只今の資産は3レルフ
「エダナの木の相場は先週から5レルフも値上がりしてるか・・・。やっぱアラム領との戦争が長引いてるせいかな・・・」
市場の軒先、各種素材の相場が書かれた表示板の前でひとり言つるこの僕、ワダ・カズマに素材ギルドの親父が困ったように苦笑する。
「おい、また来てるのかい、カズマ。あんまり油売ってるとまたパメラに怒鳴られるぜ」
「いい相場で売れる油なら幾らでも売りますよ!」
そんな冗談で返すほど、僕は何よりお金が大好きだ。
もちろん物体としてのお金も好きだが、それよりも相場を見極めて高く売れたときの快感は彼にとってなにものにも変えがたい。
「それに先週は僕の相場調査のおかげでうちの店は儲けられたんですよ?」
「ほんとにいいタイミングで売りに来やがったからな~。毎日朝晩2回も掲示板見に来るやつはお前だけだよ」
「綿密な市場調査は商人の基本ですよ」
手帳に目ぼしい素材の相場を書き込んだ後、僕は商業区にある働き先のランディ素材店へ戻るために駆け出した。
何しろ店には時間にうるさい守銭奴がいるのだ。
実は僕はいわゆる『流れ者』だった。
様々な種族が入り交じり、王国や豪族が乱立して戦乱が絶えないこの世界では難民など当たり前だが、僕が流れてきたのは『異世界』からだった。
僕にとってみれば今居るこの世界が異世界ではあるが、来てしまったものは仕方ない。
しかし、平和な現代日本で何不自由なく暮らしていた細身の優男が、突然剣に槍、弓矢でドワーフやエルフやらが戦う戦乱のファンタジー世界に飛ばされて、戦士として戦って身を立てるなんて不可能だ。
何かチートなスキルでもあればいいが、何もないただのひ弱な僕は開き直って適応するしかなかった。
そこで他の難民に混じり、教会の施しを受けながら働き口を探して各種素材の買い取りと販売を行うランディ採取店に住込みで雇ってもらっている。
異世界に来てもなお、僕のお金儲け好きは変わらず、下働きしながらも銭の種はないものか、と日々探していたところ、この世界の素材市場に目をつけた訳だ。
僕が居た現代日本に比べて、この世界ではまだ市場システムが整っていないらしい。
木材や薬草類、石材、鉱石、魔物素材は街の採取屋が作る素材ギルドが売買を管理し、市場相場は単に需要供給の変動だけの原始的なものだった。
どこでも常に戦争をしていて、いつ自分が難民になるやもしれないこの世界人々にとって、値上がりするまで商品を抱えて売りを待ったりする発想が無かったのだろう。
それに支配層の王族や諸侯達が『買い占め』を禁止しているのも大きい。
供給が不確実なこの世界の物資は支配層にとっても命綱であるため、貴族や他国からの物資面への介入を極度に警戒していた。
そこで戦いがからきしダメな現代人の僕は、未発達なこの世界の経済システムを利用して成り上がる、異世界ドリームを目指すことにしたのだ。
なんて夢は大きいものの、今は難民上がりの下働きでしかない。
住んでる場所も勤め先の採取屋の物置で所持金は3レルフぽっち。
我輩は丁稚である、貯金はまだない・・・。
「あっ、やっと帰ってきた!カズマ!たった二袋の薬草売りに行くのにどれだけ掛かってるのよ!」
街の目抜き通りに店を構えた素材問屋、ランディ素材店に戻った僕を店番をしていた赤毛の女の子が怒鳴りつける。
長い髪後ろでまとめあげ、小柄で華奢な体型だがなかなか可愛いこの女の子は看板娘パメラ・ランディ。
この店のオーナーであるドリス・ランディの一人娘で、元来気が強いドワーフ族の女だけに主人のドリーよりも恐ろしい存在だ。
「いや、ほら、また美味しい相場がないかな~って思ってさ!こないだはそのおかげで儲かったじゃない?!」
「相場価格なんて水物なんだから、そんなの見てるよりその間に一つでも素材を取り行ったほうがいいじゃない!」
パメラの言うように、この世界の植物の育成は早いし石材や鉱石も豊富なため、在庫を抱えるよりも数を捌いた方が手っ取り早い。
しかし街の外へ素材採取に行くにもそれなりに準備とリスクが伴う。
まず、魔獣や盗賊への備えだ。自前の装備や技能で撃退出来るならいいが、街から離れるほど敵は強くなるため、遠征するのであればかなりの数の傭兵を雇う必要がある。
それと素材の知識や輸送方法の確保。
植物の生育場所や鉱石の分布や採取方法などを熟知し、採ったものを街まで運ぶ手段も確保しないといけない。
年に二度、夏と冬には素材ギルド主催の大規模採取遠征が行われているが、それ以外で素材を確保するには各採取店が自前で採取隊を組んだり、冒険者から買い取ったりするしかない。
時間があれば街の外で何か取ってこい!ってのが採取屋の基本スタイルなのだ。
「いまの時間の時給はちゃんと引いておくからね!」
「ええっ!店の為に相場調査してたのに~」
店の金庫番も任されているしっかり者のパメラは確実性のある儲けしか信じない主義だ。
明日をも知れない戦乱の世界では『今ある物』こそが全てなのだろう。
これじゃあお金を貯めて自分の店をもつのはいつになることやら、とカズマは大きなため息をつく。
そこに、通りの向こうから数台の馬車の列が向かってくるのが見えた。先頭を歩いているのはガッチリとした体型のドワーフ族の男。
店のトレードークにもなってる大きな斧を担いだその男はカズマの勤める店の主人、ドリスだった。
