2 助けに現れたのは王子様? 女王様?
「ィー」
全身黒タイツの覆面が腕を何やら動かす。
それが何の動きかあたしは気付いてしまった。
これは、手話!
手話。
口が聞けない人でも意思の疎通が出来るようになるという素晴らしい技術。
あたしと目の前の覆面がなぜ手話を操れるのかという疑問は、忘却の彼方に放り投げて欲しい。
「ィー」(ふはははは、見つけたぞ、期間限定に弱いマヌケめ。だっぺ)
※ここからは副音声でお届けします。
「マヌケってあたしのこと?」
うっかりあたしも腕をバタバタさせながら訊ねた。あたしは普通に喋れるから手話する必要ないんだけど、ま、いーよね。
「ィー」(そうだ。そして、期間限定に釣られたお前は我らの仲間にならねばならない。だっぺ)
「ほえ?」
「ィー」(ちなみに拒否権はない。すぐにこの戦闘服に着替えて働いてもらうぞ! だっぺ)
「えぇええええっ!?」
そんな壮絶恥ずかしい格好なんてしたくないよ! だいたいあたしは、ちょっと錬金術を体験してみたくてゲーム始めただけなんだよ!?
それに、さっきから語尾の「だっぺ」が気になるんだけど!
いやいや、そんな場合じゃない。こんな危ない人からはさっさと逃げなきゃ。
「お姉ちゃん、助け――」
叫びながらあたしは逃げようとした。と、そこに、
「ィー」(ジュワッ)
覆面さんがL字を作った手から光線を飛ばしてくる。
それって番組違うよね!? 地球で3分しか活動できない宇宙人の技だよね!?
その、使用者を明らかに間違えている光線があたしに当たった。
あれ?
全然痛くないよ? HPも減ってないし。視線の位置が低くなってきてる気がするけど。なんでだろ?
「ィー」(ほーら、こっちを見てごらん。だっぺ)
なんか大きくなったショッ○ーが手を叩いた。
彼の足元には携帯犬用ケージが置かれて口を開けている。奥の方に骨が置いてあるのが見えるんだけど、これって、あからさまに罠だよね?
骨につられてケージに入ったら柵が閉じるっていうお決まりの。
狼の獣人のあたしだけどさ、中身人間なんだから、そんなのに掛かるわけがないじゃん。
って、余裕ぶっこいてたんだけど、身体は勝手にケージの方に向かっている。
ダメダメ!
これ絶対罠だから!
2話目にして主人公敵の手に落ちる。完。フラグだから!
必死の抵抗も虚しく身体は骨にかじりついてしまう。
予想通りケージ出口がふさがれた。
なのにあたしの身体は嬉しそうに尻尾を振っている始末。
ていうか、なんなのこの骨。
〈犬系まっしぐら〉
犬系のモンスターの注意を引きつけ、食べた個体を眠らせる。効果時間(短)。
あのあの。あたしは獣人であって狼じゃないんだけど。
だけど段々眠くなってきて、気持ちよく眠りに落ちた。
◉◉◉
ふぁあああ。
目を覚ましたあたしは思いっきり背伸びしてあくびした。
うわー。ベッドすごいふかふか。
ベッドをペンペンと叩いていたら、あたしの手であろうものが目に入った。
なんか、犬の脚に見えるんだよね。そりゃあ獣人だから、アバターの手は肉球ぷにぷにだったけどさ、ゆるキャラみたいな感じだったというか。
「ィー」
首をかしげていたらどこかで聞いた声が聞こえた。そっちを向いてみると、黒タイツの覆面がいる。
「ィー」(目が覚めただっぺ?)
何故か、覆面黒タイツがあたしの前に鏡を置いた。そこに映っているのは1匹の犬。茶毛のハスキーみたいな子。
あたしが手を動かすと、鏡の中の子も前脚を動かした。
鏡の中の子は、とことんあたしと同じ動きをする。
これ、もしかしてあたし?
「ィー」(気付いたようだっぺな。君は俺のスッパシウム光線で狼に変えさせてもらったっぺ。ちなみに、この契約書にサインすれば元に戻れるっぺよ)
そう言った覆面黒タイツが出してきたのは1枚の紙。
なになに?
