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魔法使いの旅  作者: 斎藤充
第1章
20/26

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 ゴルドルフは町の被害状況の把握のため、朝早くから屋敷を出ているらしい。用意された朝食の席には、ギーベルの正面の席に座るマルグリットの姿があった。客人とはいえ相当の身分を持たない者と食事の席を共にするのは、貴族である彼女にあるまじき行いだろうが、マルグリット自身の希望とあっては、こちらとしても畏れ多いと断ることはできない。そういった事情はなんとなく理解はしているものの、ギーベルにとってはあまり好ましい状況ではなかった。

 マルグリットは傍らの侍女に時折介添えされながらも、実に器用に朝食を口に運んでゆく。目が見えないとは思い難い優雅な所作を前に、腹が空いているはずのギーベルの手は止まりがちになる。

「――と、いう訳で、僕らは今日中にはここを発とうと考えているんですが」

「左様ですが。今朝がた届けられたフェステからの書簡によれば、道中不具合があったゆえ到着が遅れる、とのことでしたので、クラウス様方には今少し留まって頂きたいと、旦那様は仰っておりましたが」

「そういう事情を出されてしまうと後ろ髪を引かれるけど、僕がここにいることを町のひと達はよく思わないんじゃないかな?」

「それは、どういう意味でしょうか……?」

 朝食の給仕をしていた老僕が、はてなと首を傾げる。クラウスは答えず、千切ったパンをスープに浸し口に運ぶ。

 食堂の扉が開かれたのは、正しくその時だった。扉の向こうには、血相を変えたゴルドルフと緊張した面持ちのギュンターとが立っていた。ゴルドルフはつかつかとクラウスに歩み寄ると、なにかを堪えるがごとく息を吐き、思い切ったように口を開く。

「クラウス殿……。まずは、昨晩のお働きに感謝を。町の建物には火災により相当の被害が出ましたが、クラウス殿とヴォルフラム殿がガイストを退けて下さったおかげで、負傷者こそ出しましたが死者は出なかった、と町の顔役が申しておりました」

「僕らは好き勝手にやらさせて貰っただけです。全ては町の皆さんが迅速に避難なされたからこそ、だと思いますよ。皆さんの避難誘導のために武器を取って戦って下さっていた方々も、きちんと退き時を心得ていたようですし、そちらのギュンター殿も相当の働きをなされたとか」

「そう、でしたね。ですが殿を買って出た彼らも、クラウス殿やヴォルフラム殿がガイストを引き付けて下さったおかげで、避難に踏み切れた、と。そうそう、避難誘導をしていた男衆から聞いたのですが、大怪我を負った者が――。……いえ、こういうことは率直に申し上げたほうがよいでしょう。――クラウス殿は、契約者なのですか?」

「……なぜ、そのようにお考えに?」

 朝食の残りを片付けながら平然と受け答えするクラウスを前に、ゴルドルフは信じられないものを見るような顔を見せる。老僕がさり気無く注意を引いて座らせた家長の席に腰を下ろしたゴルドルフは、戸惑いのこもった嘆息を深く吐き出す。額に手を当て考え込むゴルドルフに老僕がコーヒーの支度をしようとするが、領主は顔を伏せたまま手の動きひとつで制する。

「――負傷した者のひとりに、ガイストによって太腿を深く切り裂かれた者がいました。私も、彼のことはよく知っています。愛想こそ乏しいが、実直で、嘘の吐けない働き者です。その彼が言うことには、クラウス殿、あなたに傷の治療をして頂いたのだと」

「ああ、覚えてますよ。大きな納屋の前で血を流しながらガイストに囲まれていたので、僭越ながらお助けしました」

「聖堂に運び込まれた彼を看た医者が、脚を失っていてもおかしくはない傷跡は見受けられるが、骨も殊に太い血管も無事であるのは理屈が通らないと、そう言っていたのです。彼の者も他ならぬクラウス殿、あなたに治療されたと証言していました。彼と同じく住民の避難誘導に当たっていた者からも複数、同じ証言を得ています」

「わざわざ証拠を揃えなくとも、否定はしませんよ。あのまま放って置けば、ガイストに嬲り殺されるが早いか、血を失い過ぎて死ぬが早いか、という状況でしたからね。ほら、見殺しにするのって、気分のいいものではないでしょう?」

