表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

Witchcraze

作者: 月詠来夏

 最初に視界に飛び込んできたのは、血塗れになって倒れていた両親だった。


 家内の明かりとなる蝋燭の炎が掻き消え、家具や食器は見るに堪えない程に荒らされていた。料理や飲み物も床に叩き落とされている。

 当たり前のように存在していた家族の団欒が、粉々に破壊されていた。

「……母さん…? 父さん…?」

 非日常に引きずり込まれて傷付いた両親を目前に、一人の少年は目を見開いていた。身体が小刻みに震え、冷や汗がたらりと伝っている。

 誰が、こんなことを。

 少年は母の元に駆け寄った。

 父は顔をうつ伏せにしたまま動かなくて、息をしているのか分からない。だが、少なくとも母は顔を少しだけ上げて、愛する息子に目線を向けていた。

 少年は血塗れの母の肩を両手で掴む。

「母さん、一体何があったの……!? 誰がこんなことを……」

 訳が分からず、少年はただ焦っていた。両親が死んでしまうということよりも、両親がいなくなった後の自分のことを心配していた。

 弱い自分が、両親に手を引かれなくても生きられる。

 それが、少年には到底考えられないことであった。

 母が、虚ろな目を向けた。何もなかった頃とは、まるで真逆の目付きをしている。前はもっと明るい、太陽のような目をしていた。

 弱々しく、彼女は唇を動かす。

「……魔女よ……」

「え?」

「私と……あの人を、襲ったのは……『最恐の魔女』、だったわ……」

 少年は首を傾げ、さらに焦った。

 『最恐の魔女』という言葉は、少年はもちろん、少年が住んでいる村の者は誰でも知っていた。

 村では、『最恐の魔女』は最も恐るべき存在である。『最恐の魔女』というのは村の人々が作った呼び名だ。

 本名は愚か、性別や容姿は明かされておらず、どこに住んでいるのかでさえ誰も知らない。遥か昔のことを知っている賢者でも、何も知らないという。

 もはや、『最恐の魔女』の存在は伝説とされていた。少年自身も、『最恐の魔女』はおとぎ話のような存在だと考えていた。

 そんな幻のような存在が両親をこんな目に遭わせたということが、たまらなく悔しく思った。

「ねえ母さん、『最恐の魔女』ってどんな奴だった? 村の皆に教えれば、きっと探してくれるよ……」

 少年が母にそう問うたとき、何か違和感を覚えた。それと同時に、嫌な予感が心を支配する。

 母から返事が、返ってこない。

「……かあ、さん?」

 母から返事が、返ってこない。

 それは当然だ。唇は血の気が失せて、虚ろだった双眸は閉じている。彼女の肩に乗せていた少年の両手は、赤く染まっている。

 もう、帰ってこない。

「ひっ……」

 少年は目の前の現実を脳に叩き込まれたような感覚に襲われて、その場から飛び退いた。

 急に恐ろしくなる。父は未だに微動だにせず、母はたった今動かなくなった。

 嘘だ、と少年は母から目を背けた。複数の感情が渦巻いて、腹を抱えて嘔吐く。

 これが、現実なのか。

「うわあぁぁぁぁぁッ!!」

 苦くて気持ち悪い味が、叫びとともに吐き出される。あまりにも気持ち悪くて、耐えられない。

 現実を思い知る。苦くて、見るに堪えなくて、目を背けたくなる。


 この日、少年はあることを決意した。

 そして誰かに、強くなろうと誓った。

 それが誰なのか、少年は分かろうともしなかった。



 『最恐の魔女』が引き起こした殺人事件から、十年以上が経過した。事件を機に人口が流出した村は廃村とされ、その跡地に王国軍がやってきた。

 東の大国から直接派遣された王国軍は、人気のなくなった土地を開発し、小さな商業都市にまで発展させることができた。

 そのおかげか、村を出ていった人々も徐々に戻ってきて、村であった時代より約三倍の人口へと膨れ上がった。

 また、十年前には考えられなかった思想も生まれた。

 世間は『最恐の魔女』を世の中の敵とみなした。

 『最恐の魔女』は魔術を使い、二人の人間を殺したとされている。にわかには信じ難いことであるが、東の大国の上位者が「魔術の仕業である」と公に発表したのだ。何も知らない、知ろうとしない人々が、国の上位者が言うことを信じない訳がなかった。

