7話/プールサイド制圧劇
「何、もう始めるだと? 指示された時刻はまだ先だぞ?」
「早くしないとまずいんだよ! 仕込みをしてるところを強化者の娘に見つかったんだ、このままだと予定が丸ごと頓挫する!」
「テメェのヘマじゃねえか、馬鹿野郎が……! おいリーダー、どうするんだ!?」
「……仕方ねえ、予定は前倒しだ。失敗しちゃ元も子もねえんだ。いいかお前ら――」
物陰で話す男たちの会話を聞きながら、何かプールでイベントでも始まるのかなあ、とぼんやり考えるトウジ。
やや人気の少ない隅っこで、ミライを探すついでにプールエリアをぐるりと見渡す。
屋外プールは、真夏の日差しにきらめいていた。円形の流水プールを浮かんでいく水着姿の人々。背中に子供を乗せ、機械的な犬かきでぐるぐるとプールを泳ぐカキョワンくん(防水仕様のようだ)。
遠目に見える波のプールは勢い激しく、波を抑えるための消波ブロック――テトラポッドと呼ぶこともあるが、これは登録商標である――まで備え付けられている。流石に、海に設置されているものよりは小型だったが。
(……一人で遊んでると寂しい奴みたいになるし、早くミライさん来ねえかな……)
所在なさげに立ち尽くす。
そんなトウジの下へ、近づいてくるいくつかの人影があった。
トウジは振り返り、そして思わず目を見開く。
あれだけやられてまだ懲りてなかったのか、と。
「よぉ、竜胆。こんなとこで一人か、オイ?」
白い髪に、青い瞳。
顔つきは精悍ながら、嫌味ったらしく歪んだ口元。
学院でトウジを甚振ってくるクラスメイトの代表。
一週間前ミライにボコられた男子生徒。日本刀の強化者である、御剣ハヤトが目の前にいた。
やや周囲を警戒しつつ、こちらに向かってくるハヤト。そしてその取り巻き四人。
中には前回ハヤトと一緒にミライにボコられた二人も混じっている。が、彼らは他と違って明らかに狼狽えた様子だった。臆していないのはハヤト一人だ。
「テメェみたいな低脳が、何サボって遊んでやがんだ、なあ。補習行ってろよ落ちこぼれ」
「お、おい御剣、やめろって。またあの女が来たらやべぇよ……」
「ビビってんじゃねえよ、一ノ内! 舐められたままで終われってのか!? いくら強化者だって、プールにまで武装を持ち込むヤツはいねえんだ。この人数で囲んじまえば、あの女が来てもどうにだってなるだろうが!」
ハヤトが取り巻きの一人――タイヤの強化者の二車クドウと話すのを見ながら、猛烈な面倒くささに気が沈むトウジ。
女性相手に五対一でプライドは無いのか、とか、ミライさんは肉体が武装だから意味ないぞ、とか、多分やったところでミライさんが普通に勝つぞ、とか、色々言いたい気持ちもあったのだが、もはや突っ込むのも面倒くさい。
思わず無視しようとするが、ハヤトの方はそんな態度が気に食わなかったらしい。まるで右手で噛みつくかのようにして、勢いよくトウジの首を掴んでくる。
「なんか言えよ、竜胆。姉貴の影に隠れてブルブル泣いてた雑魚が」
「……いや、五対一で人をボコろうとしているお前に言われてもなんかな……」
「ッ! 黙れっ、Fランクが調子に乗ってんじゃ――」
「というか、やめようぜ。お前らだって武装持ってないじゃん」
「あァ? だから何だよ、それなら対等だって言いてえのか!? 武装自体無いお前がいきがってんじゃねえ!」
「俺は持ってるぞ、武装」
トウジはハヤトの二の腕を掴み返し、《ウロボロス000》を発動させる。
トウジの皮下に生成される筋繊維の束。上がった腕力はハヤトの腕を強く締め上げ、その体までも軽く浮かせかける。
「なッ、ぐ……!?」
「だから多分、一対五でも俺が勝つ。武装有りの強化者と武装無しの強化者にどれぐらい差があるのか、お前らはよく知ってるだろ?」
「どういうことだ、こんなッ、ただの肉体強化でこんな馬鹿力が出るわけ……!?」
「俺は、弱い者イジメなんてしたくない。それと今日もミライさん――先週お前らをボコった人なんだけど、一緒に来てるから見つからない内にどっか行った方がいいぞ。クラスメイトが死ぬところとか見たくねえし」
ハヤトは、この前の惨状を思い出したのか、ぞくりと震える。慌ててトウジの手を振り払い、逃げるようにその場を去っていった。
前回ミライに締め上げられた二人も既にその場を離れていたが、あの場にいなかった残り二人は、どうにも状況についていけていない様子だった。
