうがヴォルフラム。背の低いほうがギーベル。どちらも僕の旅の仲間です」
「失礼ですが……、ヴォルフラム殿とギーベル殿は、随分と変わった髪と眼の色をお持ちですね。お二方も魔法使いなのですか?」
「彼らは魔法使いではありませんね。――ふたりはちょっと変わった生まれ方と育ち方をした者でして。奇妙に思われるかも知れませんが、悪さを働くような者ではないと、保証しますよ」
それも、そちらが信じてくれれればの話だが。言外に含めた皮肉を意に介した様子を見せないゴルドルフは、失礼なことを申しました、とクラウス越しにギーベルとヴォルフラムへ頭を下げる。自分よりも年下の人間にも慇懃に接することのできる、好感の持てる人物に見えるが、案外食わせ者かも知れないなと、クラウスはゴルドルフの、領主という立場に見合わない腰の低さに思う。
背後でまた音もなく扉が閉まった気配に、ところで、とクラウスは口を開く。魔法使いという肩書きだけでご領主様の屋敷に招かれたのは、一体どんな理由あってのことなのか。言葉を選んで慎重に問うクラウスにゴルドルフは、実は、と言いかけ僅かに片脚を後ろに引く。半身になった彼は、出ておいで、優しい声をやわらかに奏でる。すると、それまでゴルドルフの背後に隠れていたらしい少女が、彼の足に縋りながらおずおずと姿を見せた。
「私の娘の、マルグリットです。さあ、お客人の前だよ、きちんとご挨拶しなさい」
「魔法使い様と、お連れの方、はじめまして。私はマルグリット」
「はじめまして。僕はクラウス。後ろの灰銀の彼はヴォルフラム、金緑の彼がギーベル。よろしく、愛らしいお嬢さん」
赤毛の巻き毛と深い藍色の大きな目が印象的な、可愛らしい少女だった。彼女に良く似合う淡い緑色のドレスの裾を摘まんで、貴族式の挨拶をして見せるところは、流石領主の娘といったところか。
ただ。クラウスが身振りでギーベルとヴォルフラムを示して見せても、彼女の両眼は虚空を見据えたまま、客人のいずれにもその焦点が合っていない。そのことが気になると同時にひとつの推論がクラウスの胸に飛来した。
クラウスに紹介されたのを合図と見たか、ずっとそわそわと落ち着きのなかったギーベルがずかずかと歩み出る。そういえば今までの旅の中で、このくらいの年頃の女の子と接したのははじめてだったな。そうクラウスが悪い予感を抱くが早いか、ギーベルはマルグリットの前に膝を突き目の高さを合わせると、彼女の幼い手を無作法に取った。
「はじめまして、マルグリット! 俺はギーベル。お嫁さん探しの旅をしているんだ。ところできみは、何歳なんだ?」
ああまたか、と内心空を仰ぐクラウスを置き去りに、ギーベルはマルグリットの顔をまじまじと覗き込む。品定めをするような不躾は初対面の人間相手にやって良いものではないし、心証を悪くするだけだとあれほど口酸っぱく言い聞かせて来たのに。それに相手は今は寂れているとはいえ、領地を治める貴族様の娘御だ。不敬と取られてしまえば、返す言葉はない。
張り付けた笑顔の下でクラウスはギーベルを目で諫めるが、彼の行動に空気を読むという配慮がないことは、今まで散々学習させられてきていた。
突然手を握られたマルグリットは一瞬肩を強張らせたが、それは本当に一瞬のことに過ぎず、なんとはなしに砕けた様子で微笑みを返す。花が咲くような、とは陳腐な言い回しだが、そうとしか言いようのない鮮やかな笑みで、掴まれた手をギーベルに委ねたまま彼女は優雅に片方の手をそっと伸ばす。探るような幼い指先が、ギーベルの頬に触れた。
「私、今年で十一になりました、ギーベル様。――あら、お怪我でもなされているのでしょうか。頬になにか……、布、のようなものが」