 世間は魔術を使う者及び魔力を持つ者を見つけては片っ端から刑に処した。だが彼らは世の中に数多く存在し、一人一人を殺していてはキリがない。

 そう考えた世間は、とある組織を作り出した。全世界に分布させて有志を集め、やがて大きな組織として姿を変えた。

 それが、『罰を下す者達(トルチューラー)』。魔力を持つ者を狩ろうとする思想、『魔女熱狂(ウィッチクレイズ)』を根本としている部隊であった。



 その日は、珍しく大雨が降り続いていた。

 トルチューラーの本部の一室で、一人の青年が窓の外の景色を眺めていた。街の中には、誰もいない。だが、質素な部屋の中で暇を持て余していた彼にとって、退屈しのぎ程度にはなっている。

 ────そんな彼の退屈を破る者が現れた。

「ハルト。仕事だぞ」

 閉め切られていたドアを開けて、とある男が青年の名を呼んだ。

 窓から目を離し、青年──ハルトは漆黒の短髪を手ぐしで梳かす。黒縁の眼鏡をかけ直し、組織の制服である灰色の軍服を着直す。

 暇を持て余していたとは思えぬ程、真面目な空気を纏っていた。

「やっと来たか……」

 ハルトの目付きは冷静だ。だが、彼の青い瞳の奥には、何か昂った感情がめらめらと燃えていた。


「君にはしばらく仕事を与えていなかったからね。退屈していただろう」

 ハルトと彼のことを呼んだ男が、廊下を並んで歩いている道中、男はハルトに尋ねる。

 彼は黙って首を横に振る。

「別に。外を眺めているのも、結構楽しかったので」

「またまた……見慣れた景色なんて眺めても楽しくないだろう。特に今日は大雨だ。街を散歩している奴なんかいないだろうに」

 それがいいんですよ、とハルトはため息混じりに答える。男は不思議なものを見るかのような目付きをした。

「誰かが幸せそうに歩いているところを見ずに済みますから。特に……家族とか」

「あぁ、そうか……そういえばお前、両親があの事件で殺されたんだったな……家族とか、羨ましいだろ」

 ハルトは押し黙る。隣にいる男に気づかれない程度に唇を噛み締める。あのときの悔恨や喪失感、そして憎悪が蘇る。


 十年前のあの日、まだ十歳の少年だったハルトは両親を失った。それも、病気や事故の類で失ったのではない。殺されたのだ。伝説の存在とされてきた『最恐の魔女』によって。

 両親が殺された後、ハルトは同じ村の中に住んでいた親戚の元へ預けられた。親戚の義父と義母も両親に負けないくらい優しかったが、それでもハルトの中から喪失感が消えることはなかった。

 ハルトは強くなろうと思った。両親を殺した『最恐の魔女』を倒せるぐらいに、戦えるようになろうと決心した。幸い、義父がナイフによる戦術と射撃を習得していたので、義父から戦闘技術を学び、自分に叩き込んだ。

 だが、戦術ばかりが優秀でも意味はない。ハルトは生まれつき頭は悪い方ではなかったので、戦術の編み方なども独学で学んだ。村には学校がなかったので、自ら研究もした。

 その努力が実った結果だろうか。十八歳になった時、魔力を持つ者を狩ることを目的とするトルチューラーの存在を知り、志願した結果なんとか入隊することができた。『最恐の魔女』を探して仇討ちをするためには、それが一番の近道であると、ハルトは信じながら動き続けている。


