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話を整理しよう。ゴルドルフの屋敷に戻り、あれこれと詮索される前にと、疲れているので詳しいことは明朝にして欲しいと断りを入れ与えられた客間に入ったクラウスは、手早く湯を浴びると落とされた腕を禁術である治癒魔法でくっ付けながら、静かに切り出した。
腕を切り落とされた時点で一時的に時を止めていたらしい患部から、思い出したように流れ出す血は容赦なく、ベッドのシーツを赤に濡らす。主要な血管と骨、神経、筋肉が繋がれば、応急処置は完了だ。額にいやな汗を浮かべ強がりを口にするクラウスの傍らに座るギーベルは、おろおろと不安げな視線を揺らす。俺ができることは、右手の親指に鋭い歯を立てようとしたギーベルを、クラウスはやんわりと制する。大丈夫だよ。緩やかに目を閉じたクラウスは、ふ、となにかに区切りを付けるように息を吐く。
「まずは、今夜のガイストの来襲について。ゴルドルフの話じゃ、ガイストが町に来るのは数日置きってことだった。なのに、昨夜に続いて今夜もガイストは町に現れた」
「町の周りの壁には、ガイストが近付いて来たら分かるように、クラウスが魔法をかけてたんだろ? それじゃなんで、町にガイストが侵入り込むまで分からなかったんだ?」
「それについては、答えは明白だ。僕が施した魔法は全部、上書きされていた。目茶苦茶でお粗末でなんの役にも立たない魔法だったけど、少なくとも、僕が望んでいた結果を台無しにできるだけのものだった」
「てことは、町が無防備のままガイストに襲われるかも知れない状況を、誰かが意図的に作った、ってとこか」
「そういうことになるね。ついでに言うと、僕が施した魔法を妨害する魔法は壁のこちら側、つまり、町の内部からかけられていた」
「じゃあ……、町に住んでる誰かが、今夜もまたガイストが襲ってくるかもしれなくて、それから、クラウスが間に合わないかもしれないって状態にしたってこと?」
「魔法云々に関しては、大体そんなとこだろうな。――それより気になるのは、ガイストの数だ。力は大して変わらないが、量はケタが違っていやがった」
「そこも気になるところだよねえ。人型に近い容を取っている以上、町の周辺の墓地に埋葬されている死体を媒介にしたものだって考えるのが、まあ、お手本通りな訳なんだけど。ヴォルフラムは戦ってみてどう感じた?」
「……今夜のガイストは質が違っていた。あれは、群体で動くものだ。個々の意識ってもんが、まるで感じられなかった。そうだな、昨夜のガイストが未練の塊みたいなもんだとすれば、今夜のはどっかの誰かが操る人形、みたいなもんか」
「うーん……、つまりさ、昨日の夜と今日の夜とじゃ、かたちは同じだけど、性質? 在り方? そういうのが、全然ベツモノだった、ってこと?」
そうだねえ。どこか上の空で呟くクラウスは、見かけは元通りになった患部にきつく包帯を巻く。素人目にはまさか切断されたとは思えない彼の右腕だが、多分に内側は見た目通りではないのだろう。上辺を取り繕うのはクラウスの得意とするところだ。どうせ今回も煙に巻くつもりなのだろうクラウスに下手な詮索をしても益はないと、ヴォルフラムはギーベルの疑問について思案する。
かたちは同じだが性質は異なる、と解釈した彼の言は、的を射ていた。直接対峙したヴォルフラムも、同じことを感じていたからだ。
昨夜のガイストも群れで行動してはいたが、個々で状況を判断し対応するだけの知能は持ち合わせていた。ヴォルフラムが強敵と見るや、闇雲に前進することを避け、死角から攻撃を繰り出したり数体が連携して襲い掛かかろうとしたりと、頭を使った小賢しさを見せていた。
だが、今夜のガイストどもは全くの無策だった。傷付けられても斃されても仲間の死を乗り越え踏み越え前進するばかりの考えなししか、あの場にはいなかった。ガイスト自体の強さは先に言った通り、昨夜とさほど変わりはなかったが、個々として動かれるのと群体として動かれるのとでは、対抗策を変える必要がある。昨夜のガイストどもの小細工を相手するのは面倒だったが、そこそこ楽しめた。今夜の相手は作業的に倒すだけで十分の、面白みのない連中だった、というのがヴォルフラムの率直な感想である。
「今までのは仮初のいのちを与えられた生きる屍で、今夜のはそれを模した黒幕の分身みたいなもの、と見るべきかな」
「親玉ありきの騒ぎだってことか?」
「そう考えたほうが、辻褄が合うと思わないかい?」
「まあ、定期的にこの町を襲ってるって話からすれば、大喰らいの何者かが手下使って獲物集めしてる、って仮定は理に適うな」
「低級のガイストじゃあ、ひとの命を喰らったところで、大半が消化不良起こして身にならないからね」
