美女とマニアック Ⅱ
軽く息をついて、絵里花も史明と向かい合うようにテーブルに着いた。今日もまた、単調な作業の繰り返しが待っている。
今、作業にあたっているのは、数ヶ月ほど前に史明が持ち込んできた史料だ。中世から続く旧家の家屋が移築されることになり、それに伴う調査の際に史明が発見したものだった。
史明が見つけて、史明が持ち込んだ史料だからか、史明は本来絵里花がやるべき分類作業を手伝ってくれていた。というよりも、史明自身がこの作業に、朝も夕もなく没頭していた。
無言での作業が続く途中で、ふいに史明が口を開く。
「……このニオイは、君の香水か?」
絵里花は古文書から目をあげて、向かいに座る史明に視線を定める。
珍しく興味を持ってくれたのか…と、絵里花の胸が急にドキドキと鼓動を打ち始める。
「そんな異臭を放たれると、文書にニオイが付くじゃないか。非常識だな」
「……」
絵里花は言葉も返せず、その目つきが険しくなる。
――アンタの、その風呂に入ってないニオイこそ異臭でしょうがっ!!
と、心の中で思ったが、口に出して言えるはずがない。ましてや、この異様なニオイに慣れてしまって、何も感じられなくなりつつある自分がコワイ……。
史明がこんな辛辣なことを言うのは、初めてではない。以前も、ラインストーンの煌めくネイルを施していて、
「そんな爪して、史料を破損させる気かっ!!」
と、怒鳴られた覚えがある。
歴史に全てを捧げ、真摯にそれを追い求めている史明にとって、何よりも大切なのはこの史料で、別に絵里花のことを嫌っているわけではない。
……と、絵里花は思いたい。
収蔵庫の中は日も射さず気温も一定で、なんの変化もない。時間の進み方も、外の世界から隔絶されてるように分からなくなる。
けれども、昼食を食べた後の昼下がり。刺激がなく、単調な作業を繰り返していると、猛烈な眠気が襲ってくる。
これには、さすがに史明も耐えられないようで、大きく伸びをしながら髪をかきあげ、眼鏡を外す……。
その時に垣間見られる、涼やかな瞳。信じられないほど端正な史明の目鼻立ち。
絵里花の胸がドキン!と、痛みを伴うように鼓動を打つ。思わず息を止めて、その目の前に現れた奇跡のような光景に見入ってしまう。
この瞬間に、史明のだらしない身なりも言いようのない異臭も辛辣な物言いも、絵里花の中からすべて流れ去っていく。
階下の研究室にいるときは、各研究員のブースはパーテーションで区切られているので、ほとんど史明の姿を見ることなんてなかった。
こんなに近くで二人きりで仕事をすることができたからこそ、知ることができた絵里花だけの〝秘密〟。
このハンサムな史明に一目惚れしたというよりか、このあまりのギャップに、絵里花はヤラれてしまった。
初めて史明の素顔を見たときから、彼のことしか考えられなくなった。彼の素顔だけでなく、彼のどんな仕草にもときめくようになり……、
――……これは、恋だ。
と、自覚するに至った。