5 街に出かけよう
この世界で生きていくための私の基本方針が決まった。まず、15才になって学園に入学するまでは、魔王を討伐するために全力をできることをやっていく。
そして、15才からは学園に通いつつ、魔王を倒すための活動をする。学園には攻略対象キャラが多く集まっている。
学園では、悪役令嬢としてのフラグを回避しつつ、基本的に目立たないように静かに過ごしていこう。
『だけどさ』と私は室内を飛んでいるイアーゴーに話しかける。透明な羽を持ち、自由に空中を飛び回る。イアーゴーの飛行した軌跡には、輝く光の粒が舞い落ちて行く。
『学園に通うことは必須なの? むしろ、魔王が復活するのにのんびり学園生活を送っている場合ではないと思うのだけど』
イアーゴーは飛行をやめて空中に静止した。
『学園が舞台となっています。学園に行かないと、リタイア扱いとなり、即魔王が復活します。会社を正当な理由なく欠勤し続けたら、クビになりますよね? それと同じです。それともあなたの前世は、魔王を倒しに行くので会社を休みます! という理由が通じる世界でしたか?』
学園にちゃんと通っていないと世界が滅びる。
そんなご都合主義が存在するのだろうか? と疑問に思いつつも、それを試してみるわけにもいかない。それに、学園に通うのは3年後である。後回しで良いだろう。
『魔王を倒しに行くので会社を休みます、は通じないわね。とりあえずその問題は置いておくとして、じゃあ、冒険者登録というのをしに行きましょう』
屋敷を出て街に出かけけるということでアンナが馬車に同乗してくれることになった。街に行きたいと言っても、12才の私が一人で外出できるほど、アリスター侯爵家の格式を低くない。また、第一王子の婚約者の地位は軽くはないらしい。
まぁ、私が悪役令嬢として行動したら、その格式も地位も、全てが失墜していくのだろうけど。
馬車には、御者が一名と、そして護衛のザックが馬に乗って着いてきてくれている。街中なら帝都の警備兵もいるし、街中で誘拐とか強盗とか発生はしないだろうけど、貴族の外出はそういうものらしい。
馬車にはその馬車がどこの家の馬車であるかわかるように、紋章が折り込まれた旗が掲げられている。また、馬車の扉にも紋章が描かれている。
アリスター家の紋章は、剣と天秤が描かれている。剣は、皇帝を守る剣としてアリスター家の忠誠を示し、天秤は正義を行うということを象徴しているらしい。
『まぁ、悪役にその天秤が傾くんですけどね』
『そういう小ネタは要らないから。それに、馬車の中で飛び回らないで』
イアーゴーも同行している。狭い馬車ないを飛び回られて若干、迷惑である。
「エリザベス様、まずはドレスをお選びになられますか? 宝石商のところへ向かいますか? それとも、フィリップ様へのプレゼントを探しますか? 今日も、カーネーションが届いておりましたよ。ふふふ」
アンナがどこか嬉しそうに微笑む。
アンナには、買い物に行くとしか伝えていない。まぁか、冒険者ギルドに行くなんて予想だにしていないだろう。
「フィリップ様には都度、お礼の手紙をしたためています。それに、今から向かうのは冒険者ギルドよ。御者に行き先を伝えて」
アンナの顔が微笑から真っ青へと変わる。
「いけません! そのような場所は危険です」
「大丈夫よ。ちゃんとフードも持ってきたし。これを着れば正体はまずばれないわ」
私は隠し持って来たローブをアンナに見せる。
幻術や視覚阻害の魔法が織り込まれたフードだ。フードを着ていれば、周囲に違和感なく溶け込めるという便利な代物である。
「エリザベス様! 宝物庫からどうやって持ち出されたのです。旦那様に叱られますよ」
宝物庫には暗証番号付きの鍵がかかっている。が、暗証番号は四桁で、お母様の誕生日だった。お父様、無用心ね……。
それに、イアーゴーに尋ねたらどんどん使ってください、とのことだ。
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『学園ではそのフードを被り、正体を隠したまま、ヒロインたちを階段から突き落とすのです。今のうちから使い方を習熟しておこうとは、悪役令嬢としての意識が高いですね!』