「ん? ああ、それは、怪我とかじゃないんだ。ちょっと事情があってさ」
「そうなのですね。安心しました。――それにしても、ギーベル様のお肌は、なんだかひどく変わった手触りです。とてもすべすべとしていて、冷たくって……、なんだかまるで、陶器でできたお人形のよう」
ぺたぺたとギーベルの顔や体に手探りで触れるマルグリットの様子に、おい、といつの間にやら真後ろまで移動していたヴォルフラムがクラウスに囁く。なんだか妙だ、あの娘。忌避を露わにした耳打ちに、きみに言われるまでもないよ、憎まれ口で応えれば盛大な舌打ちが返される。
ギーベル。ひと言呼べば、良く言えば大胆、悪く言えば慎みのないマルグリットに面食らっていたギーベルが、少女の傍から離れる。一歩、二歩と後退するギーベルに代わって前に進み出たクラウスは、ゴルドルフを真っ直ぐに見据える。
「見当違いの見立てでしたら、非礼を先に詫びます。お嬢様――マルグリット様はもしかして、目が見えていないのでは?」
クラウスの指摘にゴルドルフは苦い笑みを浮かべ、ええ、と頷いた。
ギーベルの左頬に貼られた絆創膏を実際触れるまで気付かなかったことにも、同行者を紹介するクラウスの言葉に動かない視線にも、今ですら自分の前から去ってしまった人物を求めて見当違いの場所に目を向けていることにも、答えは用意されていた。
「この娘は生まれつき目が見えない、という話でしてね。クラウス殿のような魔法使いの方が現れたら我が屋敷にお連れするようにと、領地の者に命じているのも、詰まりはこの娘が理由なのです」
「なるほど。漸く、僕らのような素性の知れない旅人がご領主さまのお屋敷にお招きいただいたことに、納得が行きました」
「事前にこちらの事情をお伝えしていなかったことについては、不調法であったとお詫びいたします。ですが、下手にことを明かせば好ましからざる結果になりはしないかと、慎重にならざるを得なかった私の判断に、どうかご理解いただければと」
「その点に関しては、お気になされませんよう。今日はたまたま町の宿屋が満室になってしまっていて、僕らとしても困っていたところでした。こうしてお招きに預かれて感謝こそすれ、というものです」
にっこりとよそ行きの笑みを浮かべ、さて、と先ほどのギーベルを真似るように、クラウスはマルグリットの正面に片膝を突く。気配に敏感な性質なのか、自分の傍から離れて行ってしまったギーベルを求めるように上げていた顔を改めてクラウスに向かって下げた少女の眼は、やはり虚ろに、この近さでも焦点が合わない。
じ、と藍色の眼を覗き込むクラウスは、さて、と意気込んでみたは良いものの、これといって策がある訳ではなかった。マルグリットの前に翳した手を左右に振ってみたり、メイドのひとりに持って来てもらった灯りを近付けてみたりしても、彼女の目にこれという変化はない。
ゴルドルフは、マルグリットは生まれつき目が見えない、と言っていた。反応らしい反応が見られない以上、生まれつきなのかどうかはともかくとして、目が見えないということは事実なのだろう。仮にクラウスが医者であったならば、ここで匙を投げてしまっても問題はない。
だが、ゴルドルフは医者ではなく、魔法使いを求めた。その心は医術の領域外の力、ひとならざる力を行使して愛娘に光を与える、奇跡にある。
内心の嘆息は、決して顔には出さない。自分の立ち回りいかんで面倒ごとが起こりかねないという現状に対する面倒臭さも、心の奥底に仕舞い込む。魔法を使えはするが魔法使いと名乗れるほどの技量は持ち合わせていない、見た目通りの年相応なクラウスという名のひとりの少年の姿を、クラウスは常と変わらず装う。
