古池の老いたペリカン
何も書くことがなくなればどうするの?
とあなたは言いました
何も書くことがないことを書ける
とあの人は言いました
ですが
とごった池底に落ちた心中は
すくい上げても生臭く濁るだけで
あなたには届きません
意味もなく雨が降っています
あなたはどこにいるのですか
藻の浮いた水辺で
足を滑らせたまま
青くはない空を見上げていると
目の中に雨粒があふれ
目の玉が毬藻になりそうです
胸にクチバシを突き入れて
膨れ上がった浮腫をえぐり出せば
また空を飛べるでしょうか
鳥でいるには
随分と羽を休めてしまいました
筋力は衰え
今しがた
飛びたった仲間を見上げています
再び自分の羽で飛べるのなら
朝日に輝く森の上で
空へとけてしまえるのに
日毎に抜け落ちる羽根は増えるのです
あの人は相変わらず
飛んでいったツガイを忘れられず
彼女が残した羽根で砂に思い出を綴り
あの少年は今も
捨てられた事を理解できずに
空かせた腹を抱え風を追いかけています
夢見ることを忘れた少女は
泥が跳ねるのを嫌がり
白い翼を一度も羽ばたかせることなく
薄汚れた壁に向かって広げています
羽毛の上から油を被る苦しさは
誰にも分かりません
心配する者を疎みながら
愛して欲しいと涙を流し
人を慈しみながら
見知らぬ者へ怒りを投げつける
いったい誰が
矛盾のない自我を貫けるのでしょう
涙は赤くはない血
甘いのは悲しいからだと言いますが
無色透明なそこに
汚れた心など映りはしません
羽根をむしり取った
丸裸の皮に浮かぶ暗号を
解明していくしかないのです
私もまた若さを失い
力強い飛行は弱々しくなりました
羨ましいと思いもしなかったものに
涙をにじませるようになり
許されぬものに苦しみ始め
変化を受けとめたところで
決まって他の誰でもないことは明らかで
答えは何も変わりません
時間と共に流されるのを
ひたすら息を潜めて耐えている
何も考えられなくなるようにと
日々を詰め込んでみても
体ばかりが疲れ
ますます陰気な曲が思考を支配していきます
優雅に舞うあの人も
誰かの側では従属の立場にあり
追いかける背中を美しいと思えないまま
空の壁に閉じ込められている
どれだけ訴えても届かぬのなら
届いても隅へ置かれるのなら
この侘しさを耐えてまで
すがり続けるほどの力はもうないのです
いっそ
このまま沈んでしまえば
光の届かぬ藻の底で
夢にまで見た日々を
送り続けられましょうか
毬藻が織りなす
青みどろの歌うたい
月が割れようとも
陽が流されようとも
影の手を取るまでは
羽毛を纏いながら
雨に濡れていましょう
沈んで沈んで
静かなる水面
あなたを映した影の上
風が吹き抜けます
私は朝露のように
あなたの深き底へ
落ちてしまいたい
清らかな雫として
儚き刹那のまま
藻に絡まりながら
生き絶えるまで
浮かぶあなたの影を
池の水と共に喉奥に流し込みましょう
朽ち果てるまで
私のクチバシの中
思い出を膨らませます
甘い甘い雨は
古池へと降り注ぎ
湖へと変えてしまう
毬藻は溢れ出る水と共に
どこかへ流されてしまいました
もう幾ばくもすれば
あの人を眠りにつかせた夜が
森の奥へ沈むでしょう
夢にまで見るのは
朝日に照らされるあなたの喜びです
あの人が眠りから顔を上げる時
今の私は
共に飛び立てるでしょうか
藻の浮く水辺で
その時を待っています