トカゲが火を吹き龍が泳ぎ埴輪が泣く6
遥か昔、この地に都を築きし御方が眠るこの場所を
守り続けてどれほどの時が経ったであろうか。
人の世は栄え、この地も姿を変えてきた。
それと共に名を変えられながらも、人に神として祀られている存在もどれほどいるだろうか。
姿も名も変えられようとも、それでもこの地を守り続けているのは
この地でしか生きられぬ目に見えぬ存在たちがいるから。
私の本当の姿も名も知らねども、私を神として慕ってくれる人がいるから。
だから私は
いついつまでもこの場所を守り続けていきたい。
神宮の敷地内には幾つか社がある。末社や摂社と呼ばれるものである。
その中の一つ
朱色の鳥居が何本も並ぶ参道が特徴的な、稲荷社に蓮子たちは来ていた。
その社は、蓮子がいつも散歩に来たら休憩する池の側にあって、
毎回とはいかないがお参りしていた社であった。
神宮の敷地には広大な森が広がっている。その木々と並ぶように建つ朱色の鳥居たちを
くぐり抜けた先の本殿の前に蓮子、真白、青人。と埴輪がいる。
時間はまだ昼間で、今日は天気も良い。が、鬱蒼と茂る木々の葉が陽の光を遮り地面に丸い木陰を
残す。社とその周囲は少し薄暗いが心地よい気が流れ、鳥居をくぐる前の場所とは違う世界のような、
何とも不思議な空気が漂っている場所である。
「埴輪さん、どうしてここに私たちを?」
最早定位置である蓮子の両掌に収まっている埴輪に、問いかける。
昼食後皆さんを、と埴輪が連れてきたのがここなのだ。(緋郎はまだ帰宅していなかった)
「主が皆さんをここへ、とおっしゃったのです」
「「主・・?」」
埴輪の返答をオウム返しするのは、真白と青人。
すぐに真白が聞き返す。
「じゃあ、君の主人はこの社の?」
「はい。」
埴輪がこくん、とうなずく。そこにかぶせるように青人。
「お稲荷さまやったんか・・・!」
「え、ここの神様、お稲荷様じゃあないですよね?」
青人の声に応えたのは、埴輪でなく蓮子だった。
その返事に驚いて蓮子を見る、真白と青人。
「山田さん、何て?」
「ここの神様はお稲荷様じゃあないって言いましたけど?」
自分の言葉を確認する二人を、きょとんとした顔で見る蓮子。
そんな蓮子の表情にさらに目を瞠る、二人。
「いやいやでもさ、ここ稲荷社やん?稲荷社にはお稲荷様やん?」
「確かに眷属っぽい白い狐さんたちはいますけど、でも違いますよ。ここの神様はお稲荷様じゃあ
ないです」
頑なにお稲荷様を否定する蓮子。何故にそこまできっぱりと断定するのか。当然気になるのはそこである。
なので、聞いてみることにした青人。
「山田さん、何でそんな言い切れるん・・?」
「だって」
次に蓮子から放たれた言葉に、二人は一瞬言葉を失うのであった。
「神様が言ってました。自分はお稲荷様じゃないって」
「何じゃ、先にネタばらししてしもうたのか。つまらぬのう」
風が、鳴いた。
ざざざ、と木の葉を揺らして風が吹き、瞬時に社の中を特別な空間にした。
風が社を取り囲むように吹いて木の葉が揺れる音だけが響いた。
この感覚を、真白も青人も知っていた。
家業に取り組むうちに何度も経験したことのある感覚。
『彼ら』が使う結界の一種。『彼ら』が『視えない存在』が顕現する瞬間。
風が止み、遠く小鳥の囀りが聞こえる。
静寂が訪れた中、蓮子たちの前に
女神が立っていた。
白衣に緋袴、頭に花簪を身に着けた美しい巫女。それが女神の顕現した姿だった。
自分の住居のようなものである本殿を背に、燐光を纏いながら立つその『気』は正しく『ご神気』。
いきなり現れた神様に呆気に取られている3人に、口の端を上げて微笑しながら、社と同じ緋色の袴を
微かに揺らして『人間』たちの方へと歩みを進めた。
「主!御自らの顕現、ありがとうございます・・!」
「埴輪、言いつけ通りこの者たちをようここまで連れて来てくれたのう。ご苦労様じゃ」
「そ、そんな・・!ありがたいお言葉痛み入りますぅ・・っ」
蓮子の手のひらの上の埴輪がぴょんぴょん跳ねて女神に話しかける。
そんな埴輪に優しい眼差しを向けて、労いの言葉と共に埴輪の頭を撫でる女神。
感極まって埴輪が泣きそうになっている。
これだけでなかなかの視覚情報過多なわけで、大体はそれを眺めて呆然とするしかないのであろうが、
蓮子は違った。
「女神様!お久しぶりです~!埴輪さんは女神様の眷属だったのですね!」
