4話/夏の(自己)強化週間
ミライの講義も終了し、トウジは補習に出かけることとなった。
出かける準備をするトウジに、ミライは不安げに声をかける。
「本当に一人で大丈夫か?」
「大丈夫だって。ミライさんと一緒じゃ姉さんに学校送ってもらってる奴みたいになるだろ、恥ずかしい」
「ん? いや兄――じゃないな、姉さんだな。気持ちは分かるが……もしこの間みたいに御剣に何かされそうになったら躊躇うなよ。隙を突いて殺せ。ほらナイフ」
「殺意が高すぎるだろ要らねえよ! お弁当みたいに危険物を渡すな!」
流石に学院に送ることはしないものの、注意だけは念入りにする。
「だけど本当に気をつけろよ、少年。御剣は……いや、今は言っても信じられないか」
「何だよ。何かを仄めかすなよ。俺そういうの嫌いなんだよ」
「そうだな、言うか」
もったいぶられるのはトウジもミライも嫌いなのだった。
「御剣ハヤトは、他人の想臓器に干渉して能力を奪う術を持っている。詳しいことはわからないが、私も同じ方法で御剣……に、関わりのある人物に能力を奪われた。君と違って、私の《ウロボロス》に再生能力が無いのはそのせいだ」
怒りを滲ませ、悔しげに言うミライ。
しかし、トウジは訝しげな顔で首を捻る。
「……いや、それはおかしいだろ。想臓器ってのは一応臓器ってことになってるだけで、実際には魂っていうかエクトプラズムっていうか……そういう、普通の方法じゃ干渉不可能なモノじゃなかったのか?」
トウジの言う通りだった。
想臓器は実在が証明されているだけで、物理的に干渉出来る類のものではない。少しズレた次元にある、虚数的な存在なのだ。
故にミライ自身も、ハヤトに暴露されるまで、自分の想臓器が人為的な手段で傷つけられたとは思っていなかった。
「私だって今でも信じられない。――だが、他人の能力を奪う手段は実在する。間違いなく」
「…………」
「もしかしたら、御剣はまだその手段を知らない、あるいは手に入れていないのかもしれない。それでも警戒は怠らないでくれ。君には私のようなことになってほしくない。絶対に」
「……まあ、わかった。そこまで言うなら」
トウジの言葉に、ミライは頷く。
「うん、今はそれでいい。私としても、すぐに何かが起こるとは思っていない。……じゃあ、私も出かけるか」
昼飯ついでにこれからの特訓期間の準備をすべく、部屋の合鍵を(勝手に)持って、外に出ようとするミライ。
「……なあ」
「どうした、少年」
「いや合鍵はともかくとして――ともかくしたくないけどともかくとして、ミライさん、本当にその格好で出かけるつもりなのか?」
トウジに言われ、ミライは自分の服装を見直した。
洗濯が終わったばかりの、男物の真っ赤な半袖Tシャツに、迷彩柄のカーゴパンツ。腰の右側のベルトループには、探索用のサバイバルポーチが引っ掛けられている。
タイムスリップ時に着ていた、ミライ自身の私服である。
「いかんのか」
「いかんだろ。というか誰の借りてきたんだよそれ。サイズ差でシャツがすごいだらしないことになってるぞ」
確かに、この服はミライが男だった頃に――身長百八十センチ超えで、体格も良かった頃に――身につけていたものだ。そのため、トウジの服を借りていた時以上にサイズ差がひどいことになっている。
肩は大きく露出し、ズボンは裾を何度も捲られまくった状態。大人の服を無理矢理に着た子供のごとくであった。
「身なりには頓着しない質なんだよ。君だってそうだろ」
しかし、ミライはトウジの言葉に首を傾げる。
昨日と今日のやり取りを見て分かる通り、ミライはトウジに比べ肝が太く、かつ色んな物事に対し適当である。五年後のミライの生活は、この頃のトウジよりずっと荒んでいたからだ。
これはミライが後ろ暗い仕事をしていたというのもあるが、それ以前に社会全体の治安が今から徐々に悪くなっていったというのが大きい。
世界最強にして最悪の強化者である『凍結犯』リリー=ケーラーの台頭。それと連鎖するように起こった狂化異物の活発化。そんな荒れた環境に慣れていたため、ミライとしても昔より性格的にルーズになっている自覚はあった。
だが、そうは言っても、五年前の自分だってさほど服装を気にする方ではなかったはずだ。
「いやでも、女の人がそれじゃダメだろ。見ててハラハラするっていうか……。それに、その、あれだ。う、浮いて……」
「うん?」
ミライはトウジがチラチラと視線を送る先を確認する。
Tシャツの布地を大きく持ち上げ引っ張る豊満な胸の、その頂点位置。
ミライはそこに浮かんだものを見て、わずかに眉を動かす。
「……流石に、ちょっと恥ずかしいな」
「だからさ、そろそろちゃんとした服を――」
「絆創膏貼っとくか」
「早く下着買いに行け痴女!」
そう言った一幕もあり、ミライは現在、服屋にいた。
(あんなに怒らなくてもいいのに……)
五年を経て肝の太くなったミライでも、過去の自分のガチギレには何か堪えるものがあったらしい。
少ししょんぼりとしつつ、服屋の今まで寄り付かなかったコーナーを見て回る。
ちなみに、服屋と言っても婦人服専門店などではない。全国どこにでもある衣料品チェーンストア、『6&2YOU』(通称ロクニユ)である。
(……Fの、70? で、いいんだよな?)
