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第四十話 父の弱さ

 

「ごほ、ごほ」

「旦那様、しっかり……気を確かに持ってください!」


 私──ヘンリック・ラプラスは侯爵邸の廊下を歩いていた。

 いつも歩き慣れた道を進むのに足取りは重く、亀のような歩みだ。

 我ながら不甲斐ない──いや、らしい(・・・)と呼ぶべきか。


「問題ない……もう少し、だからな。最期くらい、仕事はきちんとやる」

「……っ」

「クリス……彼らは?」

「王妃から紹介された使用人たちは全員解雇しました。今残っているのは先代から仕えている者だけです」

「そうか」


 二階の踊り場へ行くと、玄関ホールに使用人たちが集まっていた。

 不甲斐ない私を支えてくれた古参たちは私を見て「旦那様」とざわめき立つ。


「旦那様、お加減は?」

「歩き回って大丈夫なのですか?」

「後は私たちに任せて、ゆっくり休んでください!」


 ふふ。こんな私にはもったいない言葉だ。

 私は本当にいい使用人と……家族に恵まれた。


 庭師のボブは幼い頃から無茶をいって困らせたし、専属料理人のリィヤの料理は毎日楽しみだった。母の侍従で最高齢のジョアンには頭が上がらない。そして家令のクリスには本当に執務の仕事を手伝ってもらった。彼らがいなければ、今の私はない。


「皆の者、こんな私の元で、今まで良く働いてくれた」

「旦那様……」


 私は息を吸い込んだ。


「只今を以て、ラプラス侯爵家は解体とする!」

「……!」

「お前たちの献身は、決して忘れない。新天地でも健やかにな」


 眦に涙を溜めた使用人たちは一斉に頭を下げた。

 一人、また一人と去って行く彼らの背中を見届け、私は私室のベッドに倒れ込む。


「……長かった。ようやく、終わる」


 このろくでもない人生に──終止符を打つ時が来たのだ。





 ◇◆◇◆





 私はラプラス侯爵の次男坊として生を受けた。

 貿易大臣に任命されていた侯爵の息子として厳しくしつけられたように思う。

 私には兄が居た。とびっきり優秀な兄が。


 父や母は口酸っぱく『兄』のようになりなさいと言う。


 私は努力した。可能な限り頑張ったのだ。

 寝る時間は出来るだけ削ったし、講師にはたくさん質問をして理解を深めた。



 しかし、どれだけ頑張っても兄の足元にも及ばなかった。



 勉学でも負け、狩猟の腕でも負け、人柄の良さでも負けている。

 そんな私に『ラプラス家最悪の落ちこぼれ』と評判がつくのに時間がかからなかった。家庭教師や使用人たちから陰口を言われたことを、今でも覚えている。


『お兄様はもっと出来がいいのにねぇ』

『一生懸命なのは分かるけど、結果が伴わないと意味ないわよ』

『あの人は侯爵家に相応しくないよ。万が一の時の保険みたいなものさ』


 私に求められているのはラプラス家の血を絶やさないための種馬。

 結局のところ、関係がなかったのだろう。


 私がどれだけ努力したところで、

 私がどれだけ兄を目指したところで、

 父や母が名を呼ぶのは、いつだって兄の名前だけ。


 さらに私を恥ずかしめたのは、兄が優しかったことだ。


『大丈夫か?』


 兄は優しかった。木陰で泣きべそかく私の側に居てくれた。

 私がどこに隠れても兄は私のことを見つけてくれた。


 兄は下々の身にも優しく、使用人たちにも評判が良かった。

 武芸に優れ、知略に優れ、将来はラプラス家をさらに発展されていくことを期待されていた。



 ……私とは大違いだ。



 私は兄の優しさに甘えられず、やさぐれた。


 努力をやめた。

 礼儀作法をやめた。

 貴族であることすらやめようとした。


 酒瓶を片手に街をぶらつき、ゴロツキと喧嘩する。

 血と汗でまみれた身体を酒で洗って酔っぱらうような退廃とした日々。

 そんな私に両親が見切りをつけるのも早く、私は家から追い出されることになった。


 それを止めたのが兄だった。

 兄は私のことを庇い、私を見ていなかった両親を糾弾した。

 私は余計に惨めになっていたが、そのおかげで追放は免れた。


 その代わり、ダメな私を更生すべく嫁を取ることになった。

 その当時、西方諸国との貿易で大きな利益を上げていた商家である。

 貴族と渡りをつけたかった商家とダメ息子を更生したいラプラス侯爵家の思惑が重なり、私は貴族らしく政略結婚をすることになった。


『あなたがヘンリックね? 私はアリア! よろしくね!』

『誰がよろしくするか、バーカ』

『淑女に馬鹿とはなんですか、旦那様とはいえ許しませんよ!』

『うが!?』

『次に言ったら慰謝料を請求しますから、そのつもりで!』


 アリアは私と違って、強い女だった。

 やさぐれている侯爵家の次男坊を張り倒すことを厭わない気の強さ。

 私が保有していた金をまるごと管理し、酒は一日にグラス一杯までに制限された。


『あなた、根は優しいんですから、シャンとなさいな!』


 なんだこの女は、と思った。

 私の何を知っているんだ、と思った。


 しかし、嫁の尻に敷かれた私に発言力はなく、私はアリアと共に商会の仕事を手伝うようになった。アリアは機転の利く女だった。どんな無茶な商談でもひっくり返し、最後にはまるごと勝利をもぎとってしまう強い女だった。それでいて雷を怖がり、雨の日は私の布団に潜り込んで震えて夜を過ごすような、可愛らしい一面もあった。私がアリアに惹かれるのに時間はかからなかった。


