安達の忠告
初日は実質挨拶回りで終わってしまった。女子の教育実習生はみな寮に宿泊して生徒とともに生活しながら実習を行うのだが、男性である周の場合はその日が終わると安達とともに直ぐに帰らなければならない。安達の車で宿泊施設へ戻るときに、夕食を一緒にどうかと安達に言われて、特に断る理由もなかったために彼の行きつけの串かつ屋へ足を運んだ。
学生になってから年配の男と二人で飲み屋のような店に行くのは初めてであったが、子供の頃はよく母親が働く店で、飲みに来た客の話を無理やり聞かされたりしたので、六十前のおやじが喋りそうな話はだいたい想像がつくのだが、果たしてこの聖麗女学館高校の安達の話の内容が一般サラリーマンの話と同じかどうかとなると、さすがに自信はなく、むしろどんな話をするのか興味がもたれるところだった。そこで様子観察を兼ね、口数少なく聞き役に徹していたが、なかなか相手も強かで、少しほろ酔い加減になった頃、徐に本題にかかった。
「今日、本校の敷地に踏み入って何か感じなかったかね?」
「さすがに女子校というのは入るだけで緊張しますね」と、まずはかわす。
「中の様子はどうだったかの? たとえば何か普通では見られないものを見つけた、とか」
「監視カメラがやたら目立ちましたね。あれは僕を見張っているのですか?」と、冗談交じりに聞いてみる。
「まあ、目立つカメラは私を含めて男性に対する牽制もあるだろう。何しろいまだに私でさえ構内をうろつくときは必ず一人以上の女性職員が傍についておる。決して一人にはさせない」
「徹底していますね。まあその方がこちらもあらぬ疑いを掛けられず安心ですが」
「他にも気づいただろう、カメラ」
目が細いので何を見ているのか良く分からない人物だと周は思っていたが、安達は明らかに隠しカメラについて言っているのだ。隠しカメラを見つけた時の周の様子を観察していたのだろうか。
「カメラやマイクを見つけても、今日君がやったように気づかない振りをするのが一番だな。私もずっとそうしてきた。下手に指摘してもまた違うところに仕掛ける。そのくらい男は信用されていないのだよ」
黙っている周に対して安達は余計な解説を加え始めた。しかしあれは男の行動を観察するものではないだろう、と周は考えている。校舎を案内されたときに感じたのは、社会科教師の安達や数学で実習を受ける周が出入りしそうもない音楽室や美術室にまでそれらしい器具が仕掛けられていたある種の違和感だった。間違いなく女生徒の監視のために存在している。あちこちにあけられたピンホール。盗聴器にも見えるコンセントプラグの差込タップ。それらは男性職員監視ではなく女生徒の監視用だ。それを安達は知っていて、わざと男の監視だとはぐらかしているのだろうか。真意は現時点では読み取れなかった。
「女子校の中でも全国で最も厳格に男子禁制を貫いている聖麗女学館長野本校だからこその措置だろうな。今までも男性職員はいくらかいたことがあるが、カメラについて学校に改善を求めたりしたものはすべて一年で解雇されていたね。今では男性は私一人だよ。まあ年がいってもはや現役とはいえない体だからいいかげん解放してもらってもよいと思うのだが」
真意はどうあれ、カメラやマイクについては知らない振りをするのが賢明だと忠告しているらしい。周は黙って従うことにした。
「しかし、君はまだ若い。ところで君は交際している女性とかいるのかね」
特定の女性は今はいないと答える。
「教会の信者は常に禁欲的な教えを受けているので、欲に駆られた軽率な行動は慎んでいるのだが、君は教会員ではない。ストイックな生活をしていて、本校のような女の園に入ると魔がさすということもありうる。特定の女性がいないとなると、性欲の処理とかはどうしている?」
酒が入っているとはいえ、おやじの質問だと周は感じたが、若い女性に対して発した言葉でないだけよしと考え、あからさまに答えた。「大抵自分で処理します」
それは満更間違いではない。安達がいなければ、ひとり足をのばして駅近くの明かりの多い町で、一夜だけの付き合いの女を見つけ出すことも周にとって決して苦ではなかったが、今回の実習ではそれなりの覚悟をしてきた積もりだった。毎日自慰行為で処理することも恥だとは思わないと割り切っている。
「ひとつ大事なことを忠告しておくが」と、安達は周の顔をじっと凝視して付け加えた。「数学担当だと演習の現場へ駆り出される。生徒の質問に対して一対一で答えなければならない。勿論傍に監督の女性教師がたくさんいると思うが、生徒の中には男性教師珍しさが高じて、色気づく者も出てくるかもしれない。純真無垢な少女のように見えても所詮人間だ。しかもまだ教会の教えが完全に浸透しているわけではないから、優秀な若い男性に対する尊敬の念を恋心と勘違いしてしまう生徒も出てくるかもしれない。くれぐれも間違いのないようにしてくれたまえ」
以前そういった例があったのかと思わせる口振りだったが、それ以上の詳しい具体的な内容は出なかった。ただの酒酔いの余計な忠告だったのだろうか。周は、出来るだけ素朴な実習生を装うべく、寡黙に首肯するのだった。