トカゲが火を吹き龍が泳ぎ埴輪が泣く
悩みがない人など、いないだろう。
恋愛、仕事、家庭・・・。内容は人それぞれであろうが、ほとんどの人が日々何かを考え、悩み、生きている。
抱える悩みを少しでも軽くしたいと願っているだろう。
それは『彼ら』も同じ。
初夏。日中は日射しが厳しくなるが、明け方と夜はまだ過ごしやすい。そんな時期。
早朝の澄んだ空気の中、蓮子は散歩していた。
昨日面接に行った事務所への初出勤の日。期待と不安と入り混じる気持ちが、蓮子を朝早くに目覚めさせた。
二度寝する気分になれないので、近所の、事務所からも近い神社へ行こうと思い立った。
通勤時間にもまだ早く、人気の無い道をぽてぽてと歩く。
そして現れた神社の大きな鳥居をくぐり、広く長い参道をぽてぽて歩いて行く。
この神社、正確には神宮なのだが、広大な敷地を持っていて地元民のお散歩コースとして人気である。
蓮子自身も、敷地内にある池の畔でぼけーっとするのが好きで、よく散歩に来ていた。
広く真っ直ぐな参道をのんびりと歩き続ける。
ざざざざ・・・・っっ
爽やかに吹き抜ける風が揺らしたにしては、大きすぎる木の葉の音。
『彼ら』のような『存在』は、『何か』伝えたいことがある時、こうして風などで知らせてくる。
それを充分承知している蓮子は、ぽてぽてと歩いていた足を止めて『彼ら』が何を知らせたいのか、探る。
上を見る。早朝の薄明るい空が広がるだけ。視線を戻す。そしてぐるり、と見渡す。
ちら・・・っ。
「ん・・・?」
ちら。
風が鳴らした木の幹から、ちらちら『何か』が見え隠れしている。
明らかに見つけて欲しそうな、わざとらしいチラ見せを暫く眺めてから、蓮子は『何か』の方へと
歩いて行った。
常に人や車が往来しているほど賑わった通りではないが、全く人気の無いような寂れた所でもない。
そんな通りに面して、一件のビルが建っている。ビルといっても3階建てだから決して大きな建物ではない。
一階は駐車スペースで、常に2台の車が停まっている。そして通りに面した入口から二階に上がると、
事務所がある。
看板も表札もない。何の事務所か説明するのが難しい、この事務所。
何らかの依頼がクライアントから来れば、その依頼をこなすために動く。文章にすると至極当然の、これが
仕事というものの基本ですよ。という説明になるが、此処は扱う依頼の内容が実に特殊なのである。
普通、人には『視えない』とされている分野を扱うのだ。
幽霊だったり妖怪だったり神様だったり。そう一般的に呼ばれているような、『存在』に関係するものやことを取り扱う、ものすごく怪しい言い方になるが、霊能事務所、霊能探偵事務所、それが此処であり
今日から蓮子が働く場所である。
午前10時。ボートネックのカットソーにカーディガン、ワイドパンツという服装に、大きめのトートバッグ
といういで立ちで蓮子は事務所にやって来た。服装指定はなかったから、動きやすくそして派手ではないコーディネートをしてきたつもりだ。
まあ、面接をしていた人間がジャージだったし、きっと注意は受けないだろう。
看板も表札もない、事務所の扉を開ける。そこには昨日面接に来た時と同じポジションで寛ぐ此処のスタッフ達がいた。
「おはようございます・・・!」
緊張気味に告げた挨拶。最初にそれに応えて出迎えてくれたのは、観葉植物の水やり用のじょうろを手にした、青年。
「おはよう、山田さん。今日からよろしくお願いします。」
「はい・・っお願いします!」
そんなやり取りをしながら、蓮子を中へと誘導する。中には今日もジャージの青年がソファに、今日もスーツの男性が奥のデスクに、それぞれ座っている。
「簡単に自己紹介。俺は、賀茂真白。奥にいるのが、賀茂緋郎。
で、ソファにいるのが」「賀茂青人です~。山田さんよろしくね~?」
「あ、は、はい。よろしくお願いします・・・!」
真白が話しているところにかぶせてきた青人の間延びした口調の挨拶に、お辞儀をしながら返答する。
「緋郎、さんもどうぞよろしくお願いします・・・!」
奥のデスクに腰かけて新聞を読んでいる緋郎にも同じようにお辞儀と挨拶をする。緋郎は目だけをこちらに
向けて、無言の返事を返してきた。
「あの、皆さんはご兄弟なんですか?」
「そう。長兄が緋郎で、次兄は出払ってることが多くてほとんど此処にはいない。で、俺で一番下が青人。」
「な、なるほど・・・。」
蓮子の問いに柔らかく答えながら、真白は蓮子を空いてるデスクに案内する。
ノートパソコンが置かれてるだけの、簡素な、普通の事務職の机である。
「ここ、使って?」
「ありがとうございます。」
うながされるまま、カバンをそっと机の上に置く。そのカバンに手を置いたまま蓮子は少し落ち着かない様子で、真白に声をかけようとした。
「あの「山田さん。」
蓮子の声をかき消したのは、緋郎の声。
呼ばれて振り向くと、かっちりとスーツを身に着けた緋郎が蓮子を見下ろしている。
「は、はい・・・。」
190近いと思われる緋郎の顔を見上げる蓮子の顔の角度はほぼ垂直。長い時間は首に負担がかかると
感じながら、蓮子は返事する。
「これを読んでおくように。」
自分より30センチ以上低い身長の蓮子を見下ろしながら緋郎が蓮子に差し出したのは、何やら分厚い書類だった。
「これは・・・。」
「ウチで働くにあたっての注意事項や規則などをまとめたものだ。君の今日の仕事は、これを読んで覚えること。」
「・・・・・・。」
ちょっとした文庫本くらいの分厚さの書類の束である。一つの冊子としてまとめてあるが、これをどうやってホチキスで綴じたのだろう。きっと特別なホチキスと相当な握力が必要なのに。
というかこれを読むの・・・?
