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第三十四話 雨の音

 

(絶対に見間違いよ。見間違いに違いないわ)


 どんよりとした空の下、公爵家の馬車が走っていく。

 車窓の外にぽつりと張り付いた雫は、やがて大きな雨脚に変わっていった。


(アルはあんなところに行かない。だってわたしのことを好きって言ってくれたもの……みんなの前で、言ってくれたもの)


 先ほど見た人影を勘違いだと自分に言い聞かせる。

 だけどそうやって考えれば考えるほど芽生えた疑心の種は大きくなって。


(思えばアルとわたしはまだ部屋を一緒にもしてない……公爵城に来たばかりの頃、アルが夜中にどこかに出かけるのをわたしはしっかり見ていたわ)


 あの時は別に何とも思わなかった。

 わたしだって女だし、男性のそういった衝動についても理解しているつもりだ。

 ああいった場所がなければ犯罪率が増加し、逆に良くないのも分かってる。


 アルだって男なんだし、そういう衝動くらいあるだろう。

 まだ結婚もしていないわたしを置いてそういう場所に行ってもおかしくないはずで。


 ──でも、告白した今日?


「わぁ、すごい雨ですね。お嬢……お嬢様!?」

「どうしたの、シェン」

「あの、どうかされましたか? どこか痛いんですか?」


 シェンはポケットから取り出したハンカチでわたしの瞼を拭った。

 わたしは自分の頬が濡れていることに気付いて、無理やり笑みを作る。


「そ、そうね。ちょっと、目に虫が入ったみたい」

「虫が入ったらタダ事じゃないですよ……?」

「お母様のことを思い出しただけよ。それだけ」

「……」


 わたしはこう言ったらシェンが黙ることを知っている。

 我ながら信頼する侍従の扱いが最悪だと思いながら息をついた。


「本当になんでもないわ。大丈夫」

「……そう、ですか」


 シェンは寂しそうに笑った。


「何かあれば言ってくださいね。私でよければ使ってください」

「うん。遠慮なくモフらせてもらうわ」

「あ、あのぉ、ちょっとは手加減していただけると……」

「うふふ。そうはいかないわ。先に言ったのはシェンだもんね?」

「もぉ、お嬢様!」


 わたしとシェンは顔を見合わせて笑った。

 こんな何でもないやり取りで少しは心が楽になるのだから我ながら単純だ。


(そうだわ。見間違いだったらアルは公爵城にいるはず。もし出かけていても、帰って来た時に聞いてみればいい。いちいち不安になってたらキリがないもの)


 公爵城に着く前に心の整理がついて良かった。

 わたしはシェンが差してくれた傘に入り、公爵城の玄関へ。

 大勢の使用人たちに挨拶を返しながらジキルさんに上着を渡した。


「アルフォンス様は執務室かしら?」

「いえ、何か野暮用があるとかで出かけていまして……少し遅くなってしまうとかで、先に夕食を食べていて欲しいようです」

「…………そう、なの。分かったわ」


 わたしは曖昧に頷きながら、足取り重く食堂へ向かった。


(やっぱり、あれはアルだったの……?)


 公爵領の城下町──色街のお店に入った人影。

 改めて思い返してみればアル以外にあんな体型の人は見たことがない。


「…………いえ、帰ったら聞いてみましょう」


 さっき反省したばかりだ。不安を振り払い、わたしは執務室へ。

 アルが仕事を片付けてくれたおかげか書類などは整理された状態だった。

 自分の席でなんとなく書類を眺めるけれど、まったく頭に入ってこない。


 ザァ──……ザァ──……。


 いつまでも続く雨音。

 何度か窓を覗いては席に座って、その繰り返し。


 そして──


 夜も更けて来た時間。

 玄関が騒がしくなってきたのが聞こえて、わたしは弾かれるように飛び出した。

 出迎えのジキルさんにコートを渡すアルを見て確信する。


(さっきと、同じ服……)


 いや、でも、まだ。

 仕方ない。これは、仕方ないことだから。


(アルが正直に言ってくれたら、わたしは……)


「やぁベティ。まだ起きていたのかい?」

「あ……おかえりなさい。アル」

「ただいま」


 嬉しそうに微笑むアルを見ると胸が痛くなる。

 わたしは一筋の希望に縋りながら問いかけた。


「先ほどは、どちらに?」

「あぁ、うん」


 アルは一拍の間を置いて言った。




「ちょっとね。仕事を片付けて、友人と会ってたんだ」




 わたしは息を呑んだ。


「友人……何か、夕食は?」

「ちゃんと食べて来たよ、大丈夫」

「そう……ですか」


 重石を胸の中に詰め込まれたような気分だった。

 ようやく『この人』と思えた人に裏切られて涙がこぼれそうになる。


(どうして、嘘をつくの……?)


「ベティ、大丈夫かい? 顔色が悪いけど」

「……大丈夫です。少し、眠くなってきまして」

「そっか」


 アルは何かをためらうように唸ってから、


「あの……そろそろ、僕たちもいい頃合いだと思うんだ」

「え?」

「だからその、寝室を、さ。一緒にしたらどうかなって」


 ぞわりと、全身の毛穴が粟立った。

 半日前のわたしなら喜んで頷いていたであろう言葉。

 けれど、今のわたしはアルの言葉を受け入れられず、伸ばしてきた手を振り払ってしまう。


「「ぁ」」


 反射的にやったことだけど、すぐに後悔する。

 傷ついたように目を伏せるアルにわたしは何も言えなかった。


(だって、他の女と寝て来た……その夜に、わたしとなんて)


 たとえ勘違いだったとしても、絶対に無理だった。

 その思考が頭をよぎるだけで生理的嫌悪感が拭いきれなかった。


 こんなにもドロドロした感情がわたしの中にあることにびっくりしたくらいだ。

 気まずい沈黙が流れ、アルが先に口を開いた。


「……そう、だよね。僕とは、嫌だよね」

「………………いえ、今日は、気分が優れませんので」

「そっか。うん、大丈夫。また良くなったら、教えて?」

「はい。その……おやすみなさい」

「おやすみ、ベティ」


 アルは寂しそうに手を振って、二階の階段を上がっていく。

 わたしの寝室も二階にあるというのに、一緒に行こうと思えなくて。


「……わたし、最低だわ」


 あの時、あそこに入るあなたを見た、と。

 そのたった一言を、わたしは言うことが出来ずにいた──。


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