5話/頑張った自分へのご褒美
しばらく経った。
立っているだけで汗だくになってしまいそうな夏の昼。
陽炎が揺らめく街の中を、竜胆トウジは走っていた。
(よし、よしっ……! やった、やっと受かった! これでようやく、二学期からまともに授業に参加出来る!)
口から笑みが零れそうになりながら、トウジは全速力で帰り道を急ぐ。
しかし、『肉体強化』を持つ強化者であっても、体力が無限というわけではない。当然、途中でスタミナが切れてくる。
が、《ウロボロス000》を持つトウジに限っては別だ。
疲労した肉体を"肉体再生"で瞬時に回復させ、ハイペースのまま家へと向かう。
(こんなことが出来るって最初から知ってたら、色々便利だったんだけどな……)
走るトウジの前方にあるのは、この街を割る一本の川だ。
川幅はおおよそ三十メートルほどだろうか。トウジの住むアパートは目の前に見えているが、川を渡るには遠くに見える大きな橋を使う必要がある。
しかし、トウジは川に向かってそのまま加速した。
走りながら能力を使い、大腿と脹脛の構造を強くイメージ。
――直後、学院制服である紺のスラックスの内側で、トウジの脚が大きく膨らんだ。
《ウロボロス000》が持つ三つの機能の一つ、"肉体生成"によって、脚部の筋量を一時的に増やしたのだ。
そのまま、川べりを後ろ足で蹴りつけるように跳躍。足元の土がまるで爆発したかのように弾け飛び、トウジの体は空へ高々と舞い上がる。
「っ、やべっ……!」
しかし、少々高く跳びすぎた。風に煽られ、バランスを崩す。
そしてそれに気を取られたことで、能力の制御も疎かになった。生成した筋繊維は崩れ、灰のような形で体外へと排出されてしまう。
風に乗って流れていく灰色。能力の再使用は間に合わない。対岸へと勢いよく落下。
どうにか足で着地はしたものの、勢いは殺しきれなかった。
衝撃音を響かせながら、河原をゴロゴロと転がるトウジ。
十メートルほど転がったところでようやく止まり、痛みにうめき声を上げる。
(ぐぁ……浮かれ過ぎた……っ、しかもこれ、脚折れて……肋骨もっ……! こんなしょうもないとこで……!)
すぐに肉体再生を使うが、治りが遅い。
(補習中に思いっきり使ったから、意外と消耗してたな、クソ……)
物理的実体が無いとはいえ、想臓器も身体の一部であり、人間の臓器だ。使えば疲労するし、機能も鈍る。
そしていくらトウジの肉体再生といえど、その肉体再生の源である想臓器だけは再生・回復することが出来ない。
想臓器も心臓や肺などの通常臓器と同様、トレーニングで持久力を上げることは出来るが、前例の無い能力を持つトウジには、今までそのトレーニングの方法自体が分からなかった。
トレーニング法を教えられ、鍛え始めたはいいものの、流石に今は日が浅い。まだまだ能力を使うための持久力が足りていないのだった。
数分経って、どうにか骨折が治癒する。
「痛っつ……」
どうにか痛みには耐えきった。《ウロボロス000》を使えば痛みを無くすことは出来るが、痛覚などのリミッターとなる身体機能は絶対に切るなと言い含められているのだ。
ふらつきながら立ち上がり、制服についた汚れを払う。
少し前ならともかく、今はトウジがボロボロになっていると心配する人がいる。
これなら普通に橋を渡った方が早かったと思いつつ、少し冷静になって帰宅するトウジ。
「ただいま」
帰宅を伝えながら、扉を開ける。
今までは、自分が帰ってきたところで、声をかけてくる人はいなかった。だが今は――
「おう、おかえりー」
――下着姿でアイスを齧りながら彼に答える、黒髪ロングの綺麗なおねーさんがいた。
「…………」
「悪いが、今冷房効いてないんだ。さっきエアコン取り替え終わったところだから、その内涼しくなると思うぞ」
トウジの親戚を名乗る謎の女性、竜胆ミライは、男子高校生に下着姿を見られているというのにまるで気にした様子を見せなかった。
スポーツブラとボクサーパンツだけに覆われた、美しく女性らしい、しかし健康的に整った肢体を惜しげもなく晒している。
