第二十一話 交渉開始
──鴨が葱を背負ってやってきた。
オルロー公爵から訪問のアポを貰ったドラン男爵はそう思った。
本来男爵からすれば公爵家は雲の上の存在だが、オルロー公爵家に限っては話が別だ。王系貴族の筆頭だったオルロー公爵は愚かにも魔石鉱脈を妄信して亜人戦争に貢献し、敵対貴族に狙い撃ちされ、没落寸前まで堕ちた。
もはや公爵家としての体を保つことも難しく、かの家は廃墟同然の有様だと聞く。隣の領地である彼らの没落ぶりを耳にしてワインが進んだものである。
(アポが来るなら食糧支援のことかと思ったんだが、そこは予想外だったな)
先に届いた手紙には新規事業について話しをしたいと書かれていた。
各地で魔獣被害に苦しんでいる人々に騎士団を派兵し、対価を貰う事業なのだと。
なるほど立派な心掛けだろう。
魔獣に対抗できる騎士団の育成と運営は各領地にとってかなりの負担となっているし、公爵家の傭兵ともなれば信頼も出来る。まさしく盲点だったと言って良い。
──だが。
(そんなことをさせるわけないだろう。馬鹿か、こいつらは)
立派だろうがなんだろうが公爵家の騎士団を構成しているのは主に亜人族だ。
あんな毛むくじゃらの汚らわしい獣たちに領地を踏み荒らされるのは我慢がならない。わざわざ傭兵を雇わなくても領地の安寧は保たれている。
確かに、多少平民が何匹か犠牲になっていると聞くが……
そんなもの、金で黙らせておけば問題にすらならない。
この世は金がすべてだ。
傭兵団を派兵したいなら逆に金を積んで通行料を払ってもらいたい。
「男爵。本日は私の事業について時間を貰いありがたく思う」
「いえいえ、噂の公爵様を出迎えられて私共も光栄の至りでございますれば」
公爵が頭を下げている状況に愉悦を禁じ得ない。
男爵程度に頭を下げなければならない状況はさぞ屈辱的だろう。
「しかしぃ、あれですな。傭兵業、でしたか? なんでも我が領地の魔獣被害を減らして見せるだとか……これは心からの忠言なのですが、あまりぃ、派手な動きは控えたほうがいいのでは? ほら、公爵様はそこまで裕福というわけないのですし……失敗したら……ねぇ?」
(そうだ。こいつを傀儡にして私がのし上がるのもいいかもしれないな)
ドラン男爵の胸に野望の火が燻る。
自分のように真に選ばれた者が男爵程度におさまっていることが間違いなのだ。
こいつは没落寸前の公爵だが、上手く利用すれば社交界で立ち回れるかもしれない。
「私たちも協力することはやぶさかではありませんよ? しかし、ほら、色々と問題があるでしょう?」
亜人差別は王国にはびこる根深い問題だ。
もしも自分の要求を呑まないならどんな噂が流れても知らないぞと警告しておく。
「……何が欲しい?」
公爵はこちらの意図を正確に読み取った。
ドラン男爵は満足げに頷き、
「そうですねぇ……討伐した魔獣素材を引き取らせてもらいましょうか」
「……なんだと?」
「他領の私兵を招くのです。それくらい当然でしょう?」
魔獣素材は綺麗に解体すればそれなりの値がつく。
強靭な皮や骨はもちろん、牙や鱗なども武具になることは請け合いだ。
ドラン男爵の狙いはこうである。
(亜人共に魔獣を討伐させ、解体した素材だけを受け取る……そうすれば彼らは徐々に疲弊し、我が領から魔獣素材を買い取る他なくなる道理……! そして我が領の騎士団を強化し、あちらとこちらの戦力差をひっくり返す! そうしてゆっくりとこちらに依存させていく!)
オルロー公爵領であるソリュードは魔獣発生が絶えない地域と聞く。
そこの防衛を他領に向かわせる時点で公爵家に余裕がないことは明確。
現に今、ラプラス家のご令嬢がそわそわと夫を見ていた。
ドラン男爵は自分の推測が正しいことを確信する。
「……魔獣素材の引き取り、か」
「おや、お嫌ですかな? 別にぃ、私は構いませんよ? 我が領地はそこまで魔獣被害が多いわけではありませんし……そちらが条件を呑めないなら、今日は友好を温めるだけということで」
ドラン男爵領は山脈からエルファン川が通っており、水資源が豊富な領地だ。牧畜も盛んで乳牛を主な産出物としている。平民の被害さえ無視すれば、魔獣被害も対策済みと言える。わざわざオルロー公爵の傭兵団を招き入れるほど追い詰められてはいなかった。
(さて、どう反応するかな)
条件に応じるならばそれでよし。もし断られれば公爵領の困窮具合を議会に訴えるいい機会になるし、上手くいけば公爵領がお取り潰しになってこちらにも一部の領地が回ってくるかもしれない。そうなったら亜人たちを安く買い叩いて死ぬまで労働力にも出来る。ドラン男爵としてはどちらに転んでも構わなかった。
「……」
オルロー公爵は婚約者と視線を交わす。
婚約者が頷いたのを見て、オルロー公爵はこちらに向き直った。
「条件は却下する」
「なっ!?」
彼の答えは、ドラン男爵の予想しない第三の選択肢だった。
(馬鹿なっ! お前たちは我が領に頼らねば食べる物にも困っているはず……!)
