3 エリザベス、勇者を目指す
婚約式から三日が過ぎた。婚約式の終盤で倒れてしまった私は、しばらく自宅療養をすることになった。
王子との婚約、そして婚約式。極度の緊張とそれに伴う疲労と、そして感極まって倒れた、というのが医者さまからの診断である。
一般的に見れば、アリスター侯爵の令嬢として、とんだ失態である。
「王子の婚約者として、また、将来において国政を担う令嬢が、そんなことで倒れるなどもってのほか!! 婚約者に相応しくない!」
とか、そういう風評があったらよかったとさえ思う。むしろ、他の令嬢が婚約者候補として新たに擁立されればよかったのに……。
だが、父や母が涙ながらに語るには、気を失った私を抱き抱え、介抱し、回復魔法が使える神官に指示を出し、冷静かつ迅速に対応したのがフィリップ王子、私の婚約者に他ならないそうだ。
甲斐甲斐しく、私を馬車まで運び、屋敷まで送り届けてくださったのもフィリップ王子。
婚約式に列席していた王侯貴族たちに、相思相愛な様子を見せつけたということになっているらしい。
大事を見て、数日は面会謝絶。
その中にあっても、フィリップは見舞いの品を送り続ける。
送り届けられたのはピンク色のカーネーションだ。
『花言葉は、“熱愛”ですね』とイアーゴーが私の頭の中で囁く。
『裏切り者は黙っていて』
イアーゴーは妖精の姿で飛び回っている。姿は可愛いのだけれど、ハエのごとくに目障りだと思ってしまう。
まさか、イアーゴーは私を破滅させようとするのが目的だったなんて。それに私だけの問題ではない。
アリスター侯爵家が私のせいで取り潰しなどということになったら、優しいお父様とお母様。私を慕ってくれる弟のステファンとニコル。そしてこの屋敷で働いてくれている人たちなど、多くの人たちに害が及んでしまう。
『裏切り者とは心外です。ただ、私はそういう役割なだけです』
『じゃあ、なんでもっと早く教えてくれなかったのよ。あらかじめ教えてくれれば対策練れたのに』
『攻略対象キャラに関する情報は教えられません。フラグが立ったときにのみ、攻略キャラの攻略法を伝えることができます。そういうシステムですので、前向きに行動していきましょう』
『攻略法って、つまり、私の破滅への道ってことでしょ! 要らないから!』
私が転生者で、前の世界の倫理観や常識を持っていたことが幸いだった。もし、エリザベスがアリスター侯爵家の長女として甘やかされ、しかも、イアーゴーのアドバイスを素直に受け入れ、実行していたら、本当に悪役令嬢となってしまっていただろう。
少なくとも、メイドを折檻するとか当たり前にやっていたはずだ。
『そう仰らないでください。すでに対策済みです。エリザベスは、隠しキャラとフラグを立てることができるステータスをすでに持っています。隠しキャラを含めての全キャラ解放は、効率よくやっても3週目で解放できる難易度なんですがね。あとは、攻略キャラと適切に出会ってフラグを立てていくだけです』
『ステータスって……。まさか、私にいろいろ教えてくれていたのは?』
『もちろん、キャラクター開放のためです。一回しかプレイできない中、攻略キャラが限定されるのは、“悪役令嬢になろう!”を十二分に楽しんでいただくには不足ですからね』
振り返って見れば、侯爵令嬢が剣の練習をするというのは色々おかしい。剣とか武術方面にも攻略キャラがいるのかもしれない。
短剣を習うの、お父様とお母様の言う通りやめておけばよかったわ、と私は後悔をした。
『へ〜ちなみに、隠しキャラって? というか、他の攻略キャラってどこの誰? 全力でその人たちのこと避けるから』
『残念ながら教えてはいけないことになっています』
『ケチ!』
私がイアーゴーとの不毛な会話をしていると、部屋にノックの音が響いた。執事長のセバスの声だ。
「エリザベス様、フィリップ様がお見舞いに来てくださっています」
医師からの面会謝絶はもう解除されている。断るわけにはいかないであろう。
「わかったわ」
「では、私が、整えさせていただきますね」
ベッドに寝ていて癖のついた髪の毛を、専属のメイドのアンナが私の髪を櫛でとかして整えてくれる。
「ありがとう、アンナ」
「これでバッチリです。きっと、フィリップ様は惚れ直されますわ」
ノックとともにフィリップが室内に入ってきた。大きな花束を抱えて。
「フィリップ様、わざわざ足をお運びくださり感謝をい−−」
挨拶だけでもとベッドから起きあがろうとした私を静止する。
「そのままでいいから。楽にしていて」
フィリップ様はアンナに案内され、ベッド脇に置いてある椅子に座り、私の顔をじっと見つめる。そんなにまっすぐに見つめられると少し恥ずかしい。
「顔色は良いみたいだね」
