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いやあ、疲れた、疲れた! 部屋に入るなり大声を上げたクラウスは、使われた形跡のない扉側のベッドに勢いよく倒れ込んだ。帽子と重たいマントを床に投げ捨て、上着までもその変に放り出し楽な格好となったクラウスは、肌触りの良いシーツに顔を埋め、今にも寝てしまわんばかりである。体の落ち着く場所を求めてうごうごとベッドの上で身じろぐクラウスを制したのは、窓辺に立っていたヴォルフラムが放った枕だった。
「痛いじゃないか」
抗議の声をクラウスは上げるが、上等な羽毛の詰まった羽枕だ。頭を預けるには頼りないやわらかさを、ヴォルフラムは既に体験している。
「寝る前にやることがあんだろ?」
「ああそうだね。土の精霊と交渉してきたから、あっちもこっちも土塗れだ。湯でも浴びなきゃ、折角の上等なベッドが汚れてしまう」
「んなことはどうでもいい。どうせ俺が言いいたいことなんざ、お見通しの上で抜かしてんだろ」
「はいはい、情報共有ってやつね。全く、きみは腰が重い癖にひと使いが荒いんだから」
ぶちぶちと文句を垂れつつ起き上がったクラウスは、ベッドの端に腰掛ける。厭味ったらしい語調はいつものことなので右から左へ流し、ヴォルフラムはまず、真ん中のベッドに寝そべっていたギーベルに話を向けた
「屋敷の周辺はどうだった? 気になるもんや気配みたいなもんはあったか?」
「気配はあったよ。もうそこら中、気配だらけ。でもいまいち出所がはっきりしなくて、なんかもやもやするばっかりだった。あ、でも、この屋敷の中にいる分には、そういうものは全然感じないなあ」
「屋敷自体に強力なガイスト除けの魔法が掛かっているのは、僕も確認済みだ。ガイストだけじゃなくて不浄なもの、ちょっとした呪いとか悪意とかかな、そういうものの干渉も防ぐ、強力なものだ。この屋敷を建てた人物は、相当にひとに恨まれるかも知れない後ろ暗いことでもしていたのかもね」
「お前でも気配の出所は掴めなかったのか? 手掛かりのようなものも感じなかった、と?」
「どこって言えば、そうだなあ、そっちの木の多いところ、そこらへんに他の場所よりも強い気配を感じたんだけど」
そっち、とギーベルが指したのは、ヴォルフラムが背にしている窓の向こうである。ヴォルフラムは思わず窓を開いて辺りを確認するが、屋敷の外壁から少し離れたところに密生している木々に視界が阻まれている以外、特段変わったところは見られない。深く吸い込む息にも、樹木のにおい以外に感じ取れるものはない。あえて言うなら、目に見える範囲の密度に反して、木の香りがいささか強いくらいか。
「そう言えば、屋敷の周りを見て回ってる途中でマルグリットに会ったんだけど、あの子も、なんか気になるんだよなあ」
「彼女が気になるのというのは、僕も同感だね。ギュンター――僕と一緒に町のほうを見て回ってくれた、小間使いの彼だね――彼に聞いたんだけど、マルグリット嬢はゴルドルフの実の娘ではないそうだ」
ゴルドルフ、とあえて敬称を付けず呼び捨てにしたクラウスの言葉の響きには、朝の食堂で交わした慇懃さは失われている。驚きを露わにするギーベルへ、クラウスは手短にギュンターから聞いた彼と彼女の出自についてを語った。
「貴族特有の慈善行為、と言えば聞こえはいいけど、おかしな話だなあ、と僕は思う訳だよ」
「なにが? マルグリットは捨てられた子だったんだろ? 実の親に捨てられるなんて、すごく悲しいことだ。今のマルグリットは確かに目は見えないけど、ちゃんとご飯を食べられて服が着られてこんな立派なお屋敷に住んでる。そうしてやったことは、悪いことじゃないんじゃないのか?」
「……死に別れた妻以外の女を娶る気がない以上、跡取りとして養子を取るのは理に適っている。が、見目も頭も悪くはないとはいえ、全盲の娘を跡継ぎに近い立場に迎え入れるのは、下策だな」
そういうこと。わざとらしく片目を瞑って見せたクラウスに、ヴォルフラムは最大限に不機嫌な表情を返す。この男の、嘘とも真ともつかない道化たところは、多分に一生慣れることはないだろう。
「統一国家成立運動のわりを食って、先代くらいの頃から領地の経営方針を変えざるを得なかった、って話だったけど、町の様子を見た限りじゃ住民に特別困っている様子はなかったし、貧富の差も多分にないに等しい。土の精霊たちのなかには、勝手に農地に改良された土地に対する遺恨も混じってはいたけれど、現状はそれなりに満足している様子だった。経営方針としては現状維持が最適解だろう。ゴルドルフには、自分と領民をこの先もしばらく養える未来が待って居る訳だ。――と、なれば跡継ぎ問題が出て来るのは必定だ」
「……マルグリットじゃ、跡継ぎにはなれない、ってこと?」
「なれない、って訳じゃないけど。――実際あの娘は年頃になれば相当な美人になるだろうし、一度社交界に出れば、領主の一人娘で稀代の美貌の持ち主云々で、引く手数多ってやつになるとは思うよ。ただ――」
「いくら見た目と肩書がよかろうが、あれは魔法を持ってしても治る見込みのない、全盲の娘だ。そんな娘に喜んで尻尾を振るような連中の腹なんざ、分かり切ったもんだろ」
