美しい同乗者
エレベーターのドアが一階で開き、聖麗の会の宿泊所のロビーに出たところ、ソファーに安達が腰掛けて背もたれに頭をあずけて目を閉じているのが見えた。近寄ると安達は徐に目を開き、上半身を起こして、周を招いた。
「お待たせしました」と、周は意外に時間がかかった事を詫びた。彼女のことを追憶しているだけでいくらでも時間が経つような気がする。
安達は立ち上がるなり、おっとと一声漏らして懐から携帯電話を取り出した。マナーモードに設定していた電話が鳴っているらしい。ちょうど周が安達の目の前に来たところで、安達が電話にでた。携帯電話の向こうから甲高い女の声が聞こえる。何を喋っているかまでは聞き取れなかったが、凄い早口で興奮しているらしかった。安達は、一瞬困ったような表情を見せはしたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべ、相手に諭すように云った。「わかりました、十分くらいですね。車で待っていますから」
怪訝な顔の周に向かって、安達は微笑んだ。「とりあえず車に乗ろう。一人連れて行く者ができたので十分ほど待たねばならないがね」
安達の案内で駐車場に向かい、停めてあった四駆のRV車に二人は乗り込んだ。安達のイメージから黒光りのロールスロイスなどを思い浮かべたが、実際は国産の普通乗用車だった。
「自家用車だよ」と、安達は周の内心を読んだのかどうか、照れ隠しのように呟いた。
研修は明日から始まる。今日は顔合わせと簡単な打ち合わせということだった。柄にもなく緊張している自分に気付いた。それもそのはず、安達に、信者でない男性が本校の敷地に入るのは初めてではないか、と言われたからだ。まさか、そんなことがあるだろうか。だとしたら女の園に若い男性を入れるというこの方針転換の理由は何か。単に男子学生の教育実習を受け入れるようになったということだけなのか、それとも羽鳥周個人に理由があるのか。内部に入って知里の死の真相を探るという行為は、敵の胃の中に体をあずけるような無謀な行いにも思えてきた。
「緊張することはないよ、君。大抵の場合私がついているから。初めは常に監視がついているようで気持ちも悪いが、慣れればどうということはない。むしろひとりになったりすると不安になるくらいになるよ」
安達の話では、男性職員というだけで常に女性教官が横についている。しかも女生徒や女性教官と二人っきりになる瞬間は絶対にないのだという。
(それはそれで、身動きができず困るのだが)
周は話を聞いて困惑した。実際に行ってからでないと対策は立てられないが、知里の死についての究明行為に支障をきたす虞もあった。
「お、来たようだの、お召しかえされたお姫様が」
安達が運転席から降りるので、周も倣って助手席から降りて、走ってくる黒尽くめの女性を出迎えた。
周はかつての習慣から瞬時に女性を観察した。黒いブーツを履いているので身長は百七十近くに感じられる、女性にしては長身で細身。グレイのスーツは体の割りに小さく、スカートは膝上十センチくらいの短さで、黒のレギンスの上に、同じく黒のオーバーニーソックスを太腿のところで被せているので素肌の露出は全くないが、しなやかな脚線と腰の括れが、アンバランスな服装にも拘わらず抜群のプロポーションを見せていた。そしてウェーブのかかった濃い茶髪が肩までかかり、白い肌に緋色のルージュが映えている。都会でもなかなか見られない美人だった。手にはなぜかダウンジャケット。
「すみません、安達先生。普段着で来たら、成瀬先生ったら乗せてくれないんですよ。全く融通が利かないんだから。とりあえずサイズが合わないけど教会でスーツと生徒用のストッキングを借りて着替えてきました。さすがにジャケットとブーツまではどうにもできませんでしたが」
大きな紙鞄を抱えている。おそらく今まで来ていた服が入っているのだろう。いきなりとんでもない美人の登場に、さすがの周も驚く。安達が周を紹介したので、周は自己紹介して頭を下げた。相手の女性は、笹塚ゆりと名乗り、深く会釈したが、顔を起こしたときに、周を値踏みするかのような怪しい光が瞳の中に映るのを周は見逃さなかった。この何ともいえない緊張感。そして高揚。周はあの図書館で出会った彼女のことを思い出した。