校舎裏で投げ掛けた言葉と、掴まれた胸ぐら
「あなたは、この世界に、人生に、物語に……満足できていますか?」
そんな言葉を投げ掛けた僕を見る彼の表情は、僕と同じ、悲しげな雰囲気を持っていた。
あれ、僕、何言ってるんだろう。いきなりこんなこと言われたって、戸惑うだけなのに。
つい、口をついて出てしまった。
僕は慌てて、失言を取り消そうとする。
「……すみません、なんか、変なこと言っちゃいましたね。忘れてください」
「……俺も、俺だって……」
「? はい?」
「…………いや、なんでもない……」
目の前の彼も、なにかを言おうとして、止め、また黙った。
そんな時間が少しの間流れ、僕が口を開いた。
結果的に僕が作ってしまったともいえるこの沈黙に、耐えきれなかったのだ。
「髪、すごいですね……」
「ん? ああ、これか? まあ、毎日欠かさずセットしてっからなあ」
「あ、いや、確かにそのセットもすごいんですが、色が……」
「ああ、そっちか。でも、こんくらいに染めてるやつなんて、この学校、そこら中にいるだろ?」
「そうですね……すいません」
「いや、別に謝らなくてもいいけどよ……」
なにか会話をと思い切り出したのだが、余計変な空気になるだけだった。
この人は金髪に染め上げた髪をカッチリとツンツンにセットしていて、たしかにすごいといえばすごいのだが、この高校は不良生徒も多いため、これくらいは珍しくもないのであった。赤とか緑とかも普通にいるしね。
「しっかし、『物語』ねぇ……」
僕の先程の言葉がまだ頭に残っているようで、彼はふと、そんな風に言葉を漏らす。
「お前は自分の人生を、小説かなんかの物語だと思ってる……て、ことなのか?」
目を見て、そう聞いてくる彼の声には、僕を馬鹿にするような感情は込められていなかった。
ただ、なにかの答を求めるかのように、僕に問うているような感じがした。
「ああ、いえ、それは、ちょっと違うような気がします……どちらかと言うと、逆っていうか」
「逆ぅ?」
「は、はい……それは、僕というよりは、"彼ら"ーー「斬新部」のみなさんのような、世界の主役のような人達の人生こそが、『物語』みたいだなって……そして、僕みたいなのは、そんな物語の端で彼らを見ているだけの、モブでしかないんじゃないかって……いつも思ってて……」
「……そうか……」
「……はい……」
ますます重くなっていく空気をどうにかして打ち破ろうと、僕は慌てて話題を変える。
「あの、えっと、その、あなたは……」
「武人だ」
「あ、ありがとうございます……。武人さんは、いわゆる、お不良さんなんですよね?」
「う、うん……? ま、まあ、そうだけど……なんだその言い方」
「な、なんかそのまま不良っていうのは、悪いような気がして……」
「別に気にしねぇよ。つうか、そうやって言葉にするのが悪いと思ってるって気持ちが、そもそも一番失礼なんじゃねえのか?」
「……そうですよね、すみません……あ、でもそもそも、悪くないと不良とは言えないんじゃないですか?」
「……いや、まあ確かにその通りなんだけどよ……。お前、結構ズバズバ言ってくるよな」
そうだろうか? 僕は思っていることを口に出せない、引っ込み思案な小心者だと思うけど……だからこそ、こんなくだらないことで、ずっと悩んでしまってるのだ。
でも、確かに言われてみれば、この人には、普段よりも少し自分を出せているような気がする。格好や喋り方から見て、不良だろうとは思うが、不思議と恐いという気持ちも生まれない。
そして僕は、つい、言ってはいけなかった言葉を、口に出してしまう。
「……でも、なんかちょっと、憧れます」
「は?」
正直、少し、調子に乗っていたんだと思う。
「僕は見た通りの、普通の人間だから……特別って感じがして」
「…………」
武人さんの沈黙の意味も、浮かべていた表情も、その心中も。
なにも考えずに、僕は、今の彼にとってすごく残酷な言葉を、吐き出していく。
