18話/教師サイドの学院生活
その朝、強化学院は随分とざわついていた。
御剣セツナによる全校生徒両断事件などもあったが、それとはまた別軸。
何やら、先日校舎裏で狂教会の信者が爆死していたらしく、セキュリティの見直しがされたそうなのだ。普段は少ない警備の数が随分と増え、防犯系の装置も増設されている。
校門から校舎玄関へと向かう途中でも、何人もの生徒が同じ話題を口にしている。
仕事用に買った新品のレディーススーツ(ただしパンツスタイル)を身にまとったミライは、ふむ、と呟いて手を顎に当てた。
(そう考えると、セキュリティが厳重になる前に、学院に合法的に入る理由が出来て良かったのかもな)
先日の騒動を振り返りながら、学院への道を歩いていく彼女。
「しかし物騒な話だな、少年――、ん?」
隣を見ると、いつの間にかトウジがミライから離れた場所で歩いていた。
ミライは走ってトウジへと近づき、自分から離れようとする彼の首根っこを掴む。
「なんで逃げるんだ、一緒に登校してくれてもいいだろ」
「ぐぇっ……だっ、て、ミライさんと一緒だと、姉ちゃんと登校してるやつみたいになるだろ……! 姉弟だと思われるぐらいには顔似てるんだから……!」
「……むぅ」
気持ちはわかるものの、トウジの言葉にやや拗ねた顔になるミライ。
(でも、ちょっとぐらいいいだろ……。いや、いっそ無理矢理連れて……)
そう思った時、彼女の耳に女性の喚きが入ってくる。
「はーやーとー! ちょっとぐらいお姉ちゃんに構ってくれてもいいじゃない! せっかくお休みとったんだから構ってよ構え構えかーまーえー!」
「うるッせえんだよ馬鹿姉貴ァ! ふざけやがってこのクソが! さっさと死ね!」
ミライたちの後ろの方で、セツナとハヤトが姉弟喧嘩をする声だった。
「…………」
ミライはスッとトウジから手を離す。
御剣姉弟はしばらく言い合いを続けていたが、ハヤトの聞くに耐えない罵詈雑言でセツナが弱り、涙目になり、最終的にハヤトを一本背負いで地面に叩きつけることで決着と相成った。
ひび割れた地面の上で力なく倒れるハヤトに対し、セツナは腰に手を当てふんっと鼻を鳴らす。
「じゃあいいよ、もう! あそこの竜胆さんに構ってもらうから!」
「うわっ……」
面倒の予感を感じ、咄嗟に身を隠そうとするミライ。
が、それより早くセツナの手元から巻き尺のテープが伸びた。
凄まじい勢いで射出されたそれが、ミライの足元の地面に先端の金具を突き刺し――
「『零目盛』」
テープが一瞬、歪んで消えた。
「おはよう、竜胆さん!」
「――!?」
次の瞬間には、ミライの目の前に白くて美人なお姉さんがいた。
というか、ハグされていた。
「いえーい欧米式挨拶ー」
「な、ん……!? ばっ、離せっ!」
あのゴリラめいた身体能力に反し、抱きつかれる感触は案外柔らかかった。服装が前回の白いダッフルコートではなく、休日らしいカジュアルな薄手の私服であることも合わさり思わず動揺する。
ミライは顔を真っ赤にし、セツナを引き剥がして投げ飛ばす。
軽く二メートルは飛んだものの、彼女はくるりと身を翻し、軽やかに地面へ着地した。
「いやーごめんね、ひさしぶりの休日だからテンション上がっちゃって」
「休日なら休むか遊んでろ! なんで学院に来てんだ!」
「だって、君と遊びたかったから。弟にも遊んでもらおうかなって思ったんだけど、あの子なんか反抗期だし」
屈託のない笑みでセツナが言う。
流石のミライも、謎の年上美女がやたら気安く話しかけてくるこの展開には戸惑うばかりだった。彼女自身も自分に同じことをしているので概ね因果応報である。
セツナの情報を集めたいミライとしては悪くはない状況だ。しかし、それでもやはり彼女といると調子が狂う。
まだセツナが何者かはっきりしていないので、特別嫌いというわけでも苦手というわけでも無いのだが、なぜか上手く相手が出来ない。
「ね、お姉さんと一緒に訓練室行こうよ。この前の続きもっかいやろ」
「離せってば……! こっちはこれからアンタの代わりに仕事するとこなんだよ!」
「えー、別にいいじゃん。どうせ対異能者戦闘アドバイザーなんて、お姉さんに狂教会から学院を守らせるための、理由付けみたいなもんなんだし」
それでも、あれだけの給金をもらっている以上、最低限の務めは果たさなければならないだろう。もしサボって辞めさせられるようなことになれば、学院の敷地内に入ることも難しくなる。
(それに……)
ミライが《ウロボロス000》を奪われる原因となったあの『事故』は、学院内で起こる。