「んだよ御剣のやつ、なんで竜胆相手に……」
「時間の無駄だと思ったんじゃね? 俺らも放っとこうぜ、こんな――」
「おーい、少年! ここにいたのか、いや、私が行きそうなところから探すべきだったな、今考えると!」
小走りでやってきたのは、黒い長袖ラッシュガードを着たミライである。
既に一度水に入った後らしく、濡れた生地はミライの豊満な身体にぴたりと張り付いていた。
中でも胸元のそれは顕著だ。サイズが合わないなら無理に前を閉じなければいいものを、ファスナーを強引に上げたせいでその大きなバストを随分と強調してしまっている。
家では遠慮なく下着姿を見せているミライなので、例えビキニ姿でも動揺しない自信があったトウジだが、これはまた別の衝撃があった。思わず視線を逸らし、顔を赤くする。
そばにいるクラスメイト二人も同様だったのか、ミライに目を釘付けにされていた。
当の本人はきょとんとした様子で、トウジに近寄り、彼の耳に小さくささやく。
「アレって確か、わた――君のクラスメイトだよな? 誰だっけ?」
「っ、だからミライさん近いって……! そっちの、背高いのが鎌の強化者の四草で、低い方がスタンガンの強化者の五ツ妻。ミライさんの知り合いなのか?」
「まあ、知り合いっていえば知り合いだが……名前聞いても思い出せないな」
首を捻るミライ。そんな彼女に、クラスメイト二人が笑顔を作って声をかける。
「あ、お姉さん竜胆の知り合いッスか? 俺ら、コイツのクラスメイトで――」
「まあ思い出せないってことは大して関わりのあるやつでもなかったんだろう。まず何から行く、少年? いきなり派手なの行って足とか攣っても困るし……いや、君には《ウロボロス》があったか。ならいきなりウォータースライダーから行っても――」
「いやいや、ちょっと待ってくださいって!」
二人の内の片方が、立ち去ろうとしたミライの手首を掴む。
それはいかにも乱暴なやり方だった。爪が食い込んだのか、わずかに顔をしかめるミライ。
「制服着てないから分かんないかもしれねえけど、俺、強化学院の生徒なんスよ。そいつと違って、もうDランクの認定受けるところで――」
「おい」
トウジは、そのクラスメイトの肩に手をかける。
「あ? なんだ竜胆、邪魔してんじゃねーよ」
「離せよ」
「はァ? おい、Fランクが誰に向かって何言って――」
「お前に離せって言ってんだよ!」
トウジの腕が目に見えて膨れ上がった。
「なっ――」
皮下に生成される十キログラム近い強化筋肉塊。それはもはやインドゾウすら軽く仕留められるほどの豪腕だった。腕力を爆発的に上げたトウジは、全力でそのクラスメイトをミライから引き剥がす。
「――へ?」
いや、「引き剥がす」では留まらなかった。
「う――うわぁああアアアッ!?!?」
高々と、軽々と、宙を舞う男子生徒。
彼は吹き飛んだのだ。トウジが引き出した、凄まじいほどの力によって。
十メートルは飛んだだろうか。プールの水面に勢いよくそれが落下し、大きな水柱が上がる。
普通の人間なら間違いなく重体だが、相手も強化者だ。幸い、大きな怪我などはなかったらしい――慌ててプールから上がり、肩をかばいながら逃げ出していく。残っていたもう一人も、それを追うようにして逃げ出した。
トウジは強化を解除する。仮想質量で生成された細胞は即座に自己死を起こして体外へと排出され、灰のような形で風の中を流れていった。
「やり過ぎだ馬鹿」
「ぐぶッ!?」
ミライがトウジにチョップを入れる。頭蓋を割るような威力に、トウジは思わず呻きを上げた。
「私に言われたくないだろうが、弱い者イジメしちゃダメだろ。もうFランクじゃないんだぞ、しっかりしろ。あそこにいる監視員の人に怒られたらどうするんだ」
「いづぅ……その、あそこまでやるつもりはなかったんだけど、何か力み過ぎて……」
「まだ制御力が足りてないか。総合的にはCランクでも、制御のパラメータじゃDいくかいかないかぐらいだしな……。明日からは、出力のコントロールをもっと重点的にやった方がいいか」
ううむと悩み込むミライ。
しかし、途中で切り替えるようにトウジの手を取った。
「ま、それも明日からだ。今日は遊ぶぞ。さっきの奴には今度会った時に謝っとけよ?」
「……。……分かった」
渋々ながらトウジは頷く。