「喧嘩とか抗争とか、僕には絶対できないから……出来たとしても、どうせすぐにそこら辺の人に負けちゃって、下っ端で終わるのがオチでしょうし」
「…………ぇよ」
心の中に封じ込めていたいくつもの葛藤を、不満を、悔しさを。
まるで愚痴るかのように、溢していく。
小さすぎる彼の声など、聞こえぬまま、聞こうともせぬまま。
「いいですよね、なんか、映画みたいで。……武人さん強そうですし、天下とか、狙ってるんですよね? 青春だなぁ……」
「…………ぇって」
それはきっと、八つ当たりのようなものだったのだろう。
最低だ。少し考えれば、分かりそうなものだったのに。
感じ取れる、はずだったのに。
「羨ましいなぁ……僕も、あなたみたいになれていたら……」
なぜこの人にはこんなにも、ずっと抱え込んでいた想いを吐き出せるのか。
なぜずっと一人で、自分に問いかけ続けていたことを、聞いてしまったのか。
それはーー
「こんな思い、しなくても済んだのかもしれなーー」
「うるせえっつってんだよ!!!」
ーーこの人が、僕と『同じ人間』だったからなんだ。
「おいてめえ、なに自分だけ気持ちよくなってんだ、あぁ!? てめえが俺のなにを知ってやがるってんだよ!!」
「…………すいません」
僕の胸ぐらを掴みながら怒号を浴びせる彼に僕は、謝ることしかできなかった。
そこにあるのは恐怖などではなく……胸一杯の、申し訳なさだけであった。
しまった、これこそ失言だ。
初対面の彼を使って自分を卑下して、悲劇のヒーローを気取ってしまった。ーー悲劇だろうが喜劇だろうが、僕は"主人公"になんて、なれるはずがないのに。
彼の、僕の話を聞いていたときの真っ直ぐな目や、ずっと自問自答してきた質問を投げ掛けたときの表情が頭を駆け、心を締め付ける。
「俺だって……俺だってなぁ!! 満足なんてしてねえんだよ!! こんな世界にも、人生にも、ーー物語にも……!! でもなにより、この状況を変えられねえ自分に!! 腹が立って仕方がねえんだ!!」
「……すみません……すみません……」
「憧れるだとか、羨ましいだとか……そんなもん思われる筋合いなんてねえんだよ!! てめえだけが色んな想い抱え込んでるわけじゃねえんだぞ!!
ーー『……俺も、俺だって……』ーー
先程言いかけて飲み込んだ想いを、彼は僕の胸ぐらを掴んだまま、必死に言葉にしていた。
それに対して僕はただ、謝ることしかできなかった。
人に本気でキレられたのは、これが始めてだったから。
いつも周りの目を気にして、顔色を伺って、空気を読んで。
誰かをこれほどまでに怒らせたことなんて、なかったから。
周りの人間も、本気で怒ってくるようなことなんて、なかったから。
ーーなんだか、生まれて始めて"自分の存在"を認められたような気がした。
「すみませんでした……調子に乗ってました……本当に、すみません」
「…………いや」
急に手を離され、持ち上げられて宙に浮いていた身体がドサッという音を立て地面に落ちる。
尻餅をついて彼を見上げる僕に向かって、武人さんは、申し訳なさそうに口を開く。
「こっちこそ、取り乱しちまって、悪かったな……なんか、カッとなっちまって」
「い、いえ、悪いのは僕です……! 武人さんの気持ちも考えずに、好き勝手言って……」
「お前は別に悪くねえよ。すぐカッとなっちまう俺の性格と……情けねえ俺の生き様が悪いんだ」
「……そんなこと……!」
そんな風に、自分を卑下する姿を見て、僕はとてもいたたまれない気持ちになった。……まるで、自分を見ているようで。胸がチクリと痛くなった。
……さっきまでの僕を見て、彼もこんな気持ちになっていたのだろうか。だとすると、それはとても悪いことをした。
「なあ、そんなことより、腹減らねえか?」
「え……? はい、まあ、お腹は空いてますけど」
「じゃあよ、とりあえず一緒に飯行こうぜ! 飯!」
そう言って、笑いながらまた差し伸べられた手を掴んで、僕は、笑顔で答える。
「……はいっ!」
彼の眩しい笑顔と温かな手は、僕の冷えて暗くなっていた心を、溶かし、照らしていくようであった。