夜に身を潜め現れるガイストの大半は、弱った獣や家畜を好んで襲う。人間がガイストの歯牙にかかったという話はあるにはあるが、多少の例外を除けば、不可抗力の域を出ない。食事を邪魔された、ガイストに対抗しようと武器を振り上げられた、だから殺した。一般人の耳に入る限りの被害は、大抵そんなところだ。
人の世の歩みに付かず離れず姿を見せるガイストの正体は長い間議論が交わされているが、未だ定説というべきものは確立されていない。この世に未練を残して死んでいった者の魂の成れの果て、という見方が一般論として広く浸透してはいるが、それだけでは説明のつけられないことが、ガイストには多すぎる。
おおよそ人間とは似ても似つかない多種多様な姿形に、個体によって差がありすぎる能力、いきものの血肉を求める者がいるかと思えば、金や銀、宝石といった貴金属を捕食対象とする者もいる。嬉々として暴れ回る個体が存在する反面、いきものを怖れてひたすらに逃げ惑う者もいる。ガイストとひと口に称してはいるが、多岐に渡る個々の性質を果たして無視して良いものか、学者連中の悩みの種だとも聞く。
その学者連中は詳細な分類は後回しに、ある時期から、ガイストの脅威度によって等級付けをする指針が固められた。この辺りの話には対ガイスト国家機関フェステが関わっているらしいが、ヴォルフラム達には関係のない話だ。とかく、昨夜と今夜、ヴォルフラムとクラウスが戦ったガイストは、数は多いがいずれも低級と区分されるものであった。
高等のガイストの中には相当の知能を有し、人語を解し、魔法によく似た個別の能力を扱うという。クラウスの言う通り、今までの、そして昨夜と今夜の町への襲撃が、裏で手を引く高等のガイストの巡らせた策によるものならば――。ヴォルフラムの背筋に走る微かな震えは、好敵手を想うがゆえの武者震いである。
「とかなんとか言ってはみたけれど、ゴルドルフの話じゃ、明日辺りにはフェステの連中が来るらしいし、あれやこれやまるっと彼らに任せるのが一番だよね」
「ここまで深入りしといて、退くのかよ、お前は」
「退くさ、勿論。寝床と食事の分の恩は返したし、なにより、フェステの連中と鉢合わせはしたくないからね、僕は」
「でもさ、俺、やっぱりマルグリットのことが気になるんだ」
おずおずとしたギーベルの言葉に、クラウスは顎に手をやる。あのお嬢様も気になりはするけど、あれこそ深入りすべきじゃないと思うんだよなあ。どうにも歯切れの悪いクラウスに、ギーベルが身を乗り出す。
「いやな感じがするのは本当だし、なんでか分からないけど、マルグルットのこと、こわいって思う。けど、でも、このまま放っとくのも駄目な気がするんだ」
「根拠はあるのかよ」
「ちゃんとしたのはない、けど……。でも、予感がするんだ。全身がざわざわするっていうか、この辺りが落ち着かないっていうか、そんな予感が」
ここ、とギーベルが示したのは、左胸の上である。強張った表情でふたりに訴えるギーベルを暫し眺めていたクラウスは、答える代わりに欠伸をひとつ溢す。
「一旦休もう。久々に土と火の精霊を相手にしたから、僕はもう疲れた。疲れすぎたし、傷も痛むし、頭を回すのも面倒になってしまった。この町を発つにしても、朝を待ったほうがいい、いいと思う、いいに決まってる。――そういうことなんで、お休み」
棒読みの台詞を捲し立てたクラウスはベッドからギーベルを追い払い、汚れたシーツを剥がしたマットの上にさっさと横になると、頭まで毛布を被ってしまう。
普段は時と場に応じて飄々と意見と態度を変えては上手く立ち回っているクラウスだが、時にこうして意固地に己の意思を貫こうとするとすることがある。彼の食えない性格に見知っているヴォルフラムとギーベルにして見れば珍しいことではあるが、面食らうほどのものでない。だが、この唐突な言動にはいつまで経っても慣れそうにもない、というのが本音である。
「クラウスの言う通り、朝まで寝ちゃったほうがいいのかな?」
「その程度のことぐらい、自分で決めろ。俺は休む」
「う……、じゃあ、俺も寝る」
じゃあお休み。自分のベッドに潜り込んだギーベルは寝付けないらしく、ぐずぐずと何度も寝返りを打つ。下手に口を開かれる前にと、ヴォルフラムはランプの灯を消し、ベッドではなく窓際に向かう。窓の下に座り込み腕を組み、壁に背を預け目を閉じる。普通の人間が当たり前にそうするように、温かくてやわらかなベッドで眠ることに抵抗感とも拒否感とも言えないものを覚えたのは、一体いつだったか。
聴覚と嗅覚は平時のまま、意識の一部を眠りの中に落とす最中、ふと覚えた疑問の答えは既に出ている。出てはいるがまだ受け入れられない無様な心を持て余し、ヴォルフラムは眉根を寄せた。




