蒼い瞳と金色の獅子
「はあ…」
美しい雪景色にそぐわない、大きなため息がもれた。気を取り直して、ガラス張りの庭園で温かなお茶を啜る。
「どうしたの、エミリア姉さん。また兄さんとヘレンさんのこと?」
話し相手の美少年が飼いライオンのレオンをあやしながら返した。美しいサファイヤの瞳が私を映す。
私はそれに頷く代わりに、もう一度小さくため息をついた。
私はこの国の伯爵家の一人娘である。つい先日まで王太子の婚約者としての未来が約束されていた。
そう、約束されていたはずなのだ、輝かしい未来が!
それなのに、それなのに!
「あれは嫌味としか捉えようがないわよねえ。」
「兄さんもまた馬鹿なことをしてると思うよ。なあ、レオン。」
ライオンですらがるると非難の声をあげる。
話題の中心の青年は、少し離れたところで私とは似ても似つかない女性と仲むつまじく雪を眺めている。腹立たしい。
「エルリックがそれでいいなら構わないけれど、身に覚えのないことを周りに吹聴されるのは頂けないわね。」
「少し考えればエミリア姉さんがそんなことするわけないって気づくと思うけど。」
「サーシャ、どうせすぐ姉さんなんて呼ぶ必要なくなるんだから今のうちに辞めておきなさいな。」
「呼びたくて呼んでんの。俺は。」
なー、とレオンの顔をのぞき込むと、レオンは大きな口を開けて彼のことを飲み込んだ。
「いっっっっだだだだだ」
「こらレオン!!!めっ!!ちょ、サーシャ、起きて!サーシャ!!!」
こうして、穏やかでくだらない昼下がりは過ぎていくのである。
***
「エルリックの吹聴は何とかならないのかしらサーシャ。」
「わざわざ一つ下のクラスまでご苦労なことで。」
2年生の教室で愚痴をこぼす。
今日も今日とて美しいサファイヤが、呆れたようにこちらを見ていた。
仕方ないでしょう、だってこの辺りまで来ないと目線が痛いんだもの。
「周囲も周囲で何も考えずに受け入れてしまって。まるで私が全ての悪の根源みたいな扱いよ。」
「それはそれは。」
おどけたようにサーシャは肩を竦めた。隣にいるレオンは眠たそうに欠伸をひとつ。教室にレオンを連れ込むため、学長に直談判した2年前の春が懐かしくなった。
気がつくと、私たちの卒業式も間近である。…私はといえば、こんなところで準備をサボっているわけだけれど。
「随分レオンも教室に馴染んだわね。」
「レオンは賢いから。人間は噛まないんだよ。」
「包帯をまいた腕で言われても説得力ないわよ。」
「そうかなあ」
ぐるぐる巻きの腕と反対の腕でライオンの頭を撫でようとして、避けられる。
「本当に他の生徒は噛まないんでしょうね。」
「姉さんの言うことを聞いてるのが証拠にならない?」
「なりません。」
そう話している間にも、まだサーシャはレオンを撫でようと格闘していた。さすがに鬱陶しくなったのだろう、レオンは彼の手を払い除ける。
そう、鋭くとがったライオンの爪が、彼の手を払い除けたのである。
噴水のように包帯と反対の腕から血飛沫が上がった。
「サーシャ!!!サーシャ!!誰か保健医をここに!!!ああもうだから心配してるのよ!!!」
***
そんなくだらない、可愛らしい義理の弟とそのライオンとの日々も、あっという間に終わりを告げる。
私たちの、卒業パーティーが近付いていた。
***
「エミリア・コンチェスター、今ここで私は貴様との婚約破棄を宣言する!」
しん、と会場が静まりかえる。
いや、元々静かだった。なんせ答辞の真っ最中だ。
答辞の最後に、突然エルリックが「最後に一つ、私事だが、ひとつ言いたいことがある。」と言い出してこのザマである。
少し前までこの人に好意を抱いていたことを恥じる。こんなのに嫁ごうとしていたのか、今まで。
恥ずかしさと苛立ちでどうにかなりそうだ。頭を抱えたいなかで、ふと、サーシャはどうしただろうと気になった。
式の前、「さすがに会場には連れて行けない」と教員に説得され引きずられるようにレオンを置いて入場した彼。兄の愚行で被害を被るのは彼も同じだ。
ちらりと在校生代表の座席を見てみると、彼はぼんやりと虚空を見つめていた。レオンがいないだけでこれである。やはり連れ込むことに賛同して手を貸すべきであったか…。
「貴様にはほとほと愛想が尽きた!私はヘレン・プリスェラ嬢を伴侶にするつもりだ。」
「…そうですか…」
もう勝手にしてくれ。そう思ってついたため息を、彼は抗議だと受け取ったらしい。ニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべる。弟と同じ、空みたいな、海みたいな蒼がにくらしかった。少なくとも、サーシャの瞳はあんな光り方はしないだろう。
「貴様の悪事は既にこちらに伝わっている。」
「悪事ですか?」
「ああ!貴様がヘレンにした数々の悪事だ!」
身に覚えのない罪状をつらつらと並べる。やれ教科書の破損やら、池に突き落とたやら、陰口をこれみよがしに囁いたやら…全て私以外のご令嬢がやったことである。たまたまその場に私がいた、くらいの接点しかない事故事件。否定するのは簡単だけれど、それを信じる人間がどこにいるのか。何故か同級生は第1皇子の味方だった。ヘレン嬢をいじめた人たちだって、この場に出てくるより私に濡れ衣を着せたいだろうし。