そうして、姉に連れられる弟のように、プールサイドを歩いていった。
※
それからのミライはトウジと二人、普通にプールを楽しんだ。
「おお、見ろ少年。このウォータースライダー、上に来ると遠くに強化学院が見えるぞ。でもここからだとあのバカでかい観覧車が邪魔だな、プールが終わったら次はアレに乗ってみるか?」
「あの観覧車、止まってるぞ。来る途中に張り紙か何かで、今は点検中って見た気がするけど」
「そうなのか? じゃあジェットコースターか何かで……お、順番来たぞ。君が前な、私よりちっちゃいし」
「当然のように一緒に滑る気なのも困るけど、ちっちゃいって言うな。俺はまだ成長期が来てないだけで――」
「分かってる分かってる。君もそのうち身長百八十越すから安心しろ。さ、滑るぞー」
トウジを自分の股の間に座らせ、ミライはスライダーを滑り落ちる。
ぐんぐんと加速し、一気にチューブの中を落ちていく二人。
「おお! 思ったより速いな! 流石は日本最大級のウォータースライダー!」
「いやこれミライさん手で加速つけてるだろ! 待った、速い速い速い!」
「これぐらいのスピードでビビってちゃ狂化異物相手の戦闘なんて出来ないぞ! それに安心しろ、いざという時は君をクッションにする! 頭だけは守れ!」
「やめろバカ! いくら再生があるからって痛いもんは痛――」
どぱんっ! とスライダー用の着水プールに大きな水飛沫が上がる。
ミライは満足気にプールサイドへと降り立ったが、トウジは水を飲みかけながら慌てて水面へと浮上する。
「ぶはっ! い、勢い強すぎ……!」
「いやあ、結構楽しいな、ウォータースライダー! これならもっと前から来ておくんだった!」
「いい大人がはしゃぎ過ぎだろ!」
「こういうところに来るの初めてなんだよ、許してくれ。というか君は楽しくないのか?」
「……。……いや、まあ、楽しくないわけじゃないけど」
素直でない自分に苦笑するミライ。
そんな彼女に、やや視線を逸らしながらトウジは言う。
「俺も、今までこういうところ来たことなかったし……。それに――家族に遊んでもらったこととかも、無かったから」
「…………」
ミライは、思わずトウジを見つめた。
そして、優しげに頭の上に手を乗せる。
「大丈夫だよ、私が君の家族みたいなもんだ。あれだな、弟だ、弟」
「撫でんな。誰が弟だよ……」
そう言いつつも、強く嫌がっているようには見えなかった。
自分を甘やかしたい欲求を上昇させつつ、次に行く場所を探すミライ。
「それじゃ次はあの高台にあるウォーターアトラクション――いや、あれは点検中か。じゃあそうだな……」
辺りを見渡すミライ。ウォータースライダーは先ほど滑った。屋内プールには特に変わったものは無かったし、波のプールは二人の好みでは無かった。遠くに見えるプールエリアの中心では、監視員と何人かの男性客が揉め事を起こしており、あまり近づきたくはない。
ミライは、すぐ近くにある流れるプールの方へと視線をやる。
そして、一人の男の姿を見つけ、動きを止めた。
気になったトウジが問いかける。
「どうした? ……まさか、御剣でも見つけたのか?」
「なんだ、あのクズも来てたのか。どこだ、一発ぶん殴ってくる」
「やめろ。今日はまだ何もしてねえから」
「まあ、ちょっと知り合い見かけただけだよ。君はそこでカキョワンくんとでも遊んでてくれ、私は流れるプールにいるから」
そう言って、流れるプールへと向かうミライ。
彼女の視線の先にあるのは、ビーチボールを抱えた一人の男性だった。
一見何の特徴もない、ただの中年に思える男。
だが、視線の配り方が一般人のそれではない。それは、誰かが自分に注目していないかと警戒する犯罪者の瞳である。脛に傷持つミライは、一目見て男が同類であると気づいたのだ。
(……こんなところで何する気だ、あのオッサン。赤いプールなんて泳ぎたくねえぞ)
泳いでいる客たちに紛れ、後を尾けるミライ。
男はミライに気づかないまま、プールの一点で立ち止まる。そして、ビーチボール――を、中に物が入れられるよう改造したと思しきもの――から、何かを取り出し、水の中で放るような仕草をした。
男は何事もなかったかのようにプールを周っていく。
ミライは、彼が何かを放った場所へと近づき、目で探ることなくそれを探した。
(多分、起流ポンプの中に何か入れたな。髪六本ぐらい繋げて使えば届くか?)