己の本当のところは、己自身がよく分かっている。やろうと思えば、と、いく通りもの手段を弾き出せる頭脳に蓋をする。そんなことをしてなんになる。僕らの立場が危うくなるだけだ、見返りは僕らのためにはならない。だからこそ演じる道化だ、演じる切るしかない道化の姿だ。
腹を決めたクラウスはマルグリットの目を塞ぐように手をかざし、目を閉じる。呼吸を合わせ鼓動を合わせ、彼と我の精神を限りなく近付ける。マルグリットがまだ年端も行かない子供であったことはありがたい。自己が完成された大人相手では、こうもすんなりとことは運ばない。
瞼、眼球、神経、脳。見えない手でマルグリットの内側をひとつひとつ辿り、クラウスはひとつの解を得る。マルグリットが子供であって良かったとは思いはすれ、出会ったばかりの相手に必要最低限まで抑えた力で干渉するのは、流石に負荷が大きい。いつしか額に浮いていた汗を手の甲で拭い、クラウスはすいと立ち上がる。左右に振った頭へゴルドルフが見せた表情には、安堵に似たものが微かに、しかし確かに内在していた。
「本当に、――本当に残念なことですが、僕ではお嬢様の目を治すには力不足です」
「何故、と聞いても?」
「……マルグリットお嬢様の目は、見かけこそ普通のひとと変わりがありませんが、造りが不完全なんです。後から壊れたり不具合が生じたりしたものではない。聞こえが悪いこと言い方になりますが、マルグリット様が生まれた時から既に、彼女の目は死んでいたんです」
「治療する手立てはないと、そういうことですか?」
「――死んでいるものを生き返らせる、もしくは、死んでいるものの代替品を造り出す。そういった不可逆の摂理に反した行いは、契約の魔法使いの領分です。僕には、そこまでの力はありません」
「……やはり、そうなりますか」
気落ちしたような語調とは裏腹に、ゴルドルフは落ち着いていた。はてなと思うクラウスに弱々しく微笑みかけ、実は、とゴルドルフは抱き寄せたマルグリットの赤毛を撫でる。
「以前、この娘の目を診て頂いた魔法使いの方々からも、同じことを言われていたのです」
「同じこと……。なら、結果は分かり切っていることだったのでは?」
「他者の精神に干渉し、その肉体になんらかの変化を強制する魔法は、理論上確立されてはいるが、代償の大きさゆえに机上の空論にすぎない、でしたか。軽い怪我程度であれば、本人の心からの同意があれば可能性は見込めるが、この娘の目のような特殊なものは、下手を打てば魔法使い殿本人の命をも代償とさせるのだとか」
「そこまで知っているなら、何故僕に、マルグリットお嬢様の目を診させたんですか?」
「……これは、私にとっては大事な一人娘なのです。暗闇に置き去りにしたくはない、この娘の目に世界を見せてやりたい、浅はかな親心が希望を捨てさせてくれないのです」
「分かるような、分からないような、そんな感じ、ですね。――お役に立てなくて、申し訳ない限りです」
「いえ、良いのです。――そうそう、町の宿が満室、という話でしたね。クラウス殿、それにヴォルフラム殿にギーベル殿。あなた方が望まれるならどうか我が屋敷に好きなだけご逗留下さい」
「いや、そんな、恐れ多い。僕らとしては今夜ひと晩、寝る場所を提供して頂ければ、それで十分なんで」
「そう畏まらずとも。聞くところ、あなた方は旅をなされているのだとか。特に目立ったところのない我が領地ですが、住み心地は悪くないと自負しております。あなた方の行く先々で当地のことを語っていただければ、それが十分な対価と成り得ます」
ついでに旅のお話などもお聞かせ願えれば。どこか気恥ずかしげに付け足したゴルドルフの、領主らしく立派に紳士然としているが、どことなく年若い危うさのある姿に是非にと念を押されてしまえば、クラウスは頷くしかなかった。