【江戸時代小説/男色編】幸一時
“人間五十年”なんて言ったもんだよ、昔は……といっても、江戸時代の話だがね。
ひとの一生は短いことをわかっていたから“楽しく生き、粋に生きる”ってのが、江戸人に流行ってね……だけども、楽しくっていうのは農民や町民の間の話で、廓社会ってのはそれはそれは武士の世界並に厳しかったモンだよ。
売られてくる前の身分や年齢なんかは一切関係なく、一日でも早く入ったほうが先輩。上下関係がはっきりしている世界だった。
陰間として売れるのはおおよそ十一から二十までの男児で、立派な売り物にするために陰間一人につき、まわしと呼ばれる兄貴分が一人、つきっきりで客を手に取る手練手管を一から教え込むわけ。
陰間は血を飲む思いで花盛りを過ごすというね。十五から十八までの花盛りにとる客は一日一人どころじゃなかったし、乱暴な客相手も笑顔を絶やさず接客しなけりゃならなかった。
「泣くのは、止しなッ。化粧が落ちる。化粧が落ちたら、オトせる男もオトせなくなるンだから」
先輩陰間にそう言われるのなんてザラ。いびられたり陰口言われたりするのにも慣れてかなきゃならない。
そんな世界の片隅に、肝っ玉据わってる枯れかけ陰間が一人いた。
「六花ァよォ、またそんな辛気臭せぇ顔しやがって、最後ぐらい店に恩返ししな」
そう、上さんに叱られても、もうすぐ年季明けの六花にとっては、屁でもなかった。
ただ一つ、気がかりなことといえば、店を出てからの身の振り方だった。
あるとき、常連客の加茂屋の若旦那が今後の身の振り方をどうするのかと尋ねてきたので、六花は話の流れで言ってやった。
「こんな古井戸(お尻との掛詞)がイイなんて云う物好き、いやしめェよ」
誘惑すンのも、陰間の仕事のうちさね。客が逃げないように、また足を運んでくれるように、思ってもないことをへらへらしながら並べるのが、六花は得意だった。
「あーあ、だれか見受けして(もらって)くれりゃあな」
ちょいとばかり上目遣いでほほ笑みりゃ、相手はイチコロさ。
冗談で言ったつもりが、相手が本気にとっちまったもんで、そっから握り飯が坂を転がり落ちるように当人の思いを置いて話が進んでった。
若旦那に言い寄られて二ヶ月、若旦那のことは特別好きでなかったが自由になるならと、考えた末に六花はその旦那と契りを交した仲になった。
これがいけなかった。
六花はほかのだれにも肌を触らせるのが嫌んなって、終いにゃ客をとりたかねぇと番頭向かってメンチ切ってやった。
店としてはまだ売れる年にゃ違いなかったが、六花にとっての若旦那は運命の相手だったンだろうと番頭は考え改め、年季明けにゃ少し早いが、常連客に見受けされるってンなら、このまま年季明けでよいだろうと沙汰を下した。
しかし、幸せがそう長く続かないのが世の常である。
若旦那は三か月もたたねぇうちに病で死んじまって、六花は独り身ンなった。
この訃報は六花のいた店にも届き、番頭は六花のことを不憫に思って、まわし(付き人。金剛ともいう)として働く気はないかと声をかけてやった。
六花は名を六助と改め、世話ンなりますって頭下げて、若衆の世話役を立派にこなしてったということでい。
おしまい