手で自身の長髪を梳き、幾本か抜けたそれを《ウロボロス000》で制御し触覚の代わりにする。ポンプに繋がるパイプ内を探っていく黒髪。
その先に触れたのは、金属で出来た、手のひらサイズのいびつな円柱だった。
「……。なるほど」
髪を操り、パイプ内からそれを取り出す。出てきたのは、ハンドメイドと思われる不格好な金属塊だった。
見て見ぬ振りをするか悩むミライ。
が、いつの間にか背後から手元を覗き込む少女がいることに気づき、わずかに顔をしかめる。
「なんですの、それは?」
「……あー、端的に言えば、爆弾だな。機雷と言ってもいいが。無線で起爆する仕掛けみたいだ」
「爆弾……!? 本当なの!? あ、ですの!? もし爆発したら――」
「だけど、作りが雑過ぎる。製作者は完全に素人だ、こんなの水中じゃまず爆発しない。雷管も古い物を無理矢理使い回したんだろう、中身が使い物にならなくなってる」
「そ、そうなんだ、良かった……」
その言葉に、少女はほっと安堵の息を漏らす。
「それで、宮火さんは何をしているんだ?」
干渉するつもりのなかった少女に、仕方なく問いかけるミライ。
そこにいたのは、金髪をツーサイドアップにした少女、宮火ミルだった。何を思ったのか、ミルは慌てて水中に潜り姿を隠す。
「ぶ、ぶくぶくー……」
「隠せてないぞ、何も」
「あう……」
やや顔を赤めつつ、水面から顔を出す水着姿のお嬢様。
彼女はどうやらこの爆弾男を追っていたらしい。
警察に通報せず自分で対処しようとしているのは、事件を大事にしたくないからか、あるいは強化者としての力に自信を持っているためか。
(でも、参ったな……。『本来』の宮火は夏休み明けも普通に学校来てたけど、俺が関わったせいで歴史が変わったかもしれない)
普通の人間では、このパイプの中に爆弾が入れられたことは分からない。『本来の五年前』では、ミルがここで爆弾を発見することはなかったはずだ。
このままでは歴史が乖離し、本来起こるはずではなかった大きな事件が発生する可能性がある。
(まあ、この杜撰具合なら、そう大したことになるとも思えないが……)
それでも、タイムトラベラーであるミライのせいで、事態が悪化するのは避けたい。本来ミルが進むはずだった道筋へと戻すべく、彼女の行動を修正しなければならないだろう。
そんな彼女に、ミルが小声で話しかける。
「ええと、その。また会いましたわね、おねえさん」
「ああ。さっきの男に気づかれるとまずいから、泳ぎながら話そうか」
何事も無いような表情を保つミライだが、ミルの方はハッとしたように立ち上がった。
「あ……いえ、気づかれるなんて悠長なことを言っている場合ではありません! 爆弾は壊れているのですから、今すぐあの男を捕まえて――」
「落ち着け。あいつ、他にも持ってる」
ミルに目で示す。
プールを回る男は、他の起流ポンプがある場所にもビーチボールから爆弾を取り出し、水面下でパイプの中へと放り込んでいた。
「……!」
「何個あるのか知らないが、複数あるなら一個ぐらいまともなのが混じっててもおかしくない。今は抑えて、適当に世間話でもしてよう」
「ですけど……!」
「相手だって自分がプールにいる時に起爆はしないだろう。あれがプールから出て、隙を見せたところで取り抑えればいい」
ミライは力を抜いてぷかぷかと浮かび、プールを流れながら言う。本来のミルがどういう風に事態を収めたのかは分からないが、恐らくはそういう風にするはずだ。