「それで、仕事って何ですか?」

 心を落ち着けてハルトが男に尋ねると、彼は「あぁ、そうだったね」と本来の目的を思い出す。自分から話を逸らしたくせに忘れるとは。ハルトは内心で呆れていた。


「君には、『最恐の魔女』を探してほしい」


 ────予想もしなかった仕事の内容だった。ハルトは思わず、えっ、と声を上げる。

 この男は、ハルトの上司だ。ハルトがトルチューラーに入隊する際、男はハルトの事情は皆知らされている。

 『最恐の魔女』によって殺された夫婦の一人息子。そんな彼に『最恐の魔女』の名を出すとは、ハルトはなかなか度胸があると思った。

「『最恐の魔女』を、俺に探せって言うんですか? 探すだけですか?」

「いや、既に上から殺害許可は出ている。上は早く、『最恐の魔女』を狩りたいようでね。君だって、仇討ちにはちょうどいいだろ?」

 ハルトはぐっと拳を握りしめる。心の奥底で、憎しみの炎が燃えたぎる。

 両親を殺した『最恐の魔女』。奴をこの手で闇に葬れるチャンスが、こんなにも早く巡ってくるとは思っていなかった。

 ハルトは口元を緩める。そして、ニヤリと小さく笑う。

 ────俺が、奴を。

「分かりました。今から行くのですか?」

「ああ。大雨の中で悪いがね。部隊もある程度編成してある。お前の好きなように動かせばいい」

「……信用してくださってるんですね」

 ハルトは怪訝そうな顔をする。自分がこんなに優遇されるのは初めてだ。まだ組織に入って二年ほどしか経っていないというのに、一つの部隊を動かせるほどの権限を与えられるのは少し不自然に思えたからだ。

 男は「そりゃあそうだろ」と当たり前だと言うような物言いをする。

「お前は優秀だからな。そろそろ部隊を統率してもらうのもいいかと思ったんだ。いい経験になると思うよ」

「……ありがたいです」

「さて。そろそろ仕事に行ってもらうよ」

 はい、とハルトは短く答える。男は微笑むと、廊下をそそくさと歩き始める。

 上司や組織の皆に信用されているかと思うと、ハルトは自分の存在が組織の中で認められてきているように感じた。最初はなんとなく組織の中でも孤立していたが、段々とその中に溶け込めてきているように思えた。


 止む気配のない土砂降りの中、ハルトは十数人の部隊を連れて、『最恐の魔女』を探す任務のために、近場から森の中に入る。

 『魔女熱狂』が認められる時代になってから、魔力を持つ人間の住む場所はないに等しくなった。そのために、彼らは深い森や山の中などの人気のない場所で生きていることが多い。

 今回ハルトが命ぜられた任務は、『最恐の魔女』を探し出し殺すことだ。だが、目的はそれだけではない。他にも魔力を持つ人間が潜んでいれば、同じように殺さなくてはならない。それがトルチューラーの存在する理由だからだ。

 組織を作った理由の発端は『最恐の魔女』であるが、世の中の人々は魔力を持つ人間が皆殺しにされることを望んでいる。トルチューラーはそれを過大に期待されている。そしてトルチューラーに所属する者達に、魔力を持つ人間は罪がなくとも殺さなくてはならない。

 たとえ相手が、女子供であったとしても。

「…………」

 大雨の中、ハルトはナイフを握りしめて辺りを見回す。部隊の仲間も同じように、人の気配がないかどうかを探す。

 今の人類には、相手が魔力を持っているかどうかを肉眼で判断することはできない。だが、魔力を持つ人間は危機に陥ると、無意識的に魔術を発動することが多い。気の毒ではあるが、人気のない所にいた人間を威嚇し危機に追い詰めれば、魔力を持つ人間を見つけることができるのである。

 森の奥へ奥へと、足を運ばせる。その度に、不安さは大きさを増していく。土砂降りの雨が降っているから、余計に安心感は失せていく。

 何故こんなに天気が悪い日に、自分は働かなければならないのだろうか。せめて曇りのように穏やかな天気であれば、こんなに不安にならずに済むものを。

 こんなに気分が沈んでいては、仇討ちする気にもなれない。

(しかし、仕事だからな……私情ばかりを挟んでいるわけにもいかない)

 『最恐の魔女』を狩ることは、十年前から決めていたことだ。奴を狩ることによって、両親の仇を討つ。それが、ハルトがトルチューラーに入隊した一番の理由だ。

 だが、多くの人間が所属する場所に身を置いていると、それなりの代償も生じてくる。ハルトに仇討ちといった事情があるのと同じように、他の人間にも事情は存在する。

 組織内で共に活動している以上、仲間に協力しないわけにもいかないのだ。

(早く、奴を見つけなければ────)

 そう思い、ハルトが一歩踏み出すと。

 ぐにゃり、と地面が歪んだ。

「っ!?」

 地面だけでなく、目の前の景色も歪み始める。振り返って仲間達の安否を確かめようとしても、同じように空間が歪んで何も分からない。仲間が何かを言っているように聞こえるが、はっきりと聞こえない。

 ミルクを混ぜたコーヒーのように渦を巻きながら、木々の緑と地面の茶色が混ざり合う。

(まさか、魔術……!?)

