第十六話 アルフォンスの策略
「アルフォンス様、お耳に入れたい話があります」
「……なんだって?」
領地視察を終えたアルフォンスの元に筆頭執事のジキルが声をかけてきた。
ベアトリーチェに聞こえないように耳打ちするあたり、聞かせたくない相手なのだろう。
「分かった。ベアトリーチェ嬢。悪いけど先に行って休んでてくれるかな?」
「かしこまりました。夕食は?」
「一緒にしよう。領地を見た感想とか、色々聞きたいし」
「なら、レポートにまとめておきますね」
「そこまでしなくてもいいけどね」
本当に真面目な子だ、とアルフォンスは思う。
確かにお金に関して厳しい面はあるが、あくまで個性の範疇だ。
社交界の連中が『成金令嬢』などと蔑む意味が分からない。
(……と。まずはジキルの件か)
アルフォンスは人払いをして執務机に座った。
「何があった」
「これを」
ジキルが差し出してきたのは王家の紋章が入った手紙だった。
王家と聞いて思い出すのはベアトリーチェの元婚約者だった男だ。
どことなく嫌な予感をしながら手紙を開ける。
「……………………」
アルフォンスは思わず手紙を握り潰した。
王家の手紙に対する最悪の対応だが、これ以外にこの怒りをどう収めたらいいか分からない。
よほどひどい顔をしていたのだろう。
ジキルが気遣わしげに声をかけてくる。
「……何が書かれていたので?」
アルフォンスは手紙を投げ渡した。
ジキルが息を呑む。
「『王家に対する不敬罪として化粧品事業における支援金を要求』……は? なんですかコレ」
「さぁね。僕に聞かないでくれ。あの馬鹿王子の考えてることは分からないよ」
手紙の内容はジェレミーからベアトリーチェへの金の無心だ。
ジェレミー曰く、元婚約者の考えた事業を自分たちで軌道に乗せてやるから金を出せという意味の分からない内容だった。王子の名誉を著しく傷つけたとかなんとか。もちろん、こちらへの見返りはゼロだ。
まず、婚約破棄した女に王子のほうからコンタクトを取ること自体がナンセンス。次に彼が事業をするというのに彼女に金の無心をすることがありえない。
王子の頭が残念過ぎて言葉も出ない。王家が公爵家に金を要求するということは、王家が金に困っていると内外にアピールすることだと分かっていないのか。
「あの狡猾な伯母上からなんでこんなアホが生まれたんだ?」
ジェレミーの母親である王妃はアルフォンスの母の姉に当たる。
王家から公爵家に嫁入りした妹に、姉の彼女は色々と世話を焼いてくれたのだ。
当然アルフォンスとも顔を合わせており、彼女の狡猾で抜け目ない性格はよく分かっている。王妃の絶大な権力を盾にジェレミーが調子に乗っただけとも言えるが……。
(それだけじゃない。なぜこのタイミングなんだ? ベアトリーチェ嬢が領地経営に口を出し、収支が上向き始めたこのタイミングで……タイミングが良すぎないか?)
アルフォンスは顎肉に手を当てて考えに耽るが、
「そもそもこの婚約破棄自体、王と王子による共謀で、王妃は知らないと言いますしね」
ジキルの言葉で思考を中断し、アルフォンスはため息を吐いた。
「だからといってこの内容はないだろう。馬鹿げてる」
「いかがいたしますか? 王家の手紙なら無視できませんが」
「普通はな。あの馬鹿王子の手紙は無視だ。燃やしてしまおう」
アルフォンスは笑顔で言い切る。
一見すると穏やかだが、彼の目が笑っていないことは誰でも分かるだろう。
「このこと、彼女には」
「言わなくていいよ。あの馬鹿のことなんて思い出させる必要はない」
(せっかく笑顔が増えてきたんだ。もう二度と曇らせてたまるか)
領地経営のコンサルタントを頼んで以来、彼女は日々生き生きとしている。
公爵城に来たばかりの、この世のすべてを諦めた表情より全然良い。
「むしろ絶対に彼女の耳に入らないように。いいね?」
「かしこまりました。旦那様」
「あ」
アルフォンスは思いついたように声を上げた。
「ごめん、やっぱ燃やすのはナシ」
「返事はせずに?」
「もちろん無視だよ。でも、燃やさず大事に取っておいて」
感情のままに行動していれば社交界では生きていけない。
滅多に社交界に顔を出さないアルフォンスもそのことは理解している。
そして、こういった物的証拠がどれだけの醜聞になるかも。
「今はまだ伯母上を敵に回すわけには行かないけど……これ以上彼女にちょっかいをかけるなら、こっちにも考えがある。その手紙はその時のために使う」
「かしこまりました」
ジキルが去ったあと、アルフォンスは背もたれに身体を預けた。
(これは早く税収を上向きにして、婚姻を済ませたほうがいいかもな……)
「……彼女が僕を受け入れてくれるならの話だけど」
少し痩せようかな。
そんな呟きは、誰にも聞こえなかった。




