共同作業 Ⅱ
「……やっぱり、ダメだ。これじゃ学会には間に合わない。……もう、諦めよう」
一生懸命、古文書の選別作業をしていた絵里花が、驚いた顔をして、史明の暗い顔を見つめた。
「だって、まだ文書のすべてに目を通せてないし、それを解読して、読み下して……それからやっと研究段階だ。満足のいく研究をするには、時間がなさ過ぎるよ」
そんな史明を見つめる絵里花の視線が、厳しいものに変化する。
これが史明のいちばんダメなところ。見た目のダサさやだらしなさは問題ではない。この自分の素晴らしいところを世の中にアピールする〝欲〟に欠けているのが、史明のいちばんの弱さだった。
「こんなチャンス滅多にないのに、どうしてそんな簡単に諦めてしまうんですか?」
「簡単に言ってるんじゃない。現実問題だ。学会の事務局から、発表のタイトルを教えてほしいって催促がきてるのに、まだかたちにもなってない。きちんと研究して結論を出さないと、学会で発表はできないよ」
淡々と現状を語る史明の言葉を、絵里花はただ黙ってじっと聞いていたが、にわかに目をしかめて史明を鋭い視線で見据えると、決意の表れた声で宣言した。
「私は、諦めたりなんかしません!」
その強い態度に、史明は思わずたじろいでしまったが、苦い顔をしてため息をついた。
「俺だって諦めたくはないけど、無理だよ」
「あれこれ迷って御託を並べている暇があったら、先を進めてください!」
全く聞く耳を持たない絵里花に、史明も険しい表情になってくる。
「だったら、どんな研究ができるって言うんだ。ただの史料紹介や報告じゃないんだぞ?無謀だよ。できっこない」
「できっこないかどうかは、やってみなければ分からないでしょう。タイトルなんて当たり障りのないものを、適当に考えて言っておけばいいんです」
「君の言ってることは、無責任だ」
「そう言う岩城さんは、意気地なしです!」
いつしか二人とも感情的になって、大きな声で言い争いを始めていた。そしてここには、それを止めてくれる人は誰もいない。二人の声だけが響き渡っている。
「そういう問題か!?君は……」
と、史明が言いかけたところで、感極まった絵里花の目から涙がポロリと零れて落ちた。
その涙を見て、史明は息を呑む。
泣かせてしまった罪悪感や、なんで泣いているのか分からない驚きよりも、涙によって増幅された絵里花の美しさが、いきなり史明の意識の中に飛び込んできた。
もう気合の入ったメイクはしなくなったとはいえ、やっぱり絵里花は透き通るように綺麗だった。
史明の目が絵里花に釘付けになり、口をつぐんだので、絵里花も我に返って涙を拭う。
「……とにかく、私が史料に目を通して、楢崎氏に関連しているものは、一日でも早く解読を終わらせますから。岩城さんは研究の方に専念してください。まだ全力を尽くしてません。岩城さんの実力は、こんなものじゃないはずです」
絵里花はそう断言すると、次の継紙(古文書の一形態)を開いて、その文面に目を走らせ始めた。
絵里花はどうして、確信を持ってそう断言できるのだろう……。
史明は、雷に打ち付けられたようにその場に立ちすくみ、そんな絵里花をその分厚いレンズの向こうから見つめ続け……、しばらくそこから動けなかった。