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第四十一話 父から贈るたった一つのもの

 

 王都に住むベティは屋敷と王城を行き来する日々だった。

 毎日朝早くに起きて、夜遅くに帰り、領地の仕事をするような日々。


 ──今だけだ。今を越えれば、きっと。


 私は自分にそう言い聞かせた。

 辛いのは今だけで、今度こそ間違えていないと。


 けれど、私がそう思えば思うほど、ベティが笑っていないことに目がいく。

 私やフィオナが話しかけても、表面上取り繕うだけで、ベティは疲れがたまっていった。


 せめて侯爵領の仕事だけでも私がやらねば。

 今までベティに任せていた分を引き受け、私は仕事をすることにしたのだが、


『お父様、あの、こちらの書類なんですけれど……』


 私の書類のミスに気付いたベティがやんわり言ってきた。

 他領の商家とのやり取りの金銭ミス。あってはならないミスだった。

 私の失敗を訂正するという新しい仕事が増えたベティは取り繕ったような笑みで言った。


『お父様、ここはわたしに任せてくれて構いませんから、お休みになられては? せめて余計な仕事を……ぁ』


 ベティは失言に気付いたように顔を蒼褪めさせた。


『申し訳ありません。わたし……』

『いや、いい。気にするな。私が悪い』


 本当に、ただただ情けなかった。

 娘の仕事も肩代わりできず、足を引っ張ってしまうような愚図。


 聞けば、王妃はベティを重宝するあまりスパルタ教育を課しているという。

 国のためといえばそうなのだろうが、大事な娘がここまで疲弊しているのを見て居られなかった。


 そこでようやく気付いたのだ。

 あの王妃がベティを道具としか思っておらず、感情のない化け物だということに。


 ──また、失敗してしまった。


 私は激しく自己嫌悪した。

 もう死んでしまおうかと何度も思った。


 一生懸命やりたいのに、娘の力になりたいのに。

 娘が目の下に隈が出来るほど頑張っているというのに支えることも出来ず。


 なんとかしようと手を尽くせば、二人目の妻に財産を持ち逃げされる。やることなすことが裏目に出て、私室で一人泣いている娘を慰めてもやれず、その涙を止める方法すら分からない。


 どうしたら、また娘が笑ってくれるようになるんだろう。

 あの狡猾で冷酷な王妃の人形になるのが、本当に幸せなのか?


 アリアが生きていた頃の……。

 何の心配もなく、ただ心のままに輝いていたベティに、どうやって戻ってもらえる?


『どうか……この子たちを……幸せに、して、あげて……』


 アリアの言葉を思い出す。

 そうだ。私は、ベティを幸せにしなければならない。


 王太子妃という重圧を背負い、

 朝早くに起き、夜遅くまで働き、王妃の人形になることが幸せではない。

 あの感情のない怪物の手から守ってやるには、強い男が必要だ。



 ──今度こそ、失敗は出来ない。



『ごほッ、ごほッ、はぁ、はぁ……』


 執務室で血を吐きながら、きつく拳を握りしめる。

 私は、肝臓を患っていた。

 十代の頃から浴びるように酒を飲み続けてきた弊害と医者に言われた。

 余命はおよそ三年。それまで、かなり苦しむことになるだろうと。


 別に死ぬのは構わない。苦しむことも、私に相応しい代償だろう。

 だがその前に、ベティを、フィオナを。

 私のような弱くて情けないクズじゃなく、信頼できる者に託さねば。


 やることなすこと裏目に出る私の、最後の戦いだ。


 私は祖父の代から付き合いのあったオルロー公爵領とコンタクトを取った。

 亜人博愛主義などと言われて貴族社会で爪弾きにされた一家だ。

 今代のアルフォンスは太りやすい体質らしく、人の目を避けて公爵領にこもっていた。


『あなたの娘を、僕に……? でも確か、あなたの娘は』

『ジェレミー第一王子と婚約中だ。だから別れさせる』

『!?』


 ジェレミーとベティが上手くいっていないことは耳にしていた。

 ベティが懇意にしているナナンからの情報だ。確かなものだろう。


『ジェレミーは、王妃の操り人形になることを恐れてる。それを利用する。権力に縋る愚かな父親を演じ、婚約破棄に協力すると同盟を持ちかける。きっと……いや、絶対に呑むはずだ』


 あの王子と私の境遇は似ていた。

 両親からの愛に飢え、一人の人間である証が欲しかった。

 私と同じ弱い人間だ。彼の気持ちはよく分かったし、利用することも簡単だった。


(きっとアリアは、こんな形で利用してほしくなかっただろうな……)


 弱い人の気持ちが分かるからと、アリアは私を励ましてくれた。

 私は弱い人を利用するクズで、娘一人のために王家を敵に回すロクデナシだ。


『レノア子爵令嬢は野心家で、王子の容姿に惚れてる。ジェレミーは十中八九、ベティよりもレノアを選ぶだろう』

『だけど、そうなったら伯母上が黙っていない。あの人の恐ろしさは』

『それは私が一番良く分かっている。だからアルフォンス。君が守ってくれ』


 オルロー公爵領のあるソリュードは亜人たちが集まる火薬庫だ。

 王族からは亜人戦争時に彼らを見捨てた負い目もあるだろうし、仮にも公爵という立場上、下手に手出しは出来ない。当時は魔石鉱山で豊かになりすぎていたから、その財力を削ぐためにも見捨てたのだろうが、私にとっては好都合だった。


『王妃が外交に出かけている時に婚約破棄させる。ベティは傷つくかもしれないが、王妃の人形として生きていくより、君の元にいるほうがいい』


 アルフォンスの人柄は知っている。

 確かに容姿は良いとは言えないが、誠実で優しく、剣の腕も確かな男だ。

 この男にベティを託してしまえば、王妃も、他の貴族も下手に手出しは出来ない。


(ベティを狙うのは王妃だけではないからな……)


