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1. 敗北

「始め!」

 審判の声が聞こえると同時、ダルシアは鋭く一歩前へ踏み出し、相手の首筋を目がけて剣を打ち込んだ。

 相手の構えは隙だらけだった。

 勝負は、一瞬で終わるはずだった。

 だが、最初の構えのまま止まっているかに見えた彼は、何の予備動作もなく、すっ、とこちらへ近づいてきていた。

 ハッと気付いた時には、彼はダルシアの剣を避けながら既に目の前にいて、逆に彼の剣がダルシアの右腕を捉えようとしていた。

「……!?」

 ダルシアは咄嗟に身体をひねり、自分の剣を下げて彼の剣を受けた。

 彼はさして力を入れているようには見えなかったのに、その一撃は重かった。

 力を受け流すこともできず、まともに受けてしまったダルシアの手が、ジンと痺れる。

 それでも気にせず剣を構え直そうとしたが、彼が流れるような動きでダルシアの喉元に剣を突きつける方が早かった。

 ほとんど触れそうなほど近くでぴたりと正確に止まる刃の気配に、ダルシアの背を汗が伝った。

(――これで一般隊員……?)

 格下だと思っていた相手に負けた――。

 その現実はダルシアにとって重く、この時が、彼女が彼――イスティム・サークレードを強烈に意識し始めた瞬間となった。


 ――ダルシアが初めて彼を見たのは、王都で新しく結成された王立特異生物討伐隊、通称「魔物討伐隊」の、入隊式の時だった。

 一般隊員の訓練を行う教官のラニアンが、整列した一般隊員の名前を順に呼んだ時、「イスティム・サークレード!」と呼ばれて「はい!」と返事していた。

 討伐隊は、身分が重視される近衛兵団などと違って入隊審査は甘く、一般隊員は最低限の体力テストと面接をクリアすれば入隊が可能だった。そのため、家族や友人、家畜などを魔物に殺され、復讐心に燃えた農民上がりの志願兵も多いらしい。

 実際、入隊式に参加していた者も、見たところ三分の一近くがそんな一般隊員のようだった。

 騎士団などから移ってきた上級隊員には、ダルシア以外の女性はいないが、一般隊員の列にはちらほらと女性も交ざっていた。

 イスティムはその列の中では目立って体格が良かったが、自前の剣を携えてはいないところを見ると、やはり素人なのだろう。ラニアン教官は大変だ、とダルシアは思い、自分達は一般隊員の手本となるべく努力して、隊全体のレベルを上げていかなくてはならないと決意していたのだった。