「しかし、お嬢様でも遊園地には来るんだな。人の目があるところでは肌を見せないとか、そういうのは無いのか?」
「ほ、本当にこの状況で世間話するのね――しますのね……。ええと、他の家ではそういうところもありますが、私は特にそういうことは言われていませんわ」
「うん……? そうなのか」
ミライは首を捻る。
彼女の知る宮火ミルは、夏であっても常に長袖制服を着ていたし、クラスでは「うら若き女子がみだりに肌を見せてはいけません」などと言っていた覚えがある。
(……でも見た感じ、この子オフだとそういうの適当っぽいな……。さっきから時々素の口調っぽいの出てるし……)
学校では完璧な振る舞いを見せていたかつての同級生に、少し残念なものを感じるミライ。しかしあまりその辺りを突っついても可哀想な気がしたので、話題を変えることにする。
「今は一人みたいだけど、ここには御剣と来てたのか?」
「御剣? えっと……御剣ハヤトさんですか? いえ、今日は学外のお友達と来ていますし、そもそも彼とは交流もありませんわ。クラスも別ですし」
「……ああ、そうか、まだだったか」
「まだ?」
「いや、何でもない」
ミライが二年生の時、ミルとハヤトは付き合っており、恋人同士だった。ハヤトはあの性格だが、顔は良いのでそれなりにモテていやがったのだ。
しかし今は一年生であり、クラスも違う。この二人もまだ、ただの知り合いでしかないのだろう。
「しかし話しづらいな、こうなると」
「ですわね、流石に爆弾の仕掛けられたプールでおちおち世間話は――あれ?」
「どうした?」
「いえ……。あの男、よく見るとさっき私が見た人とは少し人相が違う気がして……」
ミルがそう言った、直後だった。
――パァン! と、鋭い銃声が鳴り響く。
一瞬の静寂。そして、悲鳴が上がる。
プールサイドを濡らす、おびただしい量の赤色。先ほど男性客と揉めていた監視員が倒れ、苦痛の声を上げながら血を流している。
プールの裏手から集まってくる、武装した男たち。
客が悲鳴を上げる中、リーダー格と思しき男が銃を持って叫んだ。
「全員、動くなッ! この場所は我々が制圧した! ここにいる強化者は手を上げて前へ出ろ!」
※
ミライにとって何よりの問題は、これが『本来の流れ』なのか分からないということであった。
もしこの事態がミライの知る五年前にも起こったことだと言うのなら、事件を止める必要は無い。それが正しい歴史だからだ。彼女は、正史を塗り替えてまで被害を抑えようとは思わない。
そもそもの話、ミライの目的はハヤトへの復讐なのだ。ここで下手に歴史を変えてしまえば、ハヤトが事を起こす瞬間を捉えられなくなる。ついでに、馬券だって当たらなくなる。
が、竜胆ミライは、既にこの事件の関連人物と思われる少女、宮火ミルに干渉している。この事件は彼女への干渉によって引き起こされたものであり、『本来の流れ』においては起きるものではないとしたら、ミライはそれを修正する必要がある。
しかし、その場合でも状況は少々厄介だ。『本来の流れ』に竜胆ミライという人物は存在しないのだから、修正するにあたって彼女自身が表立って騒動を止めることは出来ない。
《ウロボロス》の髪を使えばこっそり銃を無力化出来るものの、ここでは少し距離が離れすぎている。引き金や安全装置を固定するほどのパワーが出せない。
制御力に優れたミライは百メートル先にある髪を操ることも出来るが、距離が離れると出力が下がる。全盛期なら問題もなかったのだが、想臓器が傷ついた今の彼女では無理だ。