 ラプラス家と縁を結ぶという商家の都合上、アリアは兄と交流することもあり、私は密かに恐れた。私のすべてを上回る兄にアリアも惹かれてしまうのではないかと。夜、寝所を共にした私が思わず弱音を漏らすと、アリアは『馬鹿ね』と優しく微笑んだ。


『あなたは確かに弱いかもしれない。だけど、無辜の民に暴力を振るったことは一度もない。私ね、思うの。弱い人の気持ちが分かるあなただからこそ、出来ることがきっとある……届く言葉がある。だから、あなたはそのままでいいと思うわ。今のあなたが、私は好きよ』


 私は溺れた。アリアの優しさに、懐の深さに。

 人生で初めて私という自分を見てくれたアリアに心底惚れてしまったのだ。


 それからほどなく、アリアとの間に子供が出来た。

 生まれた子供は『ベアトリーチェ』と名付けられた。


 きっとこの時の私は、世界で一番幸せだっただろう。

 愛する妻がいる。娘がいる。

 最初は上手くいかなかった仕事もようやく上手くいき始めた。


 アリアはベティの教育に力を入れ、自分の持てるすべてを叩き込んでいた。

 この時の、ベティの物覚えの良さといったら!

 私は嫉妬すら忘れるほど、娘の成長が誇らしくてたまらなかった。


『アリア! ベティがもう読み書きを覚えたぞ! すごいな、お前もベティも、すごいな!?』

『あなた、大袈裟よ。それくらいで騒がないで』

『騒がずにいられるか! 私の妻と娘は最高だ! はははは!』


 あぁ、本当に幸せだったとも。

 きっと幸せという言葉を辞書で引けば私が出てくるくらいには。


『ヘンリー、おめでとう、お前に似て可愛いじゃないか』

『頭の出来はアリアに似たんだ。羨ましいだろ』


 その頃になると私は兄とも交流を持つようになって、過去のわだかまりを解かしていた。兄は私の幸せを一番に喜んでくれた。子供が生まれて駆けつけてくれた兄が『良かったな』と泣いてくれた時、私は一緒に泣いた。泣いて詫びた。これまでのこと、優しくしてくれた兄を避けていたことを。兄は『いいんだ』と言って笑ってくれた。それが嬉しかった。



