カーチャからの手紙
彼女からの手紙は月に二度くらいの間隔で届いた。差出人の名はアンナからカーチャに変わっていた。トルストイの「復活」に出てくるヒロイン、カチューシャの愛称らしい。そういえば初めて図書館で見かけた時も頭にカチューシャをしていたなと、周は思い出した。
「拝啓 鳥栖安奈様。新緑薫る季節を迎え、ますますご健勝のことと存じます。こちらは何と言っても深い森に囲まれ、都会からは隔絶された異世界のようなところですから、あなた様には想像もつかないでしょうが、毎日が規則正しく規律厳しく、また食事は質素で甘いお菓子も摂ることができず(それが一番苦痛ですが)、私のような人間には大変耐え難い修行のような生活を送っております。朝は毎日五時に起床です。六人一組で班をつくっていますが、何事も班ごとに行動します。起床後は順次朝の礼拝をしたり、給食当番は朝食の準備の手伝い、清掃当番は学園、寮などの清掃、当番に当たっていない班は、運動をしたり自習をしたり、また一部はクラブ活動(まがりなりにも学校ですから、少しはクラブもあるのです)をしたりして、七時から八時までの間に順次朝食をとって八時半には校舎への登校を済ませるのです。授業は月曜から金曜まで毎日午後四時まであります。土曜は休日で唯一外出が許されますが、日曜日は教会の日で、地元の信者と一緒にお祈りを捧げ続けなければなりません。土曜の外出は原則班単位で、せいぜい軽井沢駅の周辺でちょっとした買い物が出来る程度です。しかも引率教師がいるのです。たいしたことはできません。他の学校の生徒と関わりをもつことなどもっての外、買い物にしたってかなり制約があり、華美な衣装や装飾品の買い物などもできないのです。それでもここの生徒達はそれが当然という教育を受け続けてきたためか何の疑問も抱かず、むしろ一般庶民とは異なる世界の人間であることを誇りにしているようにさえ窺えます。しかし私にはそれが我慢できません。他の生徒達は親の期待もあり幼稚舎の頃からこの女学館で聖麗の会の教えを毎日受けて将来は教会の指導者になるのが目標かもしれませんが、私にはそこまで強い意思はないのです。数少ない外出の機会に教官の目をどうにか盗んで(なんと品のない言葉でしょう!)外の情報をなるたけ手にしてきた私には、むしろ一般庶民の暮らしの中にこそ指導者が知るべきことがあるように思えるのです。それを知らずして教会の指導者たらんとするのは如何なものでしょうか。とはいっても私には関係のないことです。私はいずれここを出て行くことを希望します。せめて都内の一般の大学へ進学して、教会との関係はただの一人の教会員でよい、そう思っているくらいです。ああ、こんなことを書いてしまうなんて……。これが教官の目に留まると大変なことになりますわ。この手紙は私の外出時に自分で投函することにします。手紙は外出する班に託して投函してもらうこともできるのですが、自分自身の手による方が安心ですから。というわけで時々なるべく多く手紙を書きたいのですが、なかなか思うように出せない都合もあり、あなたへの連絡は必ずしも定期に出来るとは限りませんが、これからもよろしくお願いします。ひとまず連絡を兼ねて取りとめもないことばかり書いてしまいましたが、乱文乱筆をご容赦ください。では、また。お元気で。敬具
追伸 もし万一そちらから急に重大な連絡が出来た場合は恐れ入りますが、下記の生徒名宛てにお願いします」
簡単な手紙だったが、それでも十分だった。勿論はじめに彼女から言われていたように緊急事態以外は周の方から連絡を取ることは控えなければならないので、次の宛名が記されてはいたが返事を書くつもりはなかった。