プロローグ
私の名前は『シェリア』研究員だ。
研究員は職業である。私の住む街では研究開発が推奨されている。
蒸気機関学?鉱山工学?農学?植物学?菌類学?機械学?他にもさまざま
この街で暮らす研究者はみんな、そのように生活に欠かすことのできない技術の研究をして一生を終える
それはとても立派なことだと思う。
この街が千年も栄えてきたのはその人達のおかげ。
研究員は定期的に研究結果を出す必要がある。お給料を貰うのでノルマである。
基本的に研究員は研究棟にこもって役に立つ物を開発したりするんだけど、私はインドア派じゃない。
研究棟の中だけで終わりたくないよ~。そんな事を考える日々を過ごしている。
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私の研究分野は『霧』である。 正確には霧の下に眠る『霧の大地』だ。
霧の大地というけれど元々そうだったわけではない。
かつて世界は人間の楽園だった。その大地には各地に都市があり、そこで人々が暮らしていた。
千年以上昔のある日、世界の彼方で地面に大穴が空いた。そこから噴き出したのが霧だ
霧と共に『クラーケン』と名付けられた生き物も現れた。とある。
霧が噴出したせいで巻き込まれたのか、霧の噴出がクラーケンの仕業なのかはわからない。
そもそも私は生きてるクラーケンを見たことがないから何とも言えない。図鑑で見る限り手がいっぱいで凄く気持ち悪い。こんな生き物本当にいるのかな?
紫色のその霧は私たち人間には毒だった。私たちの体は濃い霧には過剰反応してしまい、体調不良に繋がり、やがて死に至る。
霧が広がり、いくつもの国や都市が放棄されていった。滅びが迫った人間はすべての労力を使い山の上に自給自足ができるような基地を建設した。
幸いにも山の上までは霧は来なかった。
私の住む山頂の都市『ニオ・アスケイア』もその一つ。放棄された『アスケイア王国』の住人が作り上げた都市。
限られた土地を使うために、人々は知恵を出し合った。
そして生まれた職が研究員だ。研究員はその知恵を都市に捧げた。
時代が流れて技術が進み、ニオ・アスケイアは摩天楼が並び、蒸気機関から出る蒸気に覆われ、空には開拓地を行き来する飛行船が飛び、地下街層がいくつも重なる大都市になった。
霧の観測の技術が高まり、霧の濃度が薄くなってきた事、そして霧の毒に対して過剰反応が起きにくい人間が確認されるようになった。
つまり霧への『耐性』の獲得である。千年で人間も進化するんだなあ…
完全に他人事だったのだが研究員になる時の検査の結果、まさか私がその貴重な耐性を獲得しているとはね!
完全耐性ではないからあまりにも濃度が濃いと死んじゃうらしい。どうやって確かめたんだろう。
八十年ほど前、このニオ・アスケイアのある山の中腹に観測基地を建設するために下山した勇気ある耐性持ち調査団がいた。
基地の建設は無事に完了したのだが運用を開始する段階で霧が満ちてきて体調不良を起こして皆逃げ帰ってきたらしい。
それ以来、基地は使われることはなく耐性所持者も別の研究をすることになった。
つまり諦めてしまったのである。まあ責められないよね。
他の山岳を開拓する新都市建設の方が圧倒的に需要がある今、住むことが難しい霧の大地、人間の故郷には誰も見向きもしていなかった。
私の研究はこの霧の観測だったのだが、この耐性を持つ体がありながら霧を見ているだけの日々に悶々としていた。私は決心した。
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「はい!はい!アラウ先輩」
「なんですか?シェリアさん」
「先輩!私!観測基地に行きたいです!」
言ってしまった。言ってしまった~。
周りの視線が私に集まる。
「馬鹿じゃないの?シェリアさん あなた正気?」
アラウ先輩が驚愕している。無理もない。
「はい!人間の為にやりたいことがあるんです!私とても耐性あるんですよ!私達は研究者なんです!」
「意気込みは結構だけど…耐性持ちで他に行きたい人いるのかしら?」
「……(死にたくねー)」
「というわけで一人で観測基地までいける?」
「えぇ…そんなー」
「観測基地まで霧が満ちてきたら急いで逃げるのよ?観測データを見る限り基地周辺の霧の濃度は大丈夫だと思うけど…あなた体動かすの得意だって言っていたわよね?」
なんて職場だ……こんなか弱い乙女一人で山の中腹まで行けと
「が…がんばります…」
「一晩、冷静になって考えてから行きなさいよ?やめても責めないから」
「死ぬなよ~」
「お前ドジだから事故るぞ」
こうして上司に研究許可を得た私はリュックにいっぱい年季の入った登山道具と計測器具を詰め込んで先輩たちに苦笑いで見送られ、ニオ・アスケイアの研究棟を後にした。
でもみんなによく言った!とか言われてみたかったかも。80年前の人達って勇気があったんだね。
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「ただいま~」
研究員寮の誰もいない部屋に私の声が木霊する。
ベッドにバターンと倒れたいのを我慢して生活用品を詰めよう。
ふと窓を見ると研究棟が見える。
この部屋とも少しのお別れ、ちょっと掃除をしておけばよかったかな?
