17
町のほうからの伝令が逐一屋敷に駆けこんで来る騒々しさはあるものの、マルグリットの周囲は昨夜と同じく、ひどくひどく、騒ぎには似つかわしくないほどにひどく、落ち着いたものである。
場所は、ゴルドルフの屋敷の二階にあるひと間。ギーベル達に与えられた客間よりふた回りは広いその部屋には、幼い子供特有の、無垢な甘さが沁み付いている。万一のためにと、侍女によって寝間着から平服に着替えさせられたマルグリットは、毛足の長い絨毯の上に重ね置かれたクッションに半ば埋もれながら、眠い目を擦り見えない眼をしばたたかせている。
今にも眠ってしまいそうなマルグリットの幼い体を支えるのは、かいがいしく少女の世話を焼く年若い侍女ではなく、居心地悪げに身を固くしているギーベルだった。
昨夜も、そうだった。屋敷の守りを任せられたギーベルは、玄関前で待機するつもりだった。それを邪魔したのはあれやこれやと口喧しい使用人らで、話の流れというものなのだろうか、気付けばマルグリットや年配の使用人らとともに食堂に待機されていた。屋敷の内に留まるなら留まるで、屋敷の主であり領主であるゴルドルフの身辺警護をすべきであるのは、流石のギーベルでも判断できた。それすら叶わなかったのはひとえに、ギーベルの腰に縋り付き離れようとしないマルグリットの姿があったからだ、
気心が知れているであろう侍女の言葉にも耳を貸さず、一心にギーベルを求めるマルグリットを、はじめは騒ぎに怯えているだけなのだろうと思っていた。けれども、そうと気付いた時にはもう、光を求めるかのように見えない眼をギーベルに向けていた少女の顔は、誇らしげに笑んでいた。
――これは、あなたにだけの、秘密のお話なの。
傍らに座るギーベルの耳許へ手探りに唇を寄せたマルグリットは、少女少女した甘い声を耳孔に吹き込む。
――今は、騒がしくて痛ましくて悲しいばかりのことなのだけれど、終わりは全部うつくしいの。そういう風に、できているの。
こっそりと耳打ちされた言葉を、さて、どう解釈したものか。クラウスほどの頭を持っていれば理解できるかも知れないが、ギーベルは所詮、世間知らずのギーベルでしかない。昼間にクラウスに相談しておけば良かった思ったところで、あの時はあの時で、庭園で出会ったマルグリットの異様な雰囲気に飲まれ切っていて、そんな余裕はなかった。
「町のほうだけじゃなくて、このお屋敷の中も騒がしくって、私、とってもこわいわ」
ぐいと身を寄せてくる少女に左腕を掴まれ、ギーベルは身を固くする。二の腕に巻いた包帯の下の感触を確かめようとする小賢しい細い指に怖気を感じても、このちいさな女の子を振り解き突き放すなんてことなんて、できやしない。
人間は、ことに幼い人間は、ギーベルが思っている以上に脆くて壊れやすいものなのだと、故郷で口酸っぱく教えられていた。大人であっても、女人はやさしく扱わなければいけないとも、教わった。未だ微妙な力加減を掴めていないこの身では、なにが悪手になるか分かったものではない。脳裏に響くのは、きみにとっては不本意であろうとなかろうと、きみがそう決断してここにいるのなら、あらゆる場面で人間の真似をしなくちゃいけない、そう、今にして思えば珍しく真面目な顔をしていた、出会ったばかりの頃のクラウスの言葉だ。
「マルグリットは、本当に、本当にさ、――怖いの?」
「そんなずるいこと、言わないで。女の子の本心を問うなんて、マナーに欠けているわ」
「そんなヘンな意味じゃなくて! えっと……、じゃあさ、友達? の本音を知りたい、って思って聞くのは?」
「ああ! そうね、そうだったわね! ギーベルと私はお友達だったものね!」
じゃあ、あなたにだけは、教えてあげるわ。抱き付かんばかりのマルグリットは、ギーベルの左頬に貼られた布を愛おしげに撫でる。秘された真実を見透かさん手付きで、なにもかもを暴き尽くしていると言いたげな表情で笑う彼女は、少女であって少女でない。艶やかに華やかに咲き誇る毒花の色が、そこにはあった。
「こわいけれど、こわくはないの、私。――だってね、もう少しで、もうすぐにでも、私はいちばんに望んだものを、手に入れられるから」
「きみが望んでるものって、一体――」
「それは、望みが叶ってからのお楽しみよ。ああ、本当に、本当に、早く早く、その時が来てくれないかしら!」
そうしたらきっと、あなたの本当のうつくしさを、私が、私だけがちゃんと見てあげられるわ。私はその時が、とっても楽しみでならないの。お父様があんな汚らしい場所から出してくれて、こんな立派できれいなお屋敷に迎え入れてくれた時と同じくらいに、いいえ、いいえ、それ以上に、私は今、望みが叶う時を待ち遠しく思う今が、楽しくて楽しくて仕方がないの!
錯乱しているのかと疑いたくなるほどの熱っぽい口調で捲し立てられ、やっぱりこの子はいやな感じがする、ギーベルはぎゅ、と固く手を握り締めた。