「そうじゃ。蓮子には白狐しか見せてなかったからの、驚いたであろう?さぷらいずじゃさぷらいず」
「サプライズ成功ですよ~。女神様ったらお茶目ですね!」
「ほほほ・・・!そなたは本当に面白いのう・・!」
「えへへ~」
埴輪と蓮子の図だけでもあれなのに、今はそこに女神が加わっている。
神の顕現という神々しいことこの上ない場面であるはずなのに、泣きそうな埴輪、それを両掌に乗せながら
女神にくだけた口調で話しかける蓮子、それに美しい笑顔で応えている女神。という構成なのでどうしても
神々しさがあまり感じられない。
そこに感じるのは明らかな『ご神気』なのに。
「主、彼らが賀茂家の方々でございます」
完全に輪の外から傍観していた真白と青人、埴輪がいきなり自分たちを紹介したので、我に返る。
「初めまして。賀茂真白です」
「弟の賀茂青人です。」
神を前に挨拶もせずに立ち尽くしていたとは、緋郎が聞けば勿論説教コースの基本的なミスである。
女神を前に、真白と青人は姿勢を正して深々と一礼する。
「よいよい、今更そんな大仰な真似。呼び立てたのはこちらじゃ、楽にするがよい」
そうは言っても相手は神様。深く下げた頭は起こしたものの、正した姿勢はそのままに女神と向き合う
賀茂家の兄弟の姿を、一番驚いて見ているのは蓮子であった。
青人さん、あんなにピシッとできるんだ・・・!
いつもならその雰囲気に似合っている上下ジャージも、今の青人には不似合いである。
TPOをわきまえる。それができるのは、普段はどうあれ名家のご子息だから、なのだろうか。
ものすごく畏まっている二人を見ながら、蓮子が考えていたのはそんなぼんやりしたことだった。
「さて。わざわざここまで足を運んでもろうたのは、他でもない。この埴輪に遣わせた用件の
ことなのじゃが。妾|はこの埴輪を通してそなたらのやり取り、全て
知っておる。そこでそなたらにあどばいすを、と思っての」
「あどばいす」
女神の言葉を繰り返した蓮子に、にこり、と微笑んで女神は続けた。
「古来、人は祈ってきた。雨ごい、収穫、豊穣、子の成長。人の力だけではどうしようもできぬこと、
それはどうしても出てくる。その時、人は、祈った。助けてくれと、神に仏に自然に祈った。
その思いに神は仏は自然は応える。ただ、それだけじゃ。それだけのことを、人はいつの日にか
呪術じゃ儀式じゃと大層な名目をつけてしまっただけのこと。人は自ら窮屈になろうとしておるのじゃよ。
不思議な存在よ」
「祈るだけ。・・・本当にそれだけでいいの?」
「そうじゃ。ただ、今の時代、先に話したように祈りに大層な意味をつけてしもうたから、その意味、先入観から抜け出せずただ祈るだけのことをできる人がなかなかいないのが、現実じゃ。
あと、昔より我らのような存在の『気』が小さくなっておったり、電波などが影響して昔より祈っても
見つけにくくなっておる」
「見つける?誰が?」
「『気』を運ぶ存在じゃ。人が祈ると『気』が膨らむ。それを見つけてやってくるのじゃ」
「『気』を運ぶ存在って・・・誰ですか?」
蓮子のその質問に女神はにっこりと微笑むだけ。
「それは自分の『目』で確かめたらよかろう。さて、賀茂家の兄弟よ、そなたらならばもう、わかるであろう?」
女神に話を振られた兄弟。まだ色々と状況に馴染めていないのであるが、女神の言わんとするところは
わかった気がした。
「祈るだけ。本当にただそれだけで良いのでしたら、単純に祈る者の『気』が大きい方が
やりやすいということですね・・・」
「しかも今のご時世は、昔より『気』を見つけにくい環境になってるんやったら尚更・・・」
兄と弟、それぞれ意見を述べて、黙って同じ方を見る。
その視線の先には
「・・・・・・え?」
蓮子がいた。
「そういうことじゃ」
正解、と言わんばかりにうなずき微笑む女神。蓮子だけ一人、訳がか分かっていない。
「『能力』としての錬成度は皆無でも、『気』そのものの大きさは、確かに山田さんクラスの
人はなかなかいない」
「俺らみたいに変に知識がない分、素直に女神さんらの話を聞けて、動ける」
「そうじゃ、そうじゃ」
嬉しそうに微笑みうなずく女神を見たって、蓮子にはさっぱり何が「そうじゃ」なのか
わからない。一人、ずっと首をかしげていると、掌の埴輪が解説してくれた。
「蓮子さまはすごい!ということです!」
「・・・・・・そうなの?」
やはり、わからない蓮子であった。