それまでに、学院内に入るための手段を失うわけにはいかないのだ。
不満げなセツナをどうにか振り払い、ミライは校舎内の職員室へと向かっていった。
※
セツナに邪魔されたせいで、授業にはやや遅れた。
諸々の準備を終え、職員室を出る。教師の一人が案内をしようとしてきたが、ミライにとっては通い慣れた母校だ。断り、最寄りの訓練室へと走っていく。
ミライが向かっている訓練室は今回授業を行うクラスが使うものとは別だが、《八咫鏡》の中ならばどこへでも自由に転移することが出来るため、どの訓練室を使っても結局は同じだ。違う端末から同じサーバーにログインすると言えばわかりやすいか。
静かな廊下には、学科担当の教師が授業をする声が響いてくる。
「……そういうわけで、全ての狂化異物は、この神造機と呼ばれる存在から生み出されていると説明しました。ですが、これには例外もあって、神造機と同時に三機の特殊な狂化異物が生まれたという説があるんですね。その内一つは既に所在が明らかになっており、みなさんもよく知る真稜マナブ理事長によって封印されています。この廃造機と呼ばれる狂化異物は、通常の狂化異物とは一線を画す力を持っているらしく、その危険性から、これの詳細や封印された場所については国家を越えた機密として扱われて――」
「あっ、あの人……」「おい、竜胆のお姉さん通ってるぞ」「いや、別に姉ってわけじゃ……」
途中、トウジがいる教室を通りがかった。
クラスメイトが何やら噂し、トウジに話しかけているのが見えるが、悪質なものではなさそうなのでそのまま訓練室へ向かう。
借りていた教師用の《八咫鏡》制御端末と、端末にくくりつけられた物理キーを使い、訓練室の中へ。
「《教師ID:393939-1。林道ミク、転送開始》」
アナウンスが響き、《八咫鏡》内に作られた、仮想の実戦訓練用体育館へと転送される。
体育館にいた生徒たちが、一斉にミライへ注目する。
「あっ、おねえさん! わたし! わたしもいるのですわ!」
「ああ、宮火さんか……。また狂教会が爆死してるの見たらしいけど、大丈夫だったか?」
「二度目なので慣れましたわ!」
中には、現在の学年主席である宮火ミルの姿もあった。さらに、生徒たちのそばには、始業式の日に話した教師である不知火クルミも立っている。
「すいません、不知火先生。少し遅れました」
「いえ、大丈夫です。先ほどちょうど生徒の転送処理が終わったところなので」
クルミが生徒たちに向き直り、ミライを紹介する。
いや、紹介しているのは生徒たちだけにではない。体育館の隅には、他の教師が何人も見学に来ている。
先日のセツナとの戦いを見て、ミライに興味を持った実技担当の教師たちだろう。
(……この前は勢いで決めたけど、流石にちょっと緊張してきた……)
やや強張りつつ、生徒たちと見学する教師たちに対してミライは言う。
「あー、どうも。対異能者戦闘アドバイザー代理を務めることになった、り――林道ミクです。ただ、色々あって普段は竜胆ミライと名乗ってるので、もしそっちの名前使ってても気にしないでください」
手元の名簿をペラペラとめくり、生徒の顔と名前を一致させていく。
「今日は、対人を意識した回避訓練をやっていこうと思う。えーと、なので……とりあえず、不知火先生!」
「あ、はい! って――」
ミライは教師用端末を操作し、学院の倉庫からあるものを転送し、クルミに向けて投げ渡す。
拳銃だった。
「それ、こっちに向かって撃ってもらえませんか?」
「いや、えっ? あの竜胆さん、これは」
「大丈夫です、ゴム弾なので。肉体強化使ってればちょっと痛いぐらいで済みますし、理事長の許可もちゃんと取ってます」
困惑するクルミに無理矢理銃を構えさせ、自分へと向けさせる。
「一分以内に好きなタイミングで撃ってください。――さて、じゃあ、宮火さん」
「あ、はい! ですわ!」
「宮火さんはこの間の始業式、御剣セツナの――御剣セツナさんの攻撃を避けてたよな?」
「えっと……はい。でも、最初の攻撃だけで、あとは普通にやられちゃいましたけど……。というか、この状態で授業するんですの?」
「どうやって避けた? あれは、速度だけなら弾丸より早かった。強化者の動体視力でも、目で追うのは流石に厳しかったはずだ」
ミライの問いかけに、ミルは「んー」と指を唇に当てて考え、答える。
「準備動作と、視線の動き、ですわ。あの時、御剣さんは居合のような構えをしていましたし」
「そうだ。つまりは先読みしたわけだな。で、この手の技術は――」
唐突に、弾丸が発射された。
ミライの右手が動く。響く銃声。硝煙の匂い。