 今まで、ハルト自身が魔術を見たことはなかった。そのため、魔術がどのようなものであるのか、空想上でしか考えることができなかった。

 これは地面が歪んでいるのではない。空間を歪ませているのだ。

 そのうち、ハルトは空間の渦に眩暈がしてきて、視界が暗んでいくのを感じた。


 優しいハーブティーの香りが、ハルトの鼻にすっと入ってくる。その違和感に目を覚まし、ハルトは勢いよく身体を起こした。

 自分が寝かされていたのは、白くふかふかなベッドの上だった。そして今いるのは、先程までいた冷たい大雨の中とは違い、とても暖かいログハウスの中だった。

 あの空間の歪みに遭遇したとき、自分は倒れたのだろうか?黒縁の眼鏡も、持っていたナイフもそのままだ。空間の歪みのせいで倒れた自分を、誰かが運んでくれたのだろうか。今のハルトには、そんな疑問ばかりが浮かんでいた。

 そんな風に思考を巡らせていると、部屋のドアがゆっくりと開いた。ハルトは思わず身構えるが、ドアを開けた人物を見ると、無意識に顔付きが緩む。

 ────春の花を形にしたかのような幼い娘が、ドアの傍に立っていた。

 娘は大体十二歳程の見た目で、真冬の凍りついた雪のように白く短い髪である。短いといっても、肩につく程度の長さだ。赤みを帯びた色の双眸が、やけに目立つ。だが、桃色のワンピースを身に纏っていて、どこか可愛らしい雰囲気を持っている。

「あの……大丈夫?」

 娘は震えた声で、ハルトに尋ねる。怯えられているのだろうと思って、ハルトは身構えるのをやめてベッドから降りる。

「俺は平気だ。……お前が俺を助けてくれたのか?」

「助けたというか……そうかもしれないね。とりあえず、お茶でも飲みながら話そう?」

 分かった、とハルトはため息混じりに答える。し娘は軽く一礼すると、部屋から急ぎ出た。

 この娘があの空間の歪みに直接関係していると思っていたが、彼女自身も事情をよく理解していないらしい。

 正直な話、ハルトは彼女と話しても何も得られないのではないかと思った。しかし周りの音に耳をすませてみると、まだ外では大雨が降っている。ここで雨宿りをしたほうがいいだろう。

 ハルトが部屋から出ると、先程の娘がティーカップにお茶を注いで待っていた。一人用の丸いテーブルに、二つの椅子を左右対称に設置して置いてある。

「いいよ、座って」

 お茶を手にした娘の声は、もう震えてはいなかった。口元を緩ませて、和やかな雰囲気を纏っている。

 ハルトは娘の反対側に座る。目の前にはお茶が置かれていたが、ハルトはすぐには飲まなかった。万が一、毒の類が入っていれば困る。こんな可愛らしい娘が毒殺などを考えているようにも見えないが。

「私はユリア。この家でずっと一人で暮らしているの。あなたは?」

 娘──ユリアが微笑みながら自己紹介をすると、ハルトに問うた。彼は真面目な顔付きを崩さずに口を開いた。

「ハルト。トルチューラーの一員だ」

「とるちゅーらー……? それは何?」

「……トルチューラーを知らないのか? 魔力を持つ人間を殺す集団だよ」

 ハルトから発せられた言葉があまりにも残酷だったのか、ユリアは少し強ばった顔をした。ハルトはそんな彼女に疑念を抱く。

 彼女はもしや、魔力を持つ人間だろうか。こんな森の奥深くに住んでいる人間はそうそういない。それに、彼女一人で暮らしているというのが引っかかる。

 もし、彼女が魔力を持つ者ならば、トルチューラーの一員として彼女を殺さなくてはならなくなるかもしれない。

 だが、ハルトは何もしない。

「……私を、殺しに来たの?」

 ユリアが再び、震える声でハルトに問う。この問いで彼は確信する。彼女は魔力を持つ者だ。トルチューラーの、世間の敵である存在。

 お茶が冷めていくことにも気付かず、ユリアはただハルトの青い双眸だけを見つめていた。

 まるで、命乞いをする弱い人間のように。

「……俺はお前に興味はない。ただ、聞きたいことがあるんだ」

「な……何?」

 少しだけ救われたような顔をして、ユリアは聞き返す。

 躊躇うように息を吐くと、ハルトは顔をしかめて口を開いた。

「『最恐の魔女』は知っているか?」

「えっ……? それって……」

「知っているのか知らないのか、それだけ答えればいい」

 ハルトは口調をきつくした。だが、ユリアは神妙な顔付きになる。

「知ってるも何も、『最恐の魔女』は私のおばあちゃんだよ」

 ────もう死んじゃったけどね。

 ユリアは付け足して、お茶を一口飲んだ。

 何気なく発された彼女の言葉が、ハルトには一瞬だけ嘘に聞こえた。

 自分が仇討ちのために追っていた『最恐の魔女』は目前の少女の祖母で、もうこの世にはいない。事故なのか寿命なのかは分からないが、ハルトは「奴が死んだ」ことに衝撃を受けていた。