寮の仲間はまだ研究棟にいるからメッセージカードを部屋の前かけておこう
『シェリアは留守にしています』
よし!戸締まり確認!
さあ行こう~!
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寮を後にした私はすぐにエレベーターターミナルへと向かう。
一晩考えてしまうと多分私は行くのをやめてしまうと思う。
だから即行動!
ニオ・アスケイアには地下に九層の区画がある。
層それぞれ一つの街である。ひとつ下の層に行くには階段及び小型エレベーターが街の各所に設置されているがそれ以降の層に向かうには大型エレベーターの直行便がある。
なので私は『第9層』行きの大型エレベーターに乗るつもり。
向かう行き先はかつてこの街を作り上げた登山道…私にとっては下山道に繋がるゲートだ。
『第9層』最下層街は代用肉になる菌類などの研究生産が盛んな地区だ。
昔は鉱山街だったらしい。廃坑が菌のプラントに利用されている。
このニオ・アスケイアの歴史的にもとても大きな役割を果たした街なのだが今はその話は今は置いておこう。
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チーン
ベルが鳴りエレベーターのドアが開く。
『ご利用ありがとうございました。セントラル街到着です』
乗客が出てくるのを待ち、私も乗り込む。
『こちらは第九層行きエレベーターです。お乗り間違えがないようにお気をつけください』
「ねえ、あのお店のお菓子美味しかったね~!」
「また行きましょう」
「今日はありがと…服買ってくれて嬉しかった」
「君によく似合っているよ」
エレベーターの中の買い物帰りの市民達の明るい会話の中が聞こえるが
重たい荷物を背負っている私には少し鬱陶しかった。
『ご利用ありがとうございました。第九層 最下層街到着です』
エレベーターから降り、これからどうしようかと考えなから最下層街を歩く。
露店が並ぶ常夜通りには飲食店が多く大変に魅力的な場所である。
揚げ物、炒め物のかおりがする。
「ん~いいにおい、買っちゃおうかな…」
結局、私は誘惑に負けてしまったのである。
常夜通りの人混みを抜けて少し歩くとゲートの前に到着した。
基本的に下山道は封鎖されていて市民は立ち入り禁止なのだが研究や労働の為にゲートから出ることは許されている。
早速、私はゲートの門番に研究員バッジを見せて研究許可証を出すことにした。
「ん?採掘業務かな…研究員だね?これ本当に?一人で?」
許可証の内容を見た門番が絶句しているのである。
「はい……」
「見たところ不正なものではないようだな…その何だ…頑張れよ…ニア・アスケイアの為に…まあ命を捨てるような無理はするなよ」
何その哀れみの顔~!
私に与えられた研究は観測基地の復旧及び都市への連絡装置の設置、それがノルマ。
ノルマ達成できずに無職市民にはなりたくない…せっかく掴んだ研究員の職。
夢見た、霧の下の世界の研究、私が研究員になった目的!
それはかつての人間の故郷!私はそれを確かめたい!
「んー!やるしかない!がんばりますよー!!!」
ゲートの外に広がる大空に向かって叫ぶ。
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こうしてシェリアはニオ・アスケイアを旅立った。
彼女は後にこう呼ばれる事になる。
エクスプローラー 『探求者』と――