現に今、オルロー公爵たちの格好はお世辞にも良いとは言えない。
準男爵あるいは子爵といっても差し支えない服を内心で馬鹿にしていたほどだ。
「むしろこちらから条件を付けさせていただきたい」
オルロー公爵は言った。
「そちらに傭兵団を派兵する条件だけど……魔獣素材はすべて買い取っていただく」
「なっ!?」
「加えて亜人たちの移住許可。希望者は一定の生活保障をした上でこちらの領に移民してもらう。もちろん、費用はそちら持ちだよ」
「ふざけるなっ! 馬鹿げている!」
あちらが困っているのにこちらが下手に出るなど以ての外だ。
公爵として無理を言っているのだろうが、実質的な権力などないに等しい豚公爵が権力を振りかざすなど笑止千万。
「何か思い違いをしているようだけどね……」
オルロー公爵は身を乗り出して、
「ドラン男爵、僕たちは君たちを助けようとしているんだ。魔獣被害に苦しむ隣の領地を、少しでも助けようと、ね」
「はぁ、そうですか」
もはやドラン男爵の方針は固まっていた。
(決まりだ。この公爵は我らが潰す)
こちらを馬鹿にしているにも程がある。
隣の領地の調査もせず、上から目線で自分たちの困窮を訴えるなど。
「やはりあなたは噂通り、素晴らしい御仁ですな。公爵様」
ドラン男爵は立ち上がり、執事に指示した。
「お客様がお帰りだ。玄関まで送って差し上げろ」
「はっ」
あわよくば公爵を傀儡にするつもりだったが、見込み違いだ。
利用するにも値しないゴミ滓。
ドラン男爵は完全にオルロー公爵を見下していた。
「……交渉は決裂かな」
「今日は友好を温められてよかったですよ。では、さようなら」
(さっさと帰れ、この物乞いどもめが)
有無を言わさぬドラン男爵にオルロー公爵も折れたらしい。
落胆を隠さない様子で応接室を後にしようとして。
不意に、ラプラス令嬢が振り返った。
「男爵様、本当によろしいのですね?」
「もちろん。我輩にそちらの提案を受けるメリットがありませんからな」
尤も、とドラン男爵はベアトリーチェの身体を舐め回すように見た。
「あなたが女性らしい奉仕をしてくれるというなら、話は別ですがね?」
「奉仕とは?」
「そこは言わなくても分かるでしょう?」
下卑た笑みを浮かべた男爵にご令嬢は顔を歪めた。
屈辱を受けたように扇子を閉じ、オルロー公爵の後についていく。
(ふん。金欲しさにブタと婚約した売女めが。貴様に価値があるのは身体だけだ!)
ドラン男爵がこんなに強気なのは理由がある。
公爵領に隣接する領地のうち、二つは準男爵と子爵が治めている。
彼らはブタ公爵の成功するかも怪しい傭兵商売に乗る金などないのだ。
(どうせすぐにこちらに泣きついてくる。その時こそ……)
罠にかかった獲物を骨までしゃぶりつくす時だ。
その時のことを想像するとおかしくなって、ドラン男爵は笑いが止まらなかった。
「せいぜい強がっているがいいさ。ふふ、はっはははははははははははは!!」
◆
「本当に良かったのかい?」
男爵領からの帰り道、アルフォンスは問いかけた。
馬車の中、向かい側に座るベアトリーチェは優雅に微笑んでいる。
「えぇ。何も問題ございません」
「でも実際問題、彼と取引できなければ他の領に派兵することも出来ないよ。準男爵と子爵のところはどっちつかずの中立派だし、うちの傭兵団を受け入れる度量がないと思う」
「ご安心くださいませ、すべて順調です」
ベアトリーチェは窓枠に肘を置き、遠ざかる男爵邸を眺めた。
「まぁ期待していてください。すぐに向こうから泣きついて来ますから。それはもうみっともない姿をお見せ出来ますよ。うふ。うふふ……!」
後にアルフォンスは語る。
この時のベアトリーチェの顔は、噂に違わぬ悪女のようであったと。
そして──
(なんとも、頼もしい……そして、可愛らしい女性だ)
そう、思ったのだと。