 その衝撃を壊すかのように、ハルトは目の前のティーカップのすぐ近くに拳を振り下ろす。

 ガチャン、とカップとソーサーがぶつかり合う音が部屋中に響き渡る。ユリアは先程までとは違い、至って冷静だった。だが、ハルトの拳はわなわなと震えている。

「『最恐の魔女』が、死んだだと……!? いつの話だ!」

「……あの事件が起きた数日後のことだよ。私はまだ小さかったからよく知らないけど、おばあちゃんはあの後に息絶えたの。多分、寿命だったと思う」

「そんな……それじゃあ、俺が今までやってきたことは……全部」

 無駄だったのか。

 声もなく口だけが動いた。

 『最恐の魔女』は、ハルトの両親を殺した後すぐに死んだのだ。ハルトがまだ力のない少年だった時代に、彼女は他界した。彼が仇討ちをする前に。

 ハルトはひどい憎悪に苛まれた。その矛先が誰に向けられるのか、ハルトには分からなかった。

 既にこの世にはいない『最恐の魔女』に?彼女の孫であるユリアに?呆気なく殺されてしまった両親に?

 それとも、何もできなかった自分に?

 誰に向けるべきか、ハルトには知る術がなかった。

「……あなたは、おばあちゃんに殺された人の家族なの?」

 唐突にユリアが尋ねてきて、ハルトは顔を俯けたまま答える。

「……息子だ……両親の仇を討つために、お前の祖母を殺そうと、今まで……!」

 言葉を紡いでいる途中に、ハルトの双眸から涙が溢れ出てきた。大粒の真珠のように、玉となって伝い落ちる。

 今まで自分がやってきたことは、何だったのだろう。義父から戦術を学んだのも、独学で戦い方を研究してきたのも、全ては『最恐の魔女』を倒すために、地道に積み重ねてきたことだった。

 だが、ハルトがそうやって努力を重ねていくうちに、『最恐の魔女』は息絶えた。ハルトが手を下す前に、彼女は寿命でこの世を去った。

 目の前の少女には、この悔しさは分かるまい。

 仇を、この手で打てなかった悔しさは。

「……たとえ、おばあちゃんが今でも生きていたって、あなたが殺したところで、あなたは救われないよ」

 胸を貫かれるような痛みだった。認められない正論が、ハルトの胸を刺した。

 それに耐えきれず、ハルトは立ち上がって懐からナイフを抜き取る。ユリアにナイフを突き付けた。

 バタン、と椅子が倒れる音が、部屋中に寂しく響く。

「お前に何が分かる!? 今まであった平和が、突然知らない奴に奪われる悲しみを、悔しさを、憎しみを……お前は知っているのか!?」

 ハルトは感情に任せて怒鳴る。ユリアは凶器を突き付けられても、何かを見据えるような目をしたままだ。

「私には、分からないよ。あなたの過去も、苦しみも、何も知らない。だけど、もうおばあちゃんはいないんだよ? 仇討ちなんて、できるわけがない」

「そんなの、分かってる……だけど、俺はずっと、あいつを殺すことだけ考えていた……今更、別の生き方なんて考えられない」

 まさにその通りだった。ハルトは十年前から、『最恐の魔女』を殺すことしか考えていなかった。それが人生の目標と言っても、過言ではなかった。

 ハルトには、仇討ち以外の生き方を思い付く事ができないのだ。

「……そう」

 ユリアは小さくため息を吐いた。本当に、意識しなければ分からないぐらい小さなため息だった。ハルトは、そのため息に気付いていない。

 彼女は、突き付けられていたナイフを奪い取る。

「なっ……!?」

 油断していたハルトは、目を見開いた。ナイフを奪われたことよりも驚くべきことがあったからだ。

 ユリアが立ち上がり、奪い取ったナイフを自分の心臓に向けていたからだ。

「なら、『最恐の魔女』以外の魔力を持つ者を殺せばいいじゃない。目の前にほら、いるでしょう? 『最恐の魔女』の孫娘が」

 殺せ殺せと願っているのか、ユリアはハルトの心を煽る。

 だが、ハルトは彼女が死ぬことまで望んではいなかった。

「さっきも言っただろ、お前に興味はない! お前が自ら命を絶とうが、俺は何も変わらない」

「私もね、迷ってたんだよ」

 ユリアの言葉に、ハルトは口を閉じる。

「おばあちゃんがいなくなって、魔力を持たない両親は、私が魔力を持っていると知った途端、私を捨てた。魔力を使って、今まで独りで生きてきたけど、大好きだった両親に捨てられた悲しみはとてつもなく大きい。この心の穴が塞がることはないの」