三日前からこのエルフェルムの街から10数キロ離れたマルルの森林まで素材採取に行っていた。
「ドリーさん!お帰りなさい!収穫はどうでしたか?」
「なかなか良いナラムの木が取れたぜ!あとは薬草のチクルの実とケアル草、オオカミとイノシシ素材。それから目玉はこいつ、ワイバーンの骨だ!」
そう言ってドリーは自慢げに手に持っていた麻袋を掲げてみせる。
ワイバーンはドラゴン族の一種で身体も大きく、高山に住むためなかなかお目にかからないし、それを倒すのは至難の技だった。
「すごいじゃないですか!倒したって事はないです、よね?!」
ドリーの後ろに続くドリス採取店で仕立てた採取隊を眺めるも、馬車が2両に人足が3人、護衛の傭兵が5人、とてもじゃないがワイバーンを相手に出来る戦力ではない。
「いや、ワイバーンの死骸を見つけたんだよ。年老いたか縄張り争いでやられたのかは解らないが、ラッキーだったぜ!」
「そりゃほんとに運が良かったですね!ワイバーンの骨なら今は1袋あたり30レルフは固いですよ!」
「そんなにか!さすが相場マニアだな!これだけで今回の経費分は回収できそうだな!」
ドリーはカズマの見立てを聞いて相好を崩す。
「今回はかなり儲けも出そうだし、たまにはカズマにもボーナスでもやらないとな!この前はお前の情報のおかげで儲けさせてもらったしよ!」
相場の地合いが悪い時は採取した素材を売り払って、経費を引いたら儲け0、なんて事もあるだけにかなりご機嫌だ。
しかしドリーの言葉にパメラの表情はさらに険しくなる。
「ダメよパパ!カズマにはちゃんとお給料払ってるんだから!」
「えええっ?!オーナーのドリーさんが言ってるんだからいいじゃないですか!」
「私が家計を預かってるんだから、無駄遣いはさせません!・・・そんな事より帰りがずいぶん遅かったじゃない?!お昼過ぎに戻る予定だったでしょ!」
安い賃金も住込みの家賃と食費でほぼ消えてしまい、僕の独立の為の貯金すらままならない。
ボーナスを貰えるという喜びを踏みにじっておいて、そんな事よりってヒドイ!
「ああ、そのはずだったんだが、アラムの軍勢にぶち当たっちまってよ。あそことは戦争中だから見つかると不味いんで隠れてたんだ。あの方向じゃあ明後日あたりにはココット砦があぶねえな・・・」
この街を含むエルフェルム領を治めるルインフォルト家と隣のアラム領を治めるアヴァル家とは長年に渡って争いが絶えない。
特に、最近アヴァル家の盟主が交代したことで、指導力のアピールや国威発揚の為の軍事行動が予想されていたが、まさかアラム領から最も遠いココット砦が攻められるなんて誰も予想していないはずだ。
だからエルフェルム軍の主力は幾度も戦場になったスタール平原に展開中だ。
僕は頭の中で街の周辺の地図を広げる。
このエルフェルムの街とアヴァル領の間には広大なスタール平原、街の北にあるココット砦とは深いマルルの森で隔てられている。
もしココット砦が落ちれば、アラム軍は街までの街道を使ってすぐにこのエルフェルムに押し寄せて来るだろう。守備兵が少ない街など包囲されればひとたまりもなく落ちてしまう。
このままではエルフェルム軍は完全に裏をかかれる事になる。
「相手はかなりの兵力だったから貧弱なココット砦じゃあ二日も持たねえぞ。この町が戦場にならなきゃいいが・・・」
住んでる住民にとって、はきっり言って領主が誰になってもさして問題ではない。特に領主が変わった直後は住民の人気を得るために取引税や居住税が安くなるので、商人はむしろ歓迎しているくらいだ。
住民にとって、領主交代の過程で一番の懸念は街が戦場になる事だった。
街が戦場になれば非難先から戻ってみれば家は略奪されて焼かれ、統率の取れてない兵士や敗残兵、盗賊などが街に溢れている。
つまりこれまで築いてきた生活基盤全てを失うこともあるのだ。
「ドリーさん、アラム軍の事はお城に伝えました?」
「いや、城にはこれから伝えにいくところだが・・・」
「では少し待ってもらえませんか?明日の・・・昼くらいまで!」
「おい!その間に他の奴が見て伝えたら、情報料の手取りが下がっちまうだろ!」
「なら、僕が五日でその情報料の100倍の儲けを出せると言ったら?」
「100倍だと?!本気で言ってんのかい!」
「ちょっとカズマ!適当な事言って情報料が貰えなかったらあんたの給料から差っ引くからね!」
「ええ、情報料分どころか、一生無給で働いてもいいですよ?その代わりもし本当に100倍の儲けが出たら、そのうち10%を頂けますか?」
僕のその言葉を聞いて、最初に反応したのはやはりパメラだった。
「その話、乗った!現時点でこのレベルの情報なら80レルフは貰える。つまりその100倍の8000レルフを稼いでくれるってことよね!」
「はぁ~!8千レルフだと!おい、カズマよぉ、大丈夫かい?!8千つったらお前さんの給料の800倍だぜ!」
レルフはこの町で流通している通貨だが、現代日本の通貨価値に換算すると約一万円くらいだろう。つまり五日で8千万円稼ぐのと同じだ。
「大丈夫ですよ。そのかわり五日間は僕の指示に従っていただきますが」
「そうか・・・、そこまで言うなら俺も何も言わねえ!乗ったぜ!」
と、オーナーのドリーも賛成して、いよいよ僕の人生を掛けた大博打が始まった。
これは僕の異世界ドリーム実現の為の、最初の大博打でもあったのだ―――