 ──その兄が、死んだ。



 王都からの帰り道、両親と共に領地に帰ろうとした最中のことだった。

 凶暴化した魔獣に襲われ、護衛は全滅。両親と妻子もろとも死んでしまった。

 兄の妻のお腹には子供がいた。

『だいぶ遅れたが、ようやくお前と同じ父になれるよ』と喜んでいた矢先のことだった。


 私はラプラス侯爵の血を引く者として、領地を継がなければならなかった。


『私には、無理だ……兄上のようには出来ない』

『大丈夫よ。あなたなら出来るわ。私も支えるから』


 私たちはアリアの父に商会を任せ、領地の運営をすることになった。

 悲しみに暮れる私だけじゃ絶対に破綻していただろう。


 しかしそこはアリアである。

 二人目の子供であるフィオナをベティに任せ、私が補佐に回り、実質的な運営はアリアが行うことで破綻は免れた。


 私は家族が死んだ悲しみから少しずつ立ち直り、アリアのおかげで笑えるようになった。

 そうだ、兄が死んでも守らなければならない。愛する家族。アリアと、ベティと、フィオナと、私で、侯爵家を盛り立てねば。


 ──そう、思っていたのに。


『うぐ……!』

『アリア……!?』


 アリアが病になった。

 余命一ヶ月を宣告される、不治の病だった。





 ◇◆◇◆





『逝かないでくれ。頼む。アリア。私は……俺は、君が居ないと……!』

『……ごめんね』


 私は日に日に弱っていくアリアの手を握る事しか出来なかった。

 国中から名医と呼ばれる医者を探し出し、手を尽くさせたが……。

 普段は強気でどんな苦境も跳ねのけてしまう彼女も、病には抗えない。


『お母様、しっかり……!』

『お母様、やだ、やだよぉ……!』

『あなた……この子たちを、お願い』


 泣きじゃくるベティとフィオナの頭を優しく撫でるアリア。

 弱々しいその腕が私の頬に触れて。


『どうか……この子たちを……幸せに、して、あげて……』

『アリアぁ……!』


 私たちが見守る中、アリアは息を引き取った。

 幼いフィオナの泣き声が虚しく響いていたことを覚えている。


 私はベティとフィオナを、ひいては侯爵領を守るために立ち上がれ──なかった。

 あれだけ動いていた足は鉛のように動かず、頭はどうしようもなく働かない。

 まるでアリアと出逢う前にやさぐれていたあの頃のように。


『お父様、お仕事が……』

『…………』


 ベティは気遣わし気に声をかけてきたが、私は答えられなかった。

 それどころか娘一人に侯爵の仕事を押し付け、酒に溺れた。


 だって無理だろう。私なんかが。

 私はアリアが立ち上がれたから何とかやってこれただけで。

 アリアが居なければ私など、何の取り柄もないクズ同然なのだ。


 幸いにもベティは超がつくほど優秀だった。

 侯爵領をなんとか維持しようと奮闘する娘の姿に、私は虚しくなった。

 結局のところ、私が居なくてもベティが何とかしてしまえるのだと。


『とーたま……かーさま、どこ行ったの……? お腹空いたぁ……』


 フィオナがアリアの部屋で飲んだくれる私にそう言ったのを覚えている。

 私は『用意させるよ。一緒に食べよう』と言った。

 けれどフィオナは瞳に涙を浮かべて言ったのだ。


『やだやだ! かーさまと一緒じゃなきゃやだ! とーたまなんて、や!』

『……っ』


 駄々をこねるフィオナをどうやって宥めればいいのだろう。

 途方に暮れた私に騒ぎを聞きつけたベティがやってきて、フィオナをあやした。


 領地の経営だけじゃなく、育児まで。

 私は何一つ満足に出来ず、惨めさばかりが募るようになっていた。


 なにかしなければならない。あの子たちのために。

 私は焦りと寂しさから、二人目の妻を迎えることにした。


 アリアの時も上手くいったのだから、商家の娘がいい。

 ベティが居ない間にフィオナをあやせる、おっとりして優しい女だった。


 きっとこの人が居ればベティを、フィオナを幸せに出来る。

 惨めで何も出来ない私よりも、同じ女である彼女がいたほうが安心だろう。


 実際、ベティは複雑そうな顔をしていたものの、二人目の女を受け入れてくれた。フィオナも同じだったから私は尚更安心して、再び立ち上がる気力が湧いてきたのだ。


 ──上手くやれている。

 ──大丈夫だ。アリアが居なくなったのは寂しいが、私は頑張れる。


 残された二人の子供のためにも頑張ろう。

 いつも、私がそうやって決意した時に限って厄災が起きる。


 亜人戦争が起こった。


 亜人たちを優遇していた侯爵家は彼らの暴力を受けることは少なかった。

 けれど、亜人を遇する私たちをよく思わない貴族たちが不当に関税を引き上げたり、商品の製造に使うための原料を届けないことが多発した。亜人たちの中にも同族の決起に立ち上がらんと、大量に仕事を放棄し、その結果、侯爵領は見事に落ちぶれた。


 ──二人目の女は財産を持ち逃げして出て行った。


 あの女はラプラス領を裏で操ろうとしていた貴族の手先だったのだ。

 そうと気付いた時にはもう遅く、人手不足、資金不足、材料不足、あらゆる厄難に襲われ、ラプラス侯爵家の借金はどんどん膨れ上がっていた。私はまた酒に溺れた。もう終わりだと、何度も思った。そのたびに立ち上がるのは、私以外の誰かだった。


『いいえ、まだ終わりではありませんわ!』


 ベアトリーチェ。

 彼女は在りし日のアリアを思わせるきびきびとした指示を下していく。

 またたく間に黒字になっていく経営を見て私は惨めさよりも、誇らしさで胸がいっぱいだった。


 私の腕の中で小さく震えていた娘が、こんなにも大きくなった。

 何事からも逃げ出して、惨めで愚かな私と違って、こんなにも頼もしく。


 私は娘の雄姿を見て、再び頑張ろうと思った。

 こんな、侯爵領をダメにしてしまうような親だけれど、幼いフィオナもいる。

 ベティの代わりに社交界に出入り、侯爵領の支援先になるような貴族と渡りをつけた。


 ベティは貴族とのやり取りを苦手としていたから、影ながらサポートできたように思う。

 実際彼女の仕事は油を塗った歯車のように上手く回り出した。


 そんな時である。


『ねぇ、ヘンリック。あなたの娘、あたくしの息子にどうかしら』


 王妃の提案。つまり王太子妃。

 私はその話に飛びついた。


 ──王妃が後ろ盾になればベティも幸せになれるに違いない!

 ──侯爵領の経営も安定するだろうし、もっと楽をさせてやれる!


 この時は、本当にそう思っていたのだ。

 ベティは第一王子との婚約を喜んでくれた。

 それが家のためになるなら、と少し言い淀んでいたことは気になったが、今はまだ戸惑っているだけで、生活が安定するようになればそんな顔もしなくなるだろう。



 ……本当に、そう思っていたんだ。



 ベティが、笑わなくなるまでは。




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