剥き出すのを、やめた気がする
セルフサービスの水を取りに行く
母親へ手を伸ばす子供
ママと叫ぶその声は
単なる稚児の我儘か
それも一つの修羅なのか
幼い頃の、母の帰りを待っていた
窓から見ていた夜の看板
一文字消えたネオンの闇に
映り込んだ私の顔
泣いてはいなかった、と思う
他愛もない淋しさだったから
それでも、あれもまた修羅なのか
父親では十秒も持たないらしい
水を持ち、近付く母親の顔を見る
ママ、ママ、と身を乗り出すそれを
眺めていても仕方がないので
あやす声を脇に置き、私は食事に向き直る
稚児の修羅はこんなもんで良い
何かの魚の、どこかの骨が、喉に刺さる
あの感触、痛みは、なかなか流れてはくれない
一通り泣いて、私はあの日、嘘をついた
母に、もう痛くないよと言った、と思う
立派でない、誤魔化しで、単なる子供の浅知恵で、
しかしあれは、あの時、確かに私は修羅だったんだ