勤務条件
時給:3,800〜
勤務時間:10:00〜18:00 昼休憩1時間 フレックス制有り
有給:年20日。未消化分は翌年に持ち越し。最大40日/年
他、労災有り、厚生年金、社員寮完備、交通費全額支給
私、 こはる は、平戦闘員の1人として悪の組織に忠誠を誓い、必死こいて働きます。 印
こんな文章が書かれている。
こ れ は。
普通に素敵な勤務条件な気がする。なにより、ここで就職決めちゃえば、来年には始めないといけない就活しなくていいんでしょ?
やばい、心が揺れる。
そこに差し出されてきた朱肉。
母印を押せばこの素晴らしい条件で働けると。
フラフラと朱肉に前脚を付けようとした時、覆面黒タイツの姿が見えた。
これ、働くってなると、この格好しないといけないんだよね?
羞恥心 >>>>> ぱっと見良さそうな条件
煩悩を振り払うためにあたしは頭を振った。
サインしたらアウトな臭いがぷんぷんする! いやいや、何より悪の組織で働いちゃ駄目でしょ。
そんなあたしの考えを読んだかのように、
「ィー」(この契約書にサインしないと元には戻れないっぺ)
覆面黒タイツが言ってくる。やめて! あたしを餌で釣ろうとしないで!
でも、人の姿に戻れないと困る。最悪キャラを作り直せばいいんだろうけど、始めたばっかりでそれは嫌だしな〜。
そんな困っているあたしの視界に
【特殊クエスト】稀有なる狼人
なんていう文字列が浮かび上がった。
え、これクエストなの?
ご丁寧にウィンドウがポップアップして、「サインする?」「しない?」の選択を求めてきている。
えとー。
これって、どっちかを選ばないといけないんだよね?
どっちが正しい答えなんだろう。ゲーム始めたばっかりなのにこんな質問されても選べないよ〜。
困って「アオーン」って鳴いたら遠くで大きな音がした。しかも、なんか揺れた気がするんだけど。
1度音が聞こえた後は断続的に音が続いて、こっちに近づいてきてる。
で、いよいよ近くで爆音がしたと思ったら、あたしのいる部屋の壁にぽっかりと穴が開いた。
「こはるー。無事かー?」
もうもうと煙が立ちこめている中お姉ちゃんが出てくる。
「アオーン」(お姉ちゃーん)
助けが来たと思ったあたしはお姉ちゃんに向けてジャンプした。そしたら問答無用で弾かれる。
「ア、アオーン?」(叩いたの? 母さんにだって叩かれたことないのに)
思ってもみなかった扱いに、よくわからない言葉があたしの口から漏れた。
HPに叩かれたダメージは入っていないみたいだけど、精神的ダメージが。
しょげたあたしは床にへたり込んだ。
「アオーン」(お姉ちゃん、あたしだよ〜。気づいてよ〜)
願いを込めて上目遣いでお姉ちゃんを見る。
お姉ちゃんが鳴き声に反応したようにこっちを見下ろして、一瞬視線を別の方向に向けて、またあたしを見てきた。
「なーんか見た目変わってるけど、ひょっとしてこはる? っていうかこはるだな」
しゃがみながら片手を出してきてくれる。
そう、そうだよ、こはるだよ!
主張するために、あたしはビシッと立ち上がって耳をピンと立てて尻尾を振った。ついでに全力でうなずく。
「急にいなくなったら心配するだろ? 今度からは一言言ってから移動しろよ。てか、その変身ってスキル?」
そう言ってお姉ちゃんはあたしを撫でてくれようとする。あたしもお姉ちゃんの腕の中に飛び込もうとした。
そんな感動的な再会シーンに水を差す「ィー」の声。
「ィー」(その子はうちの新人候補なのに、何邪魔してくれようとしてるんだっぺ!?)
覆面黒タイツがあたし達めがけて走ってきた。
けど、そのおでこに勢いよく何かがぶつかって後ろ向きにのけ反り倒れる。
あたしの目の前では、お姉ちゃんがごつい銃を覆面黒タイツに向けていた。
ひょっとしなくても撃ちましたよね? それ。
「感動の再会を邪魔してくれてんじゃねーぞ、雑魚」
見た目お姉さんだけど、中身やっぱり男だね。お姉ちゃん。