試着室で自分のサイズを測るミライ。
使っているのは、サバイバルポーチに入っていた巻き尺だ。しかし、巻き尺と言っても布製の採寸用巻き尺ではなく、金属製の工作用巻き尺。女性の(いや男性であっても)身体を測るにはどうしようもなく不適切な物品である。
無理をすれば測れないことはないが、それでもあんまりな計測方法であった。
雑に確認を終え、下着売り場へと向かうミライ。
居心地悪そうにさっさと売り場を歩き、色気など微塵もないグレー色のスポーツブラとボクサーパンツを適当に持っていく。
レディースのTシャツやジーパンなども近くのマネキンを見ながら直感で即決し、最短で会計へ。
(……思ったより良いんじゃないか?)
もう一度試着室から出てきた時には、簡素ながらも見れた格好――否、一周回ってラフなお洒落ささえ感じさせる格好になっていた。
無地の赤いTシャツに、黒のハイライズジーンズ。シンプルである分、スタイルと顔の良さが引き立つ形である。
結局、美人は何を着ても――流石に下限はあったようだが――似合うということなのだろう。中身の残念さを考えると腹立たしい話ではあった。
服を買い終わった後は当然のように競馬場へ。
結果は言うまでもなく黒字である。タイムトラベラーの面目躍如と言う他ない。
(……だけど、あんまりやり過ぎてタイムトラベラーだとバレても面倒だな。ギャンブルは程々にしとくか。それに、俺っていう過去改変者が居るんだ。この予想メモもいつまで信頼出来るか分からん)
しばらくは当たり確定馬券を買い続けられると見ていいだろうが、ミライがいることで歴史には何らかの変化が起こるだろう――いや違う。歴史には変化を起こさねばならない。
そしてそれがどのように波及していくかわからない以上、調子に乗って大金を賭けるような真似は慎むべきだ。
(まあ、ギャンブルの他にも未来知識で儲ける案はいくつか考えてるし、当座の資金に関しては数百万あれば十分……十分過ぎるな。何気に初めて見たかもしれない額だ)
自分が持っていると散財する気しかしないので、早めにトウジに預けておくことを決意するミライ。彼には自分を反面教師にしてもらわねばならない。
大金を持ちつつも昼食は牛丼屋で手早く済まし、そのまま街を回って、靴や、必要な日用品などを揃える。ついでに今日の夕飯用の食材も。
本当ならトウジの能力イメージの補助のために、医学書や解剖学の参考書なども買っていきたいところだったが、これ以上は流石に嵩張る。
強化者には肉体強化があるので、重くて困るということは無い。が、それでも腕は二本しかないのだ。持てる量には限りがある。
(どうせ最初は基礎からだし、生物か保健体育の教科書でも使えばいいか)
ミライ自身も人体に関しては相当に詳しい。全身骨格や解剖図ぐらいなら、何も見なくたって空で描ける程度の知識はある。
(あとは戸籍……。だけど、すぐに必要になるものでもないな。近いうちに紹介屋に連絡だけ入れとこう)
ノートを何冊か買うに留め、ミライは家へと向かっていった。
※
夜。
補習を終え帰ってきたトウジは、ミライに能力の使い方を教えられていた。
「違う、そうじゃない。爪母基を強化して成長を早めるんじゃなくて、伸びた爪を直接生成するんだよ。伸びた後の爪をイメージして……ああもう、実演出来れば分かりやすいんだが」
床に座るトウジの後ろから、まるで抱きつくようにして彼の手を持ち言うミライ。
現在は肉体再生の応用で、肉体の一部を生成する方法……の、基礎の基礎を教えられているところである。
トウジはまだ完全に理解してはいないが、この肉体生成こそが《ウロボロス》の肝であるらしい。
"肉体操作"と"肉体再生"だけではまだ足りない。これに加えて"肉体生成"さえ出来れば、骨で武器を作ったり、筋肉を増大させたりと、《ウロボロス》で出来ることの幅が大きく広がる。身体を自由に拡張し、最強の肉体を作り上げることが出来る――という話なのだった。
しかし、ミライとのあまりの密着度にトウジは顔を赤くし、緊張で能力の制御も覚束なくなってしまう。
「こら、集中しろ。こんなの初歩ですらないんだぞ。文字を書く前に鉛筆の持ち方教えてるようなもんだ。最低でも五キログラムぐらいの質量を自由に生成・操作出来るようにならないと……」
「いやその、分かってる。集中する。集中したいから、そのために離れて欲しいっていうか」
「なんでだ。これぐらいで気が散ってるようじゃダメだぞ。Sランクになるんだったらな――」
