第十八話 騎士団との折衝
傭兵事業を始めるためにわたしは騎士団の隊舎に行くことにした。
実際に働くのは彼らなのだし、直に見て話を聞いてみたい。
城下町の城壁側に本舎があり、街の四方に駐屯所があるらしい。
「駐屯所を四つに分けているのは珍しいですね」
「うちは暴れん坊が多いからね。一つじゃ間に合わないのさ」
「……なるほど、だから治安が良いんですね……」
他の領地だと騎士団の駐屯所は一つ、多くても二つがほとんどだ。
それ以上になると建物や人員の管理も大変だし、税金なども余計にかかるはず。
「公爵城がおんぼろなのも納得がいきます」
「それについては申し訳なく思ってる」
「責めているわけではありません。むしろ褒めてます」
「そうかい?」
アルフォンス様は首を傾げて、
「……なら、なんでずっと顔を背けているんだい?」
わたしはアルフォンス様の顔を見ずに言う。
「お気になさらず。少し寝違えてしまいまして」
「そりゃあ大変だ。医者を呼んだ方がいいかな?」
「どうか、お気になさらず!」
(あなたの顔を見ると落ち着かないなんて言えるわけがないじゃない!)
正体不明の動悸か何かだとわたしは睨んでいる。
決して「こ」から始まる例のアレではない。だってわたしが持っている乙女小説のラインナップにはこんな状況書かれていなかったし。
(勘違いしたらダメよ、わたしみたいな成金令嬢が恋愛なんて出来るわけないんだから)
そう思うとだんだんと落ち着いて来た。
やっぱり自己認識は大事だ。現状のアウトプットが困難を切り開くカギになる。
「なんだか釈然としない納得のされ方をされた気がする」
「気のせいです」
「お嬢様……おいたわしや」
「あなたはなんで同情してるのかしらっ?」
ハンカチで涙を拭う専属侍女に抗議するわたしである。
と。そうこうしているうちに騎士団の隊舎へ着いたようだ。
「……あら? ここは意外としっかりしてるのね」
黒い石造りの壁は綻びなく、頑丈そうな造りになっている。
槍衾から伸びているアレは竜撃砲だろう。ところどころ太い返しが付いていて、アレに串刺しにされたら普通に死にそうだ。
「ここは有事の際の避難所にもなっていてね。昔からある建物なんだよ」
「なるほど」
公爵家が借金を負う前の話ということだろう。
ここまで堅牢にしなければいけないほど、公爵領の魔獣被害は酷かったということだ。わたしはアルフォンス様のあとに続いて隊舎に入る。
居残っている団員は訓練に励んでいるようで、ひと気はあまりない。
わたしたちが入ると、事務室にいる人族たちが立ち上がった。
彼らの仕事の邪魔をしないため座るように促すと、奥から大きな熊の亜人がやってくる。
「公爵閣下! いらっしゃるならそうと言ってくれればいいのに」
「自然な姿を見せたくてね」
毛むくじゃらの体躯は亜人の血が濃い証拠だろう。
真っ黒で大きな体躯が目の前に立つと捕食される獲物の気分を味わえる。
だけどその表情は子供のように緩んでいて、そのギャップが少し面白い。
(それにしても……)
「紹介するよ、ベアトリーチェ嬢。こちら騎士団長のイヴァール・ロア」
イヴァールさんがわたしを見た瞬間、雰囲気が変わった。
「ベアトリーチェ・ラプラスですわ。よろしくお願いしますね」
握手を求めたわたしだけど、彼は手を取らなかった。
それどころか睨みつけるようにわたしを一瞥し、顔を背けた。
「イヴァールです、どうも」
公爵閣下と対応が大違いね。
まぁ、それはいい。それよりも重要なことが目の前にある。
(もふもふ! もふもふだわ! うわぁ~~~触りたい~~~!)
どれだけ拒絶されても気にならない。
だってもふもふが! もふもふが目の前にいるんだもの!
「……何をしてるんです」
「はっ」
思わず手を伸ばしていたわたしは手を引っ込めた。
危ない。あまりにも強いもふもふパワーに負けそうになっていた。
いやしかし、ここで引くにはあまりにも惜しい毛並み……!
「あ、あの。少し触っても……?」
「……? どういう意図で……」
「すまない。少しだけ彼女に好きにさせてやってくれないか」
怪訝そうなイヴァールさんの毛並みに触れる。
手入れを施された黒い毛の山は、まさしくもふもふの天国!
そっと顔を埋め、すー、はー、と深呼吸し、もふもふ成分を補充する!
(あぁ~~~~気持ちいい~~~お持ち帰りしたいくらい最高~~~~!)
シェンの毛並みはさらさらでずっと撫でていたくなる心地よさ。
イヴァールさんのそれはふわふわしていて、顔を埋めたくなってしまう。
「あ、あの。公爵夫人……?」
「ベアトリーチェ嬢。ちょっと控えようか?」
「……お嬢様、私に言ってくれればいくらでも身体をお貸しするのに……」
心なしか目が笑っていないアルフォンス様と、面白くなさそうなシェン。
公衆の面前でやることではないと言われた気がしてわたしは慌てて居住まいを正す。
「失礼しました。少し興奮しまして」
「興奮」
「えぇ。この立派なお身体で日々公爵領を守ってくださるのかと思うと、心に来るものがありますわ」
イヴァールさんは愕然と目を見開いた。
「あなたは……怖くないのですか?」
「怖い? なにが?」
「我々は……亜人です」
「だから?」
わたしは首を傾げた。
「わたしの専属侍女は犬の亜人だけど、お茶を淹れるのがとっても上手で、ちょっとおドジだけど周りに気遣いも出来る。給料が出なくてもわたしの側にいたいと言う変わり者で、とってもいい子よ。わたしはシェンのことが大好きだし、彼女が忠誠を誓うに相応しい人間になりたいと思ってる。あ、給料は払ってるけど」
「お嬢様……」
シェンが瞳をうるませ、尻尾を高速で振り始めた。
もふもふを堪能したくなる自分を抑えつつわたしは問いを続ける。
「わたしが言った内容に、人族も亜人も関係あるかしら」
「…………!」
「偏見に囚われていては見えるものも見えなくってよ。騎士団長?」
イヴァールさんは雷に打たれたように震えた。
頭の先から足の先まで毛並みがぶるりと揺れて、彼はいきなり膝を突いた。
「公爵夫人の仰る通りです。私の目は曇っておりました」
「そう。で、今は?」
「曇りなき眼を以て、目の前のお方に向き合います。ベアトリーチェ様」
彼は腰の剣を抜き、わたしに捧げて見せる。
「このイヴァール・ロア。あなたに忠誠を捧げます」
「……顔を上げなさい。亜人族はわたしたちの仲間。いわば家族です。そのようにかしこまる必要はありません」
「ありがたきお言葉……!」
なんだかよく分からないけど、丸く収まったようで良かった。
騎士団長が受け入れてくれたなら、他の騎士団員も受け入れてくれるかも。
「さすがは僕の妻だね。あのイヴァールを秒で従えてしまうなんて」
「お嬢様は私の誇りです。一生ついていきます……!」
騒がしい周りとは裏腹に、
(忠誠を得たってことは、もふもふを堪能していいってこと? ねぇもっと触っていいかしら? いくら払えば触らせてくれるのかしら? アルフォンス様にお小遣い頼もうかしら?)
わたしの頭はどうやってもふもふを堪能するかでいっぱいだった。