 優秀なベティは社交界で目を付けられていた。

 いつ囲い込みが始まってもおかしくない状態だったのだ。


『無論、王妃はベティを諦めないだろう。そこは私に任せろ』

『……何か、策があるんだね。教えてくれるかい、どうするつもりなのか』

『西方諸国連合に『海王』の生態を教える……と脅す』

『は?』


 海王。海に住まう魔獣の王をそう呼んでいる。

 かの魔獣がいるから西方諸国連合はこちらに軍を送りこむことが出来ない。

 魔力とやらに反応するかの魔獣は、貿易船しか通れないのだ。


 しかし。


『どんなに強くても魔獣は生き物だ。眠る時間や、隙が出来る時間もあるだろう』


 それを調査し、教えれば、この国は……いや、この大陸は終わりだ。

 王妃はベティから手を引かさざるを得ない。


『君は……娘のために国を売るつもりなのかい!?』

『王妃がベティを人形にしようとするならば。それも厭わない』

『そんなことしたら確かにその子は助かるかもしれないけど、君は……!』

『捕まるだろうな。まぁ、反逆罪で捕らえられても……ごほっ、ごほッ』


 その頃には死んでいるだろうから、問題ない。

 どうせ死ぬ命だ。家族の幸せのためにやるだけやって死ぬさ。


『娘には、言わないのかい』

『言えるわけがない。言えば反対される』

『だからって、冷たく当たって嫌われるようなこと……ちゃんと話せば分かってくれるだろう?』

『王妃が怖いから国を売って幸せになれと? 君はそれを、あの子が呑むと思うか?』

『……』


 ベティは賢い子だ。それ以上に優しい子だ。

 自分を犠牲にして話が済むなら、それでいいと思うような子だ。


 何よりこの作戦は自死覚悟の特攻。

 すべての責任は私にあるし、それ以外にあってはならない。


 万が一ベティが協力して、それを王妃に知られたら?


「……それに私は」


 ベティに、合わせる顔がない。

 領地の仕事を肩代わりさせ、子育てまでさせて……

 今さら、どの面下げて父親面出来るというのだ。


『幸い、フィオナのことは心配しなくていい。貴族院までは王妃の手も伸びないはずだ。あの子は私と違って落ちこぼれでもないが……ベティのように飛びぬけて優秀というわけでもない。私の死後、ベティがなんとかしてくれる』


 あれもこれもやろうとするから、失敗する。

 私の命を差し出せば、きっと神も今回は許してくれるはずだ。


『……分かった』


 しかして、アルフォンスは頷いた。


『でも、彼女が拒絶すれば話は別だよ。僕はこんな見た目だし、領地だって豊かとは言えない。いくらあなたの娘でも、三日で逃げ出すんじゃないかな』

『ふ。それはない。あの子は私たち自慢の娘だからな』


 私とアリアの、大事な娘だ。

 愚図な私から生まれたとは思えない、最高の子供だ。


『言っておくが、泣かせたら殺す。定期的に様子を見に行くからな』

『……分かったよ。おっかないなぁ、お養父さん』

『まだ君に父と呼ばれる筋合いはない!』


 すべて、上手く行っていた。


『お前のせいで我が商会の看板に傷がついた。せっかく王妃に気に入られたというのに、すべてを台無しにするとはどういうことだ?』

『それは……ですから、アレは冤罪で……』

『なら、この場で証明できるか?』

『……っ』


 ベティの辛い顔を見るのは辛かった。

 ベティが、誰かを虐めるなんてことをするはずがない。

 私は娘の顔を直視できず、目を逸らした。


『出来ないなら全部お前が悪い。侯爵家の恥晒しめ』

『……そもそもわたしと婚約破棄したら王妃が黙ってるとは思えません』


 そうだ。王妃は黙っていない。

 だからこそ、この作戦は成り立つ。


『侯爵家からお前に侍女はつけない。それを伝えておこうと思ってな』


 侯爵家の使用人はほとんどが王妃から紹介された者達だ。

 彼らをベティの側につけるわけには行かなかった。

 幸い、ベティが優しくしていたシェンが彼女の側に行くことになった。


 密かに同行させようと思っていたら、退職届を出された。

『お嬢様が居ないお屋敷に用はありません』そう言ってシェンは部屋を出た。

 その背中を見送っていた私は、涙を禁じ得なかった。


 あぁ、見ているか? アリア。

 私たちの娘は、一人の人間に、あそこまで言ってもらえるようになったんだ。

 金でもない。権力でも、容姿でもない。

 ただベティの中身を見て、忠義を尽くすと言ってくれる子がいるんだ。


 私はベティの出立を見送らなかった。


 ……ごめんなぁ、ベティ。


 私が、こんなにも情けないばかりに。お前には苦労ばかりかけた。

 領主としての責務も果たせず、ロクに子育ても出来ない。

 情けない父を許せとは言わない。

 お前は、何も知らなくていい。


 誰がなんと言おうと、私はクズだ。

 父親と名乗る資格もない、どうしようもないロクデナシだ。


 お前の名を呼ぶことすら出来ない、最悪の男だ。

 こんなことで許してくれなんて言える資格はないけれど。



 なぁ、ベティ。



 お前は今、笑ってくれてるだろうか?




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― 新着の感想 ―
[良い点] 決して強くはない人物の、不器用で強く大きな親心。 [一言] ボロボロ泣いてしまいました パパやなやつと思っててごめん…
[気になる点] 最後は話せるのかな? 話しせず別れはないといいな。 [一言] ここに来て、真実知ると、かなり悲しい。
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