『そういう用途には使わないから!!!!』
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・
「社会見学よ。別に危険なことをするわけではないのだから良いでしょう?」
「私が旦那様に叱られてしまいます」
涙目になったアンナを「私がわがままを言ったといって、アンナにお咎めが来ないようにするから大丈夫よ」と安心させる。
突然、馬車が急停止した。そして私はその反動で椅子から転び、向いの椅子の肘掛けにおでこをぶつけてしまった。
「痛たた」
「エリザベス様、エリザベス様!」
アンナが手早く私の怪我を確かめ、「大したことはありません。柔らかいクッションの角であったのが幸いでした」と言った。
「大丈夫。ちょっと頭を軽く打っただけよ」と私はアンナに答える。御者も前方に着いている小窓を開けて、私たちの安否を聞いて来たので同じように答えた。
「アリスター侯爵家の馬車に立ち塞がるとは何事か!」と護衛であるザックの声が響いて来た。
街のザワつきが消えた。物売りの声も街の喧騒も無くなっていた。
アンナが神妙な顔つきで、「私たちはこのまま馬車の中に。もしものときは転移クリスタルでお逃げください」と言って手早くカーテンを閉め、私を馬車の床に座らせ、庇うように抱きしめる。
アンナが襲撃を警戒していることはわかった。滅多には起きないけれど、時として起こる、貴族同士の権力争い。策謀を巡らせて相手の地位を失墜させることから、暗殺という方法まで、貴族の争いは幅広い。派閥を形成するのは、貴族の自己防衛のためでもある。
『イアーゴー、外の様子を見て来て』
こういう時って、物質を通過できる、そして私にしか見えないイアーゴーは便利だ。
『見て来ました。女の子が飛び出てしまい、それで馬が驚いて急停止したようですね。そもそも学園に入学する前に主人公であるエリザベスが死ぬなんてことは起こり得ませんが、このまま馬車の中にいれば安全です』
『ありがとう、イアーゴー』
「アンナ。落ち着いて。外も落ち着いたようよ」
アンナが私を抱き抱えて伏せているのは、襲撃に備えてであろう。窓を突き破って矢が飛んできたとき、己の身を盾にする、ということだろう。
だけど、私が魔法で氷の盾を作って守ったほうがアンナも安全である。それに、アンナが負傷するなど考えたくない。
「もう少しご辛抱ください。馬車が動き出すまではこのままでいてください。襲撃があるかもしれません」
アンナは私を離す気は無いようだ。
「わかったわ。守ってくれてありがとう」
私は静かに馬車が動きだすのを待つことにした。外で、護衛のザックが事態を収拾してくれているのだろう。
馬車の中で息を潜める。
そして聞こえて来たのは女の子の悲痛な叫びだった。
「せめてお母さんにこの薬を飲ませてからにしてください! その後でなら、命で償います!」
命で償うって大袈裟な……?
大袈裟だよね?
『イアーゴー、外の様子はどうなの?』
『至って普通ですよ。エリザベスはこのまま馬車の中にいてくださいね』とイアーゴーは答える。
うん、怪しい。
『普通って、どういうふうに普通なの?』
『侯爵家の馬車の通行を遮り、貴族を怪我させた平民に対する一般的な対応をしているのです』
『もしかして、それって“切捨御免”的な?』
江戸時代の武士は滅多なことではしなかったらしいけど。
『攻略対象キャラに関する情報は教えられません。フラグが立ったときにのみ、攻略キャラの攻略法を伝えることができます。そういうシステムですので、前向きに行動していきましょう』
『もういいわ!!』
つまり、いま、この時起こっていることは、悪役令嬢フラグが立とうとしているということ。
その可能性が高い。
私はイアーゴーの言葉を思い出す。
<そもそも学園に入学する前に主人公であるエリザベスが死ぬなんてことは起こり得ませんが、このまま馬車の中にいれば安全です>
私が学園に入学するのは三年後。それまで私の身は安全ということなのだろう。
しかし、イアーゴーは、馬車の中にいれば安全、と言った。
本来、私は安全であるはずなのに、“馬車の中にいれば“と”たられば“の条件付きの安全。
つまり、
安全 × 安全 = 危険!!