「すっかり良くなりました。今は、大事を見て休みなさいとお医者様から言われています」
「婚約後の挨拶回りも、ロザリア国の大使とか、必要最低限にしておいたから安心してね」
「婚約式での失態に加え、ご迷惑を多々おかけして申し訳ありません」
「気にすることはないさ。エリザベスは僕の婚約者なのだから」
フィリップは優しく私の手を握った。
「ありがとうございます」
私の心臓が徐々に早く、そして強く鼓動を打ち始めた。
「花、飾ってくれていたんだね」
ベッドサイドのテーブルには、フィリップ様が贈ってくれたピンク色のカーネーションが活けてある。アンナが飾ってくれたのだ。
「はい……香りもすごく素敵で」
ピンク色のカーネーションの花言葉が、“熱愛”であることを思い出し、顔が熱くなる。
「気に入ってくれたみたいでよかったよ。もし、何か他に欲しいものがあったら言ってね。遠慮しなくていい」
「お気遣い感謝いたします」
ここぞとばかりに頭の中でイアーゴーが私に語りかける。
『ここは、皇帝皇后専用の別荘に行きたい、や、皇后様が婚約式でつけていたティアラが欲しいとか、蓬莱の玉の枝が欲しいとか、そういうお願いをするべきです』
『それ、お願いされても相手が困るだけでしょ』
『はい。そして、拗ねたり駄々をこねたりするのです』
『しないから!』
・
「エリザベス?」
フィリップが心配そうに私の顔を覗き込んでいた。
「ごめんなさい。少しぼぉっとしちゃって」
「僕のほうこそ長居してしまったね。ゆっくり休んでね」
フィリップは、私の手の甲にキスをして部屋から出ていく。
私はフィリップの後ろ姿を見て思うのだ。
『ねぇ、イアーゴー。私って、フィリップ様に嫌われてはいないわよね?』
少なくとも、フィリップ様は、婚約者として大切にしてくれようとはしていると思う。
『残念なことに、好感度がある状態ですね。そもそもエリザベスは美人ですし、貴族としての家柄も良く優秀で、魔法の力も強い。普通にしていれば、まず婚約破棄などされませんし、皇后として十分にやっていける人材です。ですから、ヘイトをコツコツと貯めていかないと悪役令嬢としての本懐を遂げられませんよ?』
『つまり、このまま普通に生きればよいのでしょう? 悪役令嬢になって婚約破棄される必要も、斬首刑にされる必要もないってことじゃない?』
裕福な家に生まれ、容姿能力に優れ、素敵な婚約者がいて、将来の地位を約束されている。わざわざ破滅する必要などない。
『一般的に言えばそうですが、悪役令嬢になって婚約破棄されて断罪されることが目的の世界で、あなたは主人公ですからね。例えば、勇者になって魔王を倒すゲームで、最初の村から一歩もでないっておかしいですよね? それに、エリザベスが悪役令嬢にならないと、ヒロインはフィリップと結ばれないのですよ。それは可哀そうではありませんか?』
『婚約破棄されて断罪される私のことを差し置いてヒロインの心配!? 斬新過ぎるわ!』
『それに、世界が滅ぶなら、エリザベスにはきっちりと悪役令嬢をやってほしいですね』
『世界が滅ぶ? エリザベスは世界を滅ぼす規模の悪役令嬢!?』
『それに関しては、この世界の仕様です。悪役令嬢が断罪されるのが目的の世界です。そして泣いても笑っても、学園の卒業パーティーの日が断罪される最後のチャンスなのです。そして、この日を過ぎた世界は役割を終えたことになります。主人公であるエリザベスが断罪されて死んでいるわけですから』
『なにその終わっている仕様。じゃあ、フィリップとヒロインが結ばれても、意味ないじゃん。どっちにしろ、世界が滅ぶなら』
『エリザベスを“ざまぁ”して、二人は永遠の愛を誓いました。めでたし、めでたし、で物語の幕はおります。その後のお二人の行く末なんて知りませんよ。そもそも仮に、逆ハーになったとして、その後もみんな仲良く幸せに、なんていくはずがないじゃないですか』
『まぁ誰の子供か、とかで揉めそうよね。って、どうやって世界は滅亡するの?』
『魔王が復活して、人類が滅びるのです』
『テンプレ来た〜って。この世界が必要としているのは悪役令嬢ではなくて勇者のほうだと、心の底から思うのだけど』
『この世界には勇者なんていませんよ』
イアーゴーが冷たく言い放つ。
『なんとかできないの? 私のことはともかくとして、私の家族たちには幸せに暮らしていってほしい』
『それならば、エリザベス。あなたが悪役令嬢かつ勇者になるしかありません。この世界の主人公は、他ならぬ、あなたなのですから!』
『私がやるしかないなら、やる! だけど、勇者だけでいいから! 悪役令嬢は要らない! そういう路線、求めてない!』
私は、この日から、勇者を目指すことになった。