5. 旧友
討伐隊結成から一年が経過した。
今では、初期からいる一般隊員の多くが討伐作戦に参加できるようになっていた。
そんな中、ダックスが作戦中に負傷し、隊長職を辞して後方支援に回ることとなった。
その際、彼はイスティムを次の隊長として指名した。
隊内での実力もさることながら、魔物と対峙した時の判断力が認められての人選だった。
イスティムは、初めて出会った魔物の弱点を見抜くのが得意なのだ。
しかも、味方全員の能力――どの程度の速さで動けて、どんなことができるかなど――を、いつの間にか完璧に把握していた。
イスティムの指示に従えば討伐は上手くいく、と感じていた者は多かったようで、隊内から反対の声は上がらなかった。
ダルシアは、自分のことのように誇らしく思った。
さらに嬉しいこともあった。
隊長に選ばれたイスティムは、補佐役が欲しいと言って、以前から討伐隊の中心人物であるゴルレバに加え、なんとダルシアを副隊長に指名したのだ。
その日は嬉しくて、夜なかなか寝付けなかった。
他の隊員の反応はやや不安だったが、意外にも概ね良好のようだった。
「本当に私でいいのかしら?」
次の日、ぽつりとそうもらしたら、ジークに笑われた。
「ダルシアは、自分が人気者だって自覚がないんだな」
「人気? 私に?」
「ダルシアは、ラドル元団長の娘だってのもあるし、きれいだし……あ、いやつまり、動きが、何と言うか、人目を引くんだよ。細やかな気配りもできるし。君が先頭に立てば、味方の士気が上がる」
「つまり、評価されたのは実力以外のところってわけね」
ダルシアは溜息をついた。
「それが不満なのか? 実力も含め、総合的に評価した結果の人選だろう?」
「そうなんだけど……」
ダルシアが言葉を濁すと、ジークの表情が急に険しくなった。
「そんなに不安だっていうなら、俺と勝負しよう」
「勝負?」
「ああ。それでもし俺が勝ったら、副隊長を代わってくれ」
「そんな勝手に。だって私が選ばれたのに」
咄嗟にそう言い返してしまってから、ダルシアは苦笑した。
選ばれたことに対して不安をこぼしていたというのに、結局他の人に譲る気はない自分の身勝手さを思い知る。
でも、イスティムに期待されて任されたのだ。だったら、その期待にはやっぱり応えたい。
「勝つ自信がないのか?」
ジークが挑発してくる。
「まさか。私、大人になってから試合であなたに負けたことないじゃない」
ダルシアはそう言い返した。
「それは……!」
ジークがかっと赤くなる。
ダルシアが思うに、ジークと自分の実力はほぼ互角だった。
勝ったり負けたりしておかしくないはずだが、試合で当たると、ジークの動きはなぜか普段より鈍かった。
「ジーク、最近私との試合は手を抜いてるでしょう」
「手なんか抜いてない。ただ……、昔から知ってる相手だから攻めにくいだけだ」
ダルシアが幼い頃、剣の稽古を受け始めるにあたって、父のラドルが頼ったのがジークの父、アーク・シュタウヘンだった。
シュタウヘン家は歴史ある貴族の家系で、ラドルよりもずっと身分は高かったのだが、アークはラドルの強さや人柄に惹かれたと言って、ダルシアを含む家族全員に対しても、敬意をもって接してくれていた。
アークは一人息子のジークに剣の家庭教師をつけていたが、ラドルに頼まれて、ダルシアにもジークと一緒に剣の稽古を受けさせてくれた。
ジークは、ダルシアより一つ年上で、幼い頃のダルシアにとって格好の競争相手だった。
ダルシアは背が伸び始めるのが早かったから、当初、身体の大きさはさほど変わらなかったのだが、先に稽古を受け始めていたジークに、ダルシアは全く敵わなかった。
ダルシアはそれが悔しくて、必ずジークに追いつき、追い越してやると思いながら稽古に励んだものだった。
そのおかげか、ある頃から全く負けなくなった。
ダルシアは最初、自分が強くなったのかと思ったが、すぐに違うことに気付いた。
ジークの動きが、ダルシアと戦うときだけ鈍かった。
その理由はおそらく……、ダルシアが女だからだ。
ジークがそうなってしまったのは、ダルシアの身体が少しだけ女らしい丸みを帯び始めた頃だったから。
貴族であるジークは、女性や子供は守るべき存在であると、幼い頃から教えられて育っていた。
そのせいか、ダルシアの身体に傷が残る可能性のある鋭い攻撃をすることを躊躇っている様子があった。
ダルシアは、そんな風に遠慮されて勝っても、全く嬉しくない。
本気で向かってくる相手に勝ってこそ、本当に強いことになるのだ。
だからもし今、ジークが本気で戦おうと言っているのだとしたら、それは願ってもない好機だった。
今こそジークに勝って、自分が強くなったことを証明したい。
(私の負けず嫌いは昔からか……)
ダルシアはふっと笑った。
そして、剣の柄に手をかける。
「あなたが勝ったら、副隊長を譲れと言ったわね。私が勝ったら?」
「その条件は、君が決めていい」
「言ったわね。なら、後で私の言うことを一つ聞いてもらうわ」
「後から条件を決めるっていうのか?」
「嫌なの? だったら別にやめてもいいのよ」
ダルシアはそう言って、ジークを挑発し返した。
実のところ、交換になるような条件をすぐには思いつけなかったのだ。
「……いや、どちらにしても、勝つのは俺だ」
ジークは条件を呑んだ。
「そう。じゃあ、始めましょうか」
「面白そうなことやってるじゃないか」
急に第三者の声が聞こえて、ダルシアは跳び上がりそうになった。
振り返る前に声で誰かは分かっていたが、確認せずにはいられなかった。
「イスティム……」
そこには予想通りの顔があった。
「ダルシアは俺の人選に不満があるのか?」
イスティムは、少し悲しそうに見えた。
「いえ、あの、これは違うの。あなたに選んでもらえたことは本当に嬉しいと思ってる。その期待には応えたいと思ってる。でも……。ううん。だから私、絶対にジークに勝って、自信をつけたいの」
「そうか」
イスティムはちらっとジークを見て、またダルシアに目を戻し、ダルシアの頭にぽんと手を置いた。
「大丈夫。ダルシアは負けない」
「……うん!」
「お前、俺を怒らせたいのか?」
ジークが、苛立ったようにイスティムに言った。
「いや。隊長として客観的に見た俺の予測だ」
イスティムは淡々と答えた。
「だが、もちろん絶対ではない。シュタウヘンが勝ったら、俺も副隊長の交代を認めよう。せっかくこの場に居合わせたんだ、開始の合図くらい出そうか?」
「……ああ、頼む。いや……、頼みます、隊長」
イスティムの方が立場が上になったことに気付いてジークは言い直したが、イスティムは軽く噴き出した。
「タメ口でいいよ。その方が気楽だ」
「そうか? なら遠慮なく」
ジークはあっさりと引き下がった。
ダルシアとジークは、三歩離れて向き合った。
お互い剣を抜いて構える。
二人が完全に静止したところで、
「始め!」
イスティムが合図を出した。
ダルシアは、合図と同時に踏み込んだ。
特別な戦略などはない。今日は正攻法だ。
ジークにとっては最も見慣れた攻め方だろう。
彼は落ち着いてダルシアの剣を受け止めたが、
「……!」
そこでやや驚いたように目を瞠った。
シンプルな攻め方だからこそ、以前のダルシアとの違いが最もよく分かるのだろう。
ダルシアは二撃、三撃と続けて剣を打ち込んだ。
ジークは最初の驚きから覚めると、ダルシアの動きに合わせて剣を受け止める。
しばらくそのまま攻防が続いた。
途中、ダルシアは、ジークの目に素直な感嘆が浮かぶのを見た。
多分ジークは、昔からよく知っている姿の延長としてダルシアを見ていた。
ジークが「ダルシア」と聞いて思い浮かべたのは少し前までの彼女で、毎日見ている子供の身長がいつの間にか伸びていたことに気付くときのように、今、ようやくダルシアが変わったことを実感したのだろう。
(悠長に感心してる場合じゃないわよ)
ダルシアは次々と技を繰り出していく。
ジークはダルシアの攻撃を受け流しながら、反撃に出るタイミングをうかがっているようだが、そんな暇は与えない。
そもそも、試合で最も隙が多くなるタイミングは、相手に攻撃をしようとする瞬間だ。仮にジークが反撃に出ようとしたら、ダルシアはそこを見逃さなかっただろう。
おそらくそれが分かっているから、ジークも不利な態勢のまま攻撃に移ってはこないのだ。今は防御に徹しながら、ダルシアが隙を見せるのを待っている。
いや……、それともやはり、女に対して強い攻撃は仕掛けづらいのだろうか……?
(舐めないでよ!)
ダルシアは、ひときわ強い一撃を叩き込んだ。
それを受けたジークの体勢がわずかに崩れる。
そこへ、続けざまに数度剣を打ち込んだ。
素早く重い剣を受け止めきれず、ジークの姿勢がさらに乱れたところで、ダルシアは剣の切っ先をピタリとその喉へ突きつけた。
「勝負あり!」
イスティムが声を上げた。彼は審判としてずっと試合を見守っていたのだ。
小細工もフェイントすらもない、正々堂々の勝負の結果だった。
勝ったダルシアは剣を鞘に納め――、
「……ふざけないで!」
耐え切れなくなって叫んだ。
ジークを睨みつける。
「どうしてこの期に及んで手加減なんかするの!? 私なんかじゃ本気で相手にできないってこと?」
「いや、俺はしてないよ、手加減なんて……。そうじゃない。ダルシアとやるときは、これが正真正銘の、俺の本気なんだ……」
ジークは切なげにダルシアを見つめ返してきた。
「あー……、じゃ、俺はこれで」
イスティムがなぜかやや慌てた様子で言って、くるりと向きを変えると走り去っていった。
「え?」
ダルシアは驚いてそちらを向き、どんどん小さくなっていくイスティムの背中を見送った。
「ダルシア」
ジークに名前を呼ばれたが、イスティムの姿が見えなくなるまでは振り向かなかった。
見えなくなってから、一つ息を吐いてジークに向き直る。
「あのね、私、イスティムのことが好きみたいなの」
「え!?」
ジークの声が裏返った。
それきり、言葉が見つからないように口をパクパクさせている。
「だから、応援して。それが、私が勝ったときの条件よ」
畳みかけるようにそう続け、ダルシアはジークの顔をじっと見つめた。
「……ダルシア、それ本気で言ってるのか? それとも、分かっててわざと言ってる?」
「分かって、って、何のこと?」
「いや……」
ジークは苦笑いを浮かべた。
本当は、彼の言いたいことは分かっているような気もしたが、ダルシアはあくまでも知らん顔をするつもりだった。
黙って彼の次の言葉を待つ。
「……分かった」
やがて、ジークは諦めたようにぽつりとそう言った。
「協力っていっても、何すればいいのか全然分からないけどな」
肩をすくめるジークに、ダルシアはホッとして微笑んだ。
「ありがとう。よろしく」