「――この手の技術は、強化者の中でも強化解除弾への対処が求められるエリート強警官や、一部の要人級強化者にしか教えられていない。一般的な強襲士が相手にする狂化異物は、攻撃が大ぶりで先読みなんてしなくても予測できるし、一般的な強警官が相手にする普通の犯罪者は、強化解除弾なんて貴重品はまず使ってこない。というか使えない」
ゴム弾が、ミライの指の間に挟まって止まっていた。
息を呑む生徒たち。いや、その向こうで見学する教師たちもまた、思わずそれを注視していた。
「ああ、ここまでやれとは言わないから安心してくれ、避けれればそれでいい。……それと、単純に実戦経験が豊富で、先読みしなくても攻撃を回避できるぐらい動体視力が鍛えられている強化者もいるが、それは例外だ。素直に技術として会得した方が早い。そして、こうやって先読みができるようになれば、たとえ付け焼き刃でも狂教会みたいな、強化者に有効な攻撃で奇襲してくる相手に対処できるようになる。ついでに、近々始まる学院内の大会でもきっと役に立つはずだ」
ミライはゴム弾を捨て、生徒たちを見渡しながら言う。
「じゃあ、今から先読み回避において重要なポイントを教えていく。一通り把握したら二人組作って、生徒同士互いに空砲とゴム弾で撃ち合って練習。最後は武装の種類ごとに分かれて、武装によって攻撃にどういう準備動作を必要とするか確認。とりあえず、今回の授業はそんな感じの流れで――」
※
(思ったより大変だった……)
そして、その日一日の授業は終わった。
ミライとしては自分の教師としてのほどは分からないが、さほど反応は悪くなかったように思う。
あの後、ミルは「とってもわかりやすかったですわ!」とわざわざ言いに来てくれたし、見学していた教師たちの評判も――お世辞かもしれないが――それなりに良かった。
授業を終えた後も、努力派な生徒や、実技担当の教師たちにいくつか質問をしてきたため、窓の外はもう真っ赤に染まっている。
(Fランクだから、授業してももっと馬鹿にされると思ってたんだが……。もしかして強化学院、実はそこまで民度悪くないのか……?)
自分の母校に対し失礼なことを思いつつ立ち上がる。
ちょうど、最後に《八咫鏡》に残っていた生徒が、現実世界の方へ帰っていくところだった。
礼をする生徒に手を振って応え、見送るミライ。
「……さて、と」
教師用端末を手に取りつつ、自然な動きで、学院に設置された監視カメラの死角へ向かう。
(御剣セツナっていうイレギュラーもあるし……。一応、確認しとかないと)
三年前のことを思い出しながら、端末にある特殊なコードを入力していく。
「バレたら間違いなくクビだな……」
端末に表示される黒いコマンドプロンプト。
数分近くプログラムの羅列と格闘した後、そのアナウンスは響き出した。
「《ゲストID:XXXXXX。禁止領域への転送を開始します》」
ヴン、と音を立ててミライの身体に赤い燐光がまとわり付く。
視界が切り替わった。
薄暗い視界。冷たい空気。たとえ何も知らない者でも、その部屋に窓が無いことはすぐに分かるだろう。
(ああ、良し。これは変わってない)
ミライは顔を上げる。
そこにあったのは、巨大な機械だった。
大きさ数十メートル――否、数百メートル? 大き過ぎて、その威容の全体を把握出来ない。無数に絡んだケーブルや、噴き出す蒸気は何のためのものなのか。歯車や真空管、電子基板にガソリンエンジンなどが無秩序めいて組み合わさった、子供が適当に部品をくっつけたようなガラクタの巨人。
(いくら仮想空間とは言え、理事長もよくこんなのを学院の地下に封印しようなんて思ったもんだ)
どこか懐かしげに、そして腹立たしげに、ミライは言った。
「三年ぶりだな――廃造機」
ガラクタの巨人は動かない。いいや、動けない。
眠っている。
封印されている。
「前の私は相討ちになったが、次は違う。今の俺が、完全に、お前を打ち砕いてやる」
指を突きつけ、眠る機神に呼びかける。
「――御剣がお前を解放しに来るまで、そのままそこに眠ってろ」
そう、かつての『事故』に宣言し、ミライは仮想空間を去っていった。
・まとめ
竜胆ミライ
一つ前の世界でラスボスと相討ちになっていたTSお姉さん。本人の自己評価より遥かに教師適性が高い。
御剣セツナ
数年ぶりの休暇でテンションが上がっている白いお姉さん。弟と可愛い女の子と強い敵が好き。
廃造機
ラスボスさん。とても大きなガラクタの巨人。仮想空間内にある学院地下に封印されている。一つ前の世界ではミライと相討ちになった。