「貴様のような悪女はこの国にはいらぬ!この国から出ていくが良い!」
「…貴方になんの権限があって、」
「私は王太子だ。お前一人国外に追放する程度、造作もない!」
一応伯爵令嬢なのだけれど?という言葉は飲み込んだ。何を言っても無駄だろう。
「安心しろ。貴様は悪魔であろうが、貴様の家族は関係ない。今後も役目に務めるならば、きちんとした報酬を払おう。ヘレンを養子にするというのなら、王太子の婚約者を出した家という名誉も与える。」
要するに私だけが邪魔者なわけだ。2人から見れば、私は恋を邪魔する悪女である。それだけ排除したら2人は無事に結ばれてハッピーエンド。どこのおとぎ話だ。
顔を上げる。
そんなに欲しいなら、悪役とやらになってあげる。でもただでなんか済ましてやるものか。着せられた濡れ衣全部脱ぎ捨てて、それでもってこの場から華麗に去ってやる。
そう思って口を開こうとしたその時だ。
獅子の咆哮が聞こえた気がした。
「失礼ですが兄上、エミリア・コンチェスター嬢を国外追放にするということでよろしいですか?」
凛と響く声。澄んだ水面に落ちる一滴の水滴。
「…サーシャ?」
「その通りだ。お前も彼女の愚痴やら悪態に苦しめられていたのだろう?安心しろ、今後はそんなものに巻き込まれる心配はない。」
「…別に、私はそれらに迷惑などしておりません。」
つかつかと舞台に上がる。ぼんやりとその姿を見ていると、サーシャがにっこりと微笑んだ。
その瞳が、金色に光る。
「でも、それはちょうどよかった。」
ばん、と乱暴に会場の扉が開いた。そこには、1匹の獅子の姿がある。
「さあ、好きにしなよ。」
金色の獅子が会場を翔る。一直線に私を目指して。周りの生徒が慌てて私から距離をとると、それを当然というように、堂々とその中を走り抜けた。目の前に現れた獅子の青い目が私を見つめる。
それは一瞬だったのかもしれないし、数分だったのかもしれない。正確な時間は分からないけれど、それでも、その目を見て確信した。この獅子は、いや、彼は、
「…サーシャ?」
正解だと言うように、獅子が吠える。
それじゃああそこに立っているのは誰なのかとか、ちゃんと元に戻れるのかとか、そんなこと今の私にはどうでもよかった。ただただ、呆然とその姿を見つめる。
「それでは兄上、ここに宣言させていただきます。」
「サーシャ、なにを、」
「サーシャ・ベルファストの名において、彼女をわが祖国、ベットの王太子、サーシャ・サンテティエの許嫁とする!」
同意を示すように、獅子が吠えた。
「これで満足か、ご主人?」
目の前が光り輝いて、そこに美しい少年が姿を現す。ずっと可愛がってきた、愛しい義理の弟。彼が獅子から元の姿に戻る。
「上出来だ、レオン!さっさと逃げるよ!」
「こっちもそろそろ限界だからな!」
今度は舞台の上にいた少年が獅子に姿を変える。見慣れた金色の瞳の獅子。
「エミリア姉さん、ちゃんと捕まってて!」
飛び出した獅子が私の制服を咥える。咄嗟に掴んだ腕は離せなかった。にっこりと微笑んで、彼は私を獅子に乗せ、自分もレオンに跨った。
「それじゃあ、皆様、お騒がせ致しました。私共はこれにて失礼致します。」
獅子が、飛んだ。
文字通り飛んだのだ。白い美しい羽根を生やして。なんなんだこれは、
「レオンはただのライオンじゃないからね。他のライオンより賢い。」
「賢くても空は飛べないわよ!」
「細かいこと気にしな〜い!こっから俺の国まで一直線だ!」
会場の屋根を吹き飛ばす。地上は今頃大混乱だろう。きっと怪我人もでたに違いない。
「サーシャ!」
「エミリアを見捨てた人なんか知らねーよ、さっさと帰国したいし。さ、レオン!」
獅子がもう一度羽ばたいて空を駆けた。
「安心して、ベットなら誰も姉さんを傷つけたりしないから。」
後ろに広がる空と同じくらい美しい蒼の瞳を細めて彼が笑った。
お読みいただきありがとございます!
よろしければ、感想とブクマよろしくお願いします!
いつか長編で書けるといいなと思ったものなので、需要があれば加筆修正の後長編をアップしたいです。
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5/14 沢山の反応に作者自身驚いています。お読みいただきありがとございました。
「ここがよく分からない」「結局なんだったの?」という意見が多く、真摯に受け止めさせていただいています。沢山の評価、コメント、ブクマ、本当にありがとうございました。
正直なところここまで反応を頂けるとは思っておらず、現在は大変嬉しく思っております。筆を折る前に、ただただ楽しく書こう!ぐらいにしか思っていなかったもので…
考えていた設定や、書きたかった小噺など沢山存在するので、今後加筆修正できれば皆様の疑問にも答えられるよう努めていきたいと思います。
お読みいただきありがとうございました。もし宜しければ、長編としてこの世に出す時も、この子達を見守ってあげてください。
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