「だって当たっ……当たって……!」
「何が当た――って、おお。すまん」
いつの間にかトウジの背中に胸を押し付けていることに気づいたのか、距離を取る。
そして、ミライはううむと唸りながら自分の胸部をまじまじと見つめ、言う。
「まあ、確かに気が散っても仕方ないか。これだけ大きいと」
「自分で言うのか……」
「そりゃ私だって気になるぐらいだからな。集中できないなら、今日はこれぐらいにしとくか」
そう言って、ミライは部屋の押し入れを開ける。
上下二段に分かれた押し入れの、上の段にあった物は全て下の段に押し込まれていた。
上の段には彼女用の布団が敷かれ、スタンドライトや小さな棚などが置かれている。ミライが今日、トウジが補習に行っている間に買ってきた物である。
「……どこの猫型ロボットだよ」
「実際私はドラ◯もんみたいなものだ。それに、君が一緒の部屋で寝るのはどうしても嫌だっていうからこうしたんだぞ」
「嫌っていうか困るんだよ! というかミライさんも警戒心持ってくれ頼むから! いくら親戚だからって信頼し過ぎだろ!」
「君が信頼出来なくなったら終わりだよ。じゃ、おやすみ」
ぱたん、と押し入れが閉まる。
傍若無人なお姉さんがいなくなり、はぁ、と一つため息をつくトウジ。
(……あの人、本当に信頼していいのか?)
一人になって思うのは、やはり、ミライが何者であるかという疑念だ。
いくら相手が自分の好みど真ん中の綺麗なお姉さんであるとはいえ、流石にそれだけで信用するほどトウジは色ボケしていない。
(これで本当に強くなれるのかもわからねえし……。いや、理屈は分かるけど、俺がミライさんの言うレベルまで到達出来るなんて思えない。その上、学生のうちにSランクになるなんて……)
トウジは《ウロボロス000》を使い、伸びた爪を生成する。
強く念じて能力を制御するが、少し気を抜いただけで伸ばした爪は崩れてしまう。イメージの強固さが足りないのだ。
こんな力で、本当に上までいけるのか。トウジが不安になるのも無理からぬことだった。
やや憂鬱になりながら照明を消し、布団に入ろうとするトウジ。
しかし、暗くなった部屋の中、押し入れからわずかな光が漏れていた。
「……ミライさん、何してるんだ?」
「ん? 《ウロボロス》の訓練方法について、ちょっとな」
閉じたふすまが再度開く。
押し入れの中で、ミライは寝そべりながら、ノートを書いている。
「ほら、一冊書けた。私が一緒にいない時はそいつで自主練しててくれ」
トウジに手渡されるノート。
その中には、能力の訓練手順が全てのページに事細かに記されていた。
イメージを強化するための人体知識や、想臓器の性能を上げるためのトレーニング方法。それらが丁寧にまとめられている。
その場で考えたでっち上げなどではあり得ない、自らの経験に基づいて書かれたと思しき濃密な知識だった。
「……これ、一日で全部書いたのか?」
「まあ、君が帰ってくるまでずっとやってたな。《ウロボロス》で解さないと肩が凝って仕方がない」
そう言って、ミライは肩を回しつつ、二冊目のノートを取り出す。
「あと三冊ぐらいあれば十分かな……。早めに書き上げておくから安心しろ。ちょっと寝てる間カリカリうるさいかもしれないが、我慢してくれよ」
「…………」
ふすまを閉じようとするミライ。
その前で、トウジは部屋の明かりを点けた。
「どうした? 寝ないのか?」
「……やっぱりもうちょっと練習する。ミライさんもその中じゃ書きづらいだろ、普通に机使ってくれ」
「お、そうか。よし、えらいぞ、少年」
ミライは笑いながら押し入れから手を伸ばし、トウジの頭を撫でる。
「じゃあ、一緒に頑張るか。分からないところあったら私に聞くんだぞ」
「……おう」
そうして、その日の二人は少し遅い時間に一日を終えるのだった。
・まとめ
竜胆ミライ
顔が良いのでシンプルな格好でも様になるTSお姉さん。五年後の世界がやや荒廃していたので、性格的にルーズになっている。胸もFらしい。
竜胆トウジ
よく分からん人だけど強くしたいって気持ちは本当みたいだしやってみるか……となっている男子高校生。綺麗なお姉さんが相手なので、色ボケしていないとは言いつつ警戒心は下がっている。
想臓器
臓器という名前だが、実際には魂のようなもの。そのため、移植や治療などは不可能。
《ウロボロス000》
肉体操作、肉体再生、肉体生成の三つの派生機能を持つ。肉体生成で作った物は、制御していなければすぐに崩れる。