トウジがついその大きな胸元や、引き締まった細いお腹に目をやってしまっても、男勝りな口調で「今までのやつ全然涼しくならねえからな。どうせ来年には取り替えるんだし、今取り替えても同じだろ」などと言って、無防備にあぐらをかいたままだ。
「…………」
トウジは無言になって、何かに耐える。
少し前ならその何かに負けていた気はするが、今ではその何かに対する耐性もついてきた。
そんな彼に、ミライが首を傾げながら声をかける。
「そういえば、今日は早かったな。補習は?」
「……ええと、途中で終わった」
「途中で? 何かあったのか?」
ミライは口の中で「五年前はどうだったかな」などと呟くのだが、それはトウジには聞こえない。
「実戦授業に参加するためのテストに受かったんだよ。正式な試験じゃないからランクはまだFのままだけど。単位が取れたから、補習はもういいってさ」
学生鞄からプリントを取り出すトウジ。
それを見て、ミライはきょとんとした顔になり、アイスを口に咥えたまま停止する。
たっぷり十五秒ほど止まってから、ミライは溶けかけたアイスを一口齧り、言う。
「……受かった? あれに? 補習中じゃチームもろくに組めないだろ?」
「ああ、うん。でも、ミライさんが色々教えてくれたおかげで、単独だったけど訓練用の半狂化異物は何とか」
ミライが「二週間でCランク級にする」と宣言した訓練計画を終え、《ウロボロス000》を使えるようになってきたトウジは答える。
「待て、少年。こんなことで嘘ついても仕方がないが……本当に受かったのか? 訓練を始めてから、まだ一週間も経ってないぞ!?」
「それは、まあ……。ちょっと早起きしてトレーニングとかしたし……」
頬を掻きながら言うトウジだが、実際は、「ちょっと早起き」などというレベルではなかった。
この六日間、トウジはほとんど寝ていない。
肉体再生の力で体力的な無理を押し通し、ミライの見ていないところでも一人で能力の練習をしていた。今までの人生で初めて、強化者としてのトウジを応援してくれたミライの期待に、何としてでも応えたかったのだ。……美人なお姉さんに褒められたいという願望も多分にあったが。
しかし、どちらの気持ちも、当の彼女の前で言うには恥ずかしい。
大したことでもないという顔を保つために、視線を逸らす。
「そうか……受かったか……」
そんな彼に対し、ミライは小さく、吐息混じりに感嘆の声を漏らす。
そして――思いっきり、トウジへとハグをした。
「そうかっ! よくやったな! すごいぞ、本当にすごい! 学生時代の私はここまで出来なかったぞ!? 本当に、頑張ったな!」
「むぐっ……!? ちょ、ミライさん……!」
トウジの頭を胸元に抱き、喜びの感情を溢れさせながら言うミライ。
豊満なやわらかいものを顔に押し付けられたトウジは、顔を真っ赤にして、どうにか彼女を押しのけようと努力する。
「しかし、一週間でよくここまで……」
「ぶはっ! ち、窒息するかと……! っていうか本当、ミライさんもうちょっとさあ!」
ようやくミライの歓喜が収まり、開放されるトウジ。
あまりのことに目を回し、頭を茹だらせる彼に対し、ミライは静かな声で言う。
「……もしかしてとは思ってたけど、本当に寝てなかったんだな」
「う」
「いくら再生能力があるからって、あんまり無茶するんじゃない。自分の身体は大事にしろ」
無理をしたことがバレていた。トウジは思わず身を竦める。
「とりあえず、今日と明日は休みにしようか。後のことは私がやっとくから、君はなるべく休め」
「いや、別に大丈夫だって。そんなに疲れてるわけじゃねえし」
「嘘つけ。体力は大丈夫でも、精神はちゃんと疲労するんだからな。ほら、寝とけ寝とけ」
そう言って、タンスの中からパジャマを取り出し、トウジへと投げるミライ。
結局、その日のトウジは、ミライによって半ば無理矢理に休ませられてしまうのだった。
※
竜胆ミライの正体。それは、五年後の世界からやってきた竜胆トウジ自身である。
故に、自分の処理能力に関してはしっかりと把握していた。いや、しているつもりだった。
(まさか、一週間でこれを終わらせるとは……)
押し入れの中で、ミライはノートを手に取る。