ミライが悩む中、状況は動いていく。
先ほど爆弾を仕掛けていた男も武装した者たちの中に加わり、銃を持ちながら煙草をふかしていた。
「ど、どうしましょうですわおねえさん。このままだとまずいと思いますですわ、絶対に!」
「落ち着け。君の武装は? 用意してないのか?」
「え、えっと、一応ありますけれど……。水に濡れてしまって……」
ミルが取り出したのは、ライターだった。
強化者の武装は、恒常的に強化されているわけではない。強化者自身が意思を込めて強化していない間は通常の物品と変わりなく、普通の方法で壊れてしまう。
「壊れたせいで、強化対象に出来なくなったみたいで……」
「そうか……。ライターぐらいなら、探せばどっかに落ちてそうなもんだが」
二人が会話する中、再度叫ぶリーダー格の男。
「もう一度言う! 強化者は全員手を上げて前へ出ろ! 全員だ! さもなければプール内に仕掛けた爆弾を――」
ばしゃっ、とプールサイドを逃げる人影があった。
白髪の少年と、他四人。
御剣ハヤトたちは、即座に逃走を図っていた。
「お、おい、御剣! 逃げて大丈夫なのか、本当に!? あいつら、強化者は前に出ろって!」
「うるせえ二車ッ! 銃弾程度なら強化者には効かねえんだ、今すぐプールから離れれば俺たちは助かる!」
それを見たリーダー格の男が、仲間に対して指示を出す。
「撃て」
銃声。ハヤトたちに向けて放たれる弾丸。本来なら強化者に効かないはずのそれ。
しかし、飛来する弾は彼らの内の一人、二車クドウの脚を撃ち抜き、骨を砕いた。
「ぐ、ぁあアアアッ!? 何、ばっ、痛、痛ぇえええッ!?」
のたうち回るクドウ。それを見て、走っていたハヤトたちも思わず足を止める。
「おい、ガキども。まさか俺たちが強化者相手に何の対策もしてないと思ったか?」
呆れたように言うリーダー格の男。
一連の光景を見ていた宮火ミルは、唾を飲んで戦慄した声を漏らす。
「な、何よ、あれ……。肉体強化を使ってる状態の強化者は、銃弾ぐらいじゃかすり傷じゃなかったの?!」
「動揺すると淑やかじゃなくなるな、君」
ミライはミルに対して軽くツッコミつつ、何が起こったのか説明する。
「今のは強化解除弾っていう対強化者用の弾丸だ。先端部が特殊な金属で出来ていて、これに接触した箇所の肉体強化を解除する。急所に当たれば普通に死ぬぞ」
ミライのナイフに使われている金属も、この強化解除弾に使われる金属と同じものだ。極めて希少なため、刃先のみに使われている。
ちなみに、この金属で作られた武器は全て政府に管理されることになっており、違法所持が確認された場合には通常の銃刀法違反より遥かに重い刑罰が課せられる。
それにしても、と、ミライは思う。
(確か、いたな。夏休み明けにクラスで松葉杖突いてたやつ。あいつがそれか)
倒れた二車クドウを見ながら、頷くミライ。
ならばこれは『本来の流れ』だ。修正の必要はない。ミライは小さく安堵する。
「いいか! プール内には既に高性能の爆弾が複数仕掛けてある! 起爆すればプールごと吹っ飛ぶ威力だ! 一般人の命が惜しければ、強化者はさっさと前に出ろ!」
ざわざわと広がる声。この場にいる強化者を探る人々の声だ。
しかし、素直に出ていくような強化者は流石にいない。
「おい、どうするんだ、リーダー」
「チッ……仕方ねえ、見せしめに一人殺すか。あの脚折れたガキ、やれ」
「了解」
男の一人が、銃を構えた。
(何?)