「アンナ、手を離して」
私は、アンナの抱擁を振り切り、馬車の中へと出た。貴族用の馬車って車高が高い。御者が、馬車から降りるための階段を用意してくれていない。
貴族の女性は、手を引かれながら馬車を降りるのが作法だけど、そんなことを言っている余裕はない。高さも1メートルほど。
仕方ないので飛び降りる。
そして、外の状況を見渡すと、護衛騎士のザックが少女に剣先を向けている。
少女は泣いている。怖いのだろう。いや、目と鼻の先に尖った剣を向けられたら誰だって怖い。そして、両手で大事そうに何かの瓶を抱えている。
ザックの額には汗がある。ザックも唇をグッと噛み、苦しそうだ。それはそうだ。高潔な騎士が無抵抗の少女に剣を向けているのだ。葛藤があるに違いない。
「ザック、何をしているの?」
私はザックに話しかける。
「お嬢様! お怪我は大丈夫ですか?」
「軽く打っただけよ。それよりもこの状況はなに?」
歩道には多くのギャラリーがいる。事の成り行きを黙って見ているのだろう。
「彼女は王侯貴族の馬車の通過の妨害、ならびに、搭乗者に怪我を負わせた現行犯です。法律に則り、不敬罪適用による処刑を執り行います」
「待ちなさい。私の怪我なら今、治ったわ。ザック、剣を納めなさい」と私は回復魔法を使う。私の体は光り輝く。もともと、タンコブにもならないほどで、魔法を使うまでもないのだけれどね。
「しかし……お嬢様。このまま法を犯した者を取り逃がすわけには参りません」
『この少女を逃した場合、アリスター侯爵家が逆に罰を受けることになりますね。犯罪者を故意に逃したのですから』とイアーゴーがささやく。
『イアーゴーは黙っていて。あなたの目論見はわかっているわ』
この少女を罰することが悪役令嬢のフラグなのだ。と、いうか、馬車を止めたくらいで、罰すること事態がすでに悪役っぽい。
「お嬢様、お気持ちはわかりますが……民の範たる貴族が法を犯すわけには参りません」
馬車から降りて来たアンナも、ザックと同意見なのだろう。
この時代の感性が理解できない。え? それが普通? これが身分社会?
「お嬢様のお優しい気持ちは十分理解しています。ですが、私はアリスター侯爵家に仕える騎士です。騎士の本分を全う致します」
ザックが剣を少女に向かって振り下ろす。
止めないと!!!
だけど、なんと言って……。なんとか上手い言い逃れ方を……こういう時って、前世のラノベとかで、どうしていたっけ!!
たしか……。もう、どうにでもなれ!!!
「アイス・シールド」
私は、少女とザックの間に魔法を展開する。
カキーーーンという音が街に響く。私の氷によって、ザックの剣が弾かれたのだ。
「お嬢様、何を!?」
「ザック。あなたに問います。騎士とはなんでしょうか?」
「騎士とは、主に忠誠を尽くし、主の剣と盾となることです」
「その通りです。騎士とは、主あっての騎士。では、貴族とはなんでしょうか? 貴族とは、民あっての貴族なのです」
って、ラノベでどっかの聖女様がそんなことを言っていた気がする。それっぽいセリフを思い出したから言ってみたけれど、この状況が変わるわけでもない。この少女を見逃してよい道理となるわけではない。
しかし……
「御心のままに」と、ザックは剣を納め、私のもとに跪いた。まるで、剣を捧げる騎士のように。
なんとか丸く優ってる感じ! よかったぁと私は安堵する。
一方のイアーゴーは、『フラグがぁ〜。フラグがぁ〜』と蝿の如く飛び回っているが無視だ。イアーゴーは、明らかに私が馬車の中に留まるように誘導していた。そして、そのまま馬車の中に私がいたら、全てのことは処理され、馬車はまた動きだしていただろう。
「この御恩は一生忘れません!」と少女は地面に額を擦り付けている。私はその少女を起き上がらせ、「いえ、この件はお互いなかったことにしましょう」と言った。
そうだ。すべてをなかったことにしたらいいのだ。
「ここにお集まりの皆様。皆様はここで見た一部始終を今すぐ忘れなさい。もし、誰かにこのことを漏らしたら……」
私はありったけの魔力で氷の塊を作り出し、それを中に浮かせる。うん、全力で作ったから、上空には、二車線道路の幅を明らかに超えた、直径30メートルはある氷塊が浮かんでいる。
一気に周りの気温が下がる。
「もし誰かに漏らしたら……こうなると心してくださいね」
笑顔で、私は魔力を圧縮し、氷の氷塊を微粒子にまで砕く。
氷塊が砕かれ、粉雪のように舞い落ちてくる。無数の氷の粒子によって、太陽の光が乱反射している。
「こ、殺される。殺されるぞ」と、歩道にいた野次馬の一人が呟き、それが伝播していく。
「逃げろ〜」
野次馬たちは、我先にへと逃げ出していく。皆、逃げ出すか道の両側の店舗の中に逃げ込み、そして扉や窓は閉められる。
10秒後には、少女と私。そして、ザック、アンナと御者以外の姿は見えなくなっていた。さっきまで往来の激しかった道が、まるでゴーストタウンのようになっている。シャッター通りってやつだ。
「ほら、あなたもさっさと行きなさい。急いでいたんでしょ?」と、少女に立ち去ることを促し、私も馬車にアンナとともに乗り込む。
『いや〜。町中の人々を恐怖のどん底に陥れたけれど、あれだと悪役令嬢というより、魔王だよ。方向性を間違わないでね?』
『うるさいわね! 誰のせいよ!』
私たちも、街の警備兵が来る前に、さっさと屋敷に引き返し、街へのお出かけは日を改めることにしたのだった。