 ────彼女もまた、ハルトと似た境遇だったのだ。

 ハルトは『最恐の魔女』によって、両親を失った。ユリアは、魔力を持つか持たないかの違いで、両親に捨てられた。

 両親を何らかの原因で失ったということだけが、この二人に共通していた。

「だから私は死のうと思った。寂しい世界でただ独り生きるぐらいなら、消えてしまいたいって思ったんだ。けど、できなかった。死ぬ勇気がなかった」

「……だから、俺に殺させると?」

「そう。あなたは魔力を持つ人間を殺す人でしょう? 仕事にもなるし、一石二鳥じゃない?」

 先程に、震える声で部屋を覗いてきた少女とは思えなかった。これが彼女の本性か、とハルトは押し黙る。

 一石二鳥どころか、一鳥にもならない。

「……『最恐の魔女』の仇になる奴なんて、誰もいない。仕事なんか、正直どうでもいいんだ」

 ハルトが言い放った言葉が、逆にユリアの胸を貫く。彼女の目が見開かれる。

「なんで、そんなこと言うの……? 私は『最恐の魔女』の孫なんだよ!? 魔力だって持ってる……私は世界に、死ぬことを望まれているんだよ! だから、だから……」

 あなたはここにやってきたんでしょう。

 ユリアは感情が昂っているが、ハルトは逆に段々と冷静になってきた。

 彼女は親に捨てられた孤独のせいで、心を病んでしまったのだ。魔力を持つ人間だから、いなくなった方がいいと自暴自棄になっている。

 ハルトには、何が正しいのか分からなかった。

 世間が、人を殺した『最恐の魔女』だけを憎めば、きっとユリアも、他の魔力を持つ者達も、世間に殺される恐怖に怯えることはなかっただろう。

 結局、悪いのは多数派の人間共の方だ。

 いつだってそうだ。世間が聞き入れるのは、数人の権力者と、それに賛同する者達の声だけだ。少数派の意見など、きっと聞いているふりをしているだけで、実際は耳をすり抜けていくのだ。

 ハルトは無性に腹が立った。この世界の不公平さに、怒りをぶつけたくなった。

 こんなの、間違ってる。

 ハルトはテーブル越しに、鈍色に光る刃を掴んだ。ユリアは動かないが、ハルトの手の平から鮮血が垂れ落ちた。

「俺は、仇を討つことだけのために生きてきた。だけど、それも今日までだ」

 ハルトの口調が、どこか力強く感じられた。ユリアは救われたような目付きをして、開いたままの口を閉じた。

「お前みたいな、罪のない人間を助けたい。俺は、それが正しいと思うから」

 何が正しいことなのか、ハルトには分からない。いや、ハルトだけでなく、他の誰でもそれは永遠に分からないことかもしれない。

 だが、分かる必要もないと思った。人の数だけ正解は存在するのだろうし、誰だって何かしらの信じるものを持っている。

 自分が信じたいものを信じれば、人生はどうにか回るのかもしれない。ハルトはそう答えを出した。

 ユリアの唇が、僅かに笑った。



 一方、どこかへ消えてしまったハルトを探しに、上司の男が森の中にやってきた。

 ハルトが統率していた部隊の仲間は探している最中であり、男もそこに賛同していた。

 森を突き進んでいくと、雨上がりの夜の中に小さな明かりがあった。部隊と男は、黙ってその明かりに向かって歩いていく。

 だが。

「……これは、一体……?」

 男が唖然として、そこにあるものを信じられなさそうな表情をしていた。

 明かりの正体は小さな炎であった。家か何かがあったのだろうが、跡形もなく焼き捨てられている。炎はそのときのものだろう。

 そして、炎の近くに落ちていたもの。部隊の者達と男が一番驚いたのはそこだった。


 ────トルチューラーの勲章が、乱暴に捨てられていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