第35話 窓に張り付く美少女メイド(リュナン視点)
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――全然ペンが進まないな。
雲がコッペパンのように旨そうだ。
窓の外を眺め、ふとそんなことを考えてしまうほどにやる気が出ない。
そんな俺の頭が、バシンと叩かれる。
「いて……」
涙目で見上げれば、そこには団長が分厚い書類帖を片手に俺を見下していた。執務室に来るなんて珍しい。灰色の髪を真面目に切り揃えるエリート美丈夫だが、俺はこの人が新米騎士のごとく率先して外回りに出ていることを知っている。そのせいで俺が書類仕事ばかりになっているからだ。
そんな団長に、俺はうんざりながら尋ねる。
「何の御用ですか、団長」
「無論、オレがお前に声かけるなんて、仕事以外にないだろうが」
「これ以上は勘弁してください。どれだけ報告書の代筆と他部署の事務仕事を片付ければ――」
「まぁ、こんな多忙なのももう時期――お、美少女」
――美少女?
団長が突如見やるのは窓の方。部屋にいた他の者たちも、全員が窓を見ていた。
この執務室は王城内の三階にあり、中庭を行き交うメイドもそばに寄らないと見下ろせないと思うが――そのメイドは窓に虫のごとく張り付いていた。
そして凄まじい形相で窓をどんどん叩く。
緑髪のツインテール。まるで幼女のような髪型が似合うメイドがもう美少女と呼べる年齢でも、そして清廉潔白な性格でないことを、兄代わりでもある俺はいやってほど知っていた。
ドンドン。ドンドン。ドンドンドンドンドンドン!
――現実逃避はともかく、このままだと窓が割られる!
「コレット⁉」
俺が急いで窓を開ければ、コレットは転がるように部屋に飛び込んでくる。
そんな常識外なメイドを、俺は「ど阿呆!」と怒鳴り飛ばした。
「いきなりなんだ⁉ しかも容赦なく窓を割ろうと――」
「ノイシャ様が誘拐されました!」
――は?
俺は何も言葉が出なかった。
ノイシャが……誘拐……?
それなのに、コレットはへらへら笑う。
「たはは~。いやぁ、トレイル家の私兵団けっこうやりますね~。すぐさま尾行してたんですけど、教会の中に侵入しようとしたところでバレちゃいまして。このザマです、すみません」
暗殺者でも雇ったんですかね、とコレットは気安く言ってのけるが。
まわりの連中がざわめきだす。
――トレイル家?
トレイル家は言わずもがな、ラーナの家名だ。つまり、ラーナかバルサ、あるいはその家族がノイシャを捕らえたということになる。バルサは今も城で仕事に追われているはず。ラーナの家族は、そもそもノイシャと会ったことがないはず。だったら犯人は――
俺が呆然としている間に、コレットは「あ、団長さんお久しぶりです~」と呑気に挨拶している。そして団長も団長で「コレットちゃんは怪我してても可愛いねぇ。けど大丈夫?」なんて、これまた呑気に助け起こしていた。
よくよく見なくても、だ。コレット愛用のメイド服は破れた箇所ばかり。肌が露出している部分のあちこちに生々しい切り傷が見られるが……彼女の動きにおかしな部分はない。致命傷はない様子。どれだけ激しい戦いをしてきたかは定かではないが……彼女の師匠である父親の教えの良さが窺える。
だけど、コレットには申し訳ないが……今はそれどころではない。
「だとしても職場にいきなり……」
――違う。今かけるべきはそれじゃない。
やばい。気が動転している。
ノイシャが誘拐された? セバスやコレットが付いておきながら? 誰に? どこへ?
いや、答えは出ている。コレットがすぐさま報告してくれていたじゃないか。
ノイシャがラーナに、教会へ連れていかれた――と。
俺は肺の空気を全部吐き出してから、コレットを見やる。
「――いや、よくやった。セバスへ報告は?」
「まだです。王城の方が近かったので先に参りました」
誘拐されてから、あまり時間は経ってないようだ。
誘拐された経緯はまだ聞いていない。だけど、こんな場所で悠長に話し込んでいる暇がないのは明らか。俺は家臣に命じた。
「では城の医務室で治療を受けて来い。セバスへの報告は俺が手配しておくから、その後――」
「いえ、わたしがこのまま戻る方が早いかと。この程度の怪我、唾でも付けときゃ治りますんで」
コレットが腕に受けた裂傷を舐める。痛いだろうに無理しやがって。ど阿呆。
だけど今は――そんな強がりに縋りたい。
「なら、そちらは任せたぞ」
俺が剣一本を腰から下げて向かおうとすれば。
後ろからずっと呑気に話を聞いていた団長が、ひらひらと書類を掲げていた。
「お~い真面目が取り柄の副団長どの、やりかけの仕事は――」
「早退する! あとやっとけ‼」
上司の返事を聞かず、窓から飛び降りる。開いている窓から「上司に向かってヒドイ~」なんて愚痴が聞こえてくるが、知るか。三階だが、俺もだてに師匠に鍛えられてないんだ。こちらの方が早い。案の定、コレットもスカートを広げて即座に隣に着地してくる。
「旦那様は現地に向かうんですよね?」
「無論だ。セバス……鮮血の死神騎士に『しっかり準備してから来い』と伝えとけ。……ぶっ潰すぞ」
「お~、いよいよですか。腕が鳴りますね~」
こんな時に笑えるのは、コレットの強みだ。俺ははらわた煮えくりかえって、どんな顔をしているか想像もしたくない。少なくとも、ノイシャに見せられる顔でないのが明らかだから。
俺は足早に厩舎へと向かう。手続きも無視して一頭の手綱を引き、コレットへと渡そうとすれば――彼女は首を横に振った。「わたしは自分で走った方が速いですから」と。
そんな優秀すぎるメイドに苦笑しつつ、俺はその馬に跨る。
「じゃあ、屋敷までくれぐれも気を付けて――」
「お仕事サボって良かったんですか~?」
いつもの調子で、おちょくるように。
問いてきたコレットに、俺も真顔で答えていた。
「ノイシャの幸せな衣食住を守ると約束したのは、俺だ」
「なんですかぁ、その生真面目な返答は。もっと『愛する妻より大事なものはない!』くらい言えないんです?」
「ふんっ」
――そんな恥ずかしいこと言おうもんなら、あとでどうからかわれるか。
それがわからない付き合いではない。実際わざわざ言わなくても把握されているのだから。
「おまえにだけは絶対に言わん!」
そして、俺は馬の腹を蹴る。






