第六話 公爵と初対面
「アルフォンス・オルロー公爵でお間違いありませんか?」
「いかにも。僕がこの街の領主だ」
隣で頬が引き攣っている侍女を肘でつつき、わたしは公爵に向き直る。
「お初にお目にかかります。ラプラス侯爵が長女、ベアトリーチェ・ラプラスと申します」
「えぇ、ようこそ。来てくれてありがとう」
(あら、意外と丁寧な喋り方ね)
見た目に反した物腰の低い態度にわたしは拍子抜けした。
婚約の内容が内容だし、もっと横柄な態度を取られるかもと思っていたから。
「お荷物を、レディ」
「あ、ありがとうございます」
公爵は荷物を持つシェンに手を差し伸べた。
(なるほど。女をとっかえひっかえ、ね)
侍女にも優しくする態度は好ましくもあり、僅かに女慣れを感じる。
シェンが荷物を渡すと、アルフォンスは荷物を執事へ手渡しする。
あまりに少ないのを怪訝に思ったのだろう。後ろを覗いて首を傾げた。
「荷物はこれだけかな?」
「えぇ。私物は少なくするほうですの」
「そうか」
納得したらしい。
(根がいいのか、愚かなのか、判断がつかないわね)
今のところ噂のような悪辣さは感じないが、婚約破棄されたばかりの女に婚約を打診するくらいだ。しかも『成金令嬢』に求婚するくらいだから、よほどの変わり者には違いないだろう。
「では行こうか」
アルフォンスはエスコートに手を差し出した。
紳士的な態度をやはり好ましく思いつつ、わたしはその手を取る。
「えぇ。案内してくださると嬉しいわ」
「……」
「オルロー公爵?」
わたしが手を乗せても一向に動かず、呆けた顔で口を開ける公爵様。
怪訝に思って問いかければ、彼は我に返ったように動き出す。
「し、失礼。その、少し驚いた」
「驚いた?」
「気を悪くされたら申し訳ない。では行こう」
わたしは城下町の治安の良さから、公爵城もそこまで悪くないのではと予想していた。だけれど案内された公爵城はなんというか……噂以上に悪かった。
「……えぇっと。ここに住んでいるのですよね?」
「うん。お恥ずかしい限りだけど」
(そうでしょうね)
言葉にこそ出さないものの、思わず頷いてしまう。
元は色とりどりの花々が咲き誇っていたのだろう城の前庭は、今や雑草だらけで見る影もない。城の窓ガラスは割れており、玄関ホールには絨毯も敷かれていない。調度品が一つもないのは仕方がないにしても、壁の一部が崩れていて、瓦礫がそのまま転がっている状態だ。
「……掃除は出来ていませんの?」
アルフォンスはばつが悪そうに目を逸らした。
「それが……使用人の数を最低限にしていてね、そこまで行き渡っていないんだ」
「はぁ」
聞いたところによれば、この広い公爵城を三人の侍女で回している状態らしい。
確かにその程度の人数なら廃城のようにもなるか。
「……わたしと結婚する前に城のほうを直したほうがいいのでは?」
特に今回はラプラス侯爵家が長女を売り渡すような体なのだし。
このような有様で五百万ゼリルを支払えるのか、と暗に問いかけると、
「正直、僕もそう思うのだけど……ただ、公爵家としてのお世継ぎを残す方が先だと言われて。ほら、僕もそろそろ年齢が年齢だからさ」
「確か……今は二十八歳でいらっしゃったかしら?」
「うん」
わたしも人のことは言えないけど、二十八といえば立派な行き遅れ男子だ。
今のオルロー公爵家は先々代王弟殿下の直系に当たるから、血筋を絶やすわけにはいかないんだろう。
王家が本当にどうしようもなくなった時、王位継承権すら発生する家柄なのだ。
五百万ゼリルは公爵家として張らざるを得ない見栄なのかも。
「……では、掃除用具はありますか?」
「え? もちろんあるけど……」
「わたしが掃除します」
「……あなたが? 本当に?」
「はい。何か問題でも?」
城を修繕するお金がなくても、掃除くらいは出来るはずだ。
わたしがそう告げると、なぜか水を打ったように静まり返った。
「……どうしたのかしら?」
「……侯爵家のご令嬢が掃除すると言い出したことに驚いたのかもしれません」
「ぁー……なるほどね」
こそこそと囁いてくれたシェンに頷き、わたしはアルフォンス様に向き直る。
「仮にもここの女主人となるのです。掃除道具の場所くらい把握しておくのが当然でしょう?」
「……そうか。分かった」
アルフォンス様は嬉しそうに微笑んだ。
「あとで侍女に教えるよう言っておきます」
「はい。あの、ちなみに寝室は……」
「あぁ、大丈夫。ここが一番ひどいから。ちゃんと片付いてるよ」
わたしはホッと胸を撫で下ろした。
さすがにここのような部屋で寝られる気はしないから。
「まだ知り合ったばかりだし、とりあえず部屋は別にしておくよ」
「お気遣いありがとうございます」
(女好きっていう噂だけど……そういうところはちゃんとしているのね)
豚公爵の見た目こそ噂通りだが、逆を言えばそれだけだ。
わたしはこの時点で例の噂のほとんどが嘘っぱちだと確信していた。
「これからよろしくね、ラプラス嬢」
「こちらこそよろしくお願いいたします。オルロー公爵様」
◆◇◆◇◆
「なんだか噂と全然違いますね」
ラプラス家の令嬢と侍女が二階に消えると、筆頭執事のエルトッドが呟いた。
信頼する部下の言葉にアルフォンスは言葉を返す。
「お前もそう思うか、エル」
「はい。ラプラス侯爵令嬢といえば莫大な富を笠に着たお調子者で、人に偉そうにするくせに自分は動かないだとか、常に上から目線で爵位が下の令嬢を虐めているとか、およそ聞くに堪えない所業が聞こえてきたものですが」
「やはり噂は噂ということかな……エル」
呼びかけると、腹心の部下は「心得ております」と腰を曲げる。
「ラプラス令嬢とその周りを調べる、ですね?」
「その通りだ。頼めるか」
「仰せのままに……気に入られましたか?」
「……そんなに早く女性に惚れるほど軽い男じゃないよ」
ただ、と彼は続ける。
「僕のこの見た目を見て、エスコートを嫌がらなかったのは彼女が初めてだ」
「さようでございますか」
使用人のような仕事を嫌がらず、自ら掃除道具の場所を聞いたことも好感を覚えた。ただそれだけのこと──しかし、誰でも出来ることではないことをアルフォンスは知っている。
「今夜は彼女の好物を用意するように。皆、礼儀を以て接しなさい」
『仰せの通りに、旦那様』