「……私は、才能こそありませんでしたが、魔法についてはひとかどの知識を持ち合わせていると自負しています。ゆえに、申し上げましょう。赤の他人の魂に触れ介入しその肉体になんらかの作用を及ぼせるのは、無尽蔵の精神を持つ、ガイストと契約した魔法使い――、つまりあなたは、契約者なのだと」

 面を上げたゴルドルフにき、と見据えられ、はっきりとした口調で断言されたクラウスは、応も否も言わず、ナプキンで口許を拭う。

 外傷を治療する魔法自体は存在する。正確に言えば、自己治癒能力を促進させる魔法である。

 病や怪我を負わず過不足ない栄養を摂取し十分な養生をしている限り、人間の、生物としての寿命は平均して八十前後、といったところか。それは五体満足十全に生まれたいのちならば、当たり前のように持ち得ている権利のようなものである。治療の魔法はその権利に土足で踏み込み、負傷が自然に回復するであろう時間を短縮する代わりに、その者が持つ限られた寿命を縮めるものである。

 生きている以上、己が死するまでの時を縮めるような行為を本能的に拒絶するのは、当然である。それは、心では制御し切れない、魂の拒絶である。ゆえに魂を守ろうと、精神は頑なになる。止むを得ない非常時にのみ使用すべきと暗黙の了解が敷かれて、禁術とまでされている治療の魔法は、一般的に、魔法を扱う魔法使いと近しい者、つまり近親者からの介入のみに効果があるとされている。

 脆く傷付きやすい魂を守る精神の防御を突破するには、魔法をかけられる者の精神を上回る精神が必要となる。しかし、たとえ圧倒的な精神力の差があったとて、魂が素直に応じるものではない。ゆえに日頃から対象者と親しい立場にある近親者による魔法が有効なのであろうと、理論上ではそう定説が流布している。しかし、魂にはたらきかけることは、生半なことではない。比較的成功率が高いとされる近親者でも、一割か二割が精々だ。下手を打てば魔法使いと対象者が共倒れになるやも知れない、危険な魔法である。

「クラウス殿は赤の他人に治療の魔法を施し癒して見せただけでなく、ガイストらとも戦われた。あなたの使われた魔法を視ていた者によれば、少なくとも、火と風の魔法を扱っていた、とか。ギュンターにも聞きました。この町を囲む石壁にガイストに対抗する魔法をかけた折には、土の魔法を扱っていたと――」

「そこまで証言を揃えられた以上は、反論は無意味でしょうね」

「では、やはりあなたは契約者――」

「その話は今ここですべきではないでしょう。マルグリット嬢には刺激が強すぎる事柄を含みますから」

 では、続きは私の書斎で。苦い顔でゴルドルフは席を立つ。老僕に書斎へふたり分のコーヒーをと申し付けた彼は、足早に食堂を去って行った。残された老僕は、ではクラウス様も、まるで今までのゴルドルフとクラウスのやりとりなど見ていなかったかのように、恭しく案内に立つ。

 こうなっては仕方がない。やや肩を竦め腰を上げるクラウスに、ヴォルフラムが鋭い視線を寄越す。怒りとも呆れともつかない彼の目は、面倒なことになった現状に対する非難を多分に含んでる。状況自体を完全に理解してはいないまでも、妙に緊迫した空気は感じ取れたらしいギーベルから向けられる不安げな眼差しよりは、よほど心強い。

 じゃあね、と軽く手を振り食堂から去って行ったクラウスに続いて、ヴォルフラムも席を立つ。到着が遅れるという話ではあるは、フェステの人間がこの町に訪れるのは決定事項だ。荷物らしい荷物も持ってはいないが、有事の際には直ちに出立できるよう、準備をしておくに越したことはない。

 慌てて食べかけのパンを口に押し込んだギーベルはヴォルフラムに続こうと、椅子を引く。その音にぴくりと反応したマルグリットが、食後の紅茶にジャムを垂らす姿勢のまま、その幼く愛らしいろうたけていやらしい見えない眼を、うっとりと半ば伏せて見せる。

 テーブルの下で伸ばされた少女の爪先が、ちょんちょんとギーベルの脛を突く。

「あなたに、あなただけに見せたいものがあるの」

 少女の静かなうっとりとした声はむせ返るほど甘く、決して抗えない魔力じみたものが滲んでいた。

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