トウジに分からないよう、少し筆跡を変えて書き記した四冊のノート。「入門編」「実践編」「最強編」、そしておまけで「応用編」。その内の一冊目である、「訓練用ノート・入門編」を眺めるミライ。
確かに、《ウロボロス000》の力を使えば、一週間で入門編の全行程を終わらせることは出来る。
だが、出来るからと言って実際にやれるわけではない。ミライ自身が言った通り、体力的な疲労はなくとも、精神的な疲労は溜まるのだ。
(一体何がそんなにモチベーションになったんだろうなあ)
モチベーションとなった本人は内心でそんなことを思いつつ、押し入れを開ける。
開いたふすまの向こうにある窓からは、少し眩しい夏の朝日が差し込んでいた。
今は、トウジがテストに受かった、その翌日。
八月二十三日、日曜日である。
押し入れから出て、トウジの寝顔を覗こうと、布団をめくるミライ。
「あれ? いないな」
が、そこに過去の自分の姿はない。
首を傾げるミライ。そんな彼女の耳に、外で誰かの走る音が聞こえてくる。
ミライが窓を覗いた向こう。
能力の練習のつもりか、《ウロボロス000》で肉体を強化し、自動車のようなスピードで走り込みをするトウジがいた。
「だから休めっつってんだろうがテメェ!」
「ごふばっ!?」
ミライは窓から勢いよく飛び出し、オーバーワークなトウジの腹に横から蹴りを入れる。《ウロボロス000》の肉体操作が用いられた、通常の体術ではあり得ないほど的確な動作で放たれた蹴りだ。トウジに肉体再生があるがゆえの、激しく遠慮の無いツッコミであった。
「なんでそんなに元気有り余ってんだ! 若いからか!? これが若さなのか!?」
「ぐ……ぶっ……! ちょ……これ、威力が、洒落にならな……!」
「そんなに無理してたらその内倒れるぞ! いいから寝ろ!」
かなり無理矢理に、ミライはトウジを部屋へ引き戻す。
しばし呻いていたトウジだったが、すぐに《ウロボロス000》で体を再生し、立ち直る。
「痛って……。……いや、そうは言っても、昨日あんなに寝たんだからこれ以上寝れないって」
「だったら普通に休んでろ。あれだ、適当にテレビでも見てだな」
「ねえよ、そんなもん」
「そういえばそうか。というかこの部屋、よく考えると何も無いな」
ミライはぐるりと部屋を見渡す。
彼女の記憶にある五年前のものと同様に、実用性のある物しか置かれていない、殺風景な部屋。
記憶と違うところと言えば、ミライ用の日用品がいくつか置かれていることと、本棚に武術書ではなく医学書が入るようになっていることぐらいだろうか。
「あと、部屋の隅にパワードスーツがあることぐらいだな」
「というか要らないだろアレ。場所取るし。何のために買ってきたんだよ、あんなの」
「実践編の訓練で使う。無くても出来なくはないが、効率が段違いだ。多分」
話しつつも、ミライは思う。――これではいけない、と。
このまま行けば、トウジはミライ同様、灰色の青春を送ることになりかねない。
今にして思えば、学生の内にやりたかったことはいっぱいあった。ここにいる過去の自分にまで、同じ後悔をさせたくはない。
「よし、とりあえず遊ぶか。出かけるぞ少年」
「えぇ……。いいよ別に。時間とか金とか、もったいない。ミライさんだって面倒だろ」
「いいんだよ。頑張った自分へのご褒美だ。ほら行くぞ」
そうして、二人は街へ繰り出していくのだった。
・まとめ
竜胆ミライ
綺麗なお姉さんと同棲してる時点で割と十分なご褒美であることには気づいていないTSお姉さん。灰色の青春時代を過ごしてしまった人。
竜胆トウジ
綺麗なお姉さんに期待されてしまったので六日間不眠不休という暴挙に出た男子高校生。浮かれ過ぎてしょうもないところで大怪我をする。
//破壊力:F 防御力:D 機動力:F 強化力:F 制御力:F 成長性:?//総合ランク:F
↓
//破壊力:C- 防御力:B- 機動力:C 強化力:E 制御力:D 成長性:S//総合ランク:C
想臓器の持久力
持久力という言葉を使ったが、実際には最大MP量という言葉の方が相応しいかもしれない。鍛えると上がっていく。