ミライは思わず片眉を上げる。
これが『本来の流れ』であるなら、二車クドウは死なないはずだ。当然だが、死ねば松葉杖を突いて登校することなど出来ないのだから。
だが、この状況は、どう考えても――
「待ちなさい!」
ミライのそばにいた、ミルが叫んだ。
プールサイドに上がる彼女へ、集まる視線。ミルは物怖じすることもなく、男たちに向かって叫ぶ。
「そこの野蛮人ども! あなた達の目的は何ですか! いえ分かっていますわ、どうせ身代金でしょう!」
「あァ? なんだこの娘、だったらどうした!?」
「私は宮火財閥の長女です!」
周囲に広がるどよめき。
宮火財閥は、世界強化者連合のスポンサーでもあり、日本人のほとんどが知る名前だ。
ミルは堂々とプールサイドを歩き、男へと近づいていく。
「人質なら私で十分なはずです! さっさと私を連れていきなさい!」
「…………」
黙り込むリーダー格の男。
そして、男は一度頷き――
「分かってねえな」
――ミルに向かって銃を向けた。
「っ」
「俺たちが欲しいのは『金になる人質』じゃねえ。『安全な人質』だ! そのためには計画を破綻させかねないお前ら強化者は邪魔なんだよォ!」
響く銃声。発射される弾丸。
「こ、の!」
音速で迫るそれを、ミルは、紙一重で避けた。
「何!?」
「財閥の娘を、舐めんじゃないわよ!」
男たちに向けて走り出すミル。
超人的身体能力を持つ強化者は、反応速度もまた常人からはずば抜けている。
十分に訓練した強化者であるなら、音速で動く物体すらその動体視力で捉えることが可能だ。
が、それはあくまで捉えられるというだけ。幼少期から英才教育を受けていたミルであっても、完全に銃弾を躱すことは不可能だ。
避けれて、三発。それが銃弾を安全に回避出来る限度。
「だけどっ――」
急所以外に銃弾を喰らう覚悟ならば――出来る。
あの煙草をふかす男。
そのポケットに入ったライターを奪い取り、男たちを制圧することが。
「クソッ、撃て! あいつを撃て、お前ら!」
男たちの狙いは的確だった。間断する銃声。
胸に迫った一発目、回避。
頭部を狙った二発目、回避。
そして、腕に迫った三発目。避けれない。
しかし突っ込む。
「――……っ」
一瞬、当たったら、痕が残るかもしれない、とミルは思った。
だが、構ってなどいられない。足を止めぬまま、ライターを持った男へ――
「ストップ。分かった、私が悪かった。そこまでしなくていい」
――向かおうとするミルを、ミライは止めた。
「……え?」
「あとは私がやる。下がっててくれ」
ミライの手。その指の間に、弾丸が挟まっていた。
「え、え? どうやって――」
「銃使った喧嘩なんて飽きるほどした」
弾丸を放り捨てるミライ。そして、男たちを半目で睨みつける。
「言っとくが、馬券が外れたらお前らのせいだからな」
リーダー格の男が、動揺した声を上げる。
「な……ペ、強化解除弾だぞ!? 触れた部分の肉体強化を解除する弾丸を――」
「その性質があるのは弾丸の先端部だけだ。側面から触れれば解除はされない」
言いながらミライは踏み出す。走り出す。即座に放たれるいくつもの銃撃。
しかし、効かない。ミライは全て指先で弾く。的確に、側面だけを狙って。
「いや、少し指切ったな。この一週間で鈍ったか」
切れた指先を舐めつつ、近づいていくミライ。
男は、慌てて発信機と思しき装置を取り出した。
「う、動くな、近づくなぁッ! それ以上動けば起爆させ――」
動く必要もなかった。
ミライの傷口から発射された血線銃が、発信機を持つ男の指を吹き飛ばしたのだ。
「がっ……!?」
「そして、これで《ウロボロス》の有効射程に入った。銃はもう使えない」
先んじて地面を伝い、男たちの足元まで来ていたミライの髪。
それが、彼らの持つ銃を完全に固定、無力化する。困惑する男たち。
真っ先に逃げ出そうとしたリーダー格の額に指先を突きつけ、ミライは言った。
「さあ――全員、手を上げて前へ出ろ。自分たちの命が惜しければな」
・まとめ
竜胆ミライ
喧嘩屋をやっていた都合で、一般人に対しては大体無敵なTSお姉さん。弱い者いじめのプロ。「歴史改変したくねーなーどうすっかなー」と悩んでいたら元同級生女子が凄まじい男気を見せたので慌てて止めに行った。
竜胆トウジ
今回はナンパ野郎をボコっただけの男子高校生。
宮火ミル
興奮するとお嬢様キャラが剥がれるお嬢様。ライターの強化者。覚悟がキマっている。本来の五年前では銃によって身体に傷跡が残り、肌を出さないようになってしまう。
御剣ハヤト
今回はただのクズ。しぶとい。