手渡された書類の束の分厚さを両手で確認しながら、蓮子は遥か頭上にある緋郎の顔を様子見る。
自分の目に映ったのは、口を真一文字に結んで至極真面目な表情で自分を見下ろす緋郎の顔。
冗談じゃないんだ・・・。
あまり冗談を言うタイプではないと思っていたけど、出勤初日、一発目の指示がこれとは。
賀茂家の長男は恐ろしく真面目で堅物なのではないか。
そんな結論がこの短時間で蓮子の脳裏に浮かんだ。
何にせよ、読まないという選択肢はないだろう。蓮子は自分を見下ろし続けている緋郎に返事をしようと
口を開きかけた。
「は「ま~た!ひーちゃんはそんなモン作って~!」
はい。と言いかけた蓮子の声をかき消して、青人が間延びした口調で割って入ってきた。
「そんなモンとは何や。必要なものだろうが。」
青人の声に明らかに不快を示した緋郎が、ソファから立ち上がってこちらへ来る青人に言った。
「いやいや、先ずさ?何その分厚さ。たかがマニュアルごときにどんだけ~?やで。」
「たかがとは、何や!規則は重要だろうが!!特にウチのような仕事は特殊なんやから、守ってもらわな
あかんことは山ほどあるやろ!」
「そんなん、実践積んで行って一つづつ覚えていくもんちゃうの?しかも、何これ?ウチの歴史?
いらんわー!こんなんに何ページ使ってんの?無駄やわ!紙代と印刷代の無駄や!」
「なんやと?!ウチで働いてもらう人間にウチの成り立ちを教えておくのは重要やろが!
お前はウチの家業の伝統を軽く考えすぎとる!!」
「伝統伝統言うていつまでたっても古臭いままやんか!堅い頭で偉そうに伝統に胡坐かいとるのが偉いんか!そんなんやからウチには人も依頼も寄りつかんようになって来てるんちゃうの?!」
「お前はこの仕事を馬鹿にし過ぎや!!」
「してへん!!俺なりに考えとる!!」
「その結果がネットで求人か!?それが馬鹿にしとるっていうねん!!」
「堅い頭の年寄りにはわからんわな~!!」
「お前なーーー!!!!」
「そこまでにしときや、二人とも。」
蓮子の目の前で段々と白熱していく緋郎と青人の言い合い。完全に蓮子を視界から消し去った二人の
言い合いを、呆然と眺めていたのだが、緋郎の声が最大になった時、絶妙なタイミングで真白が割って入った。
「山田さんの前やで?」
静かな、だけども熱くなった二人のテンションを一気に元に戻すような、有無を言わさぬ厳しさが含まれているような、真白の声に、二人は側にいる蓮子の存在を思い出し、我に返った。
「山田さん、ごめんね?」
「いえ・・。」
真白に柔らかく微笑まれ謝罪される。蓮子はあっという間に二人が冷静になったのを、手品でも見るようだと感心していた。
「・・・お前が勝手に求人出して、勝手に面接して決めたんや。お前が面倒見ろ、俺はもう知らん。」
冷静になった緋郎が大きくため息を吐いた後、そう言って事務所から出て行った。
その後ろ姿を見送った真白が、青人を軽く睨みつけた。
「ヒロさんへの態度、いい加減直していかなあかんで?セイ。もうお前も子供やないんやから。」
「それを言うならひーちゃんの方こそ幾つになっても大人げないんちゃう?あの沸点の低さ、何とかせな
ほんまに仕事が来なくなるわ。」
ああ言えばこう言う。幼い頃から口の達者な末っ子に、緋郎ほどではないがため息を吐く。
真面目過ぎる長兄と違い、自分の言葉にどういう反応が返ってくるのか、確信犯的な部分があるから性質が悪い。
「あの・・・。」
ここで、何度も口を開きかけてはその続きを言うタイミングを失ってきた蓮子が、やっと注意を自分へと向けることに成功した。
真白と青人の視線が自分へと向いたことを確認して、蓮子は続ける。
「あの、依頼、をしたいと仰る方と出会いましてですね・・・。」
「ええ!?」
「依頼?ウチに?ってこと?」
「はい。今朝、ちょっと散歩してたら出会いまして。お話しだけでも・・・聞いていただけます?」
蓮子のまさかの依頼人ゲットの話に、テンションの上がる青人。ちょっと散歩してたら出会うものなのか
、そういう細かいことは気にしていないのか、耳に入っていないのか。ともかく目を輝かせて蓮子に詰め寄った。
「聞く!めっちゃ聞くって!!山田さん、すごいな!出勤初日に!!」
「ありがとうございます!じゃあ、ちょっと待ってくださいね・・・!」
「山田さん、依頼人、近くまで来てるの?」
「あ、はい・・!近くまでというか・・・。」
真白の質問に返事しながら、机の上に置いていたトートバッグの中をごそごそと探る蓮子。
そうしてバッグの中から両手で取り出した『もの』をコトン、と置いた。
「『彼』が依頼人です・・・!」
「「・・・・・・・・。」」
真白も青人も、蓮子がバッグから取り出した『もの』に釘付けとなった。
蓮子が『彼』と呼ぶ、依頼人。
それは最早『人』ではなく・・・・・。
両掌サイズの埴輪だった。
「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」」