 ……その日から、まだ一ヶ月そこそこしか経っていない。

 ダルシアは、しょせん素人と侮って、相手をきちんと見ていなかった自分の思い上がりを恥じた。

 最初の一撃では、半分は寸止めすることを考えながら打ち込もうとさえしていたのだ。

 「油断していた」などと言い訳するつもりはない。そうした心の(おご)りも含めて、自分は相手より劣っていたのだ。

 完敗だった。

 悔しくてたまらなかった。


     ☆


 ダルシアの父、ラドルは騎士だった。

 ダルシアが物心ついた時、ラドルは既に騎士団の副団長になっていて、団長からの信頼は厚く、後輩からも慕われる、強くて頼もしい男だった。

 ダルシアは、幼い頃から父に憧れていた。

「大きくなったら、お父さんみたいなカッコいい騎士になりたい!」

 とダルシアが言うと、

「そうか」

 と、ラドルはやや困った顔をしながらも嬉しそうだった。

 ダルシアは六人姉妹の次女で、男の兄弟は一人もいなかった。

 ラドルは娘達を充分に愛してくれてはいたが、息子がいないことを内心寂しく思ってもいたのだろう。

 ダルシアが剣術や乗馬――女性的な横座りではなく、馬に跨る形の――に興味を持つと、面白がって色々教えてくれた。

 そうしているうちに、娘の才能を感じ取ったようで、本格的に騎士になるための訓練を受けさせようとし始めた。

 ラドルには仕事があるので、ダルシアに長く稽古はつけられない。

 知り合いに話をつけ、他の教師から教えを受けられる環境を作ってくれた。

 母は、娘が体中に傷や痣を作り、泥だらけになって剣を振ることを決して歓迎してはいなかったが、ダルシア自身の意志が固いことを見て取ると、強く反対はしなかった。


 そうして日々が過ぎ、ダルシアが十三歳になった頃、隣国ワゴウの一都市バクが、領土の拡大を求めてこの国と軍事衝突を起こした。

 その時既に騎士団長となっていたラドルは、騎士団の一部を率いて戦いの鎮圧に赴き、見事勝利した。

 一糸乱れぬ連携で、数的優位に立っていた敵を下したその鮮やかな戦いぶりに、ワゴウはそれが国同士の戦争に発展するのを恐れ、バクを抑えるのに協力したと言われている。

 ワゴウとの平和条約が締結された後、ラドルは戦功を認められ、国王から「名誉騎士」という一代貴族の位を賜った。

 報奨金も多く出たが、家族は喜べなかった。

 ラドルはその戦で、部下を庇って傷を負い、その傷が元で左腕を失っていたのだ。

 全く戦えなくなったわけではない。それでも、前と同じようにはいかない。

 彼は自分から騎士団長を引退し、後進の指導にあたり始めた。

 父自身はそのことについて、言葉に出して嘆いたことは一度もない。

 だが、ダルシアは悔しかった。

 父は本当はもっと前線で戦っていたかったに違いないと思った。

 だから、自分が騎士団へ入って、父の分も頑張ろうと思った。

 騎士団長を辞した父は以前よりも時間に余裕ができたため、直接稽古をつけてもらえる時間が増えたことは、ダルシアにとって唯一の嬉しいことだった。

 ――そうして時は過ぎ、ダルシアは女性としては初めて、騎士団の入団試験に合格した。

 純粋な筋力では男性より劣るが、ボディコントロールが上手く、天性の勘と計算で、相手の力を受け流す能力に長けていた。

 そして何より、儀礼の式典などで披露する剣術の基本となる動き、「型」が抜群に美しく、ほとんどの試験官が最高評価をしたらしい。

 過去に例のない「女騎士」ということで、馬鹿にしてくる同僚なども中にはいたが、ラドルの娘ということが知れ渡ってからはむしろ一目置いてくれる人の方が多かった。

 しばらくの間、ダルシアは充実した日々を送ることができた。

 だが最近になって、この国では「魔物」と呼ばれる生物が各地に多く出現し、人々を悩ませるようになっていた。

 人喰い竜の伝説や、海底に棲む巨大生物の話などはかなり昔からあったのだが、ここ数年、凶暴な性質を持つ未知の生物が人間の住む地域に多く現れるようになったようだ。

 中には火を吐く動物や、人に幻覚を見せて近づき、食い殺す生物などもいて、各地で大きな被害を出していた。

 それらの生物がなぜ急に出没し始めたのか、様々な憶測が流れたが、結局今でも原因ははっきりしない。

 だが、原因はともかく、被害が出ている以上、それに対処しないわけにはいかなかった。

 国王は騎士団を度々派遣したが、そもそも騎士団は、隣国との戦争や内乱の鎮圧を想定した訓練しか受けてはいない。

 ダルシアを含め、騎士団員達は慣れない戦いに苦戦し、多くの死者が出た。

 ダルシアも、親しかった仲間を何人か失ってしまった。

 そんな状況を打開しようと新たに結成されたのが、それら魔物を相手に戦うことを想定した部隊――魔物討伐隊というわけだ。

 討伐隊が結成されると聞いた時、ダルシアは迷ったが、騎士団にい続けるよりも、魔物の出没によって困っている人達を助けたいと希望して、その初期メンバーに加わった。

 父も賛成してくれた。

 とはいえ、訓練の内容はまだ試行錯誤の途中だ。

 一応、騎士団の副団長だったゴルレバが上級隊員の教官役になってはいるが、訓練メニューは、魔物との戦いを経験したことのある上級隊員達で意見を出し合いながら決めている。

 実戦を想定しつつ訓練を行ってきたつもりではあったが、本当にこれで大丈夫なのだろうかという不安は多くの者の中にあった。

 しかし、いつまでも訓練だけをしているわけにはいかない。

 討伐隊結成から約一ヶ月が経った頃、隊は初の討伐作戦を行うことになった。

 作戦の指揮官は、隊員同士で勝ち抜き戦をして優勝した者にする、とゴルレバは発表した。

 実戦ではゴルレバが隊長として皆を率いてくれるものと思っていた者が多かったらしく、なぜそんなことを、という声が上がったが、他の隊員の能力がどの程度なのか把握するチャンスではある、とダルシアは思った。

 もっとも、教官がまだ早いと判断した多くの一般隊員は、今回の討伐作戦には参加せず、必然的に今日の試合も観戦するだけなのだが。

 そんな中、ダルシアの初戦の相手は数少ない一般隊員からの参加者、イスティムだった。

 ダルシアは試合開始時の定位置に立つと、剣を正眼に構えた。

 対するイスティムは、剣の切っ先を下げて右手で持ち、左手は柄に軽く添えているだけ。はっきり言って隙だらけに見えた。

 そして、ダルシアが油断しているうちに試合は始まり――、

 あっさりと終わってしまったのだった。


「勝負あり!」

 審判の声がかかり、イスティムが剣を引いた。

(負けた…の……?)

 ダルシアは半ば呆然としながら剣を鞘に収め、下がって一礼した。

(負けた……)

 実感が湧いてくると、悔しくてたまらなくなった。

 そして猛烈に恥ずかしかった。

 自分は何のために討伐隊へ入ったのか。

 魔物の被害から人々を守るためではなかったか。

 だというのに、魔物どころかただの人間相手にこんなにあっさり負けてしまうとは……。

 このままでは、自分を許せそうになかった。

『水の魔物』

https://ncode.syosetu.com/n3218ef/

の外伝的作品ですが、これ単独でも読めるように書いたつもりです。

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