表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

陽だまり童話館シリーズ

花と守り人

作者: 九藤 朋

 姉の漆黒の髪を、一つの三つ編みに編むのは、毎朝の僕の役目だった。

 姉は猫っ毛で、気を抜くと髪がさらさらと指の間から滑り落ちる。

 だから僕は髪の毛を逃さぬよう慎重に、そして丁寧な手つきで編んでいった。


 鏡台の前に正座する姉はいつも僕の手を待っている。神妙に。

 その厳かな様子はどこか巫女さんみたいだ。

 鏡台を覆う、赤に鶴の日本刺繍が施された布は、後ろにめくられている。

 

 実際、姉は、どこか浮世離れしたところのある人だった。

 唇にはいつも笑みをふんわりと漂わせ、目は透き通ってこの世界の隅々まで見通すようだった。


 僕が髪を編み終わると、姉は決まって鏡台の前でくるりと回って見せ、そうするとセーラー服の裾がひらりと浮いた。

 姉の存在も学校では浮いているのではないかと僕は心配したが、それは取り越し苦労のようで、姉は時々、(さえず)るような声で、その日学校であった出来事を楽しそうに語って聴かせた。


 花咲くような少女の姉。

 そして僕は花の守り人。


 いつしか、そんな風に思うようになっていた。


 ある日の秋の夕方。秋は暮れる日の、美しい季節だ。

 姉が縁側に座り込み、俯いて肩を震わせていた。セーラー服を着替えもせず。

 僕が呼びかけると、姉は静かに白い面を上げた。

 白い面は白露に濡れていた。

 失恋したのだと言う。

 失恋したのだと言う。


 それを聴いた瞬間、僕の中で何か赤黒い感情が爆発的に湧き起こり、どよめいた。

 理不尽だ。

 僕は僕が編んで結んだ姉の髪を乱暴に解いた。

 さらさら、と勢いよく流れる漆黒の滝。

 潤む姉の目が大きくなった。黒髪は乱れてうねった。そのまま、乱暴に掻き乱してしまいたかった。僕は無性に、姉を傷つけたい衝動に駆られていた。傷ついた姉に、追い打ちをかけるような真似を。

 姉の顔がいよいよ悲しそうに歪む。

 だから僕に出来たことはそこまでだった。

 庭には季節外れの竜胆(りんどう)が咲いていた。

 悲しんでいる君が好き。

 そんな花言葉を持つ青紫が、微風に揺れている。違う。僕は悲しんでいる姉が好きな訳じゃない。


 笑っていて欲しい。小鳥のような声で語り、楽しげに澄んだ瞳でいて欲しい。

 適うことなら、僕の為に。

 僕は髪を乱した償いのように、姉の頬の白露を拭った。拭ったそれを、ぺろりと舐めた。白露は思った通り、海の味がした。そして血の味がした。噛み締めていた僕の唇から流れた血だ。


 無邪気で汚れを知らないような姉が、(かげ)りを帯びた微笑を浮かべた。それは歳経た女性の笑みだった。何かを諦め、悟っている表情。

 姉は知っているのだ。何もかも。そして望みながらも身を引いている。

 誰の為に? 僕の為に? 自分の為に? 両親の為に? ――――世界の為に?


「姉さん」


 姉の手が僕の唇に伸びて、ついとなぞると、指についた赤を舐めた。丁度、僕が姉の白露にそうしたように。白露と血の対価は等しいだろうか。


「忘れないわ。私。だから貴方も、きっと忘れないでちょうだいね」


 何をとは、姉は言わなかった。暗黙の内に、僕は了承した。

 花の守り人が領分を侵し、花を乱したこの秋の日は、僕と姉にとって水面を揺らす一滴となった。一滴により水面は揺れ、波紋を広げ、そしてまた静まった。


 やがて時が経ち、僕も姉も大人になった。


 そして僕の花は、寄り添う相手を見つけた。

 姉の白無垢姿を父と母が感涙頻りに褒め称えるのを、僕は少し離れたところから見ていた。

 紅の差された姉の唇は真紅で、別人のようだった。姉が僕を見る瞳は深く、綺麗な湖みたいだった。その底に、何が潜むか誰も知らない。僕以外は。

 僕が微笑むと、姉も微笑んだ。共犯者の笑みで。


 姉は花。

 そして僕は花の守り人。


 この関係は生涯変わることはない。




挿絵(By みてみん)






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
[良い点] 花と守り人 拝読させていただきました。  とても雰囲気があって、読んでいる途中からドキドキしてしまいました(^^♪ 漆黒の髪、白露と血、直接的ではないですが、色鮮やかな光景となんだか妖しい…
[良い点] 流石の雰囲気のある作品ですね。 黒や赤や白と言った鮮やかな色が、怪しく漂うようでした。 [一言] 最初、三つ編みの「3の話し」かと思ったら 「さらさら」の話でしたね。 どちらにしろ、髪の毛…
[良い点]  長い髪を一人で結うのは大変だけど、弟が結ってくれているところから、どんな姉弟なのか伝わってきます。  共犯者――、この言葉がこれほど秘密とときめきを持つとは思いませんでした。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