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――僕が、契約者か否か、の話で、間違いありませんね。
湯気の立つカップを口許に運び、淹れ立てのコーヒーをひと口啜るクラウスは、勧められ腰を下ろした椅子の上で足を組み替える。ええ、とクラウスの正面の席に座るゴルドルフはぎこちなく頷く。彼の書斎の書架には、魔法の勉強をしていたという言に違わない書物が幾つも並んでいた。
「隠すのも誤魔化すのも面倒なので、正直に申し上げます。ゴルドルフ様が疑われている通り、僕はガイストと契約した魔法使いです」
「……やはり、そうでしたか。初めてお会いした時から――こう言っては失礼に当たりましょうが――年若い少年と相対している筈だのに、私よりも年長の方と相対しているような、そんな違和感を抱いていたのです」
「あちらこちらと旅をしている身では、年が若く見られるほうが都合がいいことが多々あるんですよ」
「確かに。クラウス殿の外見は、門弟として修業先を探すため、町から町へと旅をされていてもおかしくはない年頃に見えるでしょう。――実際のところは、お幾つなのですか」
「そう、ですね――、六十を少し過ぎた頃から数えるのは止めてしまいまいしたが、ゴルドルフ様の倍近くは生きているかと」
それは、それは。驚嘆とも呆れともつかない声を零し、ゴルドルフは唇を閉ざす。彼が本当に言いたいことは解っている。
精霊と相対する存在であるガイストと契約する方法は、秘されていない。魔法を修めようとすればそれは、禁忌の知識として初歩に教えられるものである。それは魔法とは関わりのない一般人にも、忌むべきものとして広く知られている。
火と水と風と土、基本はそのよっつの精霊の力を借りる形で発動する魔法の代償には、魔法使い自身の精神が求められる。ガイストが己が本能の求めるものを捕食対象とするのと同じ原理で、精霊は、生きているものの精神を糧のひとつとしている。つまりは人間と精霊の間で交わされる、精神を対価とした取り引きの結果が、魔法という形で発現するという寸法だ。
精霊は、その媒介あるところに必ず存在している。本来ならばそこに在るべくして在るだけのそれらに、超自然的な振舞いを求める魔法を行使するには、精霊を信じる心――即ち魔法使いの精神が必要なのである。
対して、ガイストの力を借りるには、どんな代償が必要か。ガイストは基本的に、生きているものに害成す存在である。ひとや獣を襲い血肉を喰らおうとするのは、彼らが存在するには他者の生命力が必要だからである。ひと度発生してしまえば脅威ではあるが、彼らには弱点も多い。たとえば彼らの大半は陽の光に弱い。陽の光が悪しき存在である彼らに浄化の作用を及ぼす、とはどこの宗派の教義だったか。理論的に解明されてはいないが、弱点であることに変わりはない。
他にも、ガイストが個として姿形を保ち続けることを困難にさせる弱点は、多岐に渡る。ひとの目に触れるガイストの多くは知性がほとんどなく、狂暴性に見合った破壊力が取り柄である。暴れたいように暴れ食らいたいように食らう、単純に尽きる衝動性に身を任せ活動する彼らだが、彼らとて生きているものであることに変わりはない。生きているならば死にたくないとあがくのは、人間も獣もガイストも変わらない。死にたくないから、死なないだけの生命力を他に欲する。それが、詰まりは――。
忌々しく痛ましい過去のことであっても、現実に起こしてしまったことに代わりはない。だから、クラウスはあえて口にする。口にしたくもない、出来れば記憶に蓋してしまいたい出来事だったとしても、その罪を負うのは他ならない自分だと、ひっそりと握った拳の内で爪を立てながら。
あれはもう、一体何年前のことになっただろうか。年々色褪せてゆく過去の中で決して薄れることなくはっきりと身に迫るのは、なすすべなく目前の光景を目に焼き付けるしかなかった、かつての己の無力さだ。
「村をひとつ、犠牲にしました。小さい村でしたが、老人や子供を含めて住民は百人はいたでしょう。そこに暮らしていたひとびと全てをガイストの歯牙にかけさせ、食い散らかされた死体ごと、村を焼き払いました。そうやって僕は、ガイストと契約した魔法使いとなったのです」
「……話には聞いていましたが、凄まじいものですね。クラウス殿はそこまでの犠牲を払ってでも、魔法使いとしての道を探求したかったのですか?」
「いえ、あれば僕自身の意思では――、いや、この話はこれまでとしましょう。それよりもゴルドルフ様がお聞きになりたいのは、マルグリットお嬢様のことでしょう?」
一呼吸間を置いてから、ええ、と頷いたゴルドルフは席を立ち、書架に歩み寄る。深紅の背表紙に金の飾り文字がきらめく一冊を取り出した彼は、開いた本のページをはらりと捲る。古い羊皮紙の立てる微かな音に耳を傾けながら、クラウスは続ける。
「他者を癒す魔法には、対象者に勝る精神が必要となる。対象者と近しい関係であれば、幾らか魔法使いの負担は減りますが、それでも成功するか否かは、賭けでしかない。賭けに勝つには、対象者が元々持っている精神を遥かに上回る精神でもって、挑まなければならない。けれども、どんなに精神が上回っていようと、どれだけ親しい間柄であろうと、成し難しいことに代わりはない」
「私はそう聞いていましたし、数多の魔法書にもそう記されていました。治療の魔法を使えるのは契約者のみだと断言する本すらありました。この屋敷に招いた多くの魔法使いも、同じようなことを口にされていました。だから私は諦めようと、――けれども」
「けれども、契約者である僕が現れた。昨夜の一件で、赤の他人にも魔法による治療ができることは、周知の事実となった。掠り傷を癒すような簡単なものではない、致命傷となってもおかしくはない怪我を治すほどの魔法を施してさえ見せた。ならばなぜ、マルグリットお嬢様の目を治そうとはしなかったのか。ゴルドルフ様はそう、仰りたいのでしょう?」
その通りです。呻くように呟くゴルドルフは、開いていた本をぱたりと閉じる。くるり、クラウスに向き直ったゴルドルフは不意に、深々と頭を下げた。
「お望みの金額は支払います。私が長年集めた魔法書も、余さず差し出します。そう願われるならば、領地の一部も譲渡しましょう。私にできることであるならば、あなたからの要求は全て飲みます。ですからどうか、我が娘を、マルグリットを――」
「……、面倒臭いなあ。ここまで来てまだキレイごととか、止めてくださいよ。本音を晒してください。僕だって、見せたくない手の内見せたんですから」
「本音、とは……?」
怖々と窺うように面を上げるゴルドルフに、クラウスは白けた調子で肩を竦める。すっかり冷めてしまったコーヒーを飲み干しカップを肘置きに置くと、短く閉じ開いた目でゴルドルフを見据える。その濃緑には、いつもの彼らしい飄々とした眼差しはなかった。
「ギュンターと町の中を見て回っている時に、小耳に挟みましたよ。ご領主様は若くして死別された奥方様の弔いのため、再婚する代わりに、今まで何度も生まれつき不具の娘を養子に迎え入れていた、って。魔法使いが町に立ち寄るたびにこの屋敷に招くよう指示したのも、不具の娘を治してやりたいがためだ、と。――あなたは一体今まで何人、自分にとって都合のいい子供を使い潰してきたんだい?」
「そ、そんなつもりは……。私はただ、不幸な身の上の子供を救おうと、妻との間にはできなかった子の代わりに、愛してやろうと」
「町では結構な評判でしたよ。奥方様を亡くされたばかりでなく、迎え入れた養子も次々と不幸に見舞われて、ご両親にも親類にも先立たれて、家族に縁のない不幸なお方、だとか。聞けば先代、あなたのお父上様が領主だった頃はまだ、宿駅や交易で外貨を得ていた時代から農業中心の自給自足の現在への転換が上手くいかず、領民からは大層な不興を買っていたとか。実利を求めすぎる先代と較べて、ゴルドルフ様は細やかな気配りのできる上に不具の養女を実の子のように愛することのできる、人徳もあれば懐の広いお方だとか、なんとか。――まあ、上手い手ですよね。こういう、人の流れが停滞した場所で人心を捉えるには」
さらさらと、流れる水のように言ってのけたクラウスに、ゴルドルフは微かに顔を赤くさせる。手にした本に思わずといった感で爪が喰い込む。その表紙の金文字を素早く読み、装丁ばかりが豪華で中身はないに等しい魔法書だなと、クラウスは断じる。
「あなたは――! あなたは、私の行いを愚弄するつもりですか! ああそうだ、確かに私は、父の傲慢がゆえに離れて行ってしまった住民の心を取り戻さなければならなかった! 父の尻拭いをしなければならなかった! 心広く、優しく、善良な領主の顔を、内外に示さなければならなかった! だから――! でも、本当に、私は――!」
「苦肉の策、とかいうやつですか。まあ、動機に幾らか不純なものがあったとしても、不具の娘に慈悲の手を差し伸べた心は純粋なものであったのは、なんとなくは解りますよ。けれど、あなたは、心広く、優しく、善良な領主という、美味い汁の味を覚えてしまった。――否定するつもりはありませんし、心掛け自体は立派なことだと思っています。でも、こんなことを繰り返しても、あなた自身にはきっと」
不意に言葉を切ったクラウスはやにわに立ち上がり、大きく切られた窓を背にする机の向こうに回り込む。両開きの窓を勢いよく開け放てば、重苦しい空気が室内に流れ込む。視えない手を頭上から押し付けられているような感覚に、ぐうと呻き片膝を突いたゴルドルフの反応は、まがりなりにも魔法について学んだがゆえだろう。ゴルドルフは気配に逆らわず服従の姿勢を取ったことで意識を保っているが、なんの備えのない人間ならば、即座に昏倒していてもおかしくない。それほど濃密にして強大な、なにもかの気配だった。
窓を開けると同時に警戒態勢を取ったクラウスも、防ぎきれなかった鋭い耳鳴りに頭の底を揺さ振られる心地を覚えている。こんな大物は久々だ。不調に軽い眩暈まで覚えながらも、脂汗が滲む顔に自然笑みを刻んでしまうのは、誰の影響か。脳裏を過る遠い顔をまばたきひとつで彼方へ追いやり、クラウスは窓枠に足をかける。
「あなた自身にはきっと、最期には虚しさしか残らないよ」
言いかけた言葉を最後まで音にして、クラウスは窓から飛び降りる。ゴルドルフの書斎は屋敷の三階に位置していたが、問題はない。唇をひらめかせ、ひとが操るそれとは異なる言葉を紡ぎ語りかけるクラウスに応えた風の精霊が、中空に道を造る。不可視の道の上から見下ろす屋敷を囲む森に、不自然にぽっかりと開けた一角を見止める。
直感にも憶測にも推理にも頼るまでもない、全ての元凶はあそこだ。危うげなく空を走るクラウスは、いつものマントと帽子がないといまいち気が締まらないなと、どうでもいいことを思った。