「そうなっちゃうよねえ。精々が田舎貴族の次男坊三男坊、マルグリット嬢の不俱を理由に、ゴルドルフにとって不利な条件を吹っ掛けて来るかも知れないし、そうされても文句は言えない。マルグリット嬢を一人娘とした時点で、詰んでるんだよねえ」
「そんな、マルグリットをまるで、道具みたいに……!」
「道具なんだよ、実際。お貴族様にとっての子供なんてのは」
こういう話は気が滅入る。肩を竦めて見せたクラウスに、枕を抱え込んだギーベルは納得のいかない顔で頬を膨らませる。できれば人間社会の、こんなにも醜いばかりの駆け引きなんかに触れさせたくはない、というのがクラウスの親心じみた本心だが、きれいな上辺だけでは渡って行けないのが世の中というものであり、人間というものである。
「そう言えば、ギーベルの感じた、マルグリット嬢の気になるところってのは、なんだい?」
沈みかけた空気を払拭しようと明るく問うクラウスに、ギーベルは複雑な表情で床に目を落とす。言うべきか、言わざるべきか。迷う心はきつく抱き締める枕を離さず何度も無意味に組み替えられる手に現れていた。
なんとなく、なんとなく、なんだけどさ。間を置いて言葉を濁すように口を開いたギーベルの声からは、何時もの快活さはすっかり抜け落ちていた。ふいと逸らした金緑の眼は、壁に掛けられた絵に向く。この国と周辺諸国を大まかに描いた、どこでも目にする大雑把な地図だ。
「――怖い、って思ったんだ。マルグリットは目が見ないことは知ってるけど、それでもあの子はなにかを視てる。視てるからあんな風に……、なんて言えばいいのかな、上手くちゃんと言葉にできないんだけど、怖く笑えてる。あの子は、マルグリットは、まるで俺たちのことを全部見抜いてるみたいで、俺は、それが怖いって思って」
「……視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。それらのいずれかを失った者は、失った感覚を補強する為に残された感覚が鋭くなる、って話だけど。ギーベルの様子を見るに、マルグリット嬢にはそういうものには当てはまらないなにか、を得ていると見るべきだろうね」
「根拠は?」
「言わずもがな。並みの人間や僕やヴォルフラムならともかく、ギーベルが実際肌身に感じたことだよ。信用するには材料は充分じゃないか」
それともお前には反証に値するものを隠しているのか。そう、満面の笑みで無言のまま問うて来るクラウスは心底腹立たしいが、反論し擁護する義理をマルグリットに持っているはずもないヴォルフラムは、確かに、と心中素直に納得する。
目に映るものすべてが珍しいらしく、好奇心旺盛で向こう見ずな性格のまま、人間で言えば十五、六くらいの見た目に反し、幼児さながらの言動を繰り返し散々手を焼かせる相手ではあるが、ギーベルの直観力は並外れている。なんだかんだで共に旅をするようになって以来、時には助けられもしたギーベルの能力を疑う心は、ヴォルフラムの中にはなかった。
渋々、といった感にヴォルフラムが諸手を挙げて見せれば、クラウスは、宜しい、と大仰に頷いて見せる。ギーベルの色んな意味で常識外れなところも苦手だが、クラウスの、いやに年長者ぶった勿体ぶる態度もヴォルフラムの苦手とするところである。俺のほうがこいつより年上なのに、との悔し紛れの言葉をヴォルフラムはぐ、と飲み込む。
「じゃあ、次は僕だね。まず、町の被害状況は――」
時折雑談や脱線を挟みはするものの、要領よくまとめられたクラウスの報告は、ヴォルフラムにもギーベルにもすんなりと飲み込めた。
昨夜の一件で目立った人的被害はなし。町に侵入したガイストによって多少建物が破壊されたものの、早期発見したクラウスによって延焼は免れた。住民の避難を誘導する青年団の一部が怪我をしたが、生死に関わるような重傷者は出ていない。
ガイストの侵入経路は、昨晩ヴォルフラムが当たりを付けた場所で相違ない、ガイスト除けの魔法が破られた一角を起点とし、町のぐるりを囲む石壁には、土の精霊の力を借りた検知の魔法をクラウスは施した。つまり、クラウスはガイスト出現の兆しをいち早く感知できるようになった、ということらしい。
そして、対ガイスト国家機関、フェステから派遣された隊員がこの町に到着するのは、ゴルドルフの言を信じるならば、数日後。
「乗りかかった船、ってやつになるのかな。生憎と急ぐ理由がない僕らだ、付き合ってやること自体に損はないね」
こんな豪華な部屋に上等なベッドで休める機会はそうそうないし。湯を浴びて小ざっぱりとした様子のクラウスは今度こそベッドに潜り込み、暫くごそごそとやってから、寝息を立て始めた。ギーベルはつられたような欠伸をひとつ、俺も昼寝しよっと、真ん中のベッドに大の字で寝転ぶが早いか、すうすうと寝息を奏でる。
ひとり残されたヴォルフラムは仕方なしに窓から身を躍らせ、ギーベルが変な気配がすると言っていた木立の方角を向き、壁に半身を預け腕を組み座り込む。人間の作ったものは、体に合わない。うららかな陽光に微かな葉擦れの音、囀る鳥の声を聞くうちにヴォルフラムもまた